近況報告2
シュナイダーとダーマードが密貿易について話し合った、その次の日。この日はダーマード側が物資を用意するための日だったので、ジノーファたちは特にやる事がない。だからと言うわけではないが、ジノーファは主にアヤロンの人たちと旧交を温めていた。
「ジ……、ニルヴァ、久しぶりであるな! 息災であったか?」
「ああ。ラグナも元気そうで何よりだ」
そう言葉を交わしながら、ジノーファとラグナは数ヶ月ぶりの再会を喜んだ。ラグナは今朝、ダンジョン攻略から戻ってきたばかりだと言う。疲れが残っているだろうに、すぐさま会いに来てくれてジノーファは嬉しかった。
「それでニルヴァよ、最近の調子はどうだ?」
「充実している、と思う。子供が生まれたんだ」
「ほう! それはめでたいな」
ラグナはそう言って、自分のことのように喜んだ。彼はジノーファの背中をバシバシと叩いて祝福する。そして笑顔を浮かべながら、さらにこう尋ねた。
「それで、性別はどちらだ?」
「男の子だ。名前はベルノルト」
「ほう、男児か。我輩にもまだ幼い娘がいるのだが……」
「そういう話はまだ受け付けてないんだ。最低でも十五を過ぎてからにしてくれ」
取り付く島もなく、ジノーファはそう言った。さらに胸の内では、「女の子だったら十八だな」と加えて呟く。けんもほろろにされたラグナは、しかし面白そうにニヤニヤと笑いならがこう言った。
「ほう、父親の顔をするようになったではないか。最初に会った時は、まだまだ青いと思ったものだが……」
「それよりラグナたちの方こそ、新しい生活にはもう慣れたのか?」
「うむ。不自由なく暮らしておるぞ。ここは嵐が来ても雨漏りしないのでな。みな、喜んでおるわ」
そう言ってラグナは楽しげに笑う。そしてひとしきり笑うと、次に穏やかな表情を浮かべつつ、さらにこう言葉を続ける。
「まあ、さすがに楽土というわけにはいかぬがな。だが夜は怯えずに眠ることができるようになった」
アヤロンの里で、魔の森で暮らしていたときは、夜中に魔獣やモンスターの襲撃があり、飛び起きて迎撃に向かわねばならないことが度々あったという。しかし指令所で暮らすようになってからは、その心配がなくなった。
「夜中に、物音で目を覚ますことはまだある。それでも『ここはもう違うのだ』と思い出して、また横になることができる。以前には考えられなかったことだ」
ラグナはしみじみとそう語った。無論、魔の森がすぐそこにある以上、モンスターの襲来がなくなったわけではない。しかし間違いなく頻度は減ったし、なにより指令所自体は表層域の外に建っている。加えてここにはアヤロンの民のほかに、一〇〇〇人を超える兵士たちがいるのだ。その安心感は大きい。
「もっとも、不満がないわけではないぞ。特に子供たちなど、『湖で泳げなくなった』とぶぅたれておるわ」
ラグナはそう言って「がはは」と大声で笑った。不満をこぼすにはあまりにもあっけらかんとしていて楽しげな声だ。それでジノーファもつられて笑った。
それからラグナは最近のアヤロンの民の様子について、さらに色々なことを話してくれた。里で育てていた野菜やイモの類をこちらでも育てるため、指令所の一角に菜園を造ったこと。アンタルヤ風の衣服も着るようになり、特に女性たちが熱心であること。職人達の交流と、そして錬金術との出会い。
ちなみに、この世界における錬金術とは金を生み出そうとして発達した学問や、それに関係した研究分野のことを指す。ただ指令所にいる錬金術師たちは、そういう学問をやっているわけではない。
彼らはむしろ職人と呼ぶべきで、研究の成果である武器の素材やポーションの生産を行っている。その過程で試行錯誤し、新たな成果が得られることもあるが、それは副次的なものでしかない。要するに、研究するならこんな魔境の最前線ではなく、もっとしかるべきところでやれ、というわけだ。
要するに、ラグナのいう錬金術とは、主に錬金術を応用して生み出される成果のことを指している。そしてその最たるものは水薬だった。
魔の森が活性化して以来、防衛線では大量のポーションが必要とされていた。ただポーションを作るためには、ダンジョンから水を汲んでくる必要がある。それでこれまで指令所ではポーションの作成はほとんどされていなかった。
それが、アヤロンの民が移住してきたことで状況が変わった。水をはじめ、ポーションを作るために必要な素材を、近くのダンジョンから得られるようになったのだ。ポーションの自給には大きな意味があり、ダーマードも指令所での生産量を増やそうとしている。ジノーファは知らないことだが、今回の視察もそれが目的の一つだった。
「素材集めもそうだが、最近はよく水汲みを頼まれるな。その分、ポーションを譲ってもらっているので、こちらとしても助かっているがな!」
そう言ってラグナはニヤリと笑った。それにしても、アヤロンの民も水汲みを頼まれているとは。これはもう収納魔法の使い手にとっては宿命なのだろう。
「あとはそうだな、ドロップ肉が喜ばれるな」
これもまた、同じく宿命と言っていい。もっとも現実的な話として、防衛線を維持するには兵糧が問題となる。多少であっても兵糧を賄ってくれるのであれば、それは歓迎されるだろう。それが美味い肉ともなればなおさらだ。
「……そういえば、ダーマード殿のご子息を預かっていると聞いた」
「ああ、セリムのことだな」
ラグナは大きく頷いてそう応えた。さらに彼が言うところによれば、セリム以外にも何人か、辺境伯家に連なる分家や陪臣、領内の有力氏族などから子弟を数人預かっているそうだ。
「皆、『収納魔法を教えてやってくれ』と言われているのだが、教え方なんぞ分からんのでな。『見て覚えろ』と言っておるわ」
そう言ってラグナはまた大声で笑った。ジノーファも苦笑しつつ頷く。実際、どんな魔法であっても筋道立った覚え方などない。特定の魔法、あるいは似たような魔法を覚えたいのであれば、傍で見てイメージを確立していくほかないだろう。
「それで、実際に覚えた人はもういるのか?」
「いや、まだだな。まあ、冬が終わって行き来もしやすくなったことであるし、そのうち覚えるであろうよ。だがなぁ、覚えたら帰ってしまうのであろうか……? できればアヤロンの娘を嫁にして居ついて欲しいものだが……」
ラグナは腕を組み、悩ましげにそう話す。「女どもをせっついてみるか」と呟いたので、ジノーファは「ほどほどに」と宥めておいた。飛び火してもらっては困るのだ。
それからもうしばらく話をしてから、ラグナは席を立った。彼を見送ってから、ジノーファはふと考え込む。
ラグナの話を聞く限り、ダーマードはやはり収納魔法に着目しているらしい。同時に、今はまだあまり広めたくはないようだ。それで信頼できる身内の者たちを、それも少人数だけ送り込む形にしているのだろう。あまり大人数ではアヤロンの民も困ってしまうだろうが、その配慮と言うよりは機密保持の側面が強いと思われた。
(気にしているのは、やはり……)
ダーマードが気にしているのは、当然エルビスタン公爵であり、またガーレルラーン二世であろう。最大派閥との関係は冷え込んでいる。国は当てにならない。そんな状況であるから、自分達の力を回復し、またさらに充実させておきたい。そんな思惑があるように感じられる。
このままいけば、国が割れるかもしれない。ジノーファはそう直感した。ガーレルラーン二世はその危機を感じ取っていないのだろうか。ジノーファは彼の内心を図ろうとし、そしてすぐに頭を振った。
ガーレルラーン二世は内心を読ませない人であったし、そもそもジノーファはその内心を察することができるほど彼を良く知っているわけではない。ジノーファが思い出せるのは、彼の冷厳とした瞳と氷の絶壁を思わせる態度のみ。かつて父と呼んだ人であり、今もそれ以外になんと呼べばよいのか分からぬ人ではあるが、その心の内は地平線よりも遠い場所にある気がした。
まあ、それはともかくとして。仮にアンタルヤ王国が割れれば、ロストク帝国としてはまこと結構なことであろう。調略するにせよ、侵略するにせよ、王国国内が乱れていればその分だけ帝国は動きやすくなる。
だがアンタルヤの民にとってはどうか。国が割れるときには騒乱がつきもの。永遠の安寧などジノーファも信じていないが、それでも避けられたはずの騒乱が起これば民衆にとっては迷惑なことこの上あるまい。
(わたしに、何ができる……?)
窓の外、辺境とはいえアンタルヤの空を見上げながら、ジノーファは自分にそう問い掛ける。この空の下に住まう人々に、自分は一体何ができるのか。あるいは、何をするべきなのか。
何もできない、何かをする義務などない。そう答えるのは簡単だ。けれども指し手として自己主張したいのなら、そんな甘ったれた態度は許されない。ジノーファはもうそのことをちゃんと弁えていた。
そして、次の日。ジノーファたちがちょうど朝食を食べ終えた頃、イゼルが彼らの泊まっている部屋を訪れた。遅れていた荷物が朝一番でようやく届き、シュナイダーに引き渡す物資が全て揃ったという。
「そうか。じゃ、早速見せてもらうか」
そう言ってシュナイダーは立ち上がった。ジノーファたちもそれに続く。イゼルは一つ頷き、彼らを指令所のすぐ外まで案内した。今日はよく晴れているし、物資は収納魔法に収めて運搬するので、魔法が使える表層域に並べておいてくれたのだ。
「ふぅむ……。なるほど、なるほど」
真剣な眼差しで、しかし口元に小さな笑みを浮かべながら、シュナイダーは並べられた品物を検めていく。お酒、布、染物、羊毛、革製品など、品物のほとんどはネヴィーシェル辺境伯領で作られたもの。シュナイダーがリクエストした、アヤロンの民が作る武器も混じっている。密貿易のため売り物になりそうな物をかき集めた、という印象である。
ただこう言っては悪いが、どれもいまいちパッとしない。品質が悪いわけではない。ありふれていて特徴がないのだ。どこにでも、それこそロストク帝国にもあるものが多く、言い方を変えれば交易品として魅力がない。
アヤロンの民が作る武器は、シュナイダーが目をつけただけあって、この中では希有な例外と言えた。とはいえ、大量生産できるものではないし、これ一種類だけではやはり弱いといわざるを得ない。
(ま、仕方ないといえば仕方ない)
シュナイダーは内心で苦笑する。これまで辺境伯領は交易路からは外れていた。国内はともかく、国外に何かを売り込もうという発想はなかったのだ。そのため、いわゆる特産品が生まれなかったのである。
(まあ、いい)
シュナイダーが辺境伯領に期待しているのは、交易の中継地としての役割だ。品物は他所から集めてくればよい。金とモノの流れを作るためには、むしろ辺境伯領に特産品がないほうが都合がいいかもしれない。
それに、どこにでもあるモノであっても、需要が大きければ立派に交易品になる。その代表格が、魔石をはじめとしたダンジョンから得られる資源だ。今回はこれらも用意されていた。
ほぼ間違いなく、ラグナたちアヤロンの民が攻略によって獲得してきたものだろう。利用しやすい場所に採掘場があるという話だし、ここには収納魔法の使い手が多数いる。そのおかげでドロップアイテムだけでなく、鉱物資源も多量に用意されている。シュナイダーはその量と質を確かめて満足げに頷いた。
「いかがかな、シュナイダー殿」
シュナイダーが検品を終えると、ダーマードが彼にそう声をかけた。シュナイダーは品物を見た感想を率直に述べる。
「どれも品質に問題はありません。ただ、交易品として魅力的であるとはいい難いですな」
シュナイダーの評価は手厳しい。それを聞いたダーマードは少々落胆した様子だ。シュナイダーの正体を知らない近侍たちは気色ばんだが、ダーマードがそれを諌める。それから彼はこう尋ねた。
「では、今後はどういった品をご所望かな?」
「まず、ダンジョン由来の資源は今後も取引をお願いしたい。アヤロンの民の武器も、他にはないよい交易品となるでしょう。それから……」
シュナイダーはさらに密貿易で求める品を挙げていく。その大半は辺境伯領外のものだ。ダーマードはそれを承知しつつ、シュナイダーの挙げた品を近侍に書き留めさせた。さらにそれぞれの品目について、気になることをシュナイダーに尋ねる。彼はその質問にスラスラと答えた。
(これは……)
これはとんでもない知識量だ。アンタルヤはもちろん、海の向こうの交易品についても、シュナイダーは幅広い知識を持っていた。
ダーマードは内心で舌を巻く。放蕩皇子と呼ばれ、遊び呆けているイメージが強いシュナイダーだが、しかし遊んでいるだけでこれだけの知識は身に付かない。恐らくこの密貿易のために、綿密な下調べをしたに違いない。
シュナイダーのその知識は、これまで交易に疎かったダーマードにとって貴重なものだ。それで彼はさらに質問を重ねようとするが、近侍がそれを一旦制する。どうやら長くなりそうだと察し、それならばお茶でも飲みながら、と提案したのだ。
「ふむ、どうかな、シュナイダー殿」
「喜んでお付き合いしましょう、閣下」
そう言って二人は指令所のほうへ足を向けた。ジノーファも誘われたが、先に今回用意された荷物を収納するため、彼はひとまずその場に残る。そして二人を見送ってから、ジノーファはシャドーホールを発動させた。
「よし、と」
収納を終えると、ジノーファは小さくそう呟いた。ほんの数分で大量の荷物が収納されてしまい、周りで見ていた兵士たちは目を丸くして驚いている。アヤロンの民が身近にいるから、彼らも収納魔法自体は見知っているはずなのだが、知っているモノと比べて規格外であったようだ。
「お疲れ様です、ニルヴァ様。これで今回持って行っていただく品は最後になります。それと、こちらがニルヴァ様に頼まれていた物です」
イゼルはそう言って、あらかじめ密貿易用の物資とは別にされていた物をジノーファに見せた。量としては一頭引きの馬車二台分くらいだろうか。ジノーファは用意されたソレを見て顔をほころばせた。
「うん、ありがとう。急な頼み事だったのに、すまないね」
「お役に立てたのなら幸いです」
「それで代金だけど、銀貨一〇〇枚くらいでいいかな?」
「いえ、こちらのお品物は結婚のご祝儀として差し上げるよう、閣下より仰せつかっております。ですから、どうそこのままお受け取りください」
「そう、か。では、ありがたくいただくとしよう」
ジノーファは一つ頷くと、もう一度シャドーホールを発動し、頼んでおいたソレを収納した。そして全ての荷物を収納し終えると、イゼルに案内してもらってダーマードとシュナイダーのところへ合流する。ダーマードにご祝儀の礼を言うと、彼は笑顔でジノーファの結婚を祝福してくれた。
(シェリーは……)
シェリーは喜んでくれるだろうか。シュナイダーの隣に座ってお茶を飲みながら、ジノーファはふとそんなことを考える。彼女の笑顔が脳裏に浮かび、ジノーファは小さく笑みを浮かべた。
そして翌日。ジノーファたちは指令所を出発した。彼らはダンジョンの中を通り、ロストク軍の防衛陣地を目指す。そこへ到着すると、次に兵士たちの入れ替えに合わせて本国へ戻る船に乗る。
船の上、波に揺られながら、ジノーファは早くシェリーやベルノルトに会いたいと思った。
シュナイダー「俺だってちゃんと仕事してるんだぜ」
ノーラ「わたしの方が多いですけどね! 圧倒的に!」




