114話 憎悪の翼(1)
義手を慣らすべく鍛錬を積んでいた時、里の北側と南側から同時に敵襲の報せが上がった。
アインは手近にある背の高い家に飛び乗ると、里全体を見渡す。
「これは……」
無数の茨が里全体を覆うように蠢いていた。
外壁も数ヶ所崩されており、既に近くにいたエルフたちが邪教徒と交戦していた。
驚くべきは、これほどの大規模魔法を行使したカーナの才覚だろう。
教団の幹部とされるだけあって、その実力は本物だ。
現に、アインは彼女の気配を掴みかねていた。
彼女は動き犇めく茨の何処かに身を潜めているのだ。
見渡しても、その姿は見当たらない。
北側か、あるいは南側か。
アインの視界にマシブの姿が映る。
彼は既に向かう先を決めたらしく、北側へと疾走していた。
であれば、自分は――。
「……南側に」
マシブならば、そう易々と死ぬようなことは無い。
彼もまた多くの視線を潜り抜けてきた強者だ。
それこそ、カーナと遭遇しさえしなければ危険はないだろう。
アインは南側に視線を向ける。
邪教徒の中に黒鎖魔紋を持つ者の姿が見えた。
一際派手な法衣を纏った一人の少年。
その顔には見覚えがあった。
見つけた途端、アインは凄まじい速度で駆け出す。
彼に対して並々ならぬ怒りを抱いていた。
いずれ再会する時があったならば、殺してやりたいと思うほどには。
行く手を阻むように何人もの邪教徒が立ちはだかる。
だが、有象無象に構っている暇は無い。
アインは邪教徒の頭を義手で鷲掴みにすると、魔力を込めていく。
「ああああああッ! 潰れ、潰れるッ!?」
邪教徒が必死の形相で声を上げる。
徐々に力を込めていくと、最大出力に達する前に頭が潰れてしまった。
「……脆い」
あまりにも脆い。
義手に付着した血を見つめながら、アインは残念そうに呟いた。
大して魔力を込めていないというのに、容易く握り潰してしまった。
これでは性能を試すには物足りない。
あまりにも惨い死に様だった。
頭を握り潰され、地に転がる亡骸の表情は絶望に染まっていた。
これまで幾度となく殺しをしてきた邪教徒たちも、アインを前にして後ずさる。
慈悲は無い。
あるのは、飢えた獣のような爛れた欲求のみ。
目の前に馳走が据えられているというのに、黙って見逃がすという手はないだろう。
そう、皆がアインの糧となるのだ。
飛来する無数の魔法を義手で振り払う。
ラドニスが仕立てただけあって、義手には全く傷が付いていなかった。
苛烈な戦闘にも耐えうる硬度、信頼に足る代物だった。
アインの存在に気付いたのだろう。
邪教徒たちの奥から、目当ての少年が姿を現す。
「お姉さん、あのとき村に来ていた冒険者だよね? まさか、こんなところで会うことになるなんて思わなかったな」
――アルフレッド・ベルト。
病魔に冒されたヘスリッヒ村。
そこで村の人々から酷い仕打ちを受けていた流れ者の親子。
憎悪に狂い、黒鎖魔紋を発現させた少年だった。
彼は周囲を見回す。
アインの足元に転がる惨い死に方をした死体。
そして、怯え切った邪教徒たち。
誰がこの状況を生み出したのか、考えるまでもないだろう。
「へえ、随分と惨いことをするんだね。てっきり、お姉さんはもっと優しい人だと思っていたんだけれど」
彼が知るアインは、ヘスリッヒ村の住民から庇ってくれた優しい姿だけだ。
それ故に、彼の抱く像と現実とが結び付かずにいた。
「カーナ様から腕が立つ冒険者がいるって聞いていたけれど、それがお姉さんだったなんてね。殺すにはちょっと惜しいかなあ……」
「……誰を、殺すの?」
「そりゃあもちろん、お姉さんのことに決まっているじゃないか」
よほど自分の実力に自信があるのだろう。
強烈な殺気を受けているというのに、アルフレッドは笑みを絶やさない。
鈍感なのか、あるいは相応の実力者なのか。
「見てよ、この黒鎖魔紋を。僕はこれのおかげで生まれ変わったんだ。誰にも虐げられることのない強者に」
右手に刻まれた黒鎖魔紋は、今か今かと力の解放を待ち侘びていた。
その力は、はたしてどれほどの物なのか。
「アルフレッド。なんで、教団に従っているの?」
「それはもちろん僕の意思さ。あのお方は僕の過去を聞いて涙を流し、優しく受け入れてくださった。そして、崇高な使命……世界に絶望を齎すために、僕に役割も与えてくださった!」
興奮した様子で天を仰ぐ。
首から下げた逆十字を手に、アルフレッドがアインに問いかける。
「僕は教団の司祭なんだ。お姉さんが僕の物になるっていうなら、良い待遇で受け入れてもらえるように口利きしてあげるよ」
「断ったら?」
「力尽くでも従えて見せるさ」
「……そう」
アインは呆れたように溜息を吐き出す。
こんな子供のために、ヘスリッヒ村が滅びたのか。
村を救おうとした自分の努力が無に帰したのか。
もし彼が隷属させられているのであれば、多少は情けを与えても良かった。
だが、エルフの里で殺戮を繰り広げているのは彼の意思。
アルフレッドが自ら望んで教団に力を貸しているのだ。
であれば、これ以上の問答は無用だろう。
「――良かった。それなら、安心して殺せる」
「な、何を……」
アインの瞳の凍てつくような冷たさに、アルフレッドが狼狽する。
ヘスリッヒ村で虐げられていた時でさえ、ここまで恐ろしい視線を感じたことは無かった。
「ぼ、僕は黒鎖魔紋を持っているんだ。素直に従わなかったことを後悔させてやる」
アルフレッドは黒鎖魔紋を高々と掲げ、詠う。
「我は清浄なる世界を望む者。だが、汝は醜悪なり――黒情の狂翼」
禍々しい魔力がアルフレッドの背から噴き出す。
それは翼のように象られていた。
赤黒く脈動する悍ましい翼、それは正しく第二段階まで至った者の力。
「さあ、僕の力を見せてやるッ!」
憎悪に狂った瞳で、アルフレッドが襲い掛かる。




