マルマリズの守備隊長3
イスパルタ王国の建国に際し、ジノーファはクワルドを味方につけることに成功した。ただしこれにより、東域の中心都市であるマルマリズを完全に掌中に収めたかと言うと、実はそうではない。
マルマリズを守っているのは守備隊で、その長はクワルドだが、マルマリズを治めているのは太守ムスタファーなのだ。この太守ムスタファーをどうにかしない限り、ジノーファがマルマリズの実権を握ることはできない。
「太守のムスタファーとは、クワルドの目から見てどんな人物なのだ?」
「有能な、そう有能と言っていい太守ではあります。ただ、その能力を自分のために使う人間です」
ジノーファの問いに、クワルドはそう答えた。それを聞いてジノーファは呆れたように小さく失笑する。クワルドの表情も少々険しい。つまりムスタファーとはそういう人物であり、少なくとも高潔であるとは言い難いようだ。
「損得勘定で動くのなら、口説けないだろうか? すでにクワルドがこちらの味方になっていることを知れば、命がけで抵抗することはないと思うのだが……」
「いえ。一度、逮捕してしまいましょう」
クワルドはジノーファにそう提案した。ムスタファーとは油断ならない人物であるから、仮に味方に引き込んだとしても、裏でガーレルラーン二世と繋がるくらいのことはしかねない。だから一度拘束し、少なくとも建国宣言をするまでには、身動きを封じておいた方がいい。クワルドはそう進言した。
「仮にジノーファ様が彼をお使いになるつもりなら、その後で、例えば恩赦のような形で釈放し、働かせればよいのです。そうすれば、恩を売ることもできます。まあ、彼がどこまで恩義を感じるかは別問題ですが……」
「だが、そう簡単に逮捕できるだろうか?」
ジノーファは首を捻った。拘束自体は、やろうと思えばできるだろう。何と言っても、守備隊はクワルドの指揮下にあるのだ。だが当然、太守にも支持者がいる。正当な理由がなければ、彼らが納得しないだろう。
独立を企んでいるのだから、今更正当な理由に拘る必要はないかもしれない。だが建国の少なくとも初期は、なるべく混乱を避けて穏便に事を進めたい。ジノーファはそう考えていた。
血を流したいわけではない。少なければいいとは思っているが、独立を計画した時点で流血は避けられないと覚悟を決めている。ただ騒ぎを無用に大きくして、ガーレルラーン二世に対し隙を見せたくないのだ。だがクワルドは莞爾と笑ってこう答えた。
「ご安心ください。不正の証拠はすでに押さえてあります」
要するに、ムスタファーは太守の地位を利用して、私腹を肥やしていたのだ。そしてクワルドは、その証拠をすでに押さえているという。これで正当な理由を掲げて守備隊を動かし、太守を逮捕することができる。
というのも、このように太守を監視し、必要とあらば拘束することもまた、守備隊長の職責なのだ。だからこそ、守備隊長は国王によってのみ任命・あるいは罷免され、太守にはその権限がないのである。
「随分と溜め込んでいるようですからな。逮捕した後は、没収してしまえばよろしいでしょう」
少し悪い笑みを浮かべながら、クワルドはそう話した。つまりムスタファーが不正によって溜め込んだ富を、そのまま分捕ってイスパルタ王国建国のために使おうというのだ。なかなか悪辣な考えだが、それは今更だろう。
それよりもジノーファには気になることがあった。先ほどクワルドはムスタファーについて「有能だが、その能力を自分のために使う人間だ」と評した。それは彼が不正を犯していることを知っていたからだろう。だがこのタイミングで彼の不正が発覚するとは、あまりにも出来すぎてはいないだろうか。それで、ジノーファはこう尋ねた。
「クワルド、ムスタファーの不正を把握したのはいつだ?」
「およそ二年前です」
ぬけぬけと、クワルドはそう答えた。その態度に、ジノーファは思わず苦笑する。そしてさらにこう尋ねた。
「どうして今まで放っておいたんだ?」
「ムスタファーは確かに不正を行っていましたが、しかしそのためにマルマリズの民衆が窮乏するということはありませんでした。こう言っては何ですが、どこの太守や代官も、多かれ少なかれ不正を行っています。彼だけが特別に悪い、というわけではありません。
仮に彼を告発して排除したとして、彼の後任が彼ほどに有能で節度を弁えているとは限りません。無能で、私腹を肥やすことにしか興味のない太守が赴任してくれば、マルマリズは一体どうなりましょうや」
「だからムスタファーのことを大目に見ていた、と?」
「はい、と申し上げたいところですが、実のところこれは建前ですなぁ」
そう言って、クワルドはいっそ晴れやかに笑った。そして隠し続けた内心を吐露するかのように、さらにこう続けた。
「正直に言えば、ガーレルラーン二世のために、そこまで働く気になれなかったのですよ。それに太守とは、言ってみれば相互不可侵の関係でいたほうが、私にとっても都合が良かった」
「都合が良かった、とは? クワルドがそこまで守備隊長の職に固執しているようには見えないが」
「いいえ、固執しておりましたよ。少なくともジノーファ様がロストク帝国におられる限りは、この職に留まりたかった」
クワルドの話を聞いて、ジノーファは思わず目を見開く。それは彼が今まで誰にも言ったことのない、彼の本心だった。マルマリズの守備隊長は、東域で大きな影響力を持つ。その力でいつかジノーファを助けるためにも、その職に留まり続けることを望んでいた。
ガーレルラーン二世は、ジノーファがダンダリオン一世に殺されるものと思っていたのだろう。少なくとも彼が聖痕持ちで、ロストク帝国で厚遇されるなどとは夢にも思わなかったはずだ。
だからこそ、ガーレルラーン二世はクワルドを東へ飛ばしたのだ。ジノーファを酷に扱ったダンダリオン一世とロストク帝国を、彼は決して許すまい。帝国が武力侵攻してくる際には、仇討ちのため大いに戦ってくれるだろう。それを期待していたのだ。
しかし蓋を開けてみれば、ジノーファはロストク帝国で一定の身分と生活基盤を与えられた。客観的に見て厚遇と言うほどでなかったが、ガーレルラーン二世としてはアテが外れた格好だ。
クワルドがジノーファのことを知ったのは、マルマリズに赴任してからのことである。ガーレルラーン二世が知ったのも、おおよそ同じタイミングであろう。そしてその時、二人はまったく同じ可能性について考えた。
つまり、ジノーファがロストク軍と共にアンタルヤ王国へ攻め込んでくる、という可能性だ。その時クワルドが東にいるのは、彼にとっては都合が良いが、ガーレルラーン二世にとっては都合が悪く思えた。
ガーレルラーン二世は、マルマリズの守備隊長を代えたいと思ったことだろう。そしてクワルドも、彼がそう思っている違いないと考えた。
ただ、いかにガーレルラーン二世が守備隊長の任命と罷免の権限を持っているとはいえ、赴任したばかりのクワルドをすぐさま罷免するのは難しい。それで彼はその職を守るため、守備隊長として隙を見せぬよう振舞い始めた。
その一つが、東域に跋扈していた盗賊団の討伐である。前任者は表向き、これを怠ったために罷免された。クワルドが討伐に手こずるようなことがあれば、ガーレルラーン二世はこれ幸いと彼を罷免するだろう。
詳細は省くが、クワルドは盗賊団を鮮やかに討伐した。そしてその後も、彼は守備隊長の職責を忠実かつ誠実に果たした。そのようにすることはクワルドの気質からしてごく自然なことではあったが、彼の高潔さだけがその理由ではなかった。彼はそうすることによって、ガーレルラーン二世に付け入る隙を与えなかったのである。
そうこうしている内に、魔の森の活性化が起こった。この時から現在に至るまで、クワルドは防衛線に守備隊から援軍を出せるよう、ガーレルラーン二世に何度も上申書を送っている。
これは無論、第一に防衛線を決壊させないための措置だったが、それだけが理由ではなかった。要するにクワルドは、守備隊長の職に留まるために、東域の貴族たち、特にネヴィーシェル辺境伯ダーマードとその派閥を味方につけようとしたのである。
クワルドの動きは、当時のダーマードにとって心強いものだったに違いない。一方で援軍を容認しないガーレルラーン二世には、反感を募らせていただろう。それでダーマードはクワルド罷免の動きが出ると、声を上げて彼を擁護した。
『守備隊長に一体どんな瑕疵があるというので、彼を罷免するというのか! 彼は実に良くやっているではないか。盗賊団討伐の手腕も見事であった。彼を罷免することは、東域全体の損失につながり、断じて容認できない!』
普通、大貴族が守備隊長をこのように公然と庇えば、二人の間には不適切な繋がりがあるものと推測される。しかしこの場合に限って言えば、ガーレルラーン二世を含め、そのような邪推をする者はいなかった。庇う理由があまりにも明白だったからだ。
こうなると、言いがかりをつけてクワルドを罷免するのは難しい。もしかしたらガーレルラーン二世が頑なに援軍の許可を出さないのは、この件に対する意趣返しなのかもしれないが、それはそれとして。
クワルドにとって幸運だったのは、ガーレルラーン二世の抱く懸念が、それほど大きくなかったことだ。ジノーファは数年経っても相変わらず、公職に就くわけでもない。飼い殺しにされているとしか思えず、彼は徐々にジノーファへの注意を欠くようになった。そして同時に、クワルドへの懸念も徐々に小さくなっていったのである。
ただ、クワルドにはガーレルラーン二世のほかに、もう一人注意すべき人物がいた。それがマルマリズの太守、ムスタファーである。ムスタファーがもしクワルドを貶めるような報告を王都へ送れば、ガーレルラーン二世はこれ幸いと彼を罷免するだろう。それは避けなければならない。
「太守が不正を働いていることは、早い段階で勘付きました」
この時点で、クワルドはムスタファーと昵懇の仲になることを論外とした。その代わり、彼にとって都合のいい守備隊長を演じることにしたのである。つまり太守とは必要最低限の関わりに止め、お互いの領分には不干渉という立場を取ったのだ。
これにより、ムスタファーはクワルドを警戒しなくなった。加えて邪魔に思うこともなくなったのである。むしろ彼が罷免されれば、代わりにより正義感溢れる者が赴任してくるかもしれない。そうなればムスタファーとしては、煩わしいことこの上ない。それなら干渉してこないクワルドのほうが何倍もマシ、というわけだ。
ただし実際には、クワルドは不正の調査を秘密裏に進めていた。だが証拠が揃っても、彼はそれをすぐさま太守に突きつけることはしなかった。まだその時ではなかったからである。いずれ来るはずのその時に、太守を合法的に逮捕できるよう、彼はその手札を温存した。そしてついに、その時が訪れたのである。
「クワルド、卿は……」
「この日が来ることをどれだけ夢見たことか、分かりませぬ」
クワルドは静かにそう語った。彼は自分の器を弁えている。彼は王の器ではない。どこまでいっても彼は将なのだ。そして彼は忠誠を捧げる相手として、ジノーファを選んだのである。共に戦った、あの時に。
クワルドのその想いを、ジノーファは当然これまで知る由もなかった。想像していた以上の忠誠を目の当りにして、彼は珍しく言葉に詰まる。そんな彼に、クワルドはふっと微笑みこう言った。
「少し、話が逸れましたな。それで、太守の逮捕についてですが……」
クワルドは何事もなかったかのように話を元に戻した。太守をどのように逮捕するのか、あらかじめ用意しておいた計画についてジノーファに説明し、その上で今の情勢に合わせて修正を加えていく。
その中で、太守の逮捕と同時にその家族も拘束することになった。ただしこちらは自宅軟禁に留める。さらにまた、不正に関わった役人も逮捕する。逮捕するべき人間は多かったが、すでにリストが作成されていたので、準備にあまり時間は取らないだろうという見立てだった。
そして太守を逮捕して地下牢に放り込んだ後は、クワルドが太守の代理となる。これは国法によって定められた手順だ。国法には同時に、太守を逮捕した場合はすぐさま王宮へ通報することを定めた規定があるのだが、こちらについては無視して通報は行わない。
「余罪を追及するため、と言っておけば不審に思う者はいないでしょう。数ヶ月は時間が稼げます」
クワルドはそう言って、少々腹黒く笑った。そうやって時間を稼いでいる間に太守府を掌握し、しかる後に独立と建国の宣言を行うのだ。そしてマルマリズはイスパルタ王国の王都になる。
大まかなスケジュールとしてはこれ以外にないのだが、しかし問題もあった。建国の誓詞に血判を押した、ダーマードら東域の貴族たちである。彼らにとってこの動きは寝耳に水であるに違いない。反発か、そうでなくとも困惑が予想された。
「少なくとも、喜ぶ者はいないでしょうな。……ジノーファ様、どうされますか?」
「そうだな。だが、わたしはあえて彼らを試したいと思う」
「試す、とおっしゃいますと、具体的にはどのように?」
ジノーファが提案したのは、マルマリズで行う独立と建国の宣言に、それらの貴族たちを招くというものだった。彼らは国の誓詞に血判を押している。彼らを招待するのは当然だ。ジノーファとしても彼らが来てくれなければ新王国の権威が揺らぐし、貴族たちもその重要な場に参列できなければ面子が丸つぶれだ。
ただ、貴族たちにしてみれば、建国の主導権をジノーファとクワルドに握られるに等しい。発起人は自分たちだという意識は当然あるだろうし、面白くはあるまい。またマルマリズと言えば天領。全てが罠である可能性もある。そういう事情を考慮すれば、貴族たちは行くべきか行かざるべきか、葛藤するだろう。
「来るでしょうかな……?」
「対応は分かれるんじゃないかな」
「来なかった者たちは、どうされますか?」
「どうもしないさ。ただ、気にする者はいるだろうね」
ジノーファはそう答えた。マルマリズ以外にイスパルタ王国の王都として相応しい都市はない。であればここで独立と建国の宣言をするのは当然だし、そこに貴族たちを招くのも当然である。
その道理は、貴族たちにも分かるだろう。その上で来るか来ないかは、彼らの判断だ。ジノーファたちはそれを見てまた判断を下せばいい。だからこそ、これは「試し」なのだ。
その後も話し合いは続いた。そして話し合いの最後に、ジノーファはクワルドにこう尋ねた。
「クワルド。わたしは卿の思うような王にはなれないかもしれない。それでも、わたしを支えてくれるだろうか?」
「何をおっしゃいますか。ジノーファ様は祖国を見捨てず、こうして危険を冒してまで戻って来てくださった。私にとってはそれで十分なのです。後はジノーファ様の一助となること。それだけが私の望みでございます」
「クワルド……」
「無論、必要とあらば諫言はいたします。ジノーファ様なら聞いてくださると信じておりますゆえ。ですがそれに拘る必要などないのです。ジノーファ様は思うがままに采配を振るわれればよろしい。それが民のため、国のためになると信じております」
「……わたしに、そこまでの才覚があるだろうか?」
「ございますとも。今それを確信いたしました。何も知らぬ愚者は自らを隠れた賢者と思い込むものですが、真の賢者とは高みを知るゆえに自制するもの。ジノーファ様はまことに賢者であらせられる」
そう言ってクワルドは莞爾と微笑んだ。それを見てジノーファは少し困ったような顔をする。クワルドが言うほどに、彼は自分を信じられない。
だがしかし。やるしかないのだ。それだけは分かっていた。
ユスフ「楽しそうだなぁ、父上」




