蜂起
北アンタルヤが求めるイスパルタ王国との連携は、率直に言って上手くいっていなかった。
イスパルタ王国の建国前から、エルビスタン公爵の派閥とネヴィーシェル辺境伯の派閥の間には、いわゆる外交チャンネルが存在している。このチャンネルは両派閥の対立が先鋭化した時にも閉じられてはいない。
それでこのチャンネルを使い、イスパルタ王国上層部に接触するというのが、カルカヴァンの思惑だった。しかしその思惑は、初手から躓くことになる。窓口となる者たちも、話を聞くだけは聞いてくれる。だがその話を上層部に通すとなると、皆一様にそれを渋り、自分のところで話を握り潰したのだ。貴族の独立の気風が強いことも、この場合は災いした。
要するにイスファードとカルカヴァンは、彼らに信用されていなかったのだ。連携の話そのものが、計略の一部ではないかと疑われたのだ。王太子軍が一度攻撃を仕掛けてきていることや、イスファードとジノーファの間の因縁などが、その疑念を強くした。
仮に陰謀であった場合、窓口となった者にも疑いの目は向けられる。同罪と見なされ、処断されかねない。イスパルタ王国の背後にはロストク帝国がいるのだ。アンタルヤ王国が一時的に優勢になったとしても、最終的な勝利はイスパルタ王国が得るに違いない。であるなら、迂闊なことはできなかった。
だがイスファードとカルカヴァンの側からすれば、これは非常に困った展開だった。謀反が起こり王都が陥落すれば、ガーレルラーン二世は軍勢を率い、急いで引き返して来るに違いない。その背中をイスパルタ軍に襲わせる、というのが基本戦略なのだ。その形を整えない限り、動くに動けない。
カルカヴァンは伝手を駆使し、何とかイスパルタ王国と接触しようと奮闘した。しかしどれも上手くいかない。困り果てた彼が最後に目を付けたのが、ネヴィーシェル辺境伯家の世子であるメフメトだった。
辺境伯家の当主であるダーマードは、現在、領軍を率いてジノーファに従っている。それで今はメフメトが領主代行として領内の仕事をしていた。さらに彼の大叔父であるスレイマンは、イスパルタ王国の宰相に抜擢されている。その繋がりもまた、カルカヴァンが彼に目を付けた理由の一つだ。
「……それで、今日は何のようだ?」
その日、メフメトが出迎えたのは、王都クルシェヒルに遊学していた時の学友だった。学友の名前はシャガードという。それぞれ所属派閥が違うので特別親しかったわけではないが、幾つかの課題を一緒に行ったことがある。
現在、メフメトはイスパルタ王国に属し、シャガードはアンタルヤ王国に属している。そして両国は戦争中だ。その状況下で、正式な大使でもないシャガードがメフメトを訪ねてくるのには、それなりの危険を伴ったはず。彼が危険を冒してまで持ってきた要件に、メフメトは興味をそそられていた。
「実は……」
シャガードはイスファードとカルカヴァンが謀反を計画していることを話し、その上でイスパルタ王国との連携を希望していることを告げる。その証として、彼は二人の名前が入った手紙を見せる。その中身を読んで、メフメトは少し驚いたように「ほう」と呟いた。
「なるほど。本物のようだ。だが、こんなことをわたしに話してどうする。わたしには何の権限もないぞ」
「それは、分かっている。それで、だ。この話をスレイマン殿に伝えて欲しい」
「大叔父上に、か」
メフメトは腕を組んで考え込んだ。北アンタルヤとの連携を、彼の一存で決められるはずがない。彼に期待されているのは、宰相スレイマンへの橋渡しであり、そのことは彼自身も予想していた。
この話が計略の一部ではないか、という疑念はメフメトの頭にもある。とはいえ彼が疑うくらいだから、スレイマンは当然その可能性を考慮するだろう。彼が「信用ならぬ」と判断すればその時点でこの話は終わりだし、「考慮する価値がある」と思えばジノーファに話を通すはず。
いずれにしても、メフメトの責任は問われまい。そうであるなら、自らの利益を考えても良かろう。自らの影響力や発言力を増し、そして人脈を広げるために、この機会を利用するのだ。
イスパルタ王国の一員であるとはいえ、正直なところ、メフメトはジノーファに良い感情を持っていない。彼は血筋の定かではない成り上がり者だ。幾つかの幸運が重なった結果、王座に就いたに過ぎぬ。条件さえ合えば自分だって、という気持ちが彼にはある。
とはいえ現実を無視することは破滅への第一歩だ。ジノーファが国王となり、ロストク帝国の後ろ盾を得て戦っている現状は、彼としても受け入れざるを得ない。ではその情勢下で、どのように立ち回るべきなのか。
人脈というのは、国内に限らない。イスパルタ王国は小国だ。むしろ国外の有力者と縁を結ぶほうが、結果として発言力が大きくなる場合もあろう。その点、イスファードやカルカヴァンは文句なしに有力者だ。
現在、カルカヴァンは相当焦っているはずだ。何しろ、学友という細い縁を使い、大した権限があるわけでもないメフメトに接触していた。彼が持っている他のチャンネルは、全て拒絶されたと見ていい。
そうであるなら、ここで彼らの意向に沿ってやれば、二人はメフメトに恩義を感じるに違いない。恩義といえばいかにも大げさだが、要するに覚えが良くなる。仮に謀反が成功した場合、この人脈には大きな価値が出てくるだろう。
また、現在ジノーファは討伐軍との戦いに苦慮している。北アンタルヤとの連携が実現すれば、それが突破口となるかもしれない。そしてその時、メフメトはイスパルタ王国内でも一目置かれるようになるはずだ。
上手くいかなかったとしても、ガーレルラーン二世の苦しい状況は変わらない。反乱が一挙に鎮圧されてしまう可能性は小さく、その場合、北アンタルヤ地方は中央の統制が及ばない独立地域になる。そことの繋がりを持っておくことは、やはり価値があるだろう。あるいは謀反が完全に失敗してしまったとしても、メフメトには何の損害もない。
「……分かった。大叔父上に話を通して見よう」
「本当か!?」
メフメトの返答を聞いて、シャガードは歓声を上げた。彼は彼で、恐らくカルカヴァンから相当なプレッシャーをかけられていたのだろう。彼はあからさまにホッとした表情を浮かべた。そんな学友に、メフメトはさらにこう尋ねる。
「お前も一緒に、マルマリズに行くか? 事が事だけに、手紙ではなく、きちんと説明した方が良いと思うのだが」
「願っても無いことだ。是非そうさせてくれ」
シャガードがそう即答すると、メフメトは一つ頷いた。それから二人はすぐに動いた。家令に後のことを任せ、彼らは僅かな護衛を伴って王都マルマリズへ向かったのである。なお、シャガードはこの時点で同行者の一人を帰国させ、カルカヴァンに途中経過の報告を行っている。
マルマリズに到着すると、二人はすぐに宰相スレイマンへの面会を申し込んだ。メフメトが至急会いたいというので、スレイマンは辺境伯領に何か問題が起こったのかと思ったが、しかしそうではなかった。シャガードを紹介され、彼からイスファードとカルカヴァンが謀反を起こそうとしていることを告げられる。手紙を見る限り、二人のサインと印章は本物だ。手紙を手に、スレイマンはたっぷりと五秒以上も絶句することになった。
「殿下と公爵閣下は、イスパルタ王国との連携を望んでおられます。貴国にとっても、当面の敵はガーレルラーンであるはず。ここは共に戦うべきであると存じます」
「お二方と真に共闘できるなら、確かに検討する価値はありそうじゃが……。それで、共闘の条件は?」
「現在、貴国が主張しておられる国境線の追認と、三年間の相互不可侵。それと兵糧に不安がおありなら、天領以外でなら多少の現地調達は黙認する、とのことです」
それを聞き、スレイマンは「なるほどのぅ」と呟き、髭を撫でながら考え込んだ。提示された条件は、「何の対価もなし」と言っているに等しい。イスファードが王位を簒奪するためにただ働きをしろ、と言われているようなモノだ。
ただ、独立戦争におけるイスパルタ王国の方針としては、「アンタルヤ王国に独立を認めさせ、西の国境線を確定する」ことを最低限の目標として掲げていた。イスファードとカルカヴァンに協力すれば、その目標はクリアできるのだ。それも、ガーレルラーン二世と正面から戦うことなく。
無論、この話それ自体が計略の一部である可能性は、スレイマンも考慮している。何しろ、イスファードがジノーファを頼ろうとしているのだ。その裏に何か良からぬ意図があるのではないかと勘ぐるのは当然だろう。
(だが、のうぅ……)
しかしながらその一方で、この提案に魅力を感じるのも事実だ。上手くいけば、独立戦争を早期に終結させられる上、これ以上ロストク帝国の力を借りずに済む。内政に力を注ぐ時間も得られるだろう。
リスクとリターンを天秤にかけた結果、スレイマンの中では僅かにリターンが上回った。計略であるかも知れぬ事を頭に置いておけば、さほど重大な失敗はしないだろう、という判断だ。
ただ、これほど大きな決断をスレイマン一人で下すことはできない。ダーマードや他の有力貴族たちの意見を聞く必要があるし、何より最終的な判断はジノーファのものだ。そして彼らは今、前線で討伐軍と戦っている。
(遅きに失している気がするのぅ……)
スレイマンは内心で嘆息した。連携の話そのものはともかく、持ちかけてくるタイミングが遅い。恐らくは謀反それ自体が唐突に決まったのだろう。以前から決まっていたのであれば、事を起こす前に軍事行動などしないだろうから、あり得る話だ。
ともかくスレイマンの所にまで話が来た以上、ジノーファに伝えないわけにはいかない。スレイマンは自らの見解を手紙にしたためてメフメトに持たせると、二人を使者としてイスパルタ軍の陣営に送った。
そしてこの間に、事態は大きく動くことになる。
□ ■ □ ■
きっかけは、ガーレルラーン二世にもたらされた一つの報せだった。リュクス側の西岸に設けられた討伐軍本陣に、王都クルシェヒルで留守を任されている守備隊長から早馬が来たのだ。
曰く「北方に不穏な動きあり」
エルビスタン公爵の派閥に属する貴族たちが、次々に領地へ戻っていることを、守備隊長は報せてきたのである。さらにはイスファードの妃であるファティマまでも、王都を離れて公爵領へ戻ったという。
アンタルヤ王国の国法は、これら貴族たちの動きを何ら咎めてはいない。ファティマに至っては王妃メルテムの許可を得ているのだ。守備隊長であっても、これを阻むことは不可能だった。
しかしながらどう考えても、この動きはガーレルラーン二世の不在を狙ってのものだ。そうなるとやはり、謀反の可能性が頭をよぎる。イスファードは王太子位から廃された。さらに次の王太子として、ルトフィーの名前が盛んに囁かれている。不満を持つ理由としては十分だろう。
国法で禁じられていないとは言え、現在の情勢下では、誤解を招きかねない行動は慎むべきであろう。だが危機感を抱いた守備隊長は、早馬を使いこの情勢をガーレルラーン二世に報せたのである。
「ほう……?」
報せを受けると、ガーレルラーン二世は僅かに眉を動かしてそう呟いた。相変わらず冷え冷えとした声と表情であり、使者として赴いた兵士は全身を強張らせている。もっとも、彼は使者など眼中になかったようで、少し考え込んでからさらにこう呟いた。
「ともかく、まずは事情を問いたださねばなるまい」
ガーレルラーン二世は使者を出した。王都のメルテム王妃と、領地にいるカルカヴァンに対してである。本命は無論後者だ。話を聞いて弁明に来るよう伝えるだけではない。領地内や防衛線を見て回り、不穏な気配がないかを調べることが命じられていた。一人ではなく十数人規模であったというし、使者というよりは監査団だったと思った方がいい。
少し話はそれるが、後世の評価として、ガーレルラーン二世は冷酷で猜疑心が強く、人を信じることがなかったと言われている。ただ今回、イスファードとカルカヴァンに謀反の疑いがかけられたとき、すぐさま討伐に動くことはしなかった。
二万ほどの兵をリュクス側の西岸に残し、残りの兵を率いて北上すれば、討伐は可能であったろう。実際猜疑心が強く、臣下に対して弁解の機会を与えずに粛清してしまった王は、歴史上枚挙に暇がない。しかし彼はそうせず、カルカヴァンに対して弁明の機会を与えた。それゆえこの件は、彼の後世の評価に対するささやかな反論となるかも知れない。
まあ、それはともかくとして。使者らの立ち入りを受け、カルカヴァンは大いに慌てた。ガーレルラーン二世の反応が予想を超えて早かったからだ。ここで謀反の企てを知られるわけにはいかない。王都から人を派閥の人間を引き上げさせたことについて、彼はこう弁明した。
「防衛線維持の為でござる。陛下が討伐軍を編成するのに伴い、防衛線から近衛軍の一隊が引き上げ申した。彼らは百戦錬磨にして精兵揃い。この穴を埋めるのは簡単ではない。故に兵を集め、それを指揮する者どもを呼び寄せたのでござる」
「ファティマ殿下がこちらへ戻られたのは、なぜでしょうか?」
「イスファード殿下の傷心を慰めるためでござる。二人は夫婦であれば、この難局にあって力を合わせるのは当然でござろう。そもそもこの一件はメルテム王妃の承諾を得てのこと。これをもって『不穏な気配あり』とは、言いがかりも甚だしい」
カルカヴァンの答弁はさすがに滑らかで、彼は使者らに隙を見せなかった。使者たちはひとまず頷いたが、しかし納得したわけではない。彼らはカルカヴァンに対し、早急にガーレルラーン二世の本陣に赴いて弁明を行うよう勧告した。さらに勅命に基づき、領内と防衛線の監査を行うと告げる。
「承知した。すぐにでも陛下の本陣へ出向かせていただこう。領内の監査も、自由に行われるがよろしい。やましいことなど、何一つとしてござらぬ」
カルカヴァンとしては、そう応えるしかない。使者らが屋敷を去ると、彼はすぐにイスファードとジャフェルを呼んだ。今後について相談するためにである。本来なら派閥の他の貴族たちも呼ぶべきなのだろうが、今回は時間がないし、そんなことをすればそれこそ謀反を悟られかねない。
「斬るべきです。それ以外にありませぬ!」
事情を説明され、真っ先にそう主張したのはジャフェルだった。馬鹿なことを言うな、と非難の声は上がらない。カルカヴァンの頭にも、有力な選択肢としてそれはあるのだ。そしてイスファードもまた、苦々しげな顔をしつつこう呟いた。
「タイミングが悪いな……」
先日、シャガードから使者が来た。宰相のスレイマンに会うところまでは、何とか目処が立ったという。その報告を受けたときは三人とも喜んだものだが、しかし今となってみると随分間が悪い。
シャガードには、イスファードとカルカヴァンの名前とサインが入った手紙を持たせてある。スレイマンに謀反の計画と協力の要請を伝えれば、その話は必ずやジノーファにも伝わるだろう。そしてその際、シャガードに持たせた手紙もまた、彼のもとへ渡るに違いない。
スレイマンを紹介してもらえず、シャガードが手ぶらで帰ってきたのであれば、ガーレルラーン二世からの使者は大きな問題にはならなかった。現在、集めた兵や王都から帰還させた者たちを防衛線で働かせているのは事実だ。それを確認させ、むしろガーレルラーン二世の警戒を解くことができただろう。
だが今、謀反の計画を記した手紙が、ジノーファの手元にある。仮に彼がこの計画に協力することを決断したとして、いつまで経っても討伐軍が撤退を始めなければどう思うだろうか。むしろ手紙をガーレルラーン二世に送りつけ、それによって休戦を実現させようとするかも知れない。
そうなれば、ガーレルラーン二世の不在を狙って王都を奇襲する、という計画は崩れるだろう。それだけではない。討伐軍はその矛先を北へ向けるに違いない。間違いなく、北アンタルヤは蹂躙される。実に惨めで滑稽な最期だ。
「使者どもを殺し、急ぎ兵を動かして、王都クルシェヒルを奪取する。これしかあるまい」
「……左様ですな」
イスファードの言葉に、カルカヴァンも苦悩を滲ませながら頷いた。イスパルタ王国の協力が得られるのか、現時点ではまだ分からない。しかし今はもう、時間がないのだ。彼らが動かせる戦力は二万が限界。戦力で劣る以上、主導権を握らなければ、簒奪を成功させることはできないだろう。
この翌日、公爵領を訪れていた使者たちは、移動中、武装した集団に襲われ全員死亡した。そしていよいよ、イスファードが王都へ向けて軍を動かす。なおこの軍について、後世の歴史書は「北アンタルヤ軍」と呼称している。
カルカヴァン「賽は投げられた、か。投げさせられたようにも、思えるがな……」




