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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
騒乱の足音

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密談


 指令所に着いて馬車を降りると、ジノーファたちはイゼルの先導で建物の中へ入る。ジノーファはここを何度か訪れたことがあり、内部もある程度見知っているが、シュナイダーは初めてだ。それで彼は物珍しそうにあちこちへ視線を向けている。自分も最初はそうだったのかと考え、ジノーファは少し恥ずかしくなった。


(それにしても……)


 それにしても指令所の中は以前と比べ、ずいぶんと小奇麗になっているように見える。イゼルが言っていたように、アヤロンの民の特に女性たちのおかげで、掃除が行きとどくようになったのだろう。


 ちょうど廊下の交差点に差し掛かると、脇道のところでアヤロンの少女が箒を手に掃除をしている。ジノーファが手を振ってみると、少女はぱっと顔を輝かせて手を振り返してくれた。明るいその表情を見て、彼女たちの暮らし向きは悪くないようだと思い、ジノーファは少し安心した。


「彼女、ずいぶんと喜んでいたじゃないか」


「はい、安心しました」


 首に腕を回して絡むシュナイダーにジノーファがそう応えると、彼は珍しく一瞬きょとんとした顔をする。そして次に眉を寄せてユスフとひそひそ話を始めた。腕が首に回されたままだったので少し歩きにくかったが、ジノーファは気にしなかった。


 さて、イゼルはジノーファたちをひとまず客間へ案内した。その客間はきちんと掃除が行き届いてはいたが、その一方で装飾品の類はほとんどない。置かれている家具も丈夫だが無骨なデザインのものばかりで、一級品でないことはひと目で分かる。要するに、あまりランクの高くない客間だった。


 例えば王族や大貴族をもてなす客間が、この指令所にないわけではない。しかしイゼルはあえてそこへジノーファたちを案内しなかった。本来の身分を考えれば、彼らは間違いなく最重要人物なのだが、だからこそ今、それが露見することがあってはならないのだ。


 彼らはあくまで「ニルヴァなる人物とそのお供、そして駆け出し交易商人のシュナイダー」なのだ。相応の対応に抑えておく必要がある。それを踏まえて選んだ客間だが、皇族に相応しくないという思いがやはりあるのだろう。部屋に入るとすぐに、イゼルは頭を下げた。


「狭い部屋で、申し訳ありません」


「なに、気にするな」


 古びたソファーにどっかりと腰を下ろし、シュナイダーは気楽な調子でそう答えた。彼は普段から市井で遊びまわっているので、こういう質素な部屋にも抵抗がない。ジノーファや他のメンバーもそういうことにはあまりこだわりがないので、文句は誰からも出なかった。


「では、ダーマード閣下にお取次ぎをしてまいります。ただ、実際にお会いするには、幾分時間をいただくことになるかと……」


 イゼルはまた申し訳なさそうに頭を下げた。とはいえ「駆け出し交易商人のシュナイダー」のために、大貴族たるネヴィーシェル辺境伯ダーマードがすぐさま面会の時間を取る、というのはやはり不自然だ。


 普通ならば何日も、ともすれば数週間待たされてもおかしくない。それを、ニルヴァの紹介と言うことで当日中に面会することになった、というのが筋書きだ。当初は短時間のつもりだったが話が興味深かったので長引いた、としておけば不自然ではないだろう。


 指令所の中にまで間者が入り込んでいるとは思わないが、人の口に戸は立てられぬ。用心するに越したことはない。


「ああ、分かっている。ゆっくりさせてもらうさ」


 シュナイダーは寛いだ様子を見せながらそう応えた。それに彼を待たせて胃の痛い思いをするのは、むしろダーマードのほうであろう。それを想像し、彼は少々意地悪げに笑った。


「ありがとうございます。昼食もこちらへ運ばせますので、楽にしてお待ちください」


 イゼルはそう言って部屋を出た。ジノーファはおもむろにその背中を追う。そして声をかけて彼女を呼び止めた。


「イゼル殿」


「ニルヴァ様?」


「個人的なことで申し訳ないのだが、一つお願いがあるんだ」


 振り返ったイゼルに、ジノーファは少し気恥ずかしそうにしながらそう切り出した。そんな彼に、イゼルは小さく首をかしげながらこう尋ねる。


「はい、何でしょうか?」


「実は…………」


 ジノーファは事情を手短に説明する。そして彼のお願いを聞くと、イゼルは笑顔を浮かべて大きく頷いた。そして力強くこう応える。


「分かりました。お任せください。手配しておきます」


「うん、ありがとう。よろしく頼む」


 少しホッとした面持ちで、ジノーファはイゼルに礼を言った。彼と分かれて廊下を歩きながら、イゼルは真剣な顔をして考え込む。ジノーファの頼み事それ自体は、大したことのないモノだった。ただ彼から聞いた話は、結構重大である。


(いよいよ結婚、ですか。すでにお子様もいらっしゃる、と……)


 これもダーマードに報告する必要があるだろう。そう考えながら、イゼルは彼の執務室へ急いだ。


 さて、イゼルがジノーファたちを呼びに来たのは、昼食を食べてしばらくしてから、ちょうどお茶の時間の頃だった。待たされている間、彼らはカードゲームに興じていて、イゼルが部屋の扉を開けたときも、ちょうどシュナイダーがユスフから小銭を巻き上げているところだった。


「はっはっは、甘いぞ、ユスフ。ブラフがバレバレだ。……っと、そろそろ会えるのか?」


 イゼルに気付いて、シュナイダーがそう尋ねる。イゼルは一つ頷くと、真剣な面持ちでこう答えた。


「はい。ご案内いたします」


 イゼルに先導されて、ジノーファたちは廊下を歩く。ちなみにラヴィーネは客間でお留守番だ。


 イゼルに案内されたのは、こぢんまりとした応接室だった。ただ内装や装飾品は一流のものが揃っている。ダーマードはすでに応接室におり、ソファーに座ってお茶を飲んでいた。ちょうどそういう時間であるし、休憩中に話を聞くという体裁にしたらしい。


 もっともダーマードにとっては、これが最重要の仕事であるに違いない。ジノーファたちが部屋に入ると彼はおもむろに立ち上がり、朗らかな笑みを浮かべつつこう言って彼らを出迎えた。


「よくぞ参られた、ニルヴァ殿」


「お久しぶりにございます、ダーマード閣下」


「うむ。それで、そちらが……?」


「はい。交易商人のシュナイダー殿です」


 いささか芝居めいたやり取りをして、ジノーファはシュナイダーをダーマードに紹介した。ダーマードはシュナイダーと握手を交わすと、ジノーファと一緒に席を進める。ユスフとノーラはその後ろに控えようとしたが、イゼルに勧められて部屋の隅に用意されていた別の席に座った。


 お茶とお菓子の用意をしてメイドが退出する。扉が閉じられると、部屋の中は関係者だけになった。無論、部屋の外には護衛のための兵士や、お茶のお代りなどを言いつけるためのメイドが控えている。だがよほど大声で話さない限り、会話が外へ漏れることはない。それでダーマードはシュナイダーに一礼してこう言った。


「この度はこうしてお会いできたこと、大変喜ばしく存じます、シュナイダー殿下」


「ああ。私も辺境伯と会えたことを嬉しく思っている。……早速だが、仕事の話に入ろう」


 簡単に挨拶を済ませると、二人はさっそく密貿易の話を始めた。仕事の話が始めると、ジノーファは途端にやる事がなくなる。邪魔をしないよう静かにしつつ、お茶を飲みながら二人の会話に耳を傾ける。門外漢ではあるが、話はスムーズに進んでいるように思えた。


「……それで、これが今回用意した物品のリストだ」


「拝見いたします。……これは、まことにありがたい」


 リストを眺めつつ、ダーマードは思わずそう呟いた。リストに載っている物資のほとんどは、事前の打ち合わせの中であらかじめ頼んでおいたものだ。今回は初めてと言うこともあり、あまり派手なものは頼んでいない。防衛線維持のために使う物資が主になっている。とはいえ質のいい武器や水薬(ポーション)などの消耗品はどれだけあっても足りない。ありがたいというのは掛値なしの本音だった。


 加えてもう一つ、ありがたいものがある。塩だ。ネヴィーシェル辺境伯領は内陸に位置する。自前で塩を生産することはできない。全て他所から買う必要があるのだが、派閥対立のあおりで少々値段を引き上げられてしまっていたのだ。そういう状況だから、ロストク帝国から安く仕入れられればかなり助かる。


「今後とも、ぜひお付き合いさせていただきたく存じます」


「こちらから話を持ちかけておいてこう尋ねるのは変だが、いいんだな? ある意味で祖国を裏切ることになるぞ」


「国法に違反していることは、重々承知しております。ですがこのままでは、国のために我々が生贄にされてしまう。積極的な支援もない中、そこまで忠義を尽くす義理はありませんな」


 ダーマードははっきりとそう答えた。それを聞いてシュナイダーはにやりと笑みを浮かべる。それから二人は密約の覚書きに署名し、それから固い握手を交わした。こうして密貿易を行うことが正式に決まったのである。


 話が決まると、シュナイダーは達成感のある笑みを浮かべ、ダーマードはホッとしたように小さく息を吐いた。二人ともまだお茶には手をつけていなかったのだが、話をしている内に冷めてしまった。ダーマードがベルを鳴らしてメイドを呼び、新しいお茶を用意させる。メイドが再び退出すると、新しいお茶を飲みながらシュナイダーは彼にこう尋ねた。


「そういえばさっき、国のために生贄にされると話していたが、状況は芳しくないのか? アヤロンの民が移住してきて、幾分良くなったと聞いたが……」


「仰るとおり、一時期に比べれば、状況は好転しました。ですがこれまでに無理をしすぎました。財政は火の車です」


 そう言って、ダーマードはため息を吐いた。その上、魔の森は沈静化したわけではない。防衛線を維持し続ける必要がある。そのための財政上の負担は、かなり重い。もっとも、話の次元が「財政上の負担」で済むようになったのだから、それ自体が大きな成果であるとも言えるが。


 ただもちろんのこと、「財政上の負担」とて小さな話ではない。「生贄にされる」と話したとおり、ダーマードは逼迫した危機感を持っている。そしてだからこそ、何ら支援策を示さないガーレルラーン二世や、派閥の理論を優先するイスファードやカルカヴァンに対し、反感を抱き始めているのだ。それが密貿易へと繋がっている。


「なるほど、な。では、派閥を拡大してはどうだ?」


 ダーマードは自分の力だけで防衛線を維持しているわけではない。彼には彼の派閥があり、いわば身内からの支援を得ているのだ。であれば、派閥を拡大すればより多くの支援を得られるようになる。


「イスファードやカルカヴァンの振る舞いに、隔意を持つ者は多いのだろう? そういう者たちを引き込めばいい。うまくすれば、東域の勢力図を塗り替えることができるかも知れんぞ?」


「そう、簡単な話ではないのですよ……」


 少々力なく、ダーマードはそう答えた。彼とて、派閥を拡大できるものならすでにしている。それができないから、苦慮しているのだ。


 現在、王太子イスファードとエルビスタン公爵カルカヴァンは、全国から物資を徴発している。魔の森に対する防衛線を維持するためだ。これを免れているのは、同じく防衛線を維持しているダーマードと彼の派閥のみと言っていい。そのため両者の関係は対立傾向にある、というのが現在の情勢だ。


 さて、同じく防衛線を維持しているとは言っても、両者の状況はずいぶんと異なる。ダーマードが苦労して防衛線を維持しているのに対し、イスファードやカルカヴァンにはかなりの余裕があった。


 もともと両者の派閥には、大きな力の差がある。その差が、ここへきてさらに開いてしまった。そして現在の両者の対立を、アンタルヤ王国内で知らぬ者はいない。であればより強いほうへすり寄ると言うのは、正しい判断だろう。


「無論、皆がみな、すき好んで公爵にすり寄っているわけではないでしょう」


 だが度重なる物資の徴用によって、国内の貴族たちは揃って力を失っている。その状況で最大派閥に喧嘩を売るようなマネはできない。それで、いわば消極的服従を強いられている、というのがダーマードの分析だった。


「そうは言っても派閥を拡大できるなら、そうしたいのだろう?」


「それは無論、その通りですが……」


 ダーマードは自虐的な笑みを浮かべながらそう答えた。彼とて、シュナイダーの言うとおり、派閥の勢力を拡大できるものならそうしたい。国内の貴族たちがイスファードやカルカヴァンに隔意を持ち始めているのも事実だ。


 しかしそれでもなお、実際に動いてみて反応は芳しくない。それが現実なのだ。だがシュナイダーはにやりと笑い、彼にこう囁いた。


「今までは、な。だがこれからは違うかも知れんぞ?」


 アヤロンの民が魔の森のダンジョンを攻略していることで、防衛線の負担は一時より確実に減っている。そこへさらに密貿易を始めるのだ。負担はさらに減るだろう。加えてそもそも、ダーマードが維持している防衛線は、カルカヴァンが維持している防衛線より短い。維持のための負担も軽いのが道理だ。


 その負担を、拡大した派閥内でさらに分散する。すると一人当りの負担は今より、つまりエルビスタン公爵の派閥を支持した場合より、軽くなる。この明確な利を説けば、派閥の勢力拡大は決して難しくないはずだ。


「なるほど。それは、確かに……」


「それからもう一つ。派閥を拡大できれば、ここが交易の中継地になる」


「っ!」


 ダーマードは目を見開いた。それは考えたこともない発想だった。交易とは無縁だったこの地が、一転してその中心となるのだ。どれほどの利が生まれるのか。少し想像しただけで、彼の血は沸き立った。


 無論、密貿易を知られるわけにはいかない。だが、防衛線維持のためにここへは多量の物資が集まってくる。これが良い目くらましとなるだろう。派閥内の貴族から物資を買い付けるのも、おかしな話ではない。


「東域の貴族たちに、改めて声をかけてみましょう。状況は変化するもの。また違う答えを聞けるかもしれない。つきましては、お力添えをお願いいたしたく……」


「ああ。できることなら手を貸そう。一緒にこの密貿易で大儲けしようじゃないか」


 そう言って、シュナイダーとダーマードはまた諸々の打合せを始めた。そうやって話をしつつ、シュナイダーは横目でちらりとジノーファの顔を窺う。彼は素知らぬ顔でお茶とお菓子を楽しんでいた。シュナイダーはそれを見て、内心で苦笑する。


「ダーマードに派閥を拡大させる」という案を出したのは、実はジノーファである。密貿易を介してロストク帝国の影響力をより浸透させるための方策として、彼がシュナイダーに提案したのだ。


 その提案を聞いたとき、シュナイダーは内心舌を巻いた。無論、彼とて密貿易の影響力を東域全体に広げるための方策は色々と考えていた。だが派閥を絡めてという発想はなかった。


 加えて、ダーマードに派閥を拡大させれば、調略による切り崩しは容易になるだろう。貴族家の一つ一つではなく、派閥と言う一つの組織と交渉を行えばよくなるのだ。そしてその派閥の首魁は、密貿易に最も深く関わっているダーマード。成功は半ば約束されていると言っていい。


(ったく、人畜無害そうな顔をして……)


 なかなか痛烈な手を思いつくものだ。おかげで仕事量が増えてしまった。隣でのんびりしているこの弟分に、シュナイダーは少しだけしてやられた気分だった。


ユスフ「悪い大人の話し合い」

ノーラ「お宅のご主人様も一枚噛んでますよ」


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