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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
道化と冠 後編

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「灰は灰に」


 大統暦六四一年の年明けは、ジノーファにとって静かなものになった。貴族らは領地で新年を迎えており、また特別な行事も新年の参賀までは予定されていない。ジノーファは年始の数日を、久しぶりに家族と過ごすことができた。


「ちちうえ、これ、あそぼ!」


 ベルノルトがおもちゃを手にジノーファのもとへ駆け寄る。彼の足取りはもうずいぶんしっかりとしてきたし、言葉もかなり喋れるようになった。ジノーファはそれをしみじみと感じたし、また仕方がないとは言えなかなか一緒にいられないことが申し訳なく、また寂しく思えた。


 その埋め合わせをするかのように、ジノーファはベルノルトとよく遊んだ。シェリーはその様子を微笑ましげに見守り、時には彼女も一緒に遊んだ。室内にはラヴィーネの姿もあり、彼女はクッションの上でうたた寝をしている。


「その様子は仲の良い普通の家族のようで、この方々が王族としての重責を背負っていると思うと、信じられないようでもあるし、またお労しくもあった」とメイドのリーサは書き残している。


「お労しい」と述べているあたり、さすがジノーファのことをよく分かっている、と言うべきだろう。彼が求めていたのは、結局のところこういう平凡でありふれた幸せだったのだから。


 さて、こうして鋭気を養っていたある日の晩。スレイマンがユスフを伴い、ジノーファのところへ訪ねてきた。十分に休めているのだろう。彼の顔色は良いように思え、ジノーファは少し安心した。


「どうしたのだ。何か問題でも起こったのか?」


「いえ、そうではありませぬ、陛下。こちらが完成いたしましたので、陛下にご検分いただきたく思い、参上いたしました」


 スレイマンはそう言ってユスフに目配せをする。ユスフは一つ頷くと、布のかぶせられた台座を恭しくジノーファの前に置いた。それを見てジノーファは「もしや」と思い、僅かに身を乗り出す。その目の前で、ユスフは布を取り払った。


「おお……!」


 ジノーファは感嘆の声を上げた。台座の上に載せられていたのは、輝かしい王冠だった。デザインはかつてジノーファが選んだとおり。帯の端と端をつなげたような、シンプルな形状だ。その側面には十二個の宝石がはめ込まれており、また彫金細工が施されている。気品と壮麗さを感じさせる逸品だ。


「素晴らしい……」


 王冠を手に取り、矯めつ眇めつ眺めて、ジノーファはそう感想を述べた。宝石の研磨といい、彫金の細工と言い、職人の高い技量が見ただけで伝わってくる。これはもう、一個の芸術品と言って良い。一国の王冠とするのに相応しい出来映えだ。


「ぜひ、被って見せて下さいませ、ジノーファ様」


 ベルノルトを膝の上に乗せて、シェリーはジノーファにそうねだった。スレイマンもユスフも、口には出さないものの、目には期待の色が濃く浮かんでいる。ジノーファは小さく頷くと、手に持った冠をそっと頭の上に載せた。


「どう、だろうか……?」


「とても良くお似合いですわ!」


 ジノーファが少し恥ずかしそうにはにかみながらそう尋ねると、すぐにシェリーがそう答えた。ユスフは感激した様子で目を輝かせているし、スレイマンも何度も頷いて万感の想いに浸っている。


 ジノーファの髪の毛は灰色で色彩に欠けるのだが、そのことが逆に色鮮やかに輝く王冠を引き立てている。また彼はもともと端正な顔立ちをしているからか、王冠の存在感に飲まれてしまうことがない。良い具合にバランスがとれているのだ。


 リーサが姿見を持ってくる。ジノーファはその前に立って、王冠を被った自分の姿を確認した。何だかどうにも見慣れない。彼がそう言うと、シェリーが「初めてなのだから当たり前ですわ」と言って楽しげに笑った。


 シェリーの笑い声につられて、ジノーファも笑う。それから彼は冠を脱ぎ、スレイマンの方を向いてこう言った。


「スレイマン、良い出来だ。職人たちには、多目に報酬を与えてやって欲しい」


「畏まりました」


「そうだ、戴冠式にも呼ぼうか」


「おお、よろしいかと存じまする。末代までの栄誉となりましょう。早速、そのように手配いたしましょう」


 スレイマンがそう応えると、ジノーファは満足げに一つ頷いた。それから、彼は手元の王冠に視線を落とす。環の内側は綺麗に磨かれてはいるものの何の装飾もない。滑らかなその面を見て、ジノーファはふとあることを思いついた。


「スレイマン。冠の内側に文字を刻むことはできるだろうか? 小さくて良いのだが……」


「さて、できるとは思いますが……。何と刻ませるので?」


「『灰は灰に』。そう入れて欲しい」


 ジノーファがそう言うと、スレイマンは僅かに疑問を顔に浮かべた。王冠に刻むには、少々不吉な言葉だと思ったのだろう。だが彼は何も異論は述べずに「承知しました」と応えた。


 それを見て、ユスフはジノーファから王冠を受け取り、それを台座の上に戻した。そして布をかけ直して台座を両手で持つ。それから彼とスレイマンは揃って一礼し、「お休み中のところ失礼いたしました」と言って退室した。


「……あのお言葉には、どんな意味があるのですか?」


 二人を見送ると、シェリーがやおらジノーファにそう尋ねた。寄ってきたベルノルトを膝の上に乗せると、ジノーファは息子の頭を撫でながら苦笑気味にこう答える。


「まあ、戒めかな」


 歴史書を良く読んでいたジノーファは、永遠に続く国はないことを知っている。このイスパルタ王国もまた、いずれ滅ぶのだろう。だがそのことをわきまえていれば、その滅びを先延ばしにできるかも知れない。


「……王がこの言葉を忘れたとき、イスパルタ王国は滅ぶのですね」


「そんな大それたことを言うつもりはないけど、まあ、その日が少しでも遠い未来になればいいと、そう思うよ」


 じゃれつくベルノルトをあやしながら、ジノーファはそう応えた。実際、言葉一つで国の行く末を左右しようなど、烏滸がましいにもほどがある。だが一つのきっかけになればいい。そう思ったのだ。


「……そのためにも、わたしの代で終わることがないようにしないとだね」


 ジノーファは冗談めかしてそう付け足した。シェリーは「まあ」と言って笑ったが、内心では少し別のことを考えていた。王冠に刻むように言ったあの言葉は、他でもない、ジノーファ自身のためのものだったのではないか。


 何にしても、「灰は灰に」と刻まれたあの冠は、きっとイスパルタ王国の王冠として相応しいものになるだろう。あの日、確かに彼は灰になった。ならばこの国は灰の中から生まれたのだ。そしていずれは灰に還る。その日まで、あの王冠はその歴史を見守り続けるに違いない。シェリーはそう思った。


 後に、イスパルタ王国の王冠は、そこに刻まれた言葉にちなんでこう呼ばれる事になる。


 ――――アッシュ・クラウン、と。



 □ ■ □ ■



 大統暦六四一年一月二七日。イスパルタ王国王都マルマリズの王統府にて、新年の参賀が催された。貴族・代官・太守らが、国王に新年の挨拶を行うのだ。そしてこの際、挨拶と一緒に貢ぎ物を献上するのが慣わしだった。


 いや、習慣であるとは言え、貢ぎ物の献上が明文化されているわけではない。だから極端なことを言えば、銅貨一枚とか、そもそも持ってこなくても良い。だが手ぶらであったりあまりにも貧相であったりすると、「領地を上手く収められない無能」と後ろ指を指されることになる。普通に考えて王家の心証も悪くなるので、新年の参賀に貢ぎ物を持ってくるのは常識になっていた。


 加えて献上する側にとっては、己の面目を施す格好の場であると言って良い。己の施政の成果を見せる場とも言える。また貢ぎ物に選ばれた品々には、「献上品」としての箔が付く。実際、これをきっかけに国中へ広まった品は少なくないのだ。


 献上品には、普通、その土地の名産品や特産品が選ばれる。目立った物がない場合や、あったとしても献上品に相応しくない場合には、金銭が選ばれることが多い。領内にダンジョンがあれば、そこから得られたレアメタルや宝石、ドロップアイテムが献上されることもあった。


 もっとも、身の丈に合わない品を持ってくれば、それはそれで「民衆から搾り取っている」と眉をひそめられることになる。ただやはり、それぞれの格に応じた献上品を揃えることは、特に貴族たちにとっては重要な事だった。


 イスパルタ王国の貴族といえば、その筆頭はやはりネヴィーシェル辺境伯ダーマードである。そして彼が用意した献上品は辺境伯の名に恥じない品々だった。


 アヤロンの民の技術を取り込んで作られた装飾品の数々と種々の武器や防具。さらにポーションとピンクソルトが馬車一台分ずつ献上された。いずれもジノーファとは浅からぬ縁のある品だ。思い出がよみがえり、彼は顔をほころばせた。


「ポーションの生産は、上手くいっているのか?」


「はっ。陛下のご助言のおかげをもちまして、原材料となる薬草の栽培も何とか軌道に乗せることができそうでございます。今はまだ実験的な段階でありますが、何とか二・三年の内に態勢を整えたいと考えております」


「頼もしいことだ。ポーションは幾らあっても足りない。期待しているぞ」


「ははっ」


 この参賀で、ダーマードは大いに面目を施したと言って良いだろう。彼はアヤロンの民との強い結びつきを示し、またジノーファとの縁が他の者たちよりはるかに深いことを示した。また辺境伯領には、他所には真似できない唯一のモノがあると知らしめたのである。


 それだけではない。ダーマードはこの参賀で、自分が防衛線を担うに相応しい大貴族であることを誇示したのだ。そしてその重責を担う以上、誰も彼に強く出ることはできない。辺境伯領は今後も自主自立を保ち続けるだろう。そう、よほどの事がない限りは。


 ただ、この参賀で最も高価で希少なモノを献上したのは、実はダーマードではなかった。それを献上したのはウファズの太守ハムゼン。彼が献上したのは、なんと七つの大きな真珠だった。


 この時代、真珠の養殖方法はまだ確立されていない。それで全くの偶然でしか手に入らない真珠は、あらゆる宝石の中で最も貴重なものとされていた。その真珠を、しかも特上品と言って良い大きさと品質の真珠を、一度に七つも献上されたのだから、ジノーファが一瞬言葉を失ったのも無理はない。


「これらの真珠、嘘偽りなく、全てウファズの海で採れたものでございます。無論、全てが去年の内に採れたというわけではありませぬが、ウファズの港の献上品として、これ以上の物はないと自負しております」


 ハムゼンはそう言って、いつぞやと同じくやや芝居がかった仕草で頭を垂れた。内心では「してやったり」と思っているに違いない。


 ジノーファは改めて献上された七粒の真珠を眺めた。七粒とも色は光沢のある乳白色で、どれも美しい紡錘形。しかも大きさが揃っている。恐らくだが、偶然この七粒が揃ったのではなく、幾つか集めた中からこの七粒を選んだのだろう。


(一体どれだけ金をかけたのやら……)


 ジノーファは内心でそう苦笑した。いかにウファズの太守とはいえ、ハムゼン一人の資力でこれだけの真珠を集めることは不可能だ。商人たちの力を借りたに違いない。一見すると癒着のようにも思えるが、献上品の調達に商人が関わることは、実は良くあることだった。


 前述した通り、新年の参賀における貢ぎ物の献上は、同時に献上品それ自体のアピールも兼ねている。商人からすれば、宣伝の為の最高の舞台でもあるのだ。それで自分の所の商品を貴族らに売り込むのは、決しておかしなことではない。


 もっとも、今回は少し事情が違う。ハムゼンもウファズの商人たちも、別に真珠を売り込みたいわけではないだろう。彼らの目的はジノーファに対して積極的な協力姿勢を打ち出すこと。ジノーファの進める交易政策が、自分たちの利に繋がると考えているのだ。


 ハムゼンも言ったとおりこの献上品は、太守からのものと言うよりは、貿易港ウファズからの献上品と考えるべきだろう。交易が拡大することによって得られる利益の象徴、と考えることもできるかも知れない。何にしても「ウファズの繁栄は国益に繋がる」と彼らは言いたかったのだ。


 加えて、ウファズにいるバハイルからも、「太守と商人たちが良からぬ関係に戻りつつある」というような報告はない。またこれがジノーファへの賄賂であったとして、彼にことさらウファズやハムゼンを優遇する気はない。それでジノーファは一つ頷いてからこう述べた。


「ウファズの忠義と好意、確かに受け取った。ウファズは世界に開かれた、イスパルタ王国の表玄関だ。ウファズを目指す船の数は、今後さらに増えるだろう。問題も起こるとは思うが、太守の尽力を期待している」


「ははっ」


 ハムゼンが恭しく頭を下げる。それを見てジノーファはもう一度頷いた。ハムゼンが挨拶を終えてジノーファの前から下がると、彼はまた献上された七粒の真珠の方へ視線を向けた。


 彼は特別、宝石に関心があるわけではない。今回驚いたのも、真珠そのものに驚いたわけではない。非常に高価であることがすぐに分かったから驚いたのだ。ただ同時に、この七粒の真珠がとても見事な品であることも分かる。これをただ死蔵してしまうのは勿体ない。


(そうだ……、王妃のティアラに使わせよう)


 ジノーファはそう閃いた。素材には白金を使うから、色合いも良く合うだろう。デザインに多少の変更が必要となるかも知れないが、この真珠を使えばまさに唯一無二のティアラができあがるに違いない。彼はそう思った。


 少し先の話になる。ハムゼンから献上された七粒の真珠は、確かに王妃のティアラの為に使われた。七粒の真珠は「セブン・ティア・ドロップス」と呼ばれ、ティアラは「ティアーズ・ティアラ」と呼ばれることになる。


 閑話休題。貴族や代官、太守らの挨拶を受け終えると、ジノーファは謁見の間で彼らに詔を述べた。このときにはシェリーも同席したのだが、最初彼女はこれを固辞していた。正妃となるマリカーシェルに遠慮してのことだ。


 ただ、今年の参賀はイスパルタ王国が建国されてから初めてのもの。ある意味では王族の顔見せも兼ねている。ここでシェリーが表に出てこなければ、彼女は側室ではなく愛妾であると思われ、軽んじられることになるだろう。それはジノーファの望むところではないし、また彼女を養女にしたダンダリオンの顔に泥を塗ることにもなる。


 それでジノーファは椅子を二つ用意させ、正妃の椅子を空席とした。これによって奥の序列を示したのである。


 さて、参賀に訪れた者たちに言葉を述べると、ジノーファはさらにその場でロストク帝国へ派遣する大使と、空になっている天領の代官についての人事を発表した。まず発表されたのは目玉とも言える大使の人事で、これにはジュンブル伯爵の縁者でバーフューズという人物が選ばれた。


「バーフューズ、卿を在ロストク大使に任命する。両国の関係を深め、また発展させるために力を貸して欲しい」


「謹んで拝命いたします。粉骨砕身し、大使の職を全うする所存にございます」


「貴方の骨が砕けてしまうのは困るな。だが、頼りにしている」


 ジノーファの冗談に、参列者たちが笑い声を上げる。その中でバーフューズもまた笑みを浮かべながら、「尽力いたします」と言って拱手した。


 ジノーファが一つ頷くと、また参列者たちの間に緊張と静寂が戻る。そして彼は次に代官らの人事を発表していった。名前を呼ばれた者が前に進み出、どこの代官に任ずるのかを告げられる。


 大使もそうだが、代官を辞退する者はいなかった。事前に意向の確認が行われているからだ。そのおかげもあり、任命式は円滑に執り行われた。なお、このほかの人事については数が膨大になるため、まずは推薦名簿を取りまとめた貴族へ内定者名簿とそれぞれの内定証書が渡され、そこから各自に通知が行くことになる。


 さて、謁見の間に集まった貴族・代官・太守らに言葉を述べると、ジノーファは次に王統府の二階にあるバルコニーに出た。そこから望む正面の広場には、多くの民衆がつめかけている。ジノーファは笑顔を浮かべて彼らに手を振り、そして詔を述べた。


 こうして新年の参賀は終わった。次にイスパルタ王国が迎える大きな行事は、マリカーシェル皇女の輿入れである。



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[良い点] 突然のタイトル回収回だった!
[一言] いきなりのタイトル回収! タイトルの意味がやっと解った(笑)
[一言] 「灰は灰に」と聞くとつい、その後に「塵は塵に。エイメン!!」と続ける某神父が思い浮かんだ。 元ネタの聖書的には神様の言葉だけど、建国王だし死後は家康みたいに神格化されそうだから合ってる…の…
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