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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
道化と冠 前編

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ダーマードの企み


 ネヴィーシェル辺境伯領最北にある、魔の森から人の世を守護するための防衛線。ジノーファはその防衛線の中心である、指令所の城壁の上にいた。南側の城壁なので、そこからは辺境伯領の様子が良く見える。


 もちろん、ここから見える範囲など、辺境伯領のごく一部だ。けれども道が通っており、そこを行きかう人々がいて、遠くには街も見える。何気ない光景だが、それこそが貴いのだと、彼は最近特に思う。


「今日は人も少ないので、長閑なものでございましょう、ジノーファ様」


 ジノーファが城壁の上から景色を眺めていると、遅れてやってきたダーマードが彼にそう声をかけた。ダーマードが姿を現したことに驚きはない。ジノーファがここにいたのは、そもそも「話したいことがある」と彼に言われたからなのだ。


 ただ、ダーマードは彼のことを「ニルヴァ」とではなく「ジノーファ」と本名で呼んだ。ここでその名前を口にするのは少々不穏だ。彼のことだから、うっかりと言い間違えたわけではあるまい。意図的にその名前を使ったのだ。


 人払いがされていることは、ジノーファにも分かる。近くに警備の兵士は立っていないし、城壁の上には潜むような場所もない。だから盗み聞きの心配はしなくてもいいだろう。そうでなければ、ダーマードもその名前は使うまい。ただ、使ったことそれ自体に大きな意味があるのだが。


「ええ、本当に長閑です。ですからそこへ、剣呑な暗雲を立ち込めさせる必要はないと思われませんか、閣下?」


 苦笑を浮かべつつ、ジノーファはそう応えた。遠回しに「面倒な話は聞きたくない」と言ったのだが、そこはダーマードのほうが一枚上手だ。彼は一つ頷き、にこやかに微笑みつつも、はっきりとした口調でこう続けた。


「なるほど。確かに剣呑な暗雲ともなれば、できる限り遠ざけておきたいもの。ですが暗雲のほうから近づいてくることもありますれば、困ったことでございます」


「……その暗雲とはランヴィーア王国とイブライン協商国のことでしょうか?」


 ジノーファはあえて、遠くの騒乱のことを持ち出した。牽制であると同時に、「そうであればよいのに」という儚い願望の現われだ。しかしダーマードは少しも口調を変えることなくこう言葉を続けた。


「そちらの暗雲も気になりますな。ただ、いまだ雷雨がこちらへ届く気配はありませんので、しばらくは様子見でよいでしょう。ですがアンタルヤ王国全体を覆う暗雲ともなれば、ここも無関係ではありませぬ。となれば座してただ見ているだけ、というわけにはいかぬのです」


「王国全体、ですか。それほど大きな暗雲が立ち込めようとしている、と?」


「いいえ、すでに立ち込めていると言っていいでしょう。後はいつ雨が降り出し、雷鳴が響くのか。問題はすでにその段階です。……ロストク帝国との相互不可侵条約が、失効いたしましたゆえ」


 ダーマードはついに核心的な部分へ踏み込んだ。アンタルヤ王国とロストク帝国の間に五年間の相互不可侵条約が結ばれたのは、大統歴六三五年のこと。今年は六四〇年であり、条約は数ヶ月前に失効していた。


 相互不可侵条約が失効したからと言って、両国がただちに戦争状態に突入したわけではない。アンタルヤ王国は魔の森の対処に手一杯で、他国へ兵をやるほどの余裕はない。ロストク帝国も、援軍を出した同盟国の戦争の状況を睨みつつ、兵を動かすタイミングを計っている状況だ。


 ただ戦乱の気配と流血の予感は、間違いなく強くなっている。それを最も強く感じているのは、他でもないダーマードらアンタルヤ王国東域の貴族たちだった。それは、一度ロストク帝国が武力を持って侵攻してきた場合、そこが真っ先に戦場になるから、というだけの理由ではない。要するに帝国による調略の手が、より深く伸びるようになってきたのである。


「誤解しないでいただきたいのですが、決して恨み言を言いたいのではないのです」


 小さく手を振りながら、ダーマードはそう言った。むしろ彼はジノーファに感謝している。恩さえ感じているのだ。


 ジノーファがきっかけとなってロストク帝国の調略が始まったのは事実だろう。だがそもそも最初に彼と接触したのはダーマードの側。それに彼の助力がなければ、今ごろ辺境伯領は滅んでいたかもしれない。そこまではいかずとも、エルビスタン公爵に膝を折ることにはなっていただろう。


「今、我々が自立を保っているのは、ジノーファ様のおかげです。東域の貴族たちを代表し、御礼申し上げます」


「わたしのしたことなど小さなことです。皆さんの努力のたまものでしょう、閣下」


 優雅に一礼するダーマードに対し、ジノーファは少し困った様子を見せながらそう言った。するとダーマードは顔を上げ、穏やかに微笑みながらこう言った。


「なるほど、確かに我々も努力はしています。ですがそれは領主として当然のこと。ましていくら水を注ごうとも、種がなければ何も芽吹きませぬ。ジノーファ様はその種を我々にくださったのです」


 ダーマードがそう言っても、ジノーファはやはり少し困ったような笑みを浮かべるばかりだった。それを見て、ダーマードは言いたいことが半分も伝わっていないのだと悟る。懇々と説教してやりたい気持ちにもなるが、しかしそれが今日の本題ではない。彼は小さくため息を吐くと、気を取り直して話をもとに戻した。


「……まあ、良いでしょう。それでロストク帝国のことですが、彼らは今、このアンタルヤ王国の東域に手を伸ばしています。彼らが強行的な手段に訴えるのであれば、我々も反発したことでしょう。ですが現実には恩恵にあずかっている。むしろ今、帝国の支えを失えば、我々としても苦しいことになるでしょう」


 一方で国内の最大派閥とは対立が先鋭化しており、さらにガーレルラーン二世からは半ば見捨てられた状態だ。こうなるとダーマードをはじめ東域の貴族たちがロストク帝国に心を惹かれるのも無理はない。誰だって敵視されれば気分は悪いし、何もしてくれない国のために働く義理はないのだ。


「多くの者たちは、すでに国を見限っております。ですがその一方で、ロストク帝国に降ることも躊躇している。その理由は、ジノーファ様もお分かりでしょう」


「アンタルヤ貴族の気風、ですか」


「まさしく」


 ダーマードはそう言って一つ頷いた。アンタルヤ王国では貴族の権限が強い、と言う話は以前にもした。そしてそのことに自負と誇りを持っている者たちも多い。


 ロストク帝国へ降っても、所領は安堵してもらえるだろう。しかしその後は、帝国の貴族としてルールに従わなければならない。そしてロストク帝国の貴族は、アンタルヤ王国の貴族と比べ、国内での権限が弱い。


 特に兵権は大きく制限されることになるだろう。帝国の皇帝直轄軍とは、ある意味でそのためのものなのだから。そして兵権を制限されれば国内での、特に皇帝に対する発言力は低下する。アンタルヤ貴族の気風からして、それはあまり面白くない。


「ですが気風うんぬんと、そのような事を言っている場合ではないのではありませんか?」


 ジノーファは少し不思議そうにそう尋ねた。仮に降らなかった場合、東域の貴族たちはロストク帝国と戦うことになる。そのときに他の有力者、つまりエルビスタン公爵やガーレルラーン二世が助けてくれるかは未知数だ。


 前者の助けは、ほぼ期待できないと言っていい。カルカヴァンとイスファードは「魔の森への対処」を理由に兵を出さないだろう。それくらい派閥間の対立は深まっている。東域がロストク軍に蹂躙されたとして、彼らはそのことに痛痒を感じたりはしないだろう。むしろせせら笑うことすらするかもしれない。


 そして後者だが、こちらは期待はできるものの確実とはいい難い。ガーレルラーン二世とて国を荒らされればいい気はしないだろう。国土を奪われれば、その分税収は減るのだから。


 また東域には天領や貿易港もある。これを奪われればガーレルラーン自身の力が損なわれるので、援軍を率いてきてくれる可能性は十分にある。ただ、これまで散々捨て置かれたことを考えると、助力に確信を持てないのが実際のところだ。援軍は出すとしても、それは東域の貴族たちが十分に弱ってから、と言う可能性もあるのだ。


 そして助力を得られず、東域の戦力のみで戦った場合、ロストク軍に抗することは難しい。加えて一度刃を交えれば、ダンダリオンは東域の貴族たちを滅ぼすに違いない。抵抗する地元の有力者など、新たな支配者にとっては邪魔でしかないのだから。


 命までは取らなかったとしても所領と財産は没収されるだろう。早期に降服すれば貴族として遇してもらえるかもしれないが、それでも力は大幅に削がれる。それならば最初から寝返っておいた方が利口だ。


 このように、ロストク帝国に降らなかった場合、ダーマードら東域の貴族たちの未来は決して明るいものではない。発言力だの影響力だの言う前に、まずは彼ら自身が生き残るため、侵攻が始まる前に帝国へ降るべきではないだろうか。立場の問題もあるのだろうが、ジノーファとしてはそう思えてならない。


「ジノーファ様の仰ることはごもっともです。ただ我々としては、ぜひ第三の道を選びたいと思っているのですよ」


「第三の道、ですか?」


 自信を滲ませ微笑むダーマードに、ジノーファはそう聞き返した。第一の道とはつまり、あくまでもアンタルヤ王国の貴族として振舞うということ。そして第二の道とは、ロストク帝国に与する道。


 第三の道とはそれ以外の選択肢のことなのだろうが、この現状で他に取りうる選択肢があるようには思えない。しかしダーマードはあくまでも自信の滲む態度を保ち、そして厳かな口調で自身の腹案をジノーファに披露した。


「我々は、ファリク王子の擁立を検討しています」


「…………!?」


 一瞬、ジノーファはダーマードが何といったのか分からなかった。それくらい、ダーマードの腹案は意外なものだったのだ。


 ファリク王子とは、ガーレルラーン二世が侍女に産ませた庶子である。第二王子ではあるが、後ろ盾がないので王子としての力はない。それで今は腹違いの姉であるユリーシャが引取り、彼女が嫁いだ先であるヘリアナ侯爵家で養育されていた。王家の血をひいてはいるものの、現時点ではほとんど王子として扱われていないと言っていい。


 そのファリクを、ダーマードは擁立するという。彼の言う擁立とはつまり、派閥の旗頭とする、という意味だろう。エルビスタン公爵がイスファードを担いでいるように、その対抗馬としてファリクを担ごうというのだ。


「……それでロストク帝国の侵攻を防ぎ、アンタルヤ貴族の自主自立を保てるとお考えなのですか?」


 ジノーファは少々懐疑的にそう尋ねた。ファリクを擁立できたとして、それは所詮アンタルヤ王国国内でのこと。ロストク帝国がそれをどれほど重大に捉えるかは疑問だ。しかしダーマードは相変わらず自信を見せながらこう答えた。


「もちろんです。ファリク王子が力を持たれれば、アンタルヤ王国とロストク帝国の間で、より自由で大規模な交易が行われるようになりましょう。さすれば、帝国も兵を出してまで貿易港を確保する必要はなくなるはずです」


 それを聞き、ジノーファは「なるほど」と思った。要するに、両国間でより自由で大規模な交易を行えるようにする事こそが、ダーマードの腹案なのだ。加えてそれが叶えば、東域はさらに潤うことになる。


 ただアンタルヤ王国において、国境の管理は国の専権事項。有力貴族とはいえ、ダーマードには手が出せない。そこで王子であるファリクを擁立し、彼を介してその分野に手を伸ばす、というのが彼ダーマードの思惑であるらしい。


「ダンダリオン陛下には、ファリク王子をご支援いただけるよう、お願い申し上げるつもりです。つきましてはジノーファ様、その書状を陛下にお取次ぎ願いたい。そしてその際には、ぜひお口添えいただければ……」


「……分かりました、やりましょう。ですがその程度のことなら、ニルヴァに頼んでも良かったのではありませんか?」


「いやいや、そのようなことは……。ですがまあ、ファリク王子が力をお持ちになられれば、ジノーファ様が王国へお戻りになられることも、あるいは叶うかも知れませんなぁ」


 ダーマードはそう、少々もったいぶった言い方をした。それはつまり、ファリクへの支持を広めるためにジノーファの名前を使いたいということなのか、もしくは祖国へ戻った後は協力して欲しい、ということなのか。


聖痕(スティグマ)持ちが味方につけば、多少の箔付けにはなるかもしれないけど……)


 それ以上の意味はないだろう。ジノーファはそう思う。あるいはもっと別の思惑があるのかもしれないが、いずれにしても実効性があるようには思えなかった。


「それでジノーファ様。此度の策、いかが思いますかな?」


 ジノーファが考え込んでいると、ダーマードが彼にそう尋ねた。彼はそれ以上考えるのをやめて、逆にこう尋ねる。


「自信がないのですか?」


「いえ、自信はございます。ですがジノーファ様のご意見も、お伺いしたいと思いましてな」


 耳の痛いお言葉でも構いませんぞ、とダーマードは言った。彼の余裕のある態度を見て、ジノーファは小さく苦笑する。そしてこう言った。


「では正直に言いますが、あまりうまくいかないかと思います。とはいえ、ただの勘ですので、あまりお気になさらず……」


「ほほう。では、どうすれば良いと思われますかな?」


 ダーマードは続けてそう尋ねた。彼の眼には面白がるような色がある。否定的なことを言われたにも関わらず、好奇心の方が上回っているようだ。そんな彼に、ジノーファはこう答えた。


「そうですね……。東域丸ごと独立する、というのはどうでしょう? そしてロストク帝国と同盟を結ぶのです。その際には無論、交易の拡大を約束することになるでしょう」


「それはそれは、豪儀な策でございますなぁ。ですが私の手には負えそうにありませぬ。身の丈にあった策を進めたいと思います」


 ダーマードは肩をすくめつつそう言った。芝居がかったその仕草に、ジノーファもつられるようにして小さく笑う。そしてふと疑問に思ったことをこう尋ねた。


「……それはそうと、ファリク王子を擁立するとして、具体的にはどうされるのですか?」


「まずは陛下からお許しをいただき、当家にて王子として相応しいご見識を身につけていただきたいと考えております」


 それはつまり、ファリクの身柄をヘリアナ侯爵家からネヴィーシェル辺境伯家へ移すという意味だ。確かに侯爵家は政には関わらない家だから、そこで養育されているファリクを擁立するのは難しい。まずはそこから引き離し手元に置く必要がある、というのは理解できる話だ。ただ、ジノーファとしては少々看過できない部分もある。


「ダーマード閣下」


「はい、何でしょう、か……?」


 ダーマードはジノーファに名前を呼ばれて振り返った。その瞬間、ジノーファは背中の聖痕(スティグマ)を発動させる。凄まじいプレッシャーを不意打ちで浴びせられ、ダーマードは頬を引き攣らせた。そして言葉を失った彼に、ジノーファはゆっくりとこう告げる。


「わたしを利用したいとお考えなら、どうぞ好きになさってください。わたしにできる事なら協力しましょう。……ですが姉上を傷つけるようなことがあれば、わたしは貴方を許さない」


 はっきりとそう宣言してから、ジノーファは聖痕(スティグマ)を止めた。そしてにっこりと微笑み、さらにこう告げる。


「頭の片すみにもでも、置いておいていただければ……」


「留意、いたしましょう」


 血の気の引いた顔で、ダーマードはやっとそれだけ応えた。ジノーファは微笑んだまま一つ頷く。それを見てダーマードは、ようやく息を吐いた。


(侮っていた、わけではないのだが……)


 凄みを見せられた、とでも言うべきか。ジノーファは確かに温厚で気のいい人物だ。しかしそれだけが彼の全てではない。それを垣間見た気がした。


(……ッ)


 そしてそこまで考え、ダーマードははたと気付く。ということは、聖痕(スティグマ)持ちであることもまた、彼の一面でしかないのだ。そう考えたとき、ジノーファが今まで思っていたよりもずっと大きな人間であるように、ダーマードには思えてくるのだった。


ユスフ「曰く、陰謀は企んでいるときが一番楽しい」

イゼル「誰の言葉ですか、それは」

ユスフ「オレの言葉」

イゼル「……(イラッ)」

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