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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
五章 赤竜の王

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94話 甘美な夢、あるいは終わり無き絶望

 心地よい浮遊感を感じていた。

 まるで空を飛ぶ鳥のように、不思議な解放感を味わっていた。


 少女は夢心地で。

 おぼろげな意識の中。

 薄らと開いた瞳に写ったのは。


――赤黒い雫。


 途端に意識が覚醒する。

 見渡してみれば、あたり一面の暗闇。

 少女の白い肌に纏わり付くように黒い霞が漂っていた。


「ここは……」


 見覚えのある場所だった。

 果てしなく広がる闇。

 何か、悍ましいものが己を蝕んでいく感覚。


 それは終わり無き絶望の始まり。

 あるいは、甘美な夢の誘い。

 体中に感じる疼きは、果たして何を待ち侘びているのか。


「夢……じゃない」


 思考は至って冷静だった。

 最後に覚えている記憶は、赤竜の王を殺したこと。

 であれば、その直後に気を失ってしまったのだろう。


 アインは体を動かそうとして、右腕が無いことに気付く。

 酷く焼け爛れた腕は、苛烈な戦いの末に千切れてしまった。

 あれだけ酷使してしまったのだから、むしろよく耐えてくれた方だろう。


 腕を失った事に対して、アインは大した感想を抱いていなかった。

 ただ、戦いの中で失っただけのこと。

 しいて言えば、槍を振るうのに不便してしまう程度だろうか。


 ふと、右手に刻まれていた黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカの事を思い出す。

 右腕を失ってしまったせいで、力を失ってしまってはいないだろうか。

 そう思って体を見回すと――。


「ッ……」


 胸元に見慣れた黒い魔紋が刻まれていた。

 力を失ってはいないのだろう。

 アインは安堵したように息を吐き出す。


 そして、アインは意識を上へと向ける。

 彼女・・は以前と変わらぬ姿で赤黒い雫を流し続けていた。


 その存在は、折れた漆黒の翼を愛おしそうに抱えていた。

 涙を流しながらアインに微笑んでいた。


 以前は恐怖のあまり、その表情をよく見ることが出来なかった。

 ただ微笑んでいるとしか思えなかった。

 しかし、今のアインはその存在をよく見ることが出来た。


 慈愛に満ちた瞳と、優しく弛められた口元。

 それを見て、微笑んでいると思った以前のアインは間違っていた。


「邪神……ファナキエル」


 アインに呪われた運命を与えた存在。

 原初の神の一柱。

 それは決して条理に縛られず、ただ上から見下ろすのみ。


 嗤っているのだ。

 地を這い蹲ってでも生き延びようとする姿を。

 失われた右腕を見て、邪神は楽しげに口角を上げていた。


 流れ出る赤黒い雫。

 それが黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカと同質の力であることを感じ取ると、アインは愕然と下に視線を向ける。

 そこには数多の魂が揺蕩っていた。


 赤黒い雫を浴びた魂は、見覚えのある存在へと変容していく。

 それは、災禍の日に現れる悍ましい化け物。

 地を埋め尽くすほどに増加していくそれを見て、アインは愕然と視線を戻した。


 相変わらず、邪神はアインを見つめていた。

 かの存在は何を思って力を与えたのか。

 その思惑がアインには分からない。


 だが――。


「我は渇望する。永劫の悦楽よ、此処にあれと――血餓の狂槍フェルカー・モルト


 目の前には最上の御馳走を用意されているのだ。

 それを喰らおうとするのは当然のこと。

 アインは槍を手に、邪神に襲い掛かろうとする。


 しかし、それは無謀というに他ならない。

 原初の神の一柱、邪神ファナキエル。

 かの存在に刃を向けることがどれほど愚かな事なのか、その身を以て理解させられる。


 邪神はアインに向けて手を翳す。

 その瞬間――体中を突き抜けるような激しい恐怖を感じた。


 咄嗟に横へと飛ぼうとしたアインの右脚を、どこからか伸びてきた黒い鎖が絡め取る。

 力任せに引き千切ろうとするが、鎖はびくともしなかった。

 続いて、左脚が黒い鎖に絡め取られてしまう。


 次々と現れる鎖によって磔にされたアインは、鋭い視線を邪神へと向ける。

 これでは槍の間合いに入らない。

 傷を付けることさえ叶わないのだ。


 苦し紛れに左手で槍を投擲するが、見えない何かに阻まれて槍は弾かれてしまった。

 もはや成す術はないだろう。

 どれだけ足掻いても、体を動かすことさえ出来ない。


 邪神は鎖を手繰ってアインを引き寄せる。

 そして、未だ戦意の衰えない様子のアインに手を伸ばした。

 頬を撫でるように、首筋、鎖骨と伝っていき胸元の黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカへと手を触れる。


 その刹那――体中を焼けるような激痛が襲った。

 同時に、黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカが激しく光を放ち、アインの胸元から全身へと広がっていく。


「くッ……うぁ……」


 呻くように声を漏らす。

 それさえも、邪神は穏やかに微笑んで眺めていた。


 やがて体中に魔紋が広がると、邪神はそっと離れていく。

 ようやく激痛から解放されたアインだったが、安堵する暇はなかった。


 邪神の手には槍が握られていた。

 アインが呼び出していたものとは次元の違う、恐ろしいほどに強大な魔力を秘めた槍。

 まるで奈落を覗いている時のような不安を感じていた。


 だが、その穂先が自身に向けられていることに気付いた時、何故だかアインは嗤っていた。

 まるで痛みを受け入れるかのように、その瞼を閉じて耳を澄ます。


『――汝の行く道に祝福わざわいあれ』


 その声と同時に、アインの心臓を槍が貫く。

 全身を駆け巡る激痛。

 それはあまりにも甘美で、蕩けてしまいそうだった。

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