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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
五章 赤竜の王

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89話 騎士の選択

 アインは聖翼竜エリュシオンの魂が体に流れ込んでくるのを感じていた。

 これまで倒してきた相手とは違い、この竜は強大な力を持っている。

 それ故に、力の流れを感じ取ることが出来た。


 果たして、今の己はどれほどの力を持っているのだろうか。

 湧き上がる力はゾクゾクするほどに甘美で心地が良い。

 黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを解放せずともこれだけの力があるのだから、解放した時はきっと最高の悦楽が待っていることだろう。


 だが、同時に変質していく己の魂に違和感があった。

 少なくとも、今のアインは黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを授かる前とは大きくかけ離れている。

 黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカは内に秘めた本性を露にするというが、それにしてもアインは大きく変わってしまった。


「アイン殿。先ほどの会話はいったい……?」


 唯一、この場でアインの事情を知らないカタリーナが尋ねる。

 魔紋のことも、邪神のことも、彼女は知らないのだ。


 説明すれば、きっと彼女はアインを恐れることだろう。

 禁忌とされる黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを持っているのだ。

 ドラグニアの信仰を存続させるために、教皇庁に従順な姿勢を見せようとアインを捕縛しようとするかもしれない。

 カタリーナの立場にあれば、その行動は十分にあり得る話だ。


「……どうする?」


 マシブがアインに視線を向ける。

 問いの意味は、カタリーナをこの場で殺すかどうかということだ。

 剣に手は掛けていないものの、マシブはいつでも襲い掛かれる態勢に入っていた。


 アインはその行動が意外に思えた。

 マシブは悪人面をしてはいるものの、基本的には善人だ。

 盗賊などには非情な一面を見せることはあるものの、カタリーナのような罪の無い人間を殺めようとすることは今まで無かった。


 それが、彼なりの覚悟だった。

 アインの本性は酷く残酷で凶暴。

 自らの爛れた欲求を満たすために命を奪う狂った獣だ。


 もしアインと同じ道を行くのであれば、相応の覚悟が必要だ。

 時には多くの命を奪うことになるかもしれない。

 非情な手段を択ばなければならない時があるかもしれない。

 そのために、マシブは己も冷酷に、残虐に、命を奪って嗤えるような人間を目指して戦い続けてきたのだ。


 アインは少し考えた後、首を振った。

 カタリーナは殺すべきではない。

 彼女のことは信用できるとまではいかずとも、少なくとも黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカのことを黙してくれるとは確信していた。


 アインは皮手袋に手をかけると、黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを曝け出す。

 カタリーナはそれを見て愕然としていたが、すぐさま何かをしようという様子はなかった。


「――黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカだと。なぜ、アイン殿が」

「なぜ、なんて理由は私にも分からない。邪神に気に入られたのか、気まぐれなのか」


 アインに魔紋を刻んだ邪神――ファナキエル。

 狂気と暴食を司りし、原初の神々の一柱。

 エリュシオンから聞けた情報はそれだけだったが、自身の力を把握するための手掛かりにはなるだろう。


 アインはカタリーナの瞳を見つめる。

 随分と動揺しているらしく、その瞳は困惑に揺れていた。


「それで、カタリーナ。あなたはこれを見てどうする?」

「私は……」


 突然のことで考えがまとまらないのだろう。

 それで刃を向けるのであれば、アインは構わず彼女を殺す。

 黙するのであれば、そのまま共に赤竜の王を討伐することになるだろう。


 ドラグニアは今、教皇庁の支配下に呑まれようとしている。

 彼らの長く守り続けた信仰さえも蹂躙され、教皇庁の崇める神を押し付けられようとしているのだ。

 アインを手土産に信仰の存続を請うか、はたまた反抗心から見逃すのか。


「……ドラグニアにあるのは、英雄ローレンと竜を崇める心のみ。教皇庁の教えなど、私は知らない」


 強張った顔で、カタリーナは黙することを選んだ。

 教皇庁に飼われることなど御免なのだろう。

 黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを禁忌とする教皇庁の教えを彼女は拒んだ。


「そう、それは良かった」


 淡々とした声でアインが言う。

 そこに感情の色がないのは、カタリーナがどちらを選ぼうと構わないと思っていたためだろうか。

 だが、マシブにはむしろ血を見られずに落胆しているようにさえ見えた。


「にしてもよ、さっきの竜の話じゃ、赤竜の王も黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカと似たような力を持ってるんだよな。ってことは、元々のそいつよりも随分と厄介なことになってるんじゃねえか?」


 活性化の根源たる邪なる力。

 理性を狂わせ、本性を曝け出させ、対価として強大な力を与える。

 その性質は、確かに黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカとよく似ていた。


 アインはこれまで戦ってきた魔物のことを思い出す。

 活性化の影響によって凶暴化していたものの、今まではそこまで感じ取ることが出来なかった。

 だが、エリュシオンの話が間違いでなければ赤竜の王は非常に厄介な力を持っていることになるだろう。


「三人では厳しいのかもしれない。アイン殿、王都に援軍を要請した方がいいのでは?」

「必要ない」

「しかし、かの赤竜の王がより強大な力を得ているとしたら――」

「万が一のことがあったとしても、黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを解放すればいいだけ。それとも、恐れているの?」


 竜という存在の恐ろしさはカタリーナが一番よく分かっているだろう。

 その中で最も古い竜とされる赤竜の王ロート・ベルディヌ。

 かの竜が邪悪な力によって強化されているのであれば、恐怖を抱くのは当然かもしれない。


 カタリーナには、この状況でさえ平然としていられるアインとマシブが異常に思えた。

 恐怖という感覚が麻痺しているとしか思えなかった。


「……分かった。だが、危険な時は退くことも頭に入れておいてくれ」


 この場にいる三人はいずれも腕の立つ者だ。

 並大抵の魔物が相手であれば、万が一ということはありえないだろう。

 だが、カタリーナには赤竜の王と対峙するには戦力が不足しているように思えた。


 彼女は知らないのだ。

 アインが本性を露わにした時、どれだけの惨劇を引き起こすのかを。

 それを知っているマシブは微塵も勝利を疑っていなかった。


 そして、アインたちは赤竜の渓谷の最奥へと辿り着く。

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