会談2
討伐軍の下へ戻ると、ハムザはガーレルラーン二世に交渉が決裂したことを報告した。それを聞き、ガーレルラーン二世は口元に冷ややかな笑みを浮かべてこう言った。
「ほう、ジノーファめ。講和を蹴ったか」
「はっ。お役目を果たせず、まことに、まことに申し訳ありませぬ、陛下」
ハムザは額を地面に擦りつけるかのように、深く頭を垂れた。その彼に対し、左右に並ぶ討伐軍の幕僚らから非難の声が上がる。
「賠償金を求めたのが、良くなかったな」
「余計な欲を出したために、結局何一つ形にならなかったではないか!」
「事ここに至っては、時は黄金よりも貴重なのだぞ。王都が陥落でもしたら、どう責任を取るつもりか!」
彼らの言うことは、確かに正しくはあるのだろう。しかし所詮は結果論に過ぎない。安全な場所から結果だけ見てあげつらうのは、さぞ楽しいだろう。だがハムザにも言い分はあるのだ。彼は頭を上げると、幕僚らに鋭い視線を向けてこう述べた。
「交渉の失敗については、某も責任を痛感しております。なれど、最初にふっかけるのは交渉事の基本でござる。最初から下手に出ていては、足下を見られるだけのこと。まとまる物も、まとまるはずがありませぬ!」
「だが!」
「もうよい、止めよ」
口論が激しくなる兆しを見せたところで、ガーレルラーン二世が口を挟みそれを止めた。ハムザも幕僚らも口をつぐみ、彼の方を向いて小さく頭を下げる。それを見てから、彼はさらにこう言葉を続けた。
「イスパルタ軍がそもそも交渉に応じようとしないのは、余としても予想外であった。故に決裂したことについては、ハムザの責任を問わぬ」
「ははっ」
「だが北の謀反のこと、匂わせる結果となったのは、失策であったな」
「……ははっ」
はっきり失策と言われ、ハムザは神妙な面持ちでまた深く頭を下げた。それを見てガーレルラーン二世は「うむ」と重々しく頷く。これでこの話は終わりだ。それを見計らい、カスリムが話題を変えてガーレルラーン二世にこう尋ねた。
「それで、今後どうするかですが。陛下、もう一度使者をお立てになりますか?」
「今すぐに別の使者を送れば、こちらの内情を見透かされよう。しばし時を置く。いつでも攻勢に出られるよう、準備を怠るな」
ガーレルラーン二世はさらに、北方の監視を強化するよう命じる。イスファードらが兵を動かすには、今しばらく時間がかかるだろう。その兆候を見逃さない為だ。だがいざというときに討伐軍が動ける状態でなければ、監視だけしていても意味はない。
使者を殺した以上、向こうも必死であろう。拙速こそが上策であることは、分かっているはず。時を置くにしても、討伐軍に与えられた時間的猶予は、決して長くはない。
(陛下はどうお考えなのか……?)
軍議が終わり、カスリムはテントを後にする。その際、彼はふと振り返り、ガーレルラーン二世の顔色を窺った。脇息に頬杖をつく彼の表情からは、やはりその内心を推し量ることはできない。カスリムはため息を吐きたくなるのを堪えて外に出た。
□ ■ □ ■
ジノーファが講和を蹴ってから三日が過ぎた。この間、討伐軍は一度も兵を動かしていない。ただ攻撃の構えは見せるので、気の抜けない三日間だった。そしてこの日、緊張感の漂うイスパルタ軍の陣中へ、王都マルマリズから使者が来た。シャガードとメフメトである。二人はまずダーマードの所へ赴き、ジノーファへの取り次ぎを願った。
謁見の場所として用いられたのは、軍議などにも用いられる大きなテント。先日、ハムザがジノーファに謁見したのもこのテントだ。ただ、その時とは異なり、クワルドら幕僚たちは同席していない。同席しているのは、取り次ぎをしたダーマードだけだ。
「やあ、メフメト卿。こうして顔を合わせるのは初めてだな」
「はっ。陛下のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」
ジノーファがメフメトに声をかけると、彼は型通りの挨拶をして頭を下げた。ジノーファはにこやかに一つ頷く。それからシャガードを紹介させ、彼の名前を確認してから、ジノーファは早速本題に入った。
「ではメフメト卿、シャガード卿。今日はどんな用件だろうか?」
「まず、私はイスファード殿下の使いでございます。殿下は、そしてカルカヴァン卿も、ガーレルラーン陛下のなさりようを危惧されておられます。陛下はご自分の内心を誰にもお話にならない。それで皆、疑心暗鬼に陥るのです。それでは国はまとまりませぬ」
「ふむ。それでイスファード殿下とカルカヴァン卿は、どうされるおつもりなのだ?」
「お二人は国の行く末を案じ、やむなく兵を挙げることを決意されました」
シャガードがそう言うと、ジノーファはさすがに驚きを露わにした。近くに控えるユスフも同様だ。ダーマードに視線を向けると、彼は事前に話を聞いていたのだろう。重々しい表情のまま、一つ頷いた。
「イスファード殿下が、ガーレルラーン陛下に叛旗を翻した、というのか?」
「はっ。つきましてはイスパルタ王国とも連携したいとのお考えにございます」
そう言ってシャガードは懐から手紙を取り出した。ユスフがそれを受け取るが、すでに封が開いている。彼がそれを訝しむと、すかさずメフメトがこう口を挟んだ。
「すでに一度、マルマリズで大叔父上が中を確認しております。大叔父上からも書状を預かっておりますので、こちらも合わせてご確認下さい」
ユスフは二通の書状を受け取り、それをジノーファに差し出した。彼はまずイスファードの書状を検め、次にスレイマンの書状に目を通す。
連携の条件は、現在の国境線の追認と、三年間の相互不可侵。天領以外なら、物資の現地調達を容認するともある。読みながら、ジノーファは顎先に手を当てて考え込んだ。やがて視線を上げると、彼はシャガードにこう尋ねた。
「ここでは『連携』という言葉が使われているが、これは正式な同盟と捉えて良いのだろうか?」
「あ、いや、それは……」
「違うのか? 国境線を確定させ、相互不可侵条約を結ぶと言うことは、イスファード殿下は我がイスパルタ王国を主権国家として認めるという事のはず。国と国が約束をして軍を動かすのであれば、正式に同盟を結ぶのが筋というもの。それともこれは、ただの口約束なのか?」
ジノーファにとって、それは是非とも確認したいことだった。ただの口約束と正式な同盟では、信用の度合いが雲泥の差だ。
そもそもイスファードは一度軍を率いてイスパルタ王国へ攻め込んできている。そのことを考えても、簡単に信じてしまうわけにはいかない。スレイマンからの手紙にもあったが、この話それ自体が陰謀の一部である可能性だってあるのだ。
その一方で、スレイマンは「真に連携できるなら、状況を打開しうる可能性は十分にある」とも書いている。ジノーファも同じ意見だ。今は、いわば籠城しているような状況だが、イスファードらと連携できるなら、打って出て討伐軍を追い払うことも可能だろう。
ただ、気になるのはやはりタイミングだ。先日、ハムザが休戦交渉に来た。ガーレルラーン二世の意図が読めず不可解に思ったが、思えばあの時すでにイスファードらが動くか、その兆候を見せていたのだろう。
だがその時点でジノーファは連携の話など知らなかったし、当然返事も何もしていない。そうであるのに、イスファードは動いた。と言うことは、考えが変わったのか、それとも動かざるを得ない状況になったのか。いずれにしても、連携のための協議をする時間はないだろう。そうであるなら、やはり信頼性が重要になってくる。
だからこそこの話がただの口約束なのか、それとも正式な同盟なのか、そこをはっきりさせなければならない。しかしシャガードは口ごもるばかり。実際、彼はその点に関してはっきりとしたことは聞いていなかった。
メフメトも困惑した顔をしており、助け船を出す様子はない。それでもジノーファが辛抱強く返答を待っていると、やがてシャガードはこう答えた。
「……恥ずかしながら、私は殿下や公爵閣下の正式な家臣ではありませぬ。この連携が正式な同盟を意味しているのか、はっきりとお伺いしたわけではなく、また私自身全権を委任されているわけでもないので、この場でしかとお答えすることはできません。もしお望みでしたら、殿下に確認して参りますが……」
「その必要はない。というより、もう遅いだろう。……先日、ガーレルラーン陛下から講和の申し入れがあった」
ジノーファがそう告げると、シャガードとメフメトは驚きを露わにした。二人は揃ってダーマードの方へ視線を向け、彼が頷くのを見てやや呆然とする。先に立ち直ったのはシャガードで、彼はジノーファにこう尋ねた。
「それで、ジノーファ陛下はどうお答えに……!?」
「お断りした。その後に二度目の接触はない。向こうは沈黙を保っている。だが卿らが来た。それを向こうが察知しているとは思わないが、北の動きは我々よりも把握しているだろう。そうであるなら……」
ジノーファがそう言って小さく首を振ると、シャガードは険しい顔をして唾を飲み込んだ。事態がすでに動き始めているなら、確認のために一度戻る時間はない。最悪、イスファードらは単独でガーレルラーン二世と戦うことになる。だが、ジノーファは講和を蹴ったと言った。シャガードはそこに一縷の希望を見いだした。
「で、ですがジノーファ陛下は講和を断られた。ならばイスファード殿下と協力し、ガーレルラーン陛下を討つより他に道はありますまい」
「まあ、それも一つの選択肢だろう。ともかく、他の幕僚たちとも相談したい。ユスフ、二人を別のテントに案内しろ。ダーマード、他の幕僚たちを集めてくれ」
皆がテントから出て行くと、一人残ったジノーファは静かに目を閉じた。そして考えを巡らせる。ここが、此度の独立戦争における分水嶺になるだろう。彼にはその予感があった。だからこそ、しっかりと考えた上で判断を下さなければならない。
幕僚たちが全員集まると、ジノーファはまずダーマードに事情を説明させた。それからイスファードからの手紙と、スレイマンからの意見書を回覧させる。全員が事情を把握したところで、ジノーファは幕僚たちに意見を求めた。
「罠ではありませぬか?」
真っ先に上がった意見がそれであったことに、ジノーファは思わず苦笑した。だが頷く者たちがちらほらと見受けられる。それだけイスファードやカルカヴァンに対する不信感が強いのだだろう。それは先の侵攻だけが原因ではあるまい。独立以前の派閥間の対立が尾を引いているのだ。
「正式な同盟の打診でないというのなら、考慮する価値はないだろう。アンタルヤ王国が内戦状態に突入するなら、我々としてはむしろ好都合。独自に動けばよろしいと存ずる」
「されどその結果、いたずらに敵を増やしていては、元も子もあるまい。少なくともガーレルラーンを討つまでは、協力姿勢を見せてはどうだろうか?」
「イスパルタ王国にとって組みやすいのは、ガーレルラーンよりむしろイスファードの方でしょう。あるいは向こうも同じように考えたのかも知れませんが……。いずれにしても、目の前の敵を倒すための協力なら、十分に考慮する価値はあるかと」
「そう重大に考える必要もないでしょう。向こうが口約束のつもりなら、こちらもそのつもりでいれば良いのです。利用するだけならば、むしろその方が都合は良いかと」
意外にも前向きな意見が多い。ジノーファはそのことに内心少し驚いた。ガーレルラーン二世の時とは異なり、背景がある程度見えてきたのが大きいのだろう。
少なくとも、イスファードとガーレルラーン二世が共謀していることはなさそうだ。それなら罠であることを勘案しつつ、より手強い方を倒すために組みやすい方と手を結ぶ。十分にあり得る選択肢だ。
(たぶん……)
たぶん、ガーレルラーン二世の申し出を蹴ったことも、関係しているのだろう。ジノーファはそう感じた。講和を蹴った以上、近いうちにガーレルラーン二世とは雌雄を決することになる。少なくとも、その可能性が高い。
皆、そのことを分かっている。そして皆、ガーレルラーン二世が恐ろしいのだ。だからこそ例え不信感があろうと、共通の敵を叩くための味方が欲しい。結局の所それが、前向きな意見が多い理由だろう。
ただ、この場で結論を出すことは持ち越しになった。この日、さらに大きく状況が変化したのである。ガーレルラーン二世より、二度目の使者が送られてきたのだ。結論を出すより前に、その使者と会うことになったのである。
「お久しぶりにございます。ジノーファ陛下」
「うん、久しぶりだ。カスリム将軍」
幕僚がすでに揃っていたこともあり、使者はすぐにテントへ通された。使者としてイスパルタ軍の陣中へやって来たのは、かつてセルチュク要塞の司令官を務めていたカスリムだった。
戦わずに降伏してしまった彼がアンタルヤ王国でどうしているのか、ジノーファは密かに心配していたのだが、使者に選ばれたということはそれなりに重用されているのだろう。ジノーファはそう思い、内心で胸をなで下ろした。
「それで将軍。用件を聞いても良いだろうか」
「はっ。ガーレルラーン陛下は休戦を望んでおられます。条件は貴国の主張する国境線の追認と、二年間の相互不可侵条約です」
カスリムがそう答えると、幕僚たちの間に少なからずざわめきが起こった。ガーレルラーン二世がもう一度休戦を申し入れてくるとは、誰も思っていなかったのだ。しかも今回は条件に賠償金が入っていない。向こうが条件を引き下げたのだ。
「賠償金は良いのか?」
「もともとガーレルラーン陛下は、賠償金を望んではおられませんでした。賠償金について言及したのは、書記官ハムザの独断です」
その返答を、ジノーファは必ずしも鵜呑みにはしなかった。前回の交渉が失敗した責任を、ハムザに押しつけているだけのようにも聞こえたからだ。ただジノーファとしても、討伐軍内部の駆け引きに興味はない。重要なのはこうして二度目の使者を送ってきたガーレルラーン二世の意図であり、そうするに至らせた情勢とその変化である。
「ところで将軍。北の様子はどうだろうか?」
「北、でございますか。無論、防衛線は堅固にして揺るぎなく、モンスターどもを日夜叩き潰しております」
ニヤニヤしながら、カスリムはそう答えた。これにはジノーファも苦笑する。小さく肩を竦めると、彼は改めてこう尋ねた。
「では、イスファード殿下とエルビスタン公爵は、どうしておられる?」
「忙しくしておられるようですな。公爵閣下はともかく、殿下は謹慎中のはずなのですが、ね」
カスリムはどこか芝居がかった口調でそう言った。口元には笑みが浮かんでいるが、しかし目は笑っていない。ジノーファが一つ頷いて続きを促すと、彼は真剣な顔つきになってさらにこう話を続けた。
「ジノーファ陛下には正直にお話いたしましょう。北で謀反の動きがあります。ガーレルラーン陛下が休戦を決意されたのも、それが理由です」
「謀反、か。規模は?」
「驚いておられませんな。やはりご存じでしたか……。イスパルタ王国も侮れませんな。……それで規模ですが、エルビスタン公爵がいる以上、北部一帯は叛徒どもの勢力と見るべきでしょう。ただ、防衛線を抱えておりますからな。動員できる兵はさほど多くないはず。多くとも三万と見積もっております」
カスリムはすらすらとそう答えた。彼があまりにも簡単に答えたので、むしろジノーファの方が内心で驚いている。それを飲み込むためにも、彼は一度ゆっくりと頷いた。それからおもむろに口を開く。
「なるほど。ガーレルラーン陛下も苦しいとお見受けする」
「恐れながらジノーファ陛下。苦しいのはガーレルラーン陛下だけではございませぬ。ヘリアナ侯爵夫人、ユリーシャ夫人も苦しんでおられます」
カスリムは一歩、いや二歩踏み込むかのような意気込みで、そう語った。ジノーファがまったく予期していなかった人物の名前を口にして。
ユスフ(二組の使者が同じ日に……。鉢合わせさせないようにしないと……)




