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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
道化と冠 後編

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ガーレルラーン二世の帰還

今年もよろしくお願いします。


 イスファード率いる反乱軍が北へ引き返したという報告を、ガーレルラーン二世は王都クルシェヒルへ戻るその途上で受けた。彼は表情を変えずに一つ頷くと、反乱軍を追うことはせず、そのままクルシェヒルへと向かった。


「陛下! これは、これは何かの間違いです! あの子が、イスファードが叛旗を翻すなど……!」


 王都クルシェヒルに戻ったガーレルラーン二世を迎えたのは、血の気を失い顔面蒼白となった王妃メルテムだった。彼女は髪を振り乱し、転がるようにガーレルラーン二世の前に出ると、その足下にひれ伏した。


「お願いします、陛下。どうか、どうかあの子を許してやってくださいませ。きっと、あの子はそそのかされただけなのです。そうでなければ、どうしてあの子が……!」


 メルテムはガーレルラーン二世に縋り付き、そう懇願する。彼女にとって、イスファードの蜂起は晴天の霹靂だった。


 確かに「ルトフィーを次の王太子に」という声は上がっていたし、それは彼女の耳にも届いていた。しかし所詮は根も葉もない噂。時が経てば、イスファードは王太子の地位に戻り、いずれは王座を受け継ぐことができるのだ。それなのにどうして今、叛旗を翻す必要があるのか。


 誰かがイスファードをそそのかしたのだ。メルテムにはそうとしか思えなかった。そうでなければ、誰かが彼を勝手に担ぎ上げたのだ。謹慎中であった彼が何も知らない間に全ては決まってしまい、もはや後へは引けない状況に追い込まれてしまったに違いない。


 メルテムは必死にそう訴えた。しかしガーレルラーン二世は僅かばかりも表情を動かさない。彼は縋り付く王妃を振り払いはしなかったものの、彼女の訴えを聞き入れることもなく、底冷えのする声でこう応えた。


「例えそそのかされたのであろうとも、一度叛旗を翻した以上は、これを許すことはできぬ」


「そんな!? わたくしたちの子供ではありませぬか!」


「我が子であればこそ、大目に見ることはできぬ。必ずや討伐し、簒奪を画策する者がどのような最期をとげるのか、世に知らしめねばならぬのだ」


「で、では、ジノーファはどうなのです!?」


 ガーレルラーン二世に縋り付いたまま、メルテムは穂先をジノーファとイスパルタ王国へ向けた。叛旗を翻したと言うのであれば、彼らこそがその最初。ならば彼らをこそ、真っ先に討伐するべきではないか。


「イスファードにジノーファめの討伐をお命じ下さい。さすればあの子は勇んでお役目を果たしましょう。そしてその功をもって、あの子の罪をお許し下さい……!」


 咄嗟の思いつきだったが、メルテムはそれが良い考えであるように思った。事ここに至っては、兵を挙げたという事実はもはや取り消しようがない。ならばそれを上回る功績でもって覆うしかないのだ。


(そもそも……!)


 そもそも全ての元凶は、ジノーファが余計なことをしたからではないか。あの、どこの馬の骨とも知れぬ下賤な輩が、独立と建国などという分不相応なことをしなければ、イスファードが現在の状況に追い込まれることはなかったのだ。


 悪いのは全てジノーファである。生まれも知れぬ卑しい子供を、十四年以上もの間、それも王太子として育ててやったというのに。あの痴れ者め、よりにもよって恩を仇で返した。これを誅伐すれば、全ては元の良い状態に戻るだろう。メルテムはそこに一縷の光明を見いだし、こう叫んだ。


「父と子が手を取り合い、諸悪の根源を誅するのです! さすれば全て世は事もなく、安寧を取り戻しましょう。これこそが物事の道理のはず!」


「イスパルタ王国とは和を講じた。あの国の背後にいるのはロストク帝国だ。この情勢下でこれを敵に回すことは得策ではない」


 しかしガーレルラーン二世はいささかも口調を変えることなくそう応えた。たちまち、メルテムの顔に絶望が浮かぶ。彼女はあえぐようにして、こう呟いた。


「和を……? で、では、イスファードをまず討伐すると、陛下はそう仰るのですか……?」


「そうだ」


 ガーレルラーン二世は冷たくそう答える。その一言はメルテムを打ちのめした。しかし彼女は力を失って俯いてしまうのではなく、悲壮な顔をしながらも視線を上げる。ここで諦めてしまうわけにはいかない。イスファードを救えるのは、母親であるメルテムだけなのだ。


「お願いします、陛下。どうかわたくしをあの子のもとへ行かせて下さい。わたくしが、わたくしが必ずあの子を説得して見せます!」


「無益だ」


 ガーレルラーン二世の返答はやはり冷たかった。だがメルテムもまた後へは引けない。縋り付いて懇願し、懇願し、懇願する。最後にはガーレルラーン二世のほうが折れた。彼はため息を吐くと、こう応えたのである。


「……ならば好きにせよ。だが、説得が成功するのを待つわけには行かぬ。討伐の準備が完了し次第、兵を動かす。あまり時間はないものと心得よ」


「ありがとうございます!」


 ガーレルラーン二世から許しを得ると、メルテムは顔を輝かせて礼を言った。そして準備をするべく、自分が寝起きする区画へ急ぐ。ガーレルラーン二世はその背中を冷めた眼差しで見送った。


 メルテム王妃が慌ただしく立ち去ると、ガーレルラーン二世は何事もなかったかのように歩き出し、王宮の中へ入った。そして戦場のほこりを落としてから、留守にしていた間の報告を受ける。それが一段落すると、留守居役を任せていた侍従長が、彼にこう尋ねた。


「陛下。またすぐに出陣なさるのですか?」


「すぐというわけにはいくまい。兵たちを休ませる必要がある。それに、王妃に説得を許可した手前、多少は時を与えねばなるまい」


 ガーレルラーン二世の返答を聞き、侍従長は静かに一礼した。ただ、ガーレルラーン二世は兵を動かしはしなかったものの、決して何もしなかったわけではない。むしろ彼はこの逆境を利用し、アンタルヤ王家の宿願を遂げようと考えていた。


 その宿願とは、すなわち「人質の明文化」である。貴族らの忠誠を担保するべく、彼らから人質を取ることを成文法として国法に加えようと考えたのだ。貴族らの勢力を掣肘し、彼らの力をそぐことが目的だった。


 当然、強い反発が起こった。アンタルヤ王国は伝統的に貴族の力が強く、彼らは自主自立を重んじる。前身のアンタルヤ大同盟があくまでも平等な関係を謳っていたからだ。人質を明文化することは、貴族らにとっては首輪を付けられるようなもので、到底受け入れられるものではなかった。


「アンタルヤ王国は王家と貴族が手を取り合い、それぞれが治める領地に対して多大なる責任を負うことにより、今日まで命脈を保ち、また繁栄してきたのです。人質を取るというのは、アンタルヤ王国の気風にそぐわぬことでございます」


「我々はイスパルタ王国に加わらず、イスファード殿下の反乱にも与しませんでした。我らがここにいることそれ自体が、王家への忠誠の証ではありませぬか! この上人質など、どうして必要ありましょうや」


 王都クルシェヒルにいた貴族たちは、王宮に押しかけて次々にガーレルラーン二世へ言上した。だが貴族たちから詰め寄られても、王座に腰掛け頬杖をつく彼の顔から冷笑が消えることはない。彼は冷ややかな口調で貴族たちにこう応えた。


「東においては大貴族が敵国に通じ、北においては王子が叛旗を翻した。今日かかる事態を防げなかったのは、ひとえにそれを防ぐための法的根拠がなかったからである」


 今問題としているのは、独立や反乱に加担しなかった者たちではない。それを防げなかった法的な欠陥こそが問題なのだ。それを言われてしまうと、王宮につめかけた貴族たちも口をつぐむしかない。そして反論の糸口を探す彼らに、ガーレルラーン二世はたたみかけるようにしてさらにこう告げた。


「無論、卿らの忠誠に疑いはない。だが国家の視点に立ったとき、個人の忠誠を頼みにすることがいかに愚かであるか、それもまた此度のことで明らかになった。余には国王として、国家の安寧を保障するべく、法制度に万全を期する責任がある」


 そもそも貴族たちが真に忠誠を抱いているのなら、人質を差し出すことに何ら問題はないはずだ。人質を拒むことは、それ自体が忠誠心に欠ける証ともとれる。国家と王家に忠義を尽くすつもりなら、むしろ進んで人質を差し出すべきであろう……。


 そのように語るガーレルラーン二世の声は、やはり熱量を欠いて寒々しかった。真心のこもらない声で忠誠や忠義を口にされても、言葉が上滑りするだけで納得はできない。いや、ガーレルラーン二世も本心から忠誠や忠義を語っているわけではないのだ。


 むしろ彼はそれを嘲笑っている。忠誠を尽くすのは己の利となるときだけで、忠義を口にするのは都合の良いときだけ。それこそが貴族の習性ではないか、と彼は冷笑と共に指摘しているのだ。


 そのことに気づきつつ、それでも貴族たちは反論することができなかった。ガーレルラーン二世の弁舌に説得されてしまったから、ではない。クルシェヒルにはいまだ四万以上の戦力が駐在しており、その戦力は全て彼の指揮下にある。これを恐れたのだ。そしてガーレルラーン二世もまたそれを十分に理解した上で、とどめをさすかの如くにこう命じた。


「一月以内に人質をクルシェヒルに連れて参れ。従わぬ者は叛意があるものと見なす」


 なお人質として認められるのは、配偶者、実の両親、兄弟か姉妹、子供のいずれかと定められた。そのうちのいずれもいない場合は、最近親者を人質にすることになる。貴族らはもはや異を唱えることもできず、王宮から引き下がった。


 ただ、彼らが納得したのかというと、必ずしもそうではなかった。後世に発見された資料などによると、多くの貴族たちがこの命令に大きな不満を持っていたことがわかる。そしてガーレルラーン二世もそのことは十分に承知していた。


「公開処刑を行う」


 ガーレルラーン二世は捕らえておいた北方の貴族の縁者たちを引き出した。五〇〇〇の騎兵を先行させて戻した際に、捕らえさせておいた者たちである。ただ数は決して多くないし、大半の者が年嵩だ。


 イスファードが叛旗を翻すことを決めた時点で、大半の者たちは王都クルシェヒルから脱出してしまったのだ。残っていたのはすでに覚悟を決めた者たちか、逆に何も知らない者たち。ちなみに後者、例えば王都出身の金で雇われていただけのメイドなどは、すでに解放されている。


 引き出された者たちの中には、エルビスタン公爵家の執事であるヤーフーヤの姿もあった。彼の顔におびえの色はない。こうなることは覚悟の上。むしろ主家の方々がこの場にいないことに、彼は満足さえ覚えていた。


 ガーレルラーン二世は彼らを王都クルシェヒルの広場に連れて行き、そこで縛り首にして処刑した。さらに彼らの遺体は公衆の面前で焼かれた。これは一切の名誉を剥奪された死に方、と言って良い。反逆者とそれに与する者どもがどんな最期を遂げるのか、ガーレルラーン二世はまざまざと知らしめたのである。


 この公開処刑は、人質のことで不満を持つ貴族たちに対する、痛烈な通告だった。仮に人質を出さなければ、ガーレルラーン二世は容赦なくその者を討伐するだろう。戦って負ければ、族滅かそれに近いことになる。彼らはそれを理解せざるを得なかった。


 単独で戦い勝利を得ることはまず不可能だ。であれば連合を組むことになるが、たった一ヶ月では話し合いをまとめることも難しいだろう。仮にまとまったとして、それでも勝てるかは怪しい。どこの家も、「防衛線維持の為」として搾り取られており、余裕はないのだ。


 ならば外の勢力に頼るのはどうか。イスパルタ王国に合流するか、あるいは北アンタルヤの反乱に加勢するのだ。実際このいずれか、あるいは両方を検討した貴族がいることは、当時の日記や手紙などから分かっている。


 とはいえ、検討することと実行することとの間には、大きな隔たりがある。イスパルタ王国はガーレルラーン二世と相互不可侵条約を結んだ。このタイミングで露骨に敵対的な行動は取らないだろう。


 一方の北アンタルヤだが、こちらはそもそも多くの貴族が感情的に受け付けなかった。勅命を盾に散々負担を強いられたことを根に持っているのである。むしろ彼らが離反したおかげで、ようやくその負担から逃れられたのだ。加勢すればまた負担を強いられるかも知れず、二の足を踏むのは当然だった。それどころか、「さっさと滅んでしまえばいいのに」と思う者さえいただろう。


 以上のことを考え合わせると、少なくとも一ヶ月の間に何かしらの対抗措置を講じることは難しい。アンタルヤ王国に残った貴族たちはそう結論せざるを得なかった。彼らはしぶしぶ、人質を出した。そしてガーレルラーン二世はそれを見届けると、満を持して人質のことを成文化したのだった。


 力で押さえつけ、無理矢理に制度化したようなものだ。多くの貴族たちが現時点での抵抗は無意味と考えていたため、大きな混乱は起きなかった。しかし騒乱の火種はしっかりと彼らの胸の内でくすぶっている。実際、そのことは誰の目にも明らかで、書記官のハムザがガーレルラーン二世にこう尋ねた。


「陛下。人質のこと、確かに国にとっては必要なことと存じます。ですが貴族たちは不満を持っておりまする。今はおとなしくしておりますが、彼らはこの先、よからぬ事を考えるのではありませぬか?」


「考えるであろうな」


 ガーレルラーン二世はあっさりとそう答えた。その視線と口調の冷たさに、ハムザはぞっとする。あるいはガーレルラーン二世は、それをこそ望んでいるのではないか。そんな可能性がハムザの脳裏に浮かんだ。


 人質を制度化することで貴族たちに不満を持たせ、反乱を誘発してこれを粛清する。それこそがガーレルラーン二世の思惑なのだろうか。いや、すでに北と東に敵を抱えているのだ。この上、さらなる混乱を望むだろうか。


 東のイスパルタ王国については、相互不可侵条約が結ばれている。つまりガーレルラーン二世はその期間内に北を片付けるつもりなのだろう。最低限その間は、人質を差し出した貴族たちが反乱を起こすことはない、と考えているのかもしれない。


 あるいは反乱を起こさせない、別の腹案がすでにあるのかも知れない。ガーレルラーン二世は冷笑を浮かべるばかりで多くを語ろうとしない。彼の内心を斟酌することは難しく、結局ハムザは口をつぐんだ。


 さて、貴族らの人質が王都クルシェヒルに揃った頃、北でも大きな動きが起こった。イスファードが独立を宣言し、自らこそがアンタルヤ大同盟の正当な後継者であるとして、北アンタルヤ王国を名乗ったのだ。これ以降、ガーレルラーン二世が治める地域は南アンタルヤ王国と呼ばれることになる。


 この報せを聞いても、ガーレルラーン二世は全く動揺しなかった。呼び名が変わっただけで、情勢は全く変わっていないからだ。さらにアンタルヤ大同盟の後継者を名乗って独立するというやり方も、結局はイスパルタ王国の二番煎じでしかない。彼が浮かべる笑みは、いつも以上に冷ややかだった。


 ただ独立宣言が行われたことで、メルテム王妃の説得が失敗に終わったことだけは分かった。ガーレルラーン二世が王妃の死を確信していた様子はなく、実際彼女は軟禁されていただけだったのだが、このとき以降、彼は王妃が死んだものとして動いていく。北アンタルヤ王国の建国宣言はその契機となったのだ。


 さらにこの建国宣言により、アンタルヤ王国は三つの勢力に分断された。イスファードが挙兵した時点で分断されていたともいえるが、それが明確になったのはこの宣言の後である。それで建国宣言にはやはり、歴史的に大きな意味があったと言って良い。ただ、アンタルヤ王国の歴史の転換点とされるのは、これより以前、イスパルタ王国の建国宣言であるが。


 まあそれはともかくとして。北アンタルヤ王国の建国宣言を受け、ガーレルラーン二世はいよいよ討伐の時が来たと判断した。彼は待機させておいた全軍に出撃の準備を命じる。しかし出撃を目前にして、事態はまたしても急転する。


 ルルグンス法国が南アンタルヤ王国に対し、軍勢をけしかけてきたのである。



ハムザ「イスファード殿下に対し、メルテム王妃は甘すぎるし、ガーレルラーン陛下は冷たすぎる。いっそ、足して二で割れればちょうど良いだろうに」

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[一言] これは流石にガーレルラーン2世ちょっとかわいそう(指導者として致命的な欠点があったとはいえ)
[一言] イスパルタ王国が二六州 アンタルヤは残り五五州、これを二分割か 北が一番小さいのかな? となるとルルグンス法国の四二州は優位に立つことになりますね 欲が出たか・・・・・・ ついこの間ガーレ…
[一言] アンタルヤ王国混迷の時代って歴史の教科書に載りそうだねぇ……
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