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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
道化と冠 中編

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 王太子軍を退けマルマリズへ帰還したジノーファは、ロストク帝国からの使節団と面会した後も、精力的に国王の仕事に励んでいた。彼がまず行ったのは、商業と通商に関わる分野の改革だった。


 彼はまず、商売を始める者たちに課されていた、出店に関わる税金を廃止した。つまり誰もが自由に商売を始められるようにしたのである。無論、店舗を持つには各種の手続きが必要だ。しかし行商をしたり露天を開いたりする分には、思い立ったその日のうちに始めることができるようになったのである。


 またこれまで、主に商店に対し、従業員の数に応じて課されていた税金も廃止した。この税は売り上げに左右されるものではなく、例え赤字であっても納めなければならなかったため、商会が簡単に潰れてしまう一因となっていた。


 代わりにジノーファが課税を行ったのは、不動産と売り上げに対してだった。これにより、売り上げが少ない年には、納める税金も少なくなる。出店税の廃止も含め、商売がとてもやりやすくなると、商人たちは喜んだ。


 商人たちをさらに喜ばせたのが、ジノーファが行った関所の廃止である。これまで関所を通る際には、通行税を支払う必要があった。それだけではない。関所を通るために数日の間足止めされることも珍しくなく、通行税と合わせ、商売を行う上で大きな障害となっていた。


 一例を挙げるなら、オロンテス川だ。この川はマルマリズのあるトゥユズ湖から南へ流れ下り、その河口付近には貿易港ウファズが栄えている。当然オロンテス川は物流の大動脈であり、多くの船が行き来しているのだが、この川には何と七つも関所が設けられていた。


 その通行税は莫大であり、商人たちにとっては頭の痛い問題だった。関所ごとに足止めされることも不満であり、これらの関所が彼らの商売を妨げていたことは疑いない。それが一挙に廃止されたのだから、商人たちが喝采を挙げて思わず散財してしまったのも当然であろう。


 ただ、国の側からみれば関所の通行税は主要な財源の一つだ。いくら商業を発展させるためとはいえ、これを一挙に廃止することには反対意見が根強かった。既得権益も絡む話だったから、頑強に抵抗する者も多かった。


 しかしジノーファはこれを断行した。商業の発展なくしてイスパルタ王国の未来はない。彼はそう信じていた。無論、農業を疎かにするつもりはない。だが国土には限りがある。農業を主体にした国作りには限界があるのだ。であるなら、商業という新しい分野を発展させるしかない。


 さらにこの件にはロストク帝国も関わっていた。帝国は交易の果実を欲している。だがイスパルタ王国国内の制度が原因でそれを阻まれれば、当然不満が募るだろう。「やはりウファズを帝国の手に」と、そういうことになりかねない。安全保障上の観点からも、自由な交易を行える環境を整える必要があった。


 端から見れば、ロストク帝国のために国内改革をやっているようにも映っただろう。実際、そのようにジノーファを批判する者たちもいた。「帝国の手先、炎帝の犬」というわけだ。イスパルタ王国がロストク帝国の後ろ盾を強く必要としていることも、彼らにとっては気にくわなかったのかも知れない。


 だがジノーファはそれらの批判を意にかいさなかった。そしてイスパルタ王国に商人たちが集まり、富がもたらされるにつれ、それら批判の声は徐々に小さくなっていった。そして少し先の話になるが、東西のマルマリズが手狭となり、北マルマリズが建設されるころになると、彼の改革は国内外で高く評価されるようになっていたのだった。


 ちなみに、このような商人寄りの(あるいはそう見える)政策を行えば、特に武断派と呼ばれる人々の少なくとも一部からは反発を買うものだ。しかしそのような者たちであっても、ジノーファのことを「惰弱」とか「脆弱」と言って批判することはなかった。


 こういう批判は相手が自分よりも弱いときに、有り体にいえば決闘を挑まれても勝てそうな相手に言うのであって、相手が聖痕(スティグマ)持ちではそれもできなかったのだろう。ジノーファは図らずも、口うるさい批判を封殺していたのだ。


 さて、ジノーファが行った商業や通商に関わる改革だが、彼の手の及ぶ範囲というのは、実のところ天領だけだった。イスパルタ王国は基本的にアンタルヤ王国の法を踏襲している。そしてアンタルヤ王国において、貴族は領地の統治に関して強い権限を持っているのだ。例え国王といえどもそこに介入することはできないし、またジノーファの力もこの時点ではまだそこまで強くなかった。


 実際、ジノーファは関所を廃止したとき、それに倣う貴族は一人もいなかった。貴族らにとっても、関所で集める通行税は主要な財源の一つ。それを失うことには抵抗感が強かったのだろう。


 また関所というのは、領地の支配における要だ。権威や統制力の象徴と言っても良い。それをなくしてしまっては、領地を治めることができなくなるのではないか。そう心配する者もいたに違いない。


 ただ少し将来の話になるが、時間が経つにつれて、そのような貴族たちも悠長なことは言っていられなくなった。商人たちは当然ながら、商売のやりやすい場所に集まってくる。高い通行税を取られる場所など通りたくはない。つまりそれら貴族らの領地には、商人たちが寄りつかなくなっていったのだ。


 この頃になると、イスパルタ王国はロストク帝国との交易で大きな利益を得ていたし、また帝国以外の国とも活発な交易を行うようになっていた。貴族たちはその交易から取り残されてしまったのである。


 こうなると、関所から得られる通行税そのものが減ってしまう。そして領内の商業が衰退し、さらに税収が減る。当然不満に思うが、相手は国王であるし、その背後にはロストク帝国がいる。そもそも、貴族としての権利を侵されたわけではない。文句を言おうにも、その大義名分がなかった。


 彼らにできたことはただ一つ。すなわちジノーファに倣って関所を廃止し、商人たちを呼び込んで領内の商業を活性化させるのだ。こうして自然と、国内から関所を廃止する方向へ流れができたのである。


 ジノーファがまっさきに手を付けたのは、商業と通商に関する分野だけではない。同時期に刑法にも手を付けている。有名なのは、残酷な処刑法の廃止だ。アンタルヤ王国の法には、火刑や車裂き、釜ゆでやのこ挽きの刑など、見せしめやともすれば娯楽を兼ねた残酷な刑罰が多く規定されていた。ジノーファはこれを廃止したのである。


 ジノーファが明記した処刑法は二つ、斬首と絞首だ。自決させる場合には、毒か短剣を用いることとした。見せしめのために人を殺すような真似を、彼は嫌ったのだ。ましてそれを見て楽しむなど、彼の想像の範疇を超えていた。


 彼のこのような精神は、刑罰の他の分野にも現れた。腕や足を切り落としたり、骨を抜くなどして不具にさせる刑罰を彼は禁止した。五体不満足にするのなら、五体満足のまま働かせた方がいい、というのが彼の考えだった。


 この他にもジノーファが行った改革や変更は数多くあるが、それをいちいち記していては紙幅が足りなくなるので、ひとまずはここまでにする。王太子軍を撃破した後、彼が内政に励んでいられる時間は決して多くなかった。ついにガーレルラーン二世が動いたのである。


 ガーレルラーン二世率いる討伐軍の動向を報せてきたのは、三〇〇〇の兵を与えて西方の監視を任せていたアイクル子爵だった。子爵は斥候をアンタルヤ王国国内に忍び込ませ、討伐軍の動きを監視させていたのである。


 ジノーファをはじめスレイマンやクワルドと言ったイスパルタ王国首脳陣らは、討伐軍の主力が近衛軍になると見ていた。というより、それ以外に動かしうる戦力はない。そしてそうであるなら、討伐軍は王都クルシェヒルより出陣するはずだ。


 討伐軍の戦力は、最低でも三万と予想された。先遣隊、つまり王太子軍が一万五〇〇〇であったから、その二倍以上と見込んだのだ。そして三万を超える軍勢が王都から東へ向かうとなれば、そのルートは自然と限られてくる。動向の監視は比較的容易だった。


 それで、かなり早い段階で、ジノーファは討伐軍の出陣を知ることができた。ただし、会議室に集まった幕僚たちの表情は険しい。その原因はアイクル子爵が伝えてきた、敵の数にあった。


「まさか、五万とは……」


「よくもまあ、集めたものよ」


「それだけ本気、ということであろうな」


 幕僚たちが次々と嘆息をこぼす。三万以上を予想していたとはいえ、五万というのは想定していなかった。初手から不意打ちを食らった格好だ。ガーレルラーン二世の凄みを見せられたような気がした。その男と、これから戦わねばならないのだ。


「過大な評価をいただいたようだ。恐縮してしまうな」


 少々重苦しい空気の中、ジノーファが呟くようにそう言った。彼の内心には純粋な驚きがある。記憶にある限り、彼はガーレルラーン二世に高く評価された覚えはない。それにも関わらず、五万の大軍を集めた。


 イスパルタ王国のことをそれだけ警戒しているのだろうか。まさか、ガーレルラーン二世が意識していたのがジノーファではなく、ロストク帝国とダンダリオン一世であるとは、彼にとっても想像の埒外だった。


 もっとも、周囲はジノーファが空気を変えようとして、冗談を言ったものと思ったようだ。方々から笑い声が漏れた。彼としてはただ本心が口に出ただけなので、なぜ笑い声が起こるのか分からない。それできょとんとしてしまっていたが、何にしてもそのおかげで室内の空気は多少軽くなった。


「いかに五万といえども、時間をかけて集めたわけではない。となれば、集められる範囲は限られてくる。範囲が限られれば、人口も限られる」


 東域を切り取られ、北方も頼ることはできない。国内の貴族らも防衛線維持のために、お金も物資も人員も徴発されていて、さらに兵を出す余裕はない。その中で五万の兵を集めたのだ。かなりの無理をしたに違いない。


「五万人分の装備や兵糧も集めねばならぬと言うこと。今頃、王家の宝物庫は空かもしれませんなぁ」


「兵の質も、それほど高くはあるまい。新兵や老兵も多いのではないか?」


「なるほど。数は多くとも烏合の衆か」


 言葉を交わしていくうちに、幕僚たちの表情も明るくなっていく。それを見て、ジノーファは内心で安堵する。それからクワルドの方へ視線を向け、彼にこう尋ねた。


「クワルド、兵はどれくらい集まった?」


「アイクル子爵に預けた三〇〇〇を合わせてになりますが、三万と少しと言ったところでしょう。合計で四万程度集めるつもりでしたが、天領からの兵の徴集が思うようにいかず……。申し訳ありませぬ」


「いや、構わない。よくやってくれた」


 ジノーファはそう言って、頭を下げたクワルドを責めなかった。貴族らの領軍は、おおよそ計画通り兵を集めている。四万に届かなかったのは、天領での徴兵が上手くいかなかったからだ。ただ、その責任は決してクワルドだけのものではない。


 イスファードはイスパルタ王国の最大戦力を五万程度と見積もっていた。ちなみにこれは防衛線の戦力を計算に入れない場合の話だ。そして彼のこの見積もりは正しい。ジノーファもクワルドも、集められる兵の最大数はそのくらいだろうと考えていた。


 時間をかけて傭兵を集めれば、もう少し積み増しは可能だろう。しかし今はその時間がない。加えて傭兵の多くは、ランヴィーア王国との戦争のために、すでにイブライン協商国へ流れている。雇おうにも人がいない状態だった。


 ゆえに、五万。これがイスパルタ王国の有する全戦力である。そしてガーレルラーン二世率いる討伐軍との戦いは、建国の行方を左右する一大決戦。決して負けられないこの戦いのために、できるだけ多くの兵を集めたいと思うのは当然だった。


 だがここへ来てイスパルタ王国の弱点が露呈した。すなわち人材の不足である。いわゆる官僚組織がいまだ十分でないために、徴兵作業に支障をきたしてしまったのだ。これはもう、建国に関わった者全ての責任であろう。


「無論、ぎりぎりまで兵は集めます。ですがそれでも、三万五〇〇〇には届かぬかと……」


「分かった、そのつもりでいよう。……さて、聞いての通りだ。我々は数的劣勢を背負って戦わねばならない。しかも相手はガーレルラーン二世だ。ルルグンス法国の弱兵も、彼が率いれば獅子奮迅の働きをしたと聞く。厳しい戦いになるだろう。覚悟して欲しい」


 ジノーファがそう告げると、幕僚たちは静まり返った。決して圧倒されているわけではない。しかし彼らの表情は険しかった。そんな中で、幕僚の一人が挙手して発言を求める。ダルヤン男爵ルステムだ。かつてジノーファの聖痕(スティグマ)をスケッチして双翼図を作成した人物である。彼はこう提案した。


「ロストク帝国に援軍を求めてはいかがでしょうか? 一万、できれば二万の兵を寄越してもらえれば、我々としてもかなり楽になるかと思いますが……」


「だがその場合、ロストク帝国はさらなる利権を要求してくるに違いない。あまりに帝国の影響が強まれば、イスパルタ王国は属州となりかねん。独立を保つことさえ、危うくなるぞ」


 そう反論したのは、ジュンブル伯爵ロスタムである。彼は「属国になる」とは言わなかった。現状を鑑み、そのようには言えなかったのだ。


 現時点でロストク帝国の国土は八八州であり、一方イスパルタ王国の国土は二六州しかない。アンタルヤ王国が小国と見ていたルルグンス法国(四二州)よりも小さいのだ。さらに皇女マリカーシェルがジノーファに嫁ぐこともすでに決まっている。通商分野においても、かなり意をくんだ案を用意していると聞く。


 これらのことを考え合わせれば、イスパルタ王国が事実上ロストク帝国の属国であることは、ジュンブル伯爵以外にも共通した認識であると言っていい。いささか面白くない状況であるのは事実だ。だがそれも仕方がない。イスパルタ王国はロストク帝国の後ろ盾を必要としているのだから。


 だがしかし。たとえ属国であったとしても、主権を有する歴とした独立国家である。主権国家としての独立性だけは譲れない。それが独立に関わった貴族らの共通認識だ。そうでなければ、何のためにイスパルタ王国を建国したのか分からなくなる。


「そうはおっしゃるが、負けてしまっては元も子もありませぬぞ」


「一度負けたからと言って、それで全てが終わるわけではない。マルマリズがあり、セルチュク要塞がある。今すぐにロストク帝国を頼むのは早計であろう」


「それこそ悠長な意見です。一度負けてから援軍を頼めば、それこそ本当に、イスパルタ王国はロストク帝国の属州に成り下がる。その時、卿はどう責任をとるのですか!?」


「戦う前から負けることを考えるなどどうかしている。それに五万対三万であれば、挽回できぬほどの劣勢というわけではないぞ!」


「左様。古来より数で劣る側が勝利を収めた例は枚挙に暇がない。此度もそうなるであろう」


「軍略の基本はまず数において上回ることだ。そんなことも知らぬのか!? まして今回はガーレルラーン二世の親征なのだぞ!?」


「敵にガーレルラーン二世がいようとも、我らには陛下がおられる。双翼図の旗の下、皆が心を一つにすれば、必ず勝てる!」


「笑止! 精神論で勝てるなら、この世に負け戦などありはせぬわ!」


 徐々にヒートアップしていく幕僚らを、ジノーファは「静粛に!」と言って鎮めた。皆がひとまず黙ると、彼らの顔を見渡してから、落ち着いた口調でこう言った。


「どちらにせよ、今から援軍を要請しても、決戦には間に合わない。ガーレルラーン二世は我々の力のみで退ける。そう覚悟してくれ。そうやって初めて、真の独立が得られるのだと、わたしは思う」


「では、援軍の要請は行われないのですかな?」


 そう尋ねたのは宰相のスレイマンだった。ジノーファは彼のほうに視線を向け、そしてこう答えた。


「いや、要請は行う。戦いが長引くかも知れないし、打てる手はすべて打っておきたい。それに、ロストク軍が動くことそれ自体が、ガーレルラーン二世への牽制となるだろう」


 ジノーファの言葉に幕僚たちも頷く。今後、どのように情勢が推移するにせよ、戦力増強のアテがあれば、その分だけ選択肢は増える。せっかくの後ろ盾なのだ。イスパルタ王国に余裕があるわけでもなし。使えるモノは何でも使わねばなるまい。


 さらに幾つかの点について話し合うと、ジノーファは出陣を明日の朝と定め、幕僚たちを解散させた。迫り来るガーレルラーン二世との決戦。恐ろしくないと言えば嘘になる。だがこれがイスパルタ王国にとって、そしてジノーファ自身にとっても、乗り越えなければならない壁であることはあまりにも明白だった。



ユスフ「陛下は商売がお好き」

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