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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
道化と冠 前編

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起死回生の策


 ネヴィーシェル辺境伯ダーマードによる、ファリク第二王子擁立の企みは失敗した。


 ユリーシャに屋敷から叩き出された後も、ダーマードはファリクの擁立を諦めてはいなかった。しかし先触れを立てて協議を申し込んでも拒絶される。ならばと思い再び強引に押しかけると、ヘリアナ侯爵家の屋敷は何と近衛兵によって警備されており、ダーマードは立ち入ることすらできなかった。


 近衛兵を手配したのは、恐らくユリーシャだろう。ガーレルラーン二世かメルテム王妃に掛け合い、王宮の警備に当っている近衛兵の一部を回してもらったに違いない。元王女であるがゆえの力技だ。ただそれ以前のこととして、ここまで強硬に抵抗されるとは、ダーマードも思っていなかった。


「ぬうぅ……!」


 ダーマードは忌々しげに唸った。しかしまさか、兵を率いて押し入るわけにもいかぬ。そんなことをすれば、たちまち逆賊の汚名を着せられる。歯噛みしつつも、彼はファリクの擁立を諦めるよりほかなかった。


 ファリクの擁立に失敗すると、ダーマードは王都クルシェヒルに長居するのを避け、すぐさま領地へ引き返した。取り巻きの貴族たちもそれに従うが、彼らがダーマードを見る眼は冷ややかだ。


(何か、何か手はないものか……っ?)


 帰りの道中、ダーマードは馬車の中でそれを考え続けた。ファリク王子擁立の失敗は痛い。まず取り巻きの反応から分かるように、彼自身の求心力が低下してしまった。さらに派閥の結束力にも悪影響が出るのは避けられない。


 ただ、魔の森の問題もあるから、すぐさま離反者が出るということはないだろう。エルビスタン公爵がこの機に乗じて引抜を図る可能性はあるが、防衛線支援の負担が以前のレベルに戻ることを考えれば、それはそれで二の足を踏むはずだ。つまり派閥の維持それ自体は、当面問題ないと思っていい。


 ただすでに、話は派閥の維持などというレベルでは済まなくなっている。今回の一件はそもそも、ロストク帝国との交易を拡大し、それを持って武力侵攻を回避。アンタルヤ貴族としての自主自立を保つ、というのが目的だったのだ。


 それがファリク王子の擁立という一歩目で躓いてしまった。調略に乗じて自主的に降るか、それとも武力で征服されるか。どちらにしてもこのままでは、アンタルヤ王国の東域はロストク帝国にのまれるだろう。


 しかもロストク帝国にも擁立の失敗は知られるだろうから、さらに足元を見られてしまう可能性が高い。当然、これまでのような権利や権益を保持することはできなくなるだろう。所領の安堵さえ、怪しいかもしれない。


「ぬう……」


 ダーマードは唸って眉間のシワを深めた。予想は悪い方にばかり転がる。悲観的になっている自覚はあったが、しかしその一方でプラス材料がないのもまた事実だ。


 今回の一件で、最大派閥との対立は決定的になった。ファリク王子擁立の企みは、イスファードやカルカヴァンにとって宣戦布告にも等しい。よほど劇的に状況が変化しない限り、歩み寄ることは不可能だろう。膝を屈して和を請えばその限りではないだろうが、それはダーマードのプライドが許さない。


 またそれ以外の貴族たちも、ダーマードらとは距離を置くだろう。彼らとて、派閥間抗争に巻き込まれたくはあるまい。加えて恐らくだが、今回のことでメルテム王妃も敵に回した。彼女が動けば、ダーマードらと関わろうとする貴族はさらに減るだろう。


 派閥内では結束と首魁としての求心力にダメージがあり、国内では孤立が強まり、国外に目を向ければ相対的にロストク帝国の脅威が増した。現状で最もましな選択肢は、さっさと帝国に寝返ることだろうか。随分とひどい状況である。


(それにしても、こうなると……)


 こうなると、東域としても辺境伯領としても、密貿易が最後の命綱だ。ただ、密貿易ではやはり規模が小さい。ダーマードらが生き残るためには、もっと大規模な交易を行って経済力を身に付ける必要がある。


 ただ、東域にも優良な貿易港はあるものの、そこは天領なのでダーマードらには手が出せない。今回の一件でむしろ締め出される可能性すらある。そうなると自分たちで交易相手を開拓するほかなく、そして相手となりそうなのはロストク帝国だけだ。


 改めて言うが、まことにひどい状況である。もともとはアンタルヤ貴族としての自主自立を守るために、ロストク帝国との交易を拡大し、武力侵攻を回避しようと考えていた。しかし今や自分たちが生き残るために交易を拡大せねばならず、そのためには帝国へ寝返るより他に方法はない。自主自立を保つのは、もはや絶望的だ。


(何か……)


 何か、手はないものだろうか。焦燥を抱えつつ、ダーマードは頭を捻る。すぐに思いつくのは密貿易の拡大だろうか。彼の手元にも収納魔法の使い手はいる。彼らに協力させれば、密貿易でやり取りする物資の量は増やせるだろう。


 ただ、問題もある。最大の問題は、辺境伯領に出入りする物資の量がこれ以上増えると、さすがに不審に思われかねないことだ。本格的に探られて密貿易が露見すれば、ダーマードは破滅だ。


 また、ロストク帝国側にもやり取りする物資の量を増やしてもらう必要がある。それは弱みを見せることと同義だ。輸送の負担が増えることを嫌って断られる可能性もある。魔の森と帝国本土の間は船で往復しているが、それはあくまでも直轄軍の活動のためなのだから。


 加えて、ロストク帝国への依存度が上がることになる。その先に待っているのは、併合という未来だ。やはりアンタルヤ貴族としての自主自立は保てない。もっともそれ以前の問題として、まずは生き残らなければならないのだが。


(ぬぅ……)


 顔を険しくし、ダーマードは胸中で唸り声を上げた。他に手はないものかと、彼はさらに頭を捻る。そして、密貿易のことを考えていたからなのか、そこから連想してジノーファのことを思い出し、さらに以前彼が語ったことを思い出した。


 あれはそう、ファリク擁立の腹案を話したときのことだ。ダーマードが「ジノーファならどうするのか」と尋ねたとき、彼はこう応えた。


『東域丸ごと独立する、というのはどうでしょう? そしてロストク帝国と同盟を結ぶのです』と。


 それを思い出したとき、ダーマードは死中にあって光明を見出した気がした。独立してしまえば、国境の管理うんぬんを気にする必要はない。堂々とロストク帝国との間で自由な交易を行うことができる。


 さらにロストク帝国と同盟を結べば、武力侵攻を回避することができる。それどころか交易という実益があれば、帝国は心強い後ろ盾になってくれるに違いない。貴族として現在の権益を守り、自主自立を保つことができるだろう。


 無論、独立すればアンタルヤ王国との対立、というか戦争は避けられないだろう。ただ、これはもう今さらだ。ロストク帝国の武力侵攻を受けそうで、しかも味方の支援が期待できない現状と比べれば、例えアンタルヤ王国と戦うことになろうとも、帝国の援軍を期待できる分かなりマシである。


 考えれば考えるほど、独立という選択肢が現実味を帯びてくる。現在の窮状を打破する、ほとんど唯一の選択肢と言っていいだろう。ただ独立に伴って問題が幾つかあることもまた、認めなければならない。


 まず問題になるのは、東域にある天領だ。天領は国王の直轄地だから、独立に賛同することはほぼないと思っていい。当然放置しておくことはできないから、独立を宣言した場合、速やかに攻め落とさなければならない。


 もっとも、攻め落とした天領は分配することになるのだから、独立に伴う旨みの一つともいえるだろう。攻撃もほぼ奇襲になるだろうから、成功率は高いと思っていい。独立したとして、少なくとも東域の統一まではスムーズに行くはずだ。


 だから天領の存在はさほど大きな問題ではない。最大の問題は、一体誰を国王、あるいは盟主として仰ぐのか、ということだ。誰をトップに据えるかは、新たに生まれる独立国の結束に影響する。


 中途半端な人物を選べば、国が内部崩壊しかねない。誰もが納得する、求心力のある人物でなければならないのだ。また独立するならロストク帝国との同盟がどうしても必要になるから、それも考慮した人物を選ぶ必要がある。


(私では、無理だろうなぁ……)


 自虐的な笑みを浮かべつつ、ダーマードは胸中でそう呟いた。今回の一件で、彼の求心力は大きく低下してしまった。彼が国王に名乗りを上げたとして、それを支持する貴族は少ないだろう。


 あるいは盟主と言う形なら、賛同は得られるかもしれない。つまり国王はおかず、複数の貴族による連合国家という形態にするのだ。言ってみれば派閥をそのまま国家にしたような形である。そしてダーマードがその首魁、すなわち盟主となる。こういう形なら、少なくとも貴族からの反発は少ないだろう。


 ただしその場合、国家として一枚岩になるのは難しい。一部の貴族が勝手に他国と内通して離反する、と言う事態は大いにありうる。特にロストク帝国は調略をやめないだろう。彼らにしてみれば、貿易港を自分達の手に確保することができれば、それが最善なのだから。


(やはり……)


 やはり盟主ではなく、強権を持つ国王という存在が望ましい。ダーマードはそう思った。特に建国の騒乱期を乗り越えるには、一種のカリスマが必要だ。それを考えると、やはり求心力を失ったダーマードには難しい。


 他にも、全国の国民からも支持を得られる人物でなければならない。独立戦争が不可避である以上、国民の支援がなければ戦えないからだ。また国を支える血税を支払うのは彼らだ。納得して税を払ってもらわなければ、いずれ叛乱が起きるだろう。


 そうなると、知名度が必要になる。誰もが知っている必要はないが、領地をまたいで名声を誇る人物でなければならない。そしてこれらの条件に合致する人物となると、ダーマードは一人しか思いつかなかった。


(ジノーファ様しかおるまい……!)


 そう、ジノーファである。彼ならほぼ全ての条件を満たすことができる。何より彼なら、ロストク帝国との同盟を確実なものにできるだろう。これだけでも彼を国王に推すだけの意味がある。


 またジノーファはそもそも、アンタルヤ王国の王太子として教育を受けていた。国内事情にもある程度通じている。ダーマードらにとっても全く知らない人物ではなく、それゆえ比較的受け入れやすい。


(それに……)


 それに、東域の貴族のなかでジノーファと最も親しいのは、他ならぬダーマードだ。独立後、ジノーファは必然的に彼を頼りとすることになるだろう。そうなれば、国内における彼の求心力も自然と高まっていくに違いない。


 いや、ダーマードもジノーファを傀儡にしようと思っているわけではない。今の彼にそこまでの力はないだろう。ただジノーファには恩がある。受けた恩は返さねばならない。その結果として、あるいは過程の中で、ダーマードが重用されるのであれば、それは役得というものだ。


(他の者たちにも、話をしてみるか……)


 逡巡の末、ダーマードは腹をくくった。本来であれば、もっと慎重にことを進めたいところだ。そうすればあくまでも彼が主導権を握ることができる。


 しかし今時間を置けば、派閥の他の貴族たちがどう動くか分からない。結託して何かしらの要求を突きつけてくるかも知れず、ここは先手を取る必要がある。また求心力が低下した状態で、物事を独断で決めるのは危険だ。反発を招く恐れがあり、周囲との協調姿勢を見せたほうがいいだろう。


 ダーマードはそう考えて一人頷いた。そしてその日の夜、彼は宿舎の自分の部屋に、一緒に王都へ行った貴族たちを集めた。彼らは招集には応じてくれたものの、不満や不審感を抱いていることがありありと分かる。とげとげしい雰囲気で、友好的な態度とはいい難い。


 その針の筵のような空気の中、ダーマードはまず自らの不手際により、ファリク王子の擁立に失敗したことを詫びた。そして現在の自分達がおかれた厳しい状況について説明する。芳しくない、というよりは絶望的な見通しを聞かされ、取り巻きの貴族たちはいよいよ苛立ちを露わにした。


「どうしてだ! どうしてこんなことになった!?」


「だから言ったではないか! エルビスタン公爵や王太子殿下をいたずらに刺激する必要はない、と!」


「そもそも、あの稚拙な行動はなんだ!? あれでは成功するはずもないし、成功したとして、我々は誘拐犯にされてしまうぞ!」


「ダーマード卿、この責任をどう取るおつもりだ!?」


 厳しい言葉が次々にダーマードへぶつけられる。中には彼を侮辱したり、人格を否定したりするような言葉さえあった。しかしダーマードは反論せず、ただ黙ってそれを受け止める。そんな彼の態度を見てどう思ったのか、ついに誰かがこう叫んだ。


「あなたも何か言ったらどうだ、ダーマード卿!」


 突き刺すような視線が彼に集中する。部屋の中は静まり返ったが、しかし剣呑な圧力は増すばかりだ。そんな絞め殺されそうな空気の中、ダーマードはゆっくりと口を開いた。


「……まず、ファリク王子の擁立に失敗したことについて、今一度方々に謝罪したい。全ては私の不徳のいたすところ。まことに申し訳なかった。


 その上で、どの口が言うのかと申されるだろうが、それでも我々は厳しい現実を直視しなければならない。そしてこの状況を打破するために、一つの腹案を用意した。いや、まだ案と呼べるようなものではないが、ともかく聞くだけ聞いてもらいたい」


 ダーマードがそう言うとざわめきが起こった。口汚い罵声や「信用できない!」といった言葉が飛び交う。それでも中には比較的冷静な者たちもいて、そういう者たちが興奮した者を宥め、「とりあえず聞いてみよう」ということになる。そして静かになったのを見計らって、ダーマードはこう口を開いた。


「私は、独立するのはどうだろうか、と考えている」


 彼がそう言うと、まず沈黙と戸惑いがその場に広がった。ダーマードの話を聞いた貴族たちは、皆一様に困惑の表情を浮かべている。やがて、その内の一人が恐るおそるといったふうにこう尋ねた。


「……すまないが、ダーマード卿の言う『独立』とは、いかなる意味だろうか?」


「そのままの意味だ。つまりアンタルヤ王国から独立し、我々の国を新たに建てる、と言う意味だ」


 それからダーマードはこの案について、あらかじめまとめておいた自らの考えを述べた。メリットとデメリットを説明し、これこそが現状を打破する唯一の方策であると強調する。ただ独立となるとさすがに気後れするのか、貴族たちの反応は芳しくない。そこでダーマードはこう畳み掛けた。


「守ってくれるかも分からぬ国に、搾取するだけの国に、これ以上忠義を尽くす義理はあるのか。むしろ我らこそが身を挺して国を守っているのではないか。ならばそれに見合った権利を主張してもよいはずだ!」


 そう力説するダーマードに、他の者たちは少々圧倒された様子だ。そんな中で、一人の貴族がこう発言した。


「……一つ、ダーマード卿に聞きたい。仮に独立したとして、誰を王座に仰ぐおつもりか? まさか卿自らがその座につくことを考えているのではあるまいな」


「無論、そのような事は考えていない」


「では、一体誰を王として仰ぐつもりだ?」


「我らの新国家の王として最も相応しいと私が考える方、それは……」


 ダーマードは一旦そこで言葉を切った。そして十分に注目を集めてからこう続ける。


「それはジノーファ様である」


「ジノーファ様、だと……?」


「民衆の間で名声があるのは、事実だが……」


 ダーマードがそう告げると、またざわめきが広がった。取り巻きたちの困惑を無視して、彼はさらに説明を続ける。その中で、彼はロストク帝国と密貿易を行っていることや、その縁でジノーファとも誼があることを明かす。


 これは一種の賭けだった。密告の恐れがあることは、無論ダーマードも承知している。だがここで腹を割って話さねば、信頼を得ることはできない。そしてそういう話を聞いているうちに、やがて一人の貴族がこう言った。


「独立という、ダーマード卿の腹案。私はさらに煮詰めてみる価値があると思うが、皆はいかがか?」


 一拍置いてから、同意の声がまず一つ上がる。もう一拍置いてから、さらに一つ。ぽつりぽつりと同意の声が上がり、やがて最後の一人も首を縦に振る。それを見てダーマードは内心、安堵の息を吐いた。


 しかしすぐに、彼は頭を切り替える。残された時間は決して多くない。一刻も早く案をまとめるため、話し合いは明け方近くまで続いた。


ダーマード「これだ! これしかない!」

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