結婚式と披露宴
シュナイダーをダーマードに紹介し、帝都ガルガンドーへ帰還してから十四日後。大統歴六三九年四月一六日、ついにジノーファとシェリーの結婚式が行われた。
かねてからの計画通り、式自体は簡素に行われた。二人の息子であるベルノルトはヘレナに抱かれて参列しているが、その他の参列者は屋敷の使用人たちのみ。大掛かりな伴奏はなく、たくさんの来賓もない。
だからと言って、決して手を抜いたわけではない。綿密な準備が行われており、特に新郎新婦の衣装は力が入っていた。
まず花婿たるジノーファだが、彼は白いタキシードを着ていた。デザインはオーソドックスなものだが、式のために仕立てたオーダーメイド品だ。背中には、まるで翼を広げた鳥のような意匠の紋様が、つまり彼の聖痕を模した紋様が刺繍で描かれている。また上着の裾や袖口にも、それに似せた意匠の刺繍が施されていた。
普段は簡単にまとめておくだけの灰色の髪の毛も、今日ばかりはきちんと櫛を入れている。さらに見栄えがするよう編みこみをしていた。そのおかげで、彼の精悍だが柔和な顔立ちが一層引き立って見える。
そしてシェリーが着ているのは、花嫁に相応しい純白のウェディングドレス。ドレス自体は清楚でシンプルなデザインだ。タートルネックで首もとは隠れているが、ノースリーブで両肩はむき出しになっている。
ただ、肩にはストールを巻いているし、両腕には二の腕まで覆う手袋をしているので、露出は少ない。当然、ストールも手袋も純白だ。ストールには細やかな花の刺繍がされていて、そのおかげで花嫁の装いが華やかになっている。
濡羽色の長くて美しい髪の毛は、丁寧に梳いてそのまま背中に流してある。頭には白いベールを被り、さらにそのベールは色とりどりの鮮やかな花々によって飾りつけられていた。そして同じく鮮やかな花々で作られたブーケを両手で持っている。
実を言うとこの時期、これほど鮮やかな花々はガルガンドーにはまだない。春の初めであり、多くの草木はまだ芽吹いていないのだ。ではどこからこの花々を手に入れたのかと言うと、その出所はアンタルヤ王国だった。
ネヴィーシェル辺境伯領へ赴いた際、ジノーファがイゼルに頼んでいたのが、この花々だったのだ。生花を調達するのが難しいこの季節、色とりどりの花を使って花嫁を飾れるのは、これ以上ない贅沢と言っていい。また地元の花ではなく、外国の花を使っているというのも、他の貴族たちから見ると垂涎の的だ。
さて、そうして美しく着飾ったシェリーの姿を見て、ジノーファは一瞬胸を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。背景の全てが遠のき、彼女の姿だけが輝いて見える。凝視されて気恥ずかしさを覚えたのだろう。シェリーは口元に小さな笑みを浮かべながら、薄く頬を染めて目を伏せる。それを見て、ジノーファはようやく我に返った。
「シェリー」
愛おしい花嫁の名前を呼びながら、ジノーファはシェリーに手を差し出す。彼女は小さく、そして幸せそうに「はい」と応えると、その手を取って彼の隣に寄りそう。肩と肩が触れ合うその距離で、ジノーファはまるで黒真珠のようなシェリーの瞳を見つめながらこう言った。
「本当に、綺麗だ。天使が舞い降りたのかと思ったよ」
「まあ。でも、ジノーファ様も凛々しくて素敵ですわ」
「ありがとう。これならシェリーの隣に立っても、恥ずかしくないかな」
延々と続きそうな二人の会話に、待機していた誓約立会人がわざとらしく咳払いをして割ってはいる。二人は揃って小さな笑みを浮かべると、手を取り合って寄り添ったまま、誓約人のほうを向く。それを確認すると、誓約立会人が口を開いた。
「……ではこれより、夫婦となる二人の誓約の儀を取り行います」
厳粛な空気が流れるなか、誓約立会人は説教を始める。夫婦として暮らしていく上で、夫や妻の道徳を説くような内容だ。数分ほどで話を終え、厳粛な雰囲気が高まったところで、誓約立会人はいよいよ儀式の最も大切な部分に取り掛かった。
「ではいよいよ、お二人の愛を言葉によって誓約するときです。……花婿ジノーファ、あなたは妻を命ある限り愛し、困難にあって支えあい、喜びを分かち合うことを誓いますか?」
「はい、誓います」
はっきりと響く声で、ジノーファはそう答えた。誓うことに迷いは少しもない。これからの人生、シェリーが隣にいないことはもう考えられないのだ。
「花嫁シェリー、あなたは夫を命ある限り愛し、苦難のときに慰めあい、幸福を共にすることを誓いますか?」
「はい、誓います」
シェリーもまた、鈴のなるような声で躊躇うことなくそう答えた。彼女の愛を疑ったことはない。けれどもその誓いの言葉を聞いて、ジノーファは身体がじんわりと熱くなるのを感じた。
口元が緩む。叫びだしたくなるのは、なんとか堪えた。そのせいで手に力が入ったのだろうか。シェリーがそっと握り返してくるのが、ジノーファの手に伝わった。心持ち、さらに肩が近くなったようにも感じる。
ほとんど触れ合うような距離だったから、周りから見ても気付かないだろう。ただジノーファには分かった。触れ合うその力が、少し増したからだ。それはまるで「わたしも同じ気持ちです」とシェリーが言っているかのようだった。
「お二人の誓いの言葉、確かに聞き届けました。では万人への証のため、宣誓書へのサインをお願いします」
誓約立会人に促され、ジノーファとシェリーはそれぞれ宣誓書に自分の名前を書き込んだ。最後に誓約立会人もサインを行う。こうして宣誓書は正式に有効とされるのだ。ちなみにこうして宣誓書を作るのは貴族階級だけで、一般庶民は口頭の宣誓だけで済ませる場合が多い。
閑話休題。三人分のサインが揃っていることを確認すると、誓約立会人は宣誓書をトレイに戻し、両手を軽く広げて厳かにこう宣言した。
「誓約はなされました。これより二人は夫婦であることをここに宣言します。……では、最後に誓いの口付けを」
誓約立会人に促され、ジノーファとシェリーは再び見つめあった。口付け、キスはこれまで何度もしているし、それ以上のこともしている。それどころか、すでに子供までいるのだ。
だというのに、こうして改めて「口付けを」と言われると、お互い何となくこそばゆくて気恥ずかしい。ジノーファが少し困ったように微笑むと、シェリーも一度伏し目がちになってはにかみ、それから上目使いに彼を見上げる。
とはいえ、ずっとこうして見詰め合っているわけにもいかない。ジノーファは手を伸ばしてシェリーを抱き寄せた。すると彼女は顔を上向けて目を閉じる。ジノーファは少し首をかしげるようにしながら、彼女の唇に自分の唇を重ねる。その瞬間、参列者の席から拍手が響いた。
「願わくば健やかなときも病めるときも、二人の愛が強まり続けますように」
最後に誓約立会人がそう祝福の言葉を述べ、誓約の儀は終わった。なお、宣誓書は誓約立会人が役所に届けて、手続きをしてくれることになっている。貴族同士の婚姻の場合、利権が絡むために手続きが煩雑になることも多く、誓約立会人の主な仕事は実のところその手続きの処理なのだ。もっとも、今回の手続きはしごく簡単なはずだが。
さて儀式、つまり結婚式が終わると、ジノーファたちは馬車に乗って屋敷へ戻る。屋敷へ戻った後は、友人たちを招いた披露宴を催す予定だ。お祝いという意味ではむしろこちらが本番である。
ただ、披露宴を開き多数の客人をもてなすためには、屋敷の使用人だけでは手が足りない。それでヴィクトールとヘレナの伝手を使い、一時的に他所から人手を借りてきて対応していた。
ただ人手を借りたとは言っても、彼らに指示を出すのは屋敷の使用人たちだ。実際、ヴィクトールやヘレナは数日前から忙しそうに指示を出していた。ボロネスが担当する厨房は、さながら戦場のようだったという。その上、結婚式に出席するための準備もあるのだから、文字通り目が回るほどの忙しさだ。
『そんなに忙しいなら、式は無理をしなくても……』
『いえ、必ず参列させていただきます。他の使用人たちも、同じ想いでございます』
ヴィクトールはいつも通り穏やかに、しかし毅然とそう言ったものである。そんな彼は今日の朝、結婚式用の正装をしてヘルプの人たちへ矢継ぎ早に指示を出していた。ボロネスのほうは、ほとんど夜中のような時間帯から下ごしらえをしていたという。あとで特別ボーナスを出そう、とジノーファは思っている。
さて、ジノーファたちが馬車に揺られて屋敷へ戻ってくると、すでに集まっていた招待客たちが歓声と拍手で彼らを出迎えた。その先頭にいるのは、第二皇子のシュナイダーだ。彼は片手を上げて主役の二人を出迎えた。
「よう、二人とも。おめでとさん」
「ありがとうございます、殿下」
そう言って馬車から降りると、ジノーファはシュナイダーと握手を交わした。次に馬車の中からウェディングドレス姿のシェリーが姿を見せる。その姿を見て、主に女性の招待客が黄色い歓声を上げた。
「ブーケ! ブーケ! ブーケ!」
彼女達の期待に満ちた、それでいて楽しげな声が響く。シェリーはそれを聞くとにこりと微笑み、手に持ったブーケを掲げてみせる。そして十分に視線を集めると、馬車のタラップの上からそのブーケを放り投げた。
ブーケと幸運を手に入れたのは、まだ十二、三歳に見える少女だった。彼女が満面の笑みを浮かべながらブーケを掲げると、周囲から拍手が起きる。その間に、ジノーファはシェリーに手を貸し、彼女が馬車から降りるのを手伝った。
ブーケトスの興奮が一段落すると、ジノーファとシェリーは招待客に祝福の言葉をかけてもらいながら屋敷の中へ入った。屋敷のなかには、そして外の一部にも、色鮮やかな花がいたるところに飾りつけられている。そのおかげで、屋敷の中は甘い芳香で満たされていた。
これらの花々は、もちろんジノーファがアンタルヤ王国から調達してきたものだ。馬車二台分にもなる大量の花々は、選りすぐった一部の花をブーケやウェディングドレスの飾りつけに使い、残りはこうして屋敷に飾られている。季節はずれの、しかし瑞々しく色鮮やかな花々に、事情を知らない招待客たちはみな感嘆した様子だった。
「これほどの生花をいったいどこから……?」
「帝室には専用の温室があると聞きます。まさか、そこから?」
「いえ、私はシュナイダー殿下が国外から取り寄せたと聞きましたぞ」
「何にしても、用意しようと思い立たれたのはジノーファ様でありましょう?」
「思い立ったからと言って、そう簡単に用意できるものでもないのだが……」
「ジノーファ様の腕は我々が思っているよりも長く、遠くへ届くのかもしれませんなぁ」
ジノーファが用意した花々は、良い具合に話の種となってくれたようだ。そんな招待客達の話を聞き流しつつ、ジノーファとシェリーは披露宴の会場となっている広間へ向かった。
披露宴には楽団も呼ばれていて、広場には典雅な音楽が流れている。その中をジノーファとシェリーは手を取り合ってゆっくりと進む。出迎えに出てくれた人たちも戻って来て、広間は賑やかさを増した。
ジノーファが挨拶をして、いよいよ披露宴が始まる。今日の披露宴は立食形式。広間にはすでに料理とお酒が用意されていて、ほとんどの招待客が二人が来る前からそれに手をつけている。そのためというわけではないだろうが、ジノーファの挨拶が終わると早速二人の周りに人だかりができた。
「ジノーファ殿、ご結婚おめでとう」
挨拶する人の波が一段落した頃合を見計らい、二人のもとを訪れたのはルドガーだった。彼は妻のマリーナを伴っている。ジノーファは笑顔を見せて二人にこう応えた。
「ルドガー殿、ありがとうございます。マリーナ夫人も、ようこそいらっしゃいました」
「ジノーファ様はご立派になられて。シェリー様も、今日は一段とお綺麗ですわ。お二人とも、末永くお幸せに」
ジノーファとシェリーは揃って二人に礼の言葉を述べる。他の人の挨拶が一段落していたこともあり、彼らは少しの間雑談に興じた。普段から親しく付き合っている間柄と言うこともあり、会話を楽しむ彼らは気安い雰囲気だった。
「しかしあのジノーファ殿が結婚とは、なぁ」
「それはどういう意味でしょうか、ルドガー殿?」
妙にしみじみと話すルドガーに、ジノーファはそう尋ねる。それに対し、ルドガーはすぐに直接答えることはせず、おもむろに思い出話を始めた。
「……初めてジノーファ殿の姿を見たのは、ダンダリオン陛下と一騎打ちをしている時だったか。何と言う子供がいるのかと、驚いたのを覚えているよ」
そのとき同時に、ルドガーはこうも思ったものである。「これが英雄の資質というものか」と。その気持ちは今も変わらない。むしろ彼が聖痕持ちであることを知り、その想いはさらに強くなった。
ただ、英雄が幸せになれるとは限らない。むしろ歴史に残る大事をなした者たちは、往々にして私生活では苦い思いをしている場合が多い。彼らは確かに偉業を成し遂げたが、しかしながら果して幸福であったのか。
いやルドガーとて、英雄は幸せになれないと思っているわけではない。しかし英雄が背負う運命は、波乱万丈にして多くの場合過酷だ。まして聖痕持ちである以上、運命は彼を逃すまい。
そしてジノーファ自身、逃げようとはしなかった。直轄軍の士官として一緒に作戦に関わることが多かったルドガーは、それを良く知っている。積み重ねてきた彼の実績も、また。
「あの時、というよりこれまでずっと、あれだけ人並みはずれたことをしておいて、それなのにちゃっかりと人並みの幸せを捕まえたのが、何となくおかしくて、な」
「わたしは人並み以上の幸せを捕まえたつもりですよ、ルドガー殿」
ジノーファがさらっと惚気ると、ルドガーとマリーネは揃って笑い声を上げた。二人が挨拶を終えると、シェリーはお色直しのために一度席を外す。次に彼女が着てきたのは、紫をベースにした華やかなドレスだ。
『少し、派手すぎないかしら……?』
『披露宴で、しかも主役なんですから。コレくらいでちょうどいいんですよ!』
シェリーとリーサがそんなふうに相談しながら選んだドレスだ。もちろん、ジノーファも意見を述べた。シェリーは最後まで「派手すぎる」と萎縮していたが、ドレスは彼女によく似合っている。招待客たちも同じ意見であるようで、ジノーファにエスコートされて彼女が姿を現すと、大きな拍手が起こった。
ジノーファとシェリーはそのまま広間の真ん中に進んだ。それに合わせて、楽団が一度演奏を止める。招待客たちは二人のために場所を譲った。そして視線を集める中、二人は手と手を取り合う。
一瞬の静寂の後、楽団が伴奏を始めた。彼らが奏でるのは、ダンスのためのオーソドックスな曲だ。その曲に合わせ、ジノーファとシェリーは優雅に踊り始めた。そしてダンスを踊りながら、ジノーファはシェリーにそっと話しかける。
「……ねえ、シェリー。ここで初めてダンスを踊ったときのことを、覚えているかな?」
「もちろん、覚えていますわ。ジノーファ様」
軽やかなステップからのターン。シェリーのドレスの裾が、フワリと舞う。
「あの後から、ちょっと不思議だったんだ。どうしてシェリーはダンスを踊れたんだろう、って」
「まあ、わたしがダンスを踊れるのは変ですか?」
激しいテンポ。二人はクルクルと舞う。そこから音が伸びるのに合わせて、シェリーが思い切り身体をそらせる。ジノーファがそんな彼女の身体を支えた。
「そういうわけじゃ、ないけれど……」
「ふふ。つまりわたしも期待していた、ということですわ」
「まいったなぁ……」
全然困っていない声で、ジノーファはそう呟く。シェリーは幸せそうに笑った。そして二人はダンスを続ける。いつまでも、いつまでも……。
シェリー「ジノーファ様なら、お花屋さんも開けそうですわ」
ジノーファ「その時は、シェリーに水やりをお願いするよ」




