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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
道化と冠 前編

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膠着した戦争


 ランヴィーア王国とイブライン協商国の戦争、後に十年戦争と呼ばれることになるこの戦争は、膠着状態に陥っていた。


 遠征軍はニオール地方を占領し、実効支配を強めている。ニオール地方は肥沃な穀倉地帯であり、ここを確保することで兵糧を確保し、補給線を安定的に維持することがその目的だった。


 一方のイブライン軍は、ニオール地方を囲むように展開していた。ただし、ニオール地方はランヴィーア王国と国境を接しており、そちらを封鎖することはできていない。それで半包囲というのが実際のところだ。


 これでは空いている北側から、援軍や補給部隊がいくらでも入ってこられる。遠征軍を干上がらせることは不可能だ。そもそもニオール地方を占領した彼らはそこで自給が可能である。それで半包囲の目的はいわゆる兵糧攻めではなく、被害の拡大を防ぐことだった。


 この時点で優勢だったのは、遠征軍であったろう。彼らはともかく、ニオール地方という橋頭堡を得た。イブライン協商国の国土に大きく食い込んだのだ。これによって彼らの補給線は安定を見せた。


 また兵糧を始めとする物資を現地調達することで、本国の戦費負担が軽くなっている。戦況の停滞は好ましくはなかったが、彼らを焦らせる要因とはならなかった。少なくとも、この時点ではまだ。


 では、一方のイブライン軍は劣勢であったと考えて良いのか。確かに彼らは守勢に立たされていた。敵の戦略目標を見誤り、緒戦で大敗し、国土を、それもニオール地方という食糧庫を失った。


 しかしながら、遠征軍をニオール地方に封じ込めることには成功している。イブライン軍は確かに劣勢ではあったが、「敵を封じ込め、その動きを掣肘する」という戦略目的を達成していた。一方の遠征軍はニオール地方を確保したものの、そこから次の行動へ移れずにいる。


 この状況下で、戦争の主導権は一体どちらの側にあったのか。この点について、ある歴史家が次のような言葉を残している。


「戦況上、遠征軍は優勢だったが、しかし心理的には守勢だった。何しろニオール地方に封じ込められ、半包囲された状況なのだから。一方のイブライン軍は劣勢ではあったものの、実のところ主導権は彼らが握っていた。しかし彼らはそれに気付かなかった」


 要するに、イブライン軍は攻勢に出るタイミングを逸した。このことに関する評議会の責任は大きい。ニオール地方を奪還するべく、軍部が立案した作戦を却下したのは彼らなのだから。


 その背景として、緒戦の大敗が評議会の議員たちに大きなプレッシャーを与えていたことは言うまでもない。また評議会では大商人たちが大きな力を持っている。この決戦に負ければ次はないのだ。敵の封じ込めはできているのだし、この局面で大きな博打を打つことを彼らは嫌がった。


 また、ニオール地方は確かに肥沃な穀倉地帯であり、イブライン協商国にとっても食糧庫と言える場所だったが、だからと言ってそこを失った結果、食糧事情が逼迫しているというわけではない。他の地域の収穫で食糧は自給できているし、いざとなれば国外から輸入することも可能だ。


 加えて、遠征軍の目標はあくまで貿易港の確保であるはず。決戦を挑んだとして、相手がそれに応じる保証はない。ニオール地方を放棄し、全軍を挙げて手薄になった沿岸地方へ雪崩れ込む。敵はそのようなシナリオを描いているかもしれないではないか。最初に遠征軍の戦略目標を見誤った苦い経験が、議員たちに決戦を躊躇わせていた。


「ニオール地方の封鎖を継続しつつ、今は十分な戦力が整うのを待つ」


 これが評議会の出した結論だった。彼らは持久戦を選択したのである。ニオール地方を奪われてなお、彼らは持久戦に分があると考えたのだ。


 その根拠となっていたのは、言うまでもなく彼らの富の源泉、すなわち貿易港だった。戦争中にも関わらず、いや戦争中だからこそ交易は盛んに行われている。商人たちは莫大な富を稼ぎ、その富を戦争につぎ込んで遠征軍と戦う道を選んだのだ。


 あくまでこの時点での話だが、評議会の下した結論が誤りであったとは言い切れない。少なくともその後数年の間、イブライン軍はニオール地方を封鎖し続け、被害の拡大を防ぐことには成功していたのだから。


 もっとも、だからこそ評議会で現状維持を望む一派が力を持ち続けた、とも言えるだろう。戦争中ずっと、評議会は紛糾し続けた。戦争が終わるその時まで、評議会は全会一致の団結した姿を見せることはなかったのである。


 一方の遠征軍だが、こちらも強攻策をとることはしなかった。「心理的に守勢」であったからなのかは分からないが、敵の防衛線を強行突破して支配領域を拡大するというようなことはしなかったのである。


 現実問題として、遠征軍は占領地統治のために人手と戦力を割く必要があった。さらにニオール地方の周囲に展開するイブライン軍を見張り、牽制する必要もある。遠征軍の総戦力は十二万を超えるが、それは一箇所に固まっているわけではなく、ニオール地方全体に散らばっているのだ。


 そのため遠征軍総司令官エリアスのもとに、強攻策に打って出るための十分な戦力があったとはいい難い。無理をすれば他から引き抜けないことはないものの、強攻策が失敗した場合、遠征軍全体が崩壊しかねない。


 イブライン軍もまたニオール地方を封鎖するだけで、彼らが決戦を挑んでくる気配はない。ならば優勢にあるというのに、強攻策を取る必要があるのかは微妙だ。それで自然とエリアスの戦略方針は堅実なもの、言い方を変えれば消極的なものになった。


「イブライン軍の大半は傭兵である。十万に届こうかと言う彼らを雇い続けるのは、協商国にとっても大きな負担であるに違いない。睨み合いを続ければ、遠からず彼らは瓦解する」


 エリアスはそう考えたのだ。「待っていれば勝てるのに、わざわざ動くのは愚か者のすることである」と彼は手紙に書いている。だが結果として彼の見立ては大きく外れた。何年待とうとも、敵の財政は破綻しなかった。イブライン協商国の財政規模は、ランヴィーア王国王太子の想定を大きく上回っていたのである。


 このように、傭兵を雇い続けることに関し、イブライン協商国はまったく息切れしなかった。ただし、その負担が彼らにとって軽微であったわけではない。実際、「十分な戦力を整える」はずであったのに、記録を見る限り封鎖を続けるイブライン軍の戦力はずっと横ばいだ。さらにまた傭兵を大量動員する余裕は、彼らにもなかったのである。


 あるいはそのための資金を貯めている最中であったのか。いずれにせよ、上記のような要因が重なったことで、戦況は膠着し長期戦の様相を呈した。ではこの間、ロストク軍はどうしていたのか。


 トゥールの監視と牽制はアルガム率いるランヴィーア軍三万に任せ、ロストク軍二万はニオール地方に入っていた。なお、この時点で先遣隊という単位は解体されている。無論、エリアスの命令によるものだ。


 ロストク軍はニオール地方でダンケルグという都市と、その周囲に付随する集落や村々を占領し、そこを実効支配していた。その地域を支配して税収を得ることで、自給していたのだ。


 ダンケルグは戦うことなく降服したので、占領のために血が流されることはなかった。加えてロストク軍の軍規は厳粛であり、略奪や暴行はほぼ皆無だった。住民たちにしてみれば税を納める先が変わっただけで、占領統治にあたっては、さほどの混乱はなかったという。


 またその地域にもダンジョンがあった。これを放置するわけにはいかない。ロストク軍はその攻略も行ったが、小遣い稼ぎができるとあって、兵士たちには人気だった。そうやって彼らが稼いだお金は主に街で使われたので、ダンケルグはにわかに好景気に沸いたという。まあ、誇張した話であろうが。


 さて、ダンケルグはニオール地方の比較的北側にあった。つまり遠征軍とイブライン軍が睨み合っている戦線からは遠い。エリアスが意図的に彼らを遠ざけていたわけだが、緒戦の大勝に貢献して援軍の面目は施している。さらなる武功がどうしても欲しいわけではなく、言ってみれば心理的に余裕があった。それで、戦争中とは思えないほど彼らの周囲は平和だった。


「何と言うか、暇だな」


 拍子抜けしたように、フレイミースはそうこぼしたという。血が川のように流れる激戦を想像していたのだが、現実にはそんなことは全くない。やる事と言えば、書類仕事ばかりだ。占領地の統治が重要であることは分かるが、何と言うか地味だった。


「では殿下。一度フォルメトへ戻られてはいかがですかな?」


 フレイミースにそう提案したのは、ロストク軍を実質的に指揮しているカルパス将軍だった。将軍の提案にフレイミースは心動かされた様子だったが、しかし逡巡した末に首を横に振った。


「わたしだけ戻るわけにはいかないだろう」


「いえ。実は殿下にお願いしたいことがあるのですよ」


 カルパスは真面目な顔をしてそう言った。彼がフレイミースに頼みたいことと言うのは、要するにランヴィーア王国の王都フォルメトにおける政治工作だった。


 遠征軍におけるロストク軍の立ち位置というのは、あくまでも「外様の援軍」である。無論、同盟国の援軍であり、現在に至るまで粗略に扱われたことはない。だが完全な一枚岩であるかと言えば、それもまた違う。


 加えて、ロストク軍二万に対し、ランヴィーア軍は十万。数が圧倒的に違う。何より遠征軍の総司令官はランヴィーア王国王太子のエリアス。万が一のとき、ロストク軍が不利益を被らぬよう、カルパスには心を砕く責任がある。


 今のところ、カルパスとロストク軍は遠征軍内部で巧く立ち回っている。エリアスとの関係も良好だ。とはいえこれは全て現場での話。可能ならもっと上層部、つまり国王オーギュスタン二世の周辺にも手を伸ばしたいとカルパスは思っていたが、一介の将軍でしかない彼の腕はそこまで長くない。


 もちろん、フォルメトでの工作は現在も行われている。王都駐在のロストク大使が、カルパスらが不利益を被らぬよう、働きかけをしてくれているはずだ。大使の手腕を疑うわけではないが、フレイミースがいれば工作はさらにやりやすくなるだろう。能力はともかく、彼の肩書きはそれくらい強力だ。


「加えて、大使殿経由にはなりますが、本国の様子も知っておきたいのです。後詰の部隊のこともありますしな」


「そ、そうか。そこまで言うなら、王都へ戻るのもやぶさかでないぞ」


 少しそわそわしながら、フレイミースはカルパスの提案に乗った。武功は欲しいし、いざという時に現場にいなかったのでは、父や母から何を言われるか分かったものではない。だがしばらく戦況は動きそうにないし、なによりフォルメトへ戻れば妻のシルフィエラとも会える。動きのない状況に厭きはじめていたこともあり、彼は喜んで王都へ戻ることにした。


(やれやれ……)


 喜ぶフレイミースを見て、カルパスは内心で苦笑する。フレイミースに政治工作を頼みたいというのは本当だが、それだけが全てではなかった。厭きた様子を見せるフレイミースが余計なことを仕出かさぬよう、一度ガス抜きをしておいた方がいいと思ったのだ。一度フォルメトへ戻りシルフィエラと過ごせば、占領地統治の地味な仕事もまた嫌がらずにやってくれるだろう。


 こうしてフレイミースは一旦フォルメトへ帰還することになったのだが、遠征軍の幕僚の一人として勝手に戦線を抜けることはできない。総司令官のエリアスに話を通し許可を貰ってから帰還した。


 両軍が睨みあう中で小競り合いは何度も起こったが、それが決定的な展開に発展することはなく、戦況の停滞は数年に及んだ。そしてその間、フレイミースはフォルメトとダンケルグを往復する生活を送るようになる。


 それで問題が起こらなかったのだから、カルパスの思惑は的中したといっていい。さらにこの期間中、フレイミースはシルフィエラとの間に二子をもうけている。この子供達の誕生が、両国の同盟に前向きな空気をさらに醸成したことは言うまでもない。そういう意味で、フレイミースは彼にしかできない大きな仕事をしたと言っていいだろう。


 ちなみに二人の睦まじい様子を見て、エリアスにも「一旦帰還してはどうか」という話が出るようになった。その間は、第二皇子のアルバレスが総司令官代理を務めるという。この展開が、ランヴィーア王国内における派閥争いの一幕であることは言うまでもない。フレイミースの何気ない行動は、思わぬところへ飛び火したようだった。


 ともかく、このようにしてランヴィーア王国とイブライン協商国の戦争は、睨み合いと小競り合いが続く膠着した状況に陥った。イブライン軍がなかなか息切れしないのを見て、エリアスはこの状況を打開しようと本国に増援を求めることもしたが、ランヴィーア王国にもそれほどの余裕があるわけではない。大きな損害を被っているわけでもなく、「そちらで何とかしろ」というのがオーギュスタン二世の返答だった。


(ならば……)


 ならばロストク帝国に増援を求めようかと考え、しかしエリアスは首を横に振った。ロストク軍はすでに、緒戦の勝利に大きな貢献をしている。これ以上彼らをアテにしては、ランヴィーア軍の面目が丸つぶれだ。


 また面目以上の問題として、戦後の論功褒賞がある。ロストク軍の功が大きければそれに見合うものを与えねばならず、そのせいでランヴィーア王国の得るものが少なくなれば本末転倒だ。


「焦りは禁物ですぞ、殿下」


「分かっている」


 幕僚の言葉に、エリアスは一つ頷いてそう答えた。焦らず、腰をすえ、機を窺う。ランヴィーア王国は長年、海と貿易港を欲してきたのだ。そして今まさに、その手が届こうとしている。掴みそこねるようなことだけは、あってはならない。そういう心理もまた、エリアスを慎重にしていた。


 戦争の主たる当事者はランヴィーア王国とイブライン協商国だったが、援軍を出しているロストク帝国も無関係ではない。そして膠着した戦況を、ダンダリオン一世はあまり快くは思っていなかった。


「時間がかかるな、これは」


「はい。ですが、ここでさらに兵を出すのは悪手です」


 皇太子ジェラルドの言葉に、ダンダリオン一世は渋い顔をして頷いた。幸い、派遣部隊はほぼ自給しているので、財政への負担は軽い。しかしだからと言って、二箇所で同時に戦争をするのはやはり躊躇われる。それでロストク帝国はアンタルヤ王国になかなか兵を出せずにいる状況だった。


「いっそ、全力を挙げて協商国を潰すか」


「それも時期尚早かと」


 冷静なジェラルドの言葉に、ダンダリオンは肩をすくめた。イブライン協商国はいまだ、十万近い戦力を持っている。これを侮ることはできない。


 無論、戦えば勝つ自信はある。しかしその先のことを考えれば、ジェラルドの言うとおり、今は状況の推移を見守るのが得策だ。ダンダリオンもそれは分かっている。分かっているが、こう言いたくもなる。


「お前は若いくせに気が長い」


「父上の真似をしても上手くはいかぬと、この年になってようやく学びましたゆえ」


 ジェラルドがぬけぬけとそう返すと、ダンダリオンは楽しげに笑った。この時以来、ダンダリオンは十年戦争への対応について、ジェラルドにほぼ全ての判断を任せるようになる。それは彼を信頼していたからであるし、また皇位継承を見据えてのことでもあった。


 ただし、それが全てではなかった。ダンダリオンが期待していたもう一人の指し手が、この時期ついに沈黙と静寂を破り、世界と歴史に対して自己主張を始めたのである。



フレイミース「ちょっと家に帰ってきます」

エリアス「ああ、分かった。(何をのん気な……)」

 *なお、この後エリアスも一時帰宅することになる模様

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