推薦者名簿
通商条約の調印が終わると、シュナイダーはその日のうちに帰路についた。彼と一緒に三五〇〇のロストク軍も本国へ帰還する。ただこの内の三〇〇〇は旧フレゼシア公国領に置き、いざという時にはまた援軍として寄越してくれるという。ジノーファはシュナイダーに礼を言った。
シュナイダーが帰国すると、ジノーファも内政の問題に取りかかった。イスパルタ王国が抱えている問題の中で、まず最初に手を付けなければならないものは何か。それは統治機構の立て直しである。
イスパルタ王国は建国からまだ日が浅い。その上、国内が落ち着くより前に、軍を催してアンタルヤ軍と戦わざるを得なかった。そのためイスパルタ王国の統治機構は未だハリボテの状態で、徴兵や税の取り立てが満足に行えない状態だった。
統治機構が上手く機能しない最大の原因は、制度面の不備ではない。ジノーファは当面、アンタルヤ王国時代の統治機構を踏襲することを宣言している。これが何の問題もない統治機構だとは思わないが、これまで機能して国を支えてきたことは事実なのだ。官僚を含めた国民が慣れ親しんできたものであることを含め、現状制度それ自体に大きな問題はない。
問題なのは、人材の不足だ。建国の混乱期、イスパルタ王国には協力できないと考えた役人は多くいた。本人が働きたいと思っても、罷免されてしまった例もある。その穴埋めが早急の課題だった。
スレイマンとも協力し、ジノーファが打ち出した対策は全部で三つ。彼はまず、国内の貴族の主立った者たちを集めた。幸い、その大半はイスパルタ軍の幕僚として従軍しており、彼と一緒にマルマリズへ帰還している。参集はすぐに行われた。王統府の会議室に集まった貴族らを前に、ジノーファはまずこう切り出した。
「集まってくれて、感謝する。卿らの奮戦のおかげで、我々はひとまずガーレルラーンとの間に講和を結ぶことができた。だがこれで、イスパルタ王国の抱える問題が全て解決したわけではない。これからは地味な内政にも、取り組んでいかなければならない」
ジノーファはそう言うと、貴族たちの間に小さな笑いが起こった。大抵は好意的な笑いだったが、一人だけ「困ったものだ」と言わんばかりに苦笑を浮かべている者がいる。クワルドだ。「地味な内政」とは、彼が口にした言葉の引用である。
笑い声が収まるのを待ってから、ジノーファは話を続けた。その中で国家の人材不足について触れる。人手が不足していては、国家をつつがなく運営することはできない。「まずはこの問題を解決しなければならない」とジノーファが言うと、そこかしこで同意の声が上がった。
「そこで、卿らにも協力してもらいたい」
「協力するのはやぶさかではありませぬが、一体何をすればよいのでしょうか?」
貴族の一人がそう尋ねる。ジノーファが求めたのは、それぞれの家で推薦する者を取りまとめ、その名簿を提出することだった。ジノーファは人材の不足を、まずは貴族らの力を使って解決することを考えたのだ。
国を治めるには、優秀な人材が必要である。そしてこの時代、「優秀な人材」とは必ずしも「才能のある者」を指してはいない。「優秀な人材」とはすなわち、「学問を修めた者」のことなのだ。
だが学問をする、つまり教育を受けるのも容易ではない。学校へ通うか、私塾へ通うか、あるいは家庭教師を付けるか。いずれにしても金がかかる。ある程度裕福でなければ不可能だ。
その点、貴族の家に生まれた者は、幼い頃から教育を受けることができる。金はあるし、無学では領地を治められないからだ。後継者はもちろん、他の兄弟たちも程度の差はあれども教育は受ける。病などで後継者が死んでしまうかも知れないし、そうでなくとも補佐する者は必要だからだ。
ただ、学問を修めた者が全て活躍できるかというと、実はそうではない。役職の数、座れる椅子の数は決まっている。どうしてもあぶれる者は出てくるのだ。ジノーファが目を付けたのはそこだった。優秀ではあっても活躍の場がなく、無聊を囲っている者を雇いたいと考えたのだ。
「どんな仕事をさせるのかは、スレイマンとも相談して決めることになる。可能なら、天領の代官職やロストク帝国に派遣する大使の職など、重責に耐えうる者を推薦してもらいたい」
ジノーファがそう言うと、貴族らの目の色が僅かに変わった。天領の代官職というのは普通、得ようと思って得られるものではない。ロストク帝国に派遣される大使ともなれば、その重要性は大臣にも匹敵するだろう。親類がその職を得れば、その一族が受ける恩恵は大きい。
もっとも、やはり椅子の数は限られている。代官や大使ほどの高官になれるのは一握りだろう。だがジノーファの話しぶりからして、彼がいわゆる幹部候補を求めていることがうかがえる。責任ある立場に縁故の者を送り込めれば、貴族にとっても利益は小さくない。
さらに言えば、家の中で持て余していた冷や飯食いを外へ出す絶好の機会でもある。人格や性格面で問題があり、そのため職に就けない者もいるだろう。ただそういう人物をわざわざ推薦リストに載せたりはするまい。「あそこの家には碌な人材がいないのか」と後ろ指を指されることになる。貴族の面子は形無しだ。
ただ、万が一ということもある。本人の認識と周囲の認識は必ずしも一致しない。ここにいる者たちがリストへの記載を渋っても、周囲の者たちがそれを強く望むこともあるだろう。それでジノーファとスレイマンは話し合い、予防線を張ることにしていた。
「なお、推薦する者については、一人ずつ学歴や職歴をまとめた書類を添付して欲しい」
要するにジノーファは、履歴書も一緒に提出しろ、と言ったのだ。そしてジノーファはスレイマンと相談して作った履歴書のひな形を貴族らに配る。見慣れないその様式に貴族たちは戸惑った様子を見せたが、スレイマンが説明を行うとひとまずは納得したようだった。
「……こちらの書類を提出しない方は、選考の対象外とさせていただく。様式に則っておられない方は、対象外とはせぬが、優先順位は下がるものとご承知いただきたい」
スレイマンがそう説明すると、一部の貴族が顔をしかめた。面倒と思ったのか、あるいはそこまで管理されたくないと思ったのか。だがジノーファが今求めているのは役人だ。国の方針に従えない者を、役人として雇うことはできない。スレイマンは淡々と説明を続けた。
「……最後に、経歴を偽ったことが発覚した場合、こちらも相応の対処をさせていただくゆえ、ご留意願いたい。以上じゃ」
そう言ってスレイマンは説明を終えた。経歴詐称の部分については、不満を持つ者はいなかったようだ。その後、質疑応答が行われた。それが一段落したのを見計らい、ジノーファは貴族らにこう告げた。
「人材不足を解消するために、ダンダリオン陛下に頼ることも考えた。だが安易にロストク帝国を頼れば、『イスパルタ王国に人なし』と言われるだろう。これは国内で解決するべき問題だ。皆の力を貸して欲しい」
その言葉に、貴族たちは「ははっ」と声を揃えた。話が終わり、ジノーファは会議室を後にする。扉が閉じられると、その向こう側からガヤガヤと話し声がした。
その日の夜、ジノーファはスレイマンを呼んだ。彼と打ち合わせをする中で、ジノーファは自分が去った後の会議室の様子を尋ねる。スレイマンは笑みを浮かべてこう答えた。
「皆、笑顔をうかべておりましたぞ。概ね好意的な受け止めと見て良いでしょう」
「それは良かった。上手く論功行賞の代わりになりそうだな」
「はい。真に」
ジノーファが満足げに頷くと、スレイマンも笑みを浮かべて同意した。イスパルタ王国の独立戦争は、ガーレルラーン二世との講和でひとまず片がついたと言って良い。そしてこの戦争に関して言えば、論功行賞はしないと最初から話がついている。貴族たちはジノーファを担ぎ出した側だからだ。
だが必死に戦い犠牲も出したというのに、得るものが何もなしでは不満がたまる。「独立こそが最大の成果」と頭では理解していても、心では納得しきれないのが人間という生き物なのだ。
それを軽く見るべきではない。ジノーファにそう進言したのはスレイマンだった。そして同時に戦の論功行賞の代わりとして、それぞれの家に人材を推薦させることを提案したのである。
『今、国に人が足りぬ事は、皆が知っております。放っておけば、向こうから売り込みに参りましょう』
その前にこの情勢を利用しろ、とスレイマンは進言したのだ。今ならば、論功行賞の代替をしつつ、同時に人材を確保することができる。一石二鳥であり、ジノーファもそれを良しとした。
「どんな人物が来るかな。楽しみだ。優秀な人が多いと良いけれど」
「左様ですな」
楽しげに話すジノーファに、スレイマンは本心から同意した。彼の心情はなかなか切実だ。早く優秀な人材をそろえなければ、彼は倒れかねない。使えそうな者にはどんどん仕事をさせよう、と彼は思った。
さてこうしてまず、ジノーファは貴族の中から人材を募った。だがそれだけでは足りないだろうというのが、スレイマンとジノーファの共通見解だ。それで二人は人材不足を解消するべく、二つ目の方策を打ち出した。経験者の再雇用である。
前述した通り、独立を宣言した直後の混乱した時期に、解雇されてしまった役人が多数いる。彼らの内、希望者を再雇用することにしたのだ。幾つか条件はあるものの、さほど厳しいものではない。なにより、経験者であれば即戦力として期待できる。
さらに三つ目の方策として、ジノーファは市井からも人材を登用することを考えた。イスパルタ王国は小国だ。人の力で国を守り、そして富ませていくより他なく、そのためには広く有能な者を呼び集める制度が必要ではないか、と考えたのだ。
「難しいですぞ、陛下。それは……」
ジノーファの考えを聞き、スレイマンは顔を険しくした。彼も基本的にはジノーファの意見に賛成だ。だが今すぐにこれをやるのは難しい。基準を如何するのかなど、考えるべき問題が多数ある。入念な準備が必要になるだろう。結局、中・長期的な目標として検討していくことになった。
「……そう言えば、冠はどうなった?」
スレイマンとの打ち合わせが一段落すると、ジノーファはふと彼に冠のことを尋ねた。ジノーファが戴冠式でかぶる予定の冠は、出陣前にデザインを決め、さらに素材も渡してある。そろそろ完成したかと思ったが、スレイマンは小さく首を横に振った。
「今少し時間が欲しい、と。どうも、宝石のカッティングに苦心しているようですな」
ジノーファが選んだ冠のデザインは至ってシンプルなものだった。それで側面にはめ込まれる十二個の宝石の輝きこそが、王冠の輝きを決定づけることになる。職人たちにとっても一生に一度の大仕事。時間をかけてやりたいのだろう。
「急がせますか?」
「いや、いい。ゆっくりやらせてやれ」
ジノーファがそう答えると、スレイマンは頷いた。下手な冠を作って恥をかくのは、ジノーファでありイスパルタ王国だ。それならじっくりと腰を据え、相応しいものを作らせた方が良い。
「冠といえば、クルシェヒルの王宮には、冠がたくさんあると習った覚えがある」
「アンタルヤ王国が建国した際に、献上された品々ですな。王冠だけでなく、宝剣や玉もあるとか」
アンタルヤ王国の前身であるアンタルヤ大同盟は、小国や都市国家の連合体だ。当然、それぞれが主権を主張していた。その統治権を象徴する宝物として、冠や剣、玉などがおのおのに伝わっていた。
しかしアンタルヤ王国が建国された際、それらの統治権は失われた。そして貴族となった元の主権者たちは、統治権を象徴する宝物を王家に献上することで、王国と王家に反逆する意思のないことを示したのである。
「そう言えばネヴィーシェル辺境伯家も、元はあの一帯を支配していた王家の末裔だったはず。やはり何か献上したのか?」
「王冠を献上したと、話が伝わっておりますな」
スレイマンはそう答えた。そして何かを思い出したのか、ふと口元に笑みを浮かべる。そして軽い口調でさらにこう続けた。
「実は、王冠の他に王笏もあったそうなのです。ただ、暗黒期の混乱で紛失したとか。それで建国の際には、王冠のみを献上したと聞いておりますぞ」
「なるほど……。しかし本当に紛失したのだろうか?」
ジノーファがそう疑問を覚えたのも当然だろう。支配権を象徴する王笏ともなれば、厳重に管理されているはず。いくら混乱していたとはいえ、紛失したというのはお粗末な話だ。さらに言えば、王冠だけが残っているというのも妙に思える。
「やはりそう思われますかな。実は多くの者が陛下と同じように考えたようでしてなぁ」
ネヴィーシェル辺境伯家は王冠だけを献上し、王笏は密かに隠しているのではないのか。そんな噂が、なんと建国当時から囁かれていたのだという。
「『辺境伯家は来たるべき将来に王権を取り戻すつもりでいる。そのために王笏を秘したのだ』。……まあ、よくある陰謀論ですなぁ」
そう言ってスレイマンは楽しげに笑った。確かによくある陰謀論だ。そのうち、王笏を持った御落胤が現れるかも知れない。ジノーファがそう言うと、スレイマンはさらに笑った。
「それでスレイマン、実際のところはどうなのだ? 本当に辺境伯家は、王笏を今も隠し持っているのか?」
「私も昔、父に同じ事を尋ねたことがあります」
「ふむ、お父上はなんと?」
「『そんなことはない』、と。まあ、真実などそんなものなのかも知れませんなぁ」
スレイマンがそう答えるのを聞き、ジノーファも「そうだな」と言って一つ頷いた。スレイマンもそれに頷いて応え、さらにこう言葉を続ける。
「仮にあったとして、王笏だけを持ち出しても格好はつきますまい。なにしろ、王冠が揃って意味のあるものなのですから」
そしてその王冠は現在、クルシェヒルの王宮の宝物庫に保管されている。すでに歴史の遺物であり、象徴されていた支配権を認める者など誰もいない。仮に王笏が出てきたとして、骨董品以上の価値はないのだ。
「そう言えば陛下。エルビスタン公爵家の王冠のことは、ご存知ですかな?」
スレイマンにそう尋ねられ、ジノーファは「知らない」と答えた。だがこれまでの話の流れからして、公爵家も王家に王冠を献上したのだろう。ジノーファはそう思ったのだが、どうやら違うらしい。スレイマンはこう説明した。
「エルビスタン公爵家は、もともとは公王を名乗っておったのですが、その時代の冠を今も自分たちの手で保管しておるのです」
「献上しなかったのか?」
「献上しましたが、後日王家が返還したのですよ。『これまでの忠義に報いる』と言って」
アンタルヤ王家が王国を建国した際、時の公王は国を挙げてこれを支援したのだという。献上された王冠を返すことで、王家は公爵家に対する強い信頼を表明したのだ。だが今日、その信頼は裏切られた。
「王家は公爵家を信頼し、魔の森への対処を任せました。そして公爵家はその信任を足がかりに北部での影響力を増大させた。そしてそれが此度の謀反に繋がった……。いやはや、因果でござる」
スレイマンはしみじみとそう語った。建国当時の王家が公爵家を信頼して王冠を返したことが、今日の情勢に繋がっている。そう結論するのはあまりにも強引だろう。だがそこに因縁じみたものを感じるのは、ジノーファも同じだった。
(もしかしたら……)
もしかしたら、イスパルタ王国も似たような末路を迎えるのだろうか。ジノーファはふと、そんなことを考えた。
ある歴史家「ジノーファの功績の一つは、履歴書のテンプレートを作ったことである」




