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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
十章 狂乱の終章

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168話 邪教の神父・前

 荒涼たる大地に彼は佇んでいた。

 大きく広げられた両腕は、傲慢にも夜明けを抱いて捕らえたまま離さない。


 世界を常闇に閉ざした邪教の神父――ヴァルター・アトラス。


 己の力を微塵も疑わず、尊大な笑みを浮かべて待ち構えている。

 事実、彼は神と呼ぶに相応しい力を持っていた。

 万象全てを弄ぶ、そんな彼を邪神と呼ばずに何と定義すればいいのか。


 この地に訪れる者は一人。

 誰が来るかは神のみぞ知る。


 やがて遠くから現れた人影を見て、ヴァルターは感心したように「ほう」と息を吐いた。


「やはり、貴女が来ましたか」


 外套を揺らしながら一人の少女が歩いて来た。

 殺気に満ちた瞳は刃よりも鋭く、片腕は物々しい鋼の義手となっている。

 返り血に塗れた彼女を見て、誰もが口を揃えてこう言うだろう。


――殺人狂。


 ただひたすらに血を求めてきた飢えた獣。

 獲物と定めた相手は決して逃がさず、目に映る全てを葬ってきた殺戮者。


「ああ、貴女はなぜこんなにも、我が狂気を掻き立てるのか……ッ!」


 ヴァルターは今すぐにでも抱擁をしたい気持ちになった。

 そうして彼女の旅路を讃え、自らと同じ場所に到達したことを褒めたかった。


 だが、それは出来ない。

 彼と彼女は敵同士なのだ。

 互いの狂気をぶつけ合い、最後まで立っていられる者は一人だけ。


 それでも、賞賛せずにはいられない。

 ヴァルターは目の前の少女に言葉を届ける。


「――お待ちしておりました。先ずは貴女の狂気を、讃えさせていただきたい」


 その言葉に、アインは不愉快そうに眉をひそめた。

 体中から湧き上がる殺意の衝動。

 それを発散させるために来たというのに、ヴァルターは対話を望んでいるようだった。


 しかし、アインにも彼と話すべきことがある。

 殺し合うのは、それからでも遅くはない。


「これを読ませてもらった」


 一冊の本を地に放り投げる。

 そこには『バロン・クライの手記』と記されている。


 それと巡り合ったのは偶然か、あるいはそれさえも仕組まれていたのかは分からない。

 ヴァルターは感心したようにそれを拾い上げ、懐かしむように眺めた。


「ああ、これは私の手記です。読んだのであれば、きっと我が狂気にも理解を得られるはず」


 ヴァルターは懐からダガーを取り出し、それが入っていた場所に手記を収める。

 そうしてダガーを捨て去ると、彼は騙り出す。


「我が狂気の原点は、妹――リトラなのです。恐らく私は正気だ」


 そう言うが、アインからすれば最も悍ましい狂気を孕んでいるのは彼だ。

 誰よりも深淵なる思考を持つ彼を、未だに把握しきれていない。


黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを得たあの日以来、絶えず声が聞こえるのです。世界が憎い、と……」


 ヴァルターは頭を抱えて目を見開く。

 そう話している今でも、妹の声が聞こえてきていた。


「呪いのように繰り返されるのです。憎い、憎い、憎いと……ああ、リトラの言葉が、片時も脳裏から離れないッ!」


 それは悲鳴だった。

 亡き妹の狂念に苛まれる、一人の哀れな神父の姿。


 そうせざるを得なかったのだ。

 世界を滅ぼさなければ、彼は亡霊に激しく責められてしまう。

 故に、こうして儀式を成功させ、あと一歩のところにまで到達した。


「我が道を阻むのであれば……我が野望を阻むのであればッ! さあ、それに足るだけの力を示すといいッ!」


 ヴァルターが殺意を露にして、懐から魔導書を取り出す。

 本気でアインを殺すつもりでいるようだった。


 アインもまた、殺気立った様子で槍を手に取る。

 恐らく、これが最後の戦い。

 出し惜しみをする必要はない。


 先手必勝とばかりに槍を構え、アインは詠唱する。


「――此の地に災厄を齎せラージェ・ヴルカーン


 穂先から噴き出した紅蓮の業火が大地を焼き尽くす。

 膨大な魔力を込められた大魔法の行使。


 しかし、ヴァルターは手を前に突き出して短く詠唱する。


「――魔術破壊レジスト


 その一言で、アインの生み出した魔法が消滅する。

 彼の間近まで迫っていた炎は忽然と消えてしまった。


 このでは足りない。

 であれば、より強大な魔法を放てばいい。


「――そして全て灰塵と化せアレス・フェアブレンネン

「――魔術破壊レジスト


 辺りは何事も無かったかのように、静けさを保っている。

 アインの魔術は発動さえされなかった。


 彼我の実力差は明白だ。

 何十年と魔術を磨き上げてきた相手に対抗するにはアインは未熟すぎる。


「魔道の果てに到達せし我が前に屈するといい! さあ、さあ!」


 ヴァルターは愉快そうに笑みを浮かべ、そして魔術を構築する。

 彼の両隣に巨大な魔方陣が浮かび上がった。


「行きなさい――日輪竜門フェーブス・ドラッヘ


 生み出されたのは二頭の炎竜。

 魔術によって生み出されたというのに、まるで魂があるかのようにアインに襲い掛かる。


 だが、竜の力は恐れるに足らない。

 赤竜の王と比べれば、この程度の竜など雑種でしかないのだ。


「――這い蹲って」


 重力魔法の行使。

 その術理を理解出来ないのか、ヴァルターは魔術破壊レジストをすることが出来なかった。


 強大な力によって押さえ付けられ、二頭の炎竜は大地に付す。


「――潰れて」


 さらに魔力を込め、命じる。

 重力魔法の負荷に耐えきれなくなり、二頭の炎竜は圧し潰されて掻き消えた。


「ああ、妬ましい。この私でさえ、その美しい魔術は解析出来ない」


 魔術に絶対の自信を持つヴァルターだったが、彼は重力魔法に嫉妬をしていた。

 どれだけ術式を解析しようと全く理解できないのだ。

 彼の瞳に映るのは、芸術的に編み上げられた術式の光。


「しかし――」


 ヴァルターは再び魔術を構築し始める。

 闇に包まれた空を照らすように、数えきれないほどの魔方陣が浮かび上がる。


「これはどうでしょうか――血刃嵐ラーゼン・ロート・キース


 無数の赤い刃が雨のように降り注ぐ。

 常人では成す術無く殺されてしまうだろう。


 だが、アインは槍を構える。

 降り注ぐ刃を迎え撃つように身構え――駆け出す。


 降り注ぐ刃を躱し、槍で打ち払い、義手で防ぐことで耐え凌ぐ。

 だが全てを防ぐには数が多すぎた。

 その内の一つがアインの頬を掠める。


「チッ――邪魔ッ」


 義手を前に突き出し、魔力を込める。

 思い描いたのは反重力だ。

 降り注ぐ刃は重力魔法によって徐々に減速していき、やがて完全に制止する。


「貴女はどうして、私の期待をこうも超えてくるのか! ああ、素晴らしいッ!」


 ヴァルターは歓喜する。

 これだけ成長しているのであれば、自分も存分に力を振るうことが出来る。

 そう考えるだけで、心の奥底から悦びが湧き上がってくるようだった。


「さあ、始めましょうか! 我々の、狂気を賭けた戦いをッ!」


 そうしてヴァルターは、右手に着けた皮手袋を取り払った。

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