66.金、弱味、謎の女
執務室で男たちが輪になっている。蝋燭の火が不気味に揺れる。もうとっくに夜は明け、朝と表現しても問題ない時刻である。しかしこの時期のアンタレス国は太陽が出ている時間が日に日に短くなっていくため、室内は未だ夜明け前のような薄暗さに包まれている。
シェリルが国王の弱点を見つけたと明かしてから六日が経過した。明日はついに自警団との話し合いである。決戦の日に備え、騎士隊は作戦会議を開いていた。
完全復活した隊長が口を開く。
「自警団はきっと、備品の弁償にあり得ない金額をふっかけてくるだろう。本来なら話し合いを長引かせ最大限弁償額を引き下げたいところだが、そうなるとスプリングが自由に動き回れる期間も長引くことになる。そこでだ。何とか自警団が要求する額の金を騎士隊で捻出して、自警団との話し合いを明日で終わらせたいと思う」
副隊長は帳簿をめくりながら難しい表情を浮かべた。
「騎士隊の予算は残念ながら無限ではありません。一度の話し合いで終わらせるのはさすがに難しいのでは?」
副隊長の言葉に隊長はその通り、と頷く。だからこそ弁償金の捻出方法を話し合っているわけだ。
それならば、と今年騎士隊に配属されたばかりの新人が声を上げた。
「騎士隊内で金を出し合うというのはどうでしょう。それなりの金額が集まると思いますよ」
騎士隊の隊員たちは、一人一人がべらぼうに金を持っている。騎士隊に入隊するには優れた身体能力はもちろんのこと、相応の身分も必要だからだ。右を見ても左を見ても貴族、資産家、王族と、この国の権力という権力が勢揃いである。新人の言う通り、一人一人が金を出し合えば結構な広さの畑を買える程の額は集まるだろう。
いい考えに思えたが、騎士になって数年目になる者たちはいい顔をしなかった。
その昔、似たようなことがあったのだ。騎士隊は金持ちの集まりと言うことで、他の隊に比べ予算が抑えられている。軍の予算は、元をたどれば国民の血税であるため、国軍の存在に不満を抱かせないための措置であった。その結果騎士隊はどうにもこうにも首が回らなくなった時期があり、馬の餌や執務室の暖炉にくべる薪などを隊員が自腹で購入するということがあった。
それを知った議会が、自腹でやっていけるなら予算はもっと低くていいだろうと言い出し、次の年、騎士隊の予算は前年の三分の二に減ってしまったのである。
こんなことが続けばいつか予算がゼロになってしまう。それで特別困るわけではないが、ニックのような労働者階級出身の騎士は肩身の狭い思いをすることになる上に、個人の出費が多いことが原因で入隊希望者が減ってはかなわない。そんなこんなで、何があっても仕事に関わる出費は予算内で賄うことを騎士たちは固く誓っているのである。
金持ちが金のやりくりに頭を悩ませるという不条理に打ちのめされながらも、隊員たちは他の策を考える。
「陛下に掛け合えば上層部を介さずに軍の予算を使わせて貰えるかもしれません。ウィルなら上手いこと話を通せるでしょう」
部下の提案に、隊長はうむと頷く。そしてウィルに視線を向けた。
「ウィル、どうだ。やれそうか?」
ウィルは申し訳なさそうな顔で、首を横に振る。
「兄上はシェリルのことを全く危険視していません。オスカーたちの供述で人身売買に関わっていないことがはっきりしたので、警戒する必要は無いと思っているみたいです」
シェリルを捕らえる必要などないと考えているから、話し合いを一度で終わらせる必要もないというのがローリーの考えだ。
ウィルの話に隊員たちは信じられないという顔をする。
「陛下の精神構造はどうなってるんだ。あの女は陛下の弱点を見つけたと言っているのに」
隊員の一人が愕然と呟く。
ローリーと違いごく普通のメンタルを備えている隊員たちは、シェリルが本部を好き勝手にうろついているだけで、何かを探っているんじゃないか、自警団との話し合いをすっぽかし逃げ出すのではないか、もしかして着替えを覗かれるのではないかなどと想像し日に日に神経をすり減らしていた。
しかし結局、ローリーが大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだと隊員たちは無理矢理納得することにした。隊長は半分諦めたような様子でジェイミーに顔を向ける。
「ジェイミー、明日はお前も話し合いに参加し……」
言いかけて、隊長は動きを止めた。そこにいるはずの人物がいなかったのである。
「誰だお前」
「やだなぁ隊長。騎士隊随一の人格者、ニック・ボールズですよ」
ニックがヘラヘラと笑っている。隊長は盛大に顔をしかめた。
「お前今日は休みだろう」
「そうなんですけど、ジェイミーが昨日の夜、休みを代わってくれって突然頼みに来たもので」
ニックの言葉に隊長は眉をひそめる。
「ジェイミーが? 珍しいな」
「家庭の事情だそうですよ。だから馬小屋掃除半年分と引き換えに寛大な心で引き受けてやったというわけです」
副隊長が呆れ返ったように嘆息した。
「人の弱味につけこんで……。俺がジェイミーならたとえ階級差別主義者だと罵られようとお前との友情は解消するぞ」
「寛大さは金持ちの特権、したたかさは庶民の特権ですよ、副隊長」
悪びれることなく謎の理論を提唱するニック。やれやれと隊員たちが天井を仰ぐなか、ウィルだけはジェイミーの家庭の事情とやらに思いを馳せ、複雑な表情を浮かべていた。
◇◇◇
シェリルは困っていた。
すごく困っているわけではない。ほんの少し困っていた。
困っているとき誰を頼るかは人によって様々だろう。家族、友人、恋人、通りすがりの人。
シェリルにとってこの国で頼りになる人というのは限られている。というか、いないに等しい。弱味を見せることのリスクが大きいからだ。隙を見せてアケルナー国に帰れなくなってしまったら最後、誰も助けに来てはくれない。
ということで、悩んでいることを伝える相手はとても重要なわけだが、誰か一人を選ぶとしたら思い浮かぶのはやっぱりあの人である。
シェリルは今、兵舎にいる。兵舎の、ジェイミーの部屋の前に立っている。
最初は騎士隊の執務室を覗きに行ったのだがどうやらジェイミーは休みのようで、それならばと彼の部屋を訪ねようと思った次第だ。
時刻は十時。太陽はとっくに顔を出している。訪問するには非常識という時間ではないはずだが、シェリルは極度に緊張していた。なぜかは自分でも分からない。きっとここ最近ジェイミーとあまり言葉を交わしていないせいだろう。
深呼吸したあと、意を決して扉を叩く。留守なら諦めようと考えながら、待つこと数十秒。扉が開く気配が全くない。ガッカリしたような安心したようなよくわからない気分でその場を立ち去ろうとしたとき、背後で扉が開く音がした。
「……シェリル?」
名前を呼ばれて弾かれたように振り返ると、寝ぼけ眼のジェイミーが立っていた。リネンのシャツにズボン、膝まである薄手の室内上衣という身軽な格好をしている。これまで軍服姿を見る機会の方が多かったので、なんとなくもの珍しい気分になった。
「ジェイミー、おはよう」
「おはよう。どうした?」
「あの、ちょっと相談があって……」
言いかけて、シェリルはおや、と眉根を寄せる。ジェイミーがどことなく疲れているような、都合が悪いというような、そんな雰囲気をかもし出しているように見えたのだ。
そして考える。騎士という仕事は毎日のように厳しい訓練があるし、雪かきや馬の世話や薪割り、石炭運びなど力のいる雑用も多い。そりゃあジェイミーだってたまの休みくらいゆっくりしたいよな、と今さらながら反省する。
やっぱりジェイミーを頼るのはやめよう。そう思い直し、部屋を訪ねた言い訳を口にしようとしたとき、シェリルは開いた口をさらに大きく開けて固まってしまった。
「あら、かわいらしいお嬢さん。ジェイミー、紹介して下さる?」
部屋の奥、ジェイミーの背後から現れたのは、まるで有名な彫刻家が丹誠込めて造り上げた女神のような、美しい女性だった。
「勝手に出てこないで下さい」
ジェイミーが迷惑そうな顔で言う。女はさして気にする様子もなく、魅惑的な笑みを浮かべジェイミーの腕に自らの腕を巻き付けた。
「つれないことを言わないで。一晩を共にした仲じゃないの」
ウフフと妖艶に笑う女神。ジェイミーは掴まれた腕からいろいろな気力を奪われているかのごとく、憔悴している。
一晩を共に、一晩を共に――。シェリルは混乱する頭で何とか答えを導きだした。どうやら自分は居合わせてはいけない所に居合わせてしまったらしい。
シェリルはくるりと方向転換して、全速力で駆け出した。自分では駆け出したつもりだったがすかさずジェイミーに腕を掴まれていた。




