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87.アケルナー国の動向

 ジェイミーが伯爵を殴り飛ばした次の日の朝。


 騎士隊の執務室で、隊長は戸惑いの表情を浮かべていた。見ず知らずの男の肖像画が目の前に鎮座(ちんざ)しているからだ。執務机に頬杖をつき肖像画の男と睨み合ったまま、隊長はゆっくりと口を開いた。


「ジェイミー。何だこれは」

「アケルナー国のベイド子爵です」

「そうか。念のため言っておくが、俺は今すごく戸惑っている」

「そうですか。ところで隊長、陛下が握っているというバリック国王の弱点をご存じですか?」


 肖像画を隊長の眼前に差し出したまま、しれっと話を進めるジェイミー。隊長は思わずといった風に目を見開いた。


「おかしいな。今のは戸惑っている理由を聞く流れだと思ったんだが……」

「シェリルが話していましたよね。陛下がバリック国王の弱点を握っているから、アケルナー国も陛下の弱点を知りたがっていると」

「会話が成立していないと思うのは俺だけか?」


 隊長のかたわらで今日の騎士隊の予定を確認していた副隊長は、予定表から顔を上げジェイミーに気遣わしげに声をかけた。


「怪我は治ったのか? 衛生隊の許可がないと復帰はさせられないぞ」

「もう全快しました。実はシェリルが以前、陛下が握っているバリック国王の弱点について口を滑らせました。流行り病をこじらせて体が弱ってきているという内容です。昨日ウィルに確認してみたら、確かに同じことを陛下が言っていたと認めました」

「昨日というと、お前が父親を殴り飛ばした日のことだよな。ジェイミーの反抗期がようやく始まったとニックがせっせと言いふらしているが放っておいて大丈夫か?」


 隊長の言葉をきっかけに、周囲にいた隊員たちの視線がジェイミーに集まる。ジェイミーはもの言いたげな仲間たちの視線を全く意に介さず、報告を続けた。


「ルドベキア軍は嘘をついています。おかしいでしょう。一介(いっかい)の盗賊であるシェリルがバリック国王の弱点を知っているなんて」


 隊長はいろいろと諦めた様子でため息をつき、椅子の背もたれにどさりと背中を預けた。


「お前はあの女が盗賊じゃないという話をするためにここに来たのか?」

「いえ、アケルナー国がシャウラ国と手を組んだかもしれないという話です」


 隊長と副隊長は訳がわからないという表情でお互いに視線を交わす。ジェイミーは淡々とした口調で話を続ける。


「隊長と副隊長を信用して報告しますが、ウィレット家の使用人の証言はやはり偽りでした。昨日の夜しつこく問い質したんですが、とうとう本当のことを話しました。俺を襲ったのはシェリルだと証言しなければ再び屋敷の人間を襲いに来ると、カルロという男に脅されたそうなんです」


 偽証罪に問われることを恐れ、使用人はなかなか口を割らなかった。ジェイミーの必死の説得に、渋々本当のことを打ち明けたのだ。


「つまり、お前が見たカルロという男は実在するということか」

「はい。シェリルと親しいようでしたから、恐らくスプリング家の人間です。あの男がなぜ俺のことを殺そうとしたのか、大体見当もついています」


 ジェイミーの言葉に、静かに話を聞いていた副隊長は目を細める。


「どういうことだ?」

「この肖像画の男は、二年前リリーに結婚を申し込んだアケルナー国のベイド子爵です。この男を、俺は闘技場の事務室で見かけています」


 闘技の賞金を受け取る際に、従者を引き連れた男とすれ違った。あの男とベイド子爵が、昨日、ジェイミーの頭の中でようやく一致した。


 隊長は改めてジェイミーが掲げる肖像画をまじまじと見つめる。


「確かなのか?」

「断言は出来ませんが、絶対にあり得ないとも言いきれません。闘技場に出入りしていたのがベイド子爵ならその目的は明白です。アケルナー国と闘技場というと、共通点はそう多くありません」


 多くないどころか、思い当たる共通点はひとつしかない。


 人身売買だ。


 人身売買の黒幕は"シャウラ国の金持ち連中"と呼ばれる者たちだった。

 なぜシャウラ国が自警団を利用して人身売買を行おうとしていたのか。騎士隊はその理由を、「シャウラ国がアケルナー国に取り入ろうと画策しているから」だと結論付けた。奴隷を貢ぎ、アケルナー国を味方につけ、アンタレス国を侵略しようとしているのだと。


 副隊長はジェイミーに訝るような視線を投げる。


「シャウラ国と手を組んだことを悟られないよう、ベイド子爵を目撃したお前の口をアケルナー国が封じようとしたと、そう思っているのか?」

「はい」


 ジェイミーははっきりと頷いて見せる。副隊長は腑に落ちないといった様子で、うーんと唸る。


「しかしお前も言っていたように、陛下はバリック国王の弱点を握っている。シャウラ国と手を組むことはアケルナー国にとって相当なリスクのはずだろう」


 副隊長の考えはもっともだ。アンタレス国王であるローリーがバリック国王の弱点を他国に漏らさない理由は、両者の関係が上手くいっているからに他ならない。アケルナー国が敵にまわったとなれば、ローリーはきっと、容赦はしないだろう。


 ジェイミーが負傷したことをアレース公爵が喜んだように、バリック国王が弱っているという情報に浮き立つ者は大勢いるはずだ。健康に不安があるという情報は王位争いの火種に。争いが過熱すれば他国に付け入られる隙が生まれる。そんな危険を冒してまでシャウラ国と手を組むほど、バリック国王は考えなしではないはずだ。


 ジェイミーは一瞬ためらったあと、心を決め、話を進める。


「あらかじめ報告していなかったことを謝ります。実は、シェリルはバリック国王の弱点以外にもいくつか情報を漏らしました。ひとつは、バリック国王には不仲の弟がいて、王座を狙われ何度も暗殺を仕掛けられているという話です」


 ジェイミーの言葉を聞いた隊長はみるみる呆れ返った表情になった。眉間を押さえ、小さくため息をつく。


「なぜもっと早く報告しない」

「説教はあとからいくらでも聞きますから、ひとまず話を聞いてください。王弟はバリック国王の政策に反発し、アンタレス国との同盟にも反対していました。リリーが言うには、ベイド子爵はこの王弟と、本当の兄弟のように仲がいいと自称していたそうなんです」


 ジェイミーの話に、副隊長はついと片眉を上げる。


「てことは、つまり……」

「はい。シャウラ国と手を組むとしたら、アンタレス国との同盟に反対している王弟です。だから、王弟と仲がいいと自称するベイド子爵が闘技場に出入りしていたんでしょう」


 隊長は険しい表情のまま口を開く。


「となると、ベイド子爵を目撃したお前の口を封じようとしたのは、王弟ということになるのか?」

「はい。しかしシェリルの話によると、スプリング家という組織は国王個人に仕えるものらしいんです。つまり王弟には、スプリング家を動かす権限がありません」


 いよいよ、隊長と副隊長の頭上には疑問符が飛び交った。


 王弟はスプリング家を動かせない。となると、カルロという男を送り込んで来たのはバリック国王ということになる。


 バリック国王は、自分を暗殺しようとするような弟のためにスプリング家を動かしたりするだろうか。アンタレス国に弱点を握られている状態で、アンタレス国の人間を傷付けようなどと考えるだろうか。


 隊長は眉間にシワを寄せ、腕を組み、しばしの間黙りこんだ。ジェイミーがもたらす情報に信憑性があるかどうか真剣に考えているようだった。


「この話はひとまず、保留にしよう」


 そう隊長がそう呟いた瞬間、ジェイミーは慌てて声を上げた。


「確かに証拠も何もない話ですが、でも」

「いや、違う。そうじゃない」


 隊長はすかさず片手を上げてジェイミーを制止する。ジェイミーが大人しく口をつぐむのを確認したあと、努めて穏やかな口調で言葉を続けた。


「信じる信じない以前に、スプリングが盗賊でないことも、ルドベキア軍が嘘をついていることも、俺たちはもともと知っていた」

「え?」


 隊長のかたわらで、副隊長はとっさに渋い表情を浮かべた。


「隊長、ジェイミーに話すのは時期尚早(しょうそう)では……」

「しかしなぁ、このままでは何か無茶なことを仕出かしそうだ」


 こそこそ話している上司たちを前に、ジェイミーは一人、当惑する。しばらくして話が決まったらしく、隊長と副隊長は何かを示し合わせる風に同時に頷いた。


「スティーブを呼びます」


 そう言って副隊長は執務室を出ていった。ジェイミーは全く状況が飲み込めず、呆然と副隊長の後ろ姿を見送る。


「なぜスティーブを? 話が見えません」


 隊長は難しい顔で頭をかいたあと、表情を引き締め、ジェイミーを真っ直ぐ見据えた。


「お前に話すのはもう少し先にしようと思っていたんだが、仕方がない」


 隊長は執務机の引き出しから一枚の封筒を取り出し、ジェイミーに手渡した。

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