111話 茨の魔女
ミレシアの表情には焦りが窺えた。
彼女でさえ苦戦するほどの相手だったのだろう。
視線の先に顔を向けると、そこには一人の女性がいた。
「あら……これは、随分と派手に暴れてくれたようですね」
紫水晶のような美しい髪を靡かせて愉しげに笑みを浮かべる。
体中に走る魔紋を見れば、彼女が幹部のカーナであると理解できた。
アインはミレシアに視線を向ける。
随分と苦戦していたらしく、激しく肩が上下している。
それだけでなく、魔力も酷く消耗しているようだった。
それでも黒鎖魔紋を持つ者を相手にここまで耐えられたのだから、むしろ称賛すべきだろう。
「アイン、気を付けて。あの女は危険よ」
「……見れば分かる」
カーナの体に広がる魔紋。
そして、右手に握られた赤黒い杖。
深く考えずとも、彼女が二段階目まで解放していることが理解できた。
だが、それだけではない。
アインは先ほどのゴルドとは比べ物にならないほどの魔力を彼女から感じていた。
右腕を失っている現状で、はたして勝てるのだろうか。
カーナは周囲を見回し、ゆっくりと息を吐き出す。
「ゴルドは……逝ったようですね。まさか彼ほどの男を倒すなんて。わたくし、ゾクゾクしてきましたわ」
頬を上気させて、自分の体を抱きしめるように悶える。
熱っぽい吐息でアインに尋ねる。
「貴女は黒鎖魔紋の二段階目まで……。その力を、教団のために使う気はありませんの?」
「その問答は、さっきの男と終わらせてる」
「あら、そう……。残念ですわね。貴女ほどの力があれば、幹部の座も間違いないというのに」
心底残念そうな表情でカーナが溜息を吐く。
味方がこれだけ殺されているというのに、彼女は全く気にする素振りを見せなかった。
そして、その瞳に嗜虐の色が浮かぶ。
彼女の持つ狂気がアインに向けられていた。
膨大な魔力を練り上げて、カーナが詠唱する。
「打ち払え――茨の鞭」
周囲の大地が盛り上がり――巨大な茨が次々と姿を現す。
黒鎖魔紋の影響か、茨には赤黒い魔紋が浮かび上がっていた。
振り下ろされた茨の鞭を槍で受け止める。
だが、予想よりも遥かに重い一撃に、アインは危険だと判断して受け流す。
あまりの威力に大地が抉れていた。
茨の鞭は一本だけではない。
大地から無数に生えているのだ。
休む間もなく次の茨の鞭が振り下ろされ、アインは回避に徹する。
「さあ、さあ! わたくしの前で、もっと無様に逃げ回ってくださいまし!」
熱を帯びた声色で、カーナが次々に茨の鞭を振り下ろしていく。
これだけの手数と威力があれば、ミレシアが苦戦してしまうのも仕方がないだろう。
アインは納得すると、その場で立ち止まる。
避けることを諦めたわけではない。
ただ、これ以上見ていても参考になるものはないと感じたのだ。
アインは血餓の狂槍を翳し上げ、詠唱する。
「――そして全て灰塵と化せ」
紅蓮の業火が視界に映る全てを焼き払う。
襲い来る茨の鞭も、その炎を前にして成す術なく燃え上がり、塵芥となって消え去った。
「それで、次は何を見せてくれるの?」
アインの問いに、カーナは苛立ったように顔を歪ませる。
槍を持っていることから、アインが魔術を扱えるとは思っていなかったのだ。
カーナは自然を操る魔術を扱う。
であれば、炎を扱えるアインは彼女にとって戦い辛い相手だろう。
ミレシアのような純粋な剣士が相手であれば圧倒できるが、アインのような魔術も扱う相手には相性が悪いようだった。
「わたくしを煽ったこと、後悔させて差し上ます――喰命砲」
その手に収束した異質な魔力を見て、アインは最大限の警戒を以て迎え撃とうとする。
だが、ミレシアが声を上げる。
「避けてッ! それを受け止めたら――」
「手遅れですわねッ!」
凄まじい速度で赤黒い魔力弾が打ち出される。
避けるにはあまりにも早く、受け止めるにはあまりにも強力な魔法。
何より、その異質な魔力から嫌な予感が頭から離れずにいた。
アインは咄嗟に血餓の狂槍を投擲する。
魔力弾と衝突し、まるで吸い込まれるように槍が消失した。
「――ッ!?」
なおも魔力弾は止まることなくアインの体を穿つ――はずだった。
アインの眼前で、まるで何者かによって阻まれたように魔力弾が霧散した。
何が起きたのか、アインもミレシアも理解できていなかった。
何故ぶつかる直前で魔力弾が消失したのか。
唯一、この場でカーナだけが、何が起きたのかを把握していた。
「……そう。仕方ありませんわね」
黒鎖魔紋の力を解除すると、カーナが懐から魔道具を取り出す。
それが転移魔法を扱う物だと気付いた頃には、既に魔法は完成していた。
「けれど……少し妬けてしまいます。あのお方が、こんなにも目を掛けているなんて」
そう言い残して、カーナがその場から消え去る。
アインは取り逃したことに舌打ちをすると、自身も黒鎖魔紋を解除する。
「……今のは何」
カーナの最後に放った魔法――喰命砲。
それ自体については、おおよその見当が付いていた。
恐らく、触れた対象の魔力や生命力を喰らう魔力弾なのだろう。
問題はそれではない。
喰命砲ほどの魔法を容易く消失させた存在。
カーナや他の邪教徒が“あのお方”と呼び、崇める者は何者なのだろうか。
先ほどの戦いで“あのお方”なる存在が干渉しなければ、アインは酷い傷を負っていたことだろう。
片腕を失って全力を出せない現状で、さらに怪我を負ってしまえば勝ち目はない。
見逃されたのだ。
教団に仇なす存在でありながら、命を助けられてしまったのだ。
その屈辱に、アインの顔が怒りに歪む。
殺し尽くしてやりたい。
これほどまでの屈辱を味合わされたのだ。
決して許せるはずがない。
教団を統べる“あのお方”なる存在を、いずれ必ず殺すのだと胸に誓う。
「……命拾いしたわね」
ミレシアもまた、命の危機を感じていた。
純粋な剣士である彼女にとって、カーナのような戦い方は相性が悪い。
さらに相手は黒鎖魔紋を持っているのだから、もし次があれば確実に命を落とすことになるだろう。
「まだ終わってない」
「……どういうことかしら?」
「この程度で退くような相手には思えない。きっと、次は里を滅ぼしに来る」
ゴルドほどの男でも下っ端より少し上程度の扱いだった。
それほどまでに教団の抱えている戦力は強大なのだろう。
場合によっては、里を確実に攻め落とすために黒鎖魔紋を持つ者をさらに多く投入してくる可能性があった。
「そうね……一度里に戻って、対策を練る必要があるわね」
一先ず邪教徒の拠点を潰すことには成功した。
だが、二人の表情は晴れなかった。




