ダンダリオンからの親書
ジノーファ率いるイスパルタ軍が、イスファード率いる王太子軍に勝利した。ジノーファは敵の襲来を予測して被害を最小限にとどめ、深遠な知謀と果断な行動によって数的な劣勢を覆し、見事勝利を収めたのである。
ただ、大勝利かと言えば、実はそうでもなかった。後日、討ち取った敵兵を数えて見たところ、その数は二二八六に留まったのである。この中には、例えば首と胴をそれぞれ一人分と数えているような場合もあるだろうから、実際の戦果は二〇〇〇程度であろうと見込まれた。
「敵の数は、たしか一万五〇〇〇程度だったな?」
「はい」
ジノーファの問いかけに、ジュンブル伯爵は一つ頷きながらそう答えた。ということは、王太子軍にはまだ一万三〇〇〇程度の戦力が残っていることになる。負傷者を除いたとしても、あの場にはまだ戦える兵が一万以上いたはずだ。
つまりあの時にはまだ、王太子軍はイスパルタ軍に対し、およそ二倍の戦力を残していたことになる。無論、疲労は蓄積していただろうし、隊列も乱れていた。しかしあそこで戦うことになっていたら、勝てたかどうかは分からない。
(それだけ、同士討ちのショックが大きかった、ということかな)
そう考えて、ジノーファは自分を納得させた。そもそも王太子軍は撤退したのだ。仮定の話をあれこれ考えても仕方がない。それよりも気にするべきは他のことだ。ジノーファは思案げな顔をしながら、ジュンブル伯爵にこう尋ねた。
「敵は、また来るだろうか?」
「イスファードが再び軍を率いて、というのは難しいでしょう」
ジュンブル伯爵はそう答えた。いくら手元に一万以上の兵が残っているとしても、彼らが同士討ちの末に逃げ帰ったという事実は消えない。兵士たちは指揮官の資質に大きな疑問を抱いているであろうし、戦える状態ではないはずだ。ジュンブル伯爵はそう分析した。
「加えて今回、敵は防衛線から戦力を抽出したはず。そうであるなら、少ない戦力で防衛線を支えるのはそろそろ限界でしょう。残った戦力は、その手当てに使わざるを得ますまい」
それを聞いて、ジノーファは一つ頷いた。どうやら王太子軍の再襲来は、心配せずとも良さそうだった。不安が一つ片づき、ジノーファは幾分晴れやかな顔でこう言った。
「何にしても、味方の損害が少なくて良かった」
「少ないと言うより、皆無です。陛下」
ジュンブル伯爵が相好を崩しながらそう訂正する。彼の言うとおり、籠城戦を含む今夏の戦いでは、イスパルタ軍に損害らしい損害は出ていない。まさに一方的な戦いだったと言って良い。しかしジノーファはこの戦いを、「損害なし」としたくはなかった。
「村がいくつも襲われた」
戦場の外では、凄惨な被害が出ている。無論、この被害とて、敵の規模と比べれば小さい。だからこそジノーファも「損害は少なかった」と言ったのだ。しかしだからといって無視して良いわけではない。いや、無視するべきではないのだ。
「これも、後で手当てが必要だな」
ジノーファは誰にともなくそう呟いた。連れ去られた女たちや、奪われた財産はおおよそ取り戻すことができた。しかし多くの命が奪われてしまったし、村そのものが焼き払われてしまっている。支援は必須だろう。
まあそれはそれとして。敵を追い払った以上、この場に軍を止めておく理由はない。ジノーファらはオズディール城へ引き返すことにした。ただ、その前に彼は一度防衛線へ立ち寄った。シャドーホールに収納してある荷物を取り出す為だ。
その中にはダンジョン攻略の際に集めた宝石類や、主に密貿易で稼いだ金貨なども含まれている。これらは全て、ジノーファが自由に使うことのできる資産だ。今後、何かと必要になることもあるだろう。それでこの機会に取り出しておくことにしたのだ。なお、次から次に出てくる荷物の量に兵士たちが呆れていたのだが、それはご愛敬だ。
「陛下、よくぞご無事で!」
ジノーファたちがオズディール城へ帰還すると、クワルドやダーマードらが彼を出迎えた。次々に言葉をかけられ、ジノーファも笑顔でそれに応える。あちこちで歓声が上がり、彼はようやく勝利を喜ぶことができたような気がした。
それから彼らは城内の会議室に場所を移した。そこに集まった主だった者たちに、ジノーファは今回の戦いの経緯について説明する。今回の戦いの全貌を承知しているのは彼だけであり、彼が説明するよりほかなかったのだ。
もっとも、すべてジノーファの口から説明されたわけではない。むしろそれぞれの過程について、彼はその当事者に説明させた。先行した騎兵隊の動きについてもその隊長に説明させていたから、司会進行を担当したと言ったほうが正しいかもしれないが、まあそれはそれとして。
「…………そして陛下はそのまま敵歩兵隊の中へ躍り込み、そのまま敵陣を真っ直ぐに切り裂いてその中央を突破されました。そしてさらに……」
ジノーファと共に戦った隊長が、その活躍を滔々と語る。無骨な男かと思っていたが、意外と弁が立つようだ。そのせいで、ジノーファはなんだか居たたまれない気分を味わっていた。
もちろん、隊長は何も間違ったことは語っていない。ただ、他の者が自分の活躍を語り、それをすぐそばで聞いているというのは、どうにもこそばゆくて仕方がなかった。そしてやっと隊長の説明が終わると、ジノーファは面映ゆいのを隠して立ち上がり、こう言葉を続けた。
「隊長、ありがとう。……その後、ジュンブル伯と合流した我々は、再度北上した。敵を再補足した際には、すでに同士討ちは収まっていた。ただ、我々を確認すると、敵は戦うことなく西へ撤退していった。此度の戦の経緯は以上だ」
ジノーファが説明を終えて着席すると、ため息の音や唸るような声が聞こえた。やがてダーマードがぽつりと呟くようにこう言った。
「……結局、陛下が寡兵をもって敵を翻弄し、そのまま追い払った、ということですな」
彼のつぶやきに、あちこちから賛同の声が上がる。実際、籠城戦を別にすれば、敵とぶつかり合ったのはジノーファ率いる騎兵隊だけだ。防衛線の戦力も活躍したが、それとてジノーファの指揮下にいたのだ。
「皆の働きがあればこそだ。感謝している」
ジノーファはそう言ったが、その言葉を額面通りに受け取る者はいなかった。今回の戦いで最も活躍したのはジノーファであり、彼がほとんど一人で王太子軍を撃退してしまった。会議室に集まった者たちはそう思っていた。
「……何にしても、此度の勝利の意義は大きい。方々もそう思われませぬか?」
そう発言して話題を変えたのはクワルドだった。彼の言葉に、他の者たちも口々に同意の声を上げる。
「これでイスパルタ王国はアンタルヤ王国に引けを取らぬことが証明された。ロストク帝国の後ろ盾があるとはいえ、これで他国も我々を無視できまい」
「まさしく。さらに敵の戦力を削いだのだ。此度の敵は先遣隊であったろうが、これを当てにできぬとなれば、本隊も苦慮するであろう」
「さらに言えば今回はイスファードを、アンタルヤ王国の王太子を破ったのだ。王家の威光に疑問を持つ者も出てくるはず。更なる離反者も期待できましょうぞ」
会議室に集まった者たちは、口々に明るい展望を語った。やや楽観的過ぎると思わなくもないが、彼らの語っていることはおおむね間違っていない。ただクワルドが意図していた意義とは、それだけのことではなかった。
(これで戦場においても、陛下を軽んずる者はいなくなった)
クワルドは内心で満足げに頷いた。ジノーファはこれまで、戦場で武功を立てたことがほとんどない。例の撤退戦では確かに類稀な結果を残したが、それは炎帝とロストク軍の力を借りてのこと、という見方は根強い。機転と判断力は評価するものの、それをもって武勇に優れると見なすのはいかがなものか、というわけだ。
だが今回、ジノーファは敵の襲来を予見して備えさせ、そして敵の狙いを看破していち早く対応し、さらには寡兵をもって敵を翻弄してそのまま撤退に追い込んだ。これ以上ないほどの武功である。
これでジノーファの将帥としての資質に疑義を抱く者はいなくなった。来るべきアンタルヤ軍本隊との戦いに、イスパルタ軍は彼の指揮のもと一丸となって戦えるだろう。それこそがクワルドの考える、今回の勝利のもう一つの意義だった。
先遣隊はイスファードが率いていた。本隊を率いるのは、おそらくガーレルラーン二世その人。内輪もめをしていて勝てる相手ではない。だがこれでイスパルタ軍は態勢が整った。クワルドとしても、不安を押し殺し、ジノーファの先行を容認した甲斐があったというものだ。
王太子軍がオズディール城の攻略を切り上げ、北上を始めたとの報告を受けると、ジノーファはただちにその狙いが防衛線にあることを看破した。そしてそれを挫くべく、ジノーファは騎兵部隊のみによる先行という案を出した。
当初、幕僚たちはその案に反対した。いや、案そのものというより、ジノーファ本人がそれを行うことに懸念を示したのだ。それも当然であろう。ジノーファに万が一のことがあれば、イスパルタ王国はたちまち空中分解してしまうのだから。
そんな中にあってクワルドが賛成に回ったのは、前述したとおりジノーファに将帥の器を示させるためだった。もちろん、クワルドはかつてジノーファと共に戦ったことがあるから、彼の将器を疑っていない。だが今後のことを考えれば、今一度改めてそれを示す必要があると考えたのだ。
無論、彼の内心には葛藤があった。大将は後方の安全な場所に置いておくべきではないのか。そう考えなかったと言えば嘘になる。しかしそれでも、彼はやらねばならぬと思った。そしてジノーファは最高の結果をつかみ取った。
さて、バラミール子爵をオズディール城に残し、ジノーファは軍を率いて王都マルマリズに帰還した。そして数日兵を休ませた後、今度は三〇〇〇の兵を選んで西方に置いた。遠からず襲来するであろう、アンタルヤ軍本隊に対する警戒のためである。兵を率いるのはアイクル子爵。宰相スレイマンの推薦だった。
さらにジノーファがマルマリズへ帰還して数日後、ロストク帝国から使節団が来た。使節団は丁重にもてなされ、ジノーファは王統府で彼らと謁見した。使節団はジノーファの前で恭しく跪き、彼の即位とイスパルタ王国の建国を言祝いでこう述べた。
「ジノーファ陛下、よくぞイスパルタ王国を建国されました。心よりお喜び申し上げます。ジノーファ陛下はダンダリオン陛下と同じ聖痕持ち。ジノーファ陛下ならば一国を担うに相応しく、また陛下の建てられたイスパルタ王国ならばアンタルヤ大同盟の後継として何の不足もない、とダンダリオン陛下もお喜びでございます」
この祝辞には大きな意味があった。ロストク帝国がイスパルタ王国を一つの独立国として認めた、というだけではない。イスパルタ王国こそがアンタルヤ大同盟の後継として相応しい、つまりアンタルヤ王国に取って代わる権利がある、と言ったのだ。それに対し、ジノーファはにこやかにこう応えた。
「ロストク帝国の方々から祝福してもらえて、わたしも嬉しい。皆も知っていると思うが、わたしはダンダリオン陛下に大変お世話になった。ロストク帝国とはぜひ良い関係を築いていきたいと思っている」
「ははっ。ダンダリオン陛下も同じ想いであらせられます。ジノーファ陛下は無論ご存じと思いますが、我が帝国は魔の森にて軍事行動を行っております。帝国本土に災禍を及ぼさぬためにこざいます。イスパルタ王国もまた魔の森の脅威に直面しておりますれば、両国は手と手を取り合い、交誼を結べるものと確信しております」
「うむ、そうだな」
ジノーファはにこやかに微笑んでそう述べる。団長も笑みを浮かべると、「さすればダンダリオン陛下より親書をお預かりしております」と言って、持参した親書を恭しく差し出した。そしてその際、こう言い添える。
「そちらの親書にもございますが、ダンダリオン陛下は両国の結びつきを確固たるものとするべく、マリカーシェル皇女殿下をジノーファ陛下に嫁がせたいとお考えであらせられます」
その発言を聞いて、イスパルタ王国の貴族や廷臣の間からざわめきが漏れた。いずれ皇女マリカーシェル輿入れの話は出るだろうと誰もが思っていた。だが建国からまだ間もないこの時期に、その話が出るとは誰も思っていなかったようだ。逆を言えば、ロストク帝国はそれだけ本気である、ということを理解したのだ。
一方でジノーファは無論、驚かなかった。以前にダンダリオンから直接、その話を聞いていたからだ。ただ「いよいよ正式にその話が来たか」と、どこか他人事のように考えていた。しかしそれもわずかな間のこと。彼はすぐに笑みを浮かべてこう応えた。
「願ってもないお話だ。ぜひマリカーシェル殿下をイスパルタ王国にお迎えしたいと、ダンダリオン陛下にお伝えしてくれ」
「ははっ」
恭しく一礼する団長に一つ頷いてから、ジノーファは受け取った親書の封を切って中身を確かめる。そこではまず建国への祝賀が述べられ、さらに早い段階で通商などに関する条約を結びたいと書かれていた。
親書を読み終えると、ジノーファは「家臣と相談してから返事をする」と告げ、後は他愛もない話をして謁見を終えた。その後、別室に主だった者たちを集め、宰相のスレイマンに全権委任してロストク帝国との交渉に当たらせることを決めた。
さらにその後、ジノーファはスレイマンと二人で話し合い、交渉の方向性について決める。イスパルタ王国が後ろ盾を必要としており、またマリカーシェルの輿入れがほぼ確実なものとなっている以上、ロストク帝国と友好的な関係を築くのは既定路線だ。しかしジノーファが出した案は、スレイマンの予想を上回っていた。
「ここまでなさいますか……」
人と物の行き来をほぼ自由にする。一言で言えば、それがジノーファの提示した案だった。スレイマンは手渡されたレポートにもう一度目を落とす。そこからは、ジノーファが事前に丁寧に準備をしていたことがうかがえた。
「交易はイスパルタ王国の生命線になる。そして帝国に不満を覚えさせてはいけない」
「左様ですな……」
スレイマンはそう言って、少々消極的ながらもジノーファに同意した。大洋に通じる貿易港を得ることは、ロストク帝国の悲願。イスパルタ王国は見かけ上、その邪魔をしているのだ。満足な交易ができなければ、帝国はたちどころに牙をむくだろう。
獅子を眠らせておくためには、眠り薬を欠かしてはいけない。この場合、眠り薬とはつまり交易による富だ。ならば最大限、交易を行いやすい環境を整える必要がある。スレイマンもそれを認め、その方向で交渉を行うことになった。
後日、ジノーファの親書が使節団に託された。そこにはマリカーシェルの輿入れを喜んで承諾する旨や、通商条約の交渉に応じる旨が書かれている。
ただ、イスパルタ王国は現在、人手不足に悩んでいる。その中で宰相スレイマンを国外へ出すことはできない。それで交渉はマルマリズで行いたいと書き、さらに使節団にもその要望を伝えてもらうことにした。
さて、退出するスレイマンの背中を見送りながら、ジノーファは小さく頷いた。彼は天領としてマルマリズとウファズを押さえている。ロストク帝国との交易が拡大すれば、その分だけ税収は増えるだろう。その金を使い、彼は常備軍を整備するつもりでいた。
アンタルヤ王国の国法を踏襲した以上、イスパルタ王国においても貴族の力は強い。イスパルタ王家はこれに対抗していかなければならない。だが力を付けようにも、土地には限りがある。ならば経済力と軍事力を強めていくほかない。
(まあ、それだけが理由ではないけれど)
ジノーファは内心で苦笑を漏らした。そう遠くない未来、アンタルヤ軍本隊との戦いが控えている。彼はこの戦いが長引くこともあり得ると思っていた。何しろ、本隊を率いるのは恐らくガーレルラーン二世その人。先遣隊を蹴散らしたようにはいかないだろう。
そして長引いた場合、戦費は膨大になる。これを賄うためにも、ロストク帝国との交易は重視せざるを得ない。
(負けるつもりはない。けど……)
正直に言えば、ジノーファはガーレルラーン二世が怖かった。あの冷たい目を思い出すと、今でも心臓を鷲掴みにされたように感じる。自由な交易は、ダンダリオンとの約束でもあったが、同時に彼の不安の裏返しでもあった。
「クゥゥン」
黙ってしまったジノーファの足下にラヴィーネが近づき、頭を彼の足に擦りつける。ジノーファは小さく笑うと彼女の頭を優しく撫でた。彼の内心がどうであろうとも、イスパルタ王国は着実にこの世界での地位を固めつつあった。
クワルド「戻ってきたと思ったら、荷物が増えとる……」
ユスフ「全て陛下の個人資産です」
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というわけで、「道化と冠 前編」でした。
冠がまだ出てきていません。後編で出てきます。
お楽しみに。




