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朧車

 気が付くと僕はいつも、この荒れ果てた駐車場の、焼け焦げた車の前に居る。

 不思議なことに、どうやってここに来たのか覚えていないのだ。

 しかも、時間はいつも深夜だった。

 不意に強烈な眠気に襲われるほど疲労しているのは、自覚している。

 何日も、何日も、何日も夜まで残業し、疲れた体を引きずって寝るためだけの部屋に帰ってゆく。そんな生活も何年になるのだろう。

 そして、いつの頃からか、はっと気が付くとこの場所に居るという事が続いている。

「夢遊病とか、そろそろ僕も限界なのかもね」

 呟いて、ポケットから煙草を取り出し、口に咥える。

 病院に行くことを真剣に考える。心療内科に行けと言われるのが、怖いのだが……。

 煙草は『わかば』と言われる古い銘柄の品で、死んだ僕の祖父が吸っていた。

 僕は学生時代、煙草を一切吸わなかったのだけど、社会人になって働くようになって、喫煙者になってしまった。

 どちらかというと社交的ではない僕にとって普通のサラリーマンというのは、コミュニケーションの力を必要とされる分かなりハードルが高くて、ぐったりと疲れるのだ。

 顔には出さなくても、かなりイライラしている。

多分、僕は無理をしているのだろうなと思う。

 自分をとりまく世界には怖いモノや悪意などなく、驚きと発見に満ちていた少年時代。それを懐かしく感じている自分がいた。

 おじいちゃん子だった僕は、彼の膝の上で当時大流行していた『ゲームウォッチ』をしたり、お絵かきをしたり、マンガを読んだり、祖父と他愛のない話をしたりしていたものだ。

 無条件に包み込まれ、守られている感覚があった。安心できる空間だった。

 その記憶に、『わかば』のフレーバーが直結しているのかもしれない。

 それに、今では珍しい銘柄なので、初対面の人でも話の接ぎ穂になるという利点もあった。今は、禁煙派が多いので、その神通力もいつまで続くか分からないけれど。

 それが喫煙者になってしまった理由だけど、もう喫煙が癖になってしまっていて、止めるのは難しいだろうね。僕はいっぱしのヘビースモーカーになっていた。


 この荒れ果てた駐車場に来ると、この車を撫でる。焼け焦げた車を撫でていると、なぜかほっとするのだ。

 記憶は、途切れ途切れなのだけど、僕にとってこの車は何か重要なファクターがあるような気がしてならない。

 塗装は黒焦げだけど、多分真っ赤なボディだったらしい。

 かろうじて読めるロゴは……


『SKY LINE GT-』


 ……となっている。まだ何か文字が続いていたのだろうけど、高熱で変色して判別できない。

 ツードアハードトップというデザインで、昭和っぽい古めかしさが、かえって新鮮だった。

 僕は、この車が好きだった様な気がする。

 何か、古い友人に偶然出会った様な感覚。

 『郷愁』と言っては、いささか大げさだが、そんな懐かしさの様なものを感じるのだ。

 眼を閉じて焦げた車体を撫でていると、走るために作られた存在なのに、雨風にその無残な姿を晒しているという忸怩たる思いが伝わってくる様だ。

 車は機械であり、感情を持たない。

 だけど、愛着や情念が籠ると、モノであっても『念』みたいな目に見えないものが宿るのではないだろうか。

 その『念』を、僕はこの『SKY LINE GT-』に感じているのかも知れなかった。


「未練は情念。強い情念は時として危険です」


 そんな声がいきなり聞こえて、僕は飛び上がらんばかりに驚いていた。

 ここは、なぜか全く人が寄り付かない、廃墟と化した駐車場で、僕以外の者が存在しているのは、この場所にたどり着くようになって初めての事だったから。


「驚かせてしまいましたか? どうも、すいません」


 軽く頭を下げたのは、ぽてんと腹が出ただらしない体型の中年男性だった。

 黒縁のメガネをかけ、きちんと髭を剃り、ネクタイをきっちりと締めている。

 頭髪は、残念ながらだいぶ薄くなっていて、いわゆる『バーコード』と揶揄される髪型になっている。

くたびれた中年男性を図案化すると、こうなるという感じの男性だった。


「怪しい者ではありません。私、こういう者でして……」


 と、胸ポケットから名刺入れを取り出し、僕に差し出してくる。

 僕が何も言わないから、警戒されたと思ったのかも知れない。

 その名刺には、

『国土交通省 国土政策局 首都圏整備部 安全査定第二課 主幹 午馬ごうま 小十郎こじゅうろう

 と、書いてあった。

 肩書が長すぎて、二度読まないと頭に入ってこなかったし、主幹というのが、偉いのかどうかも分からない。

 とにかく、国土交通省のお役人ということだけは、分かった。

 僕は、ぱたぱたと背広のポケットを叩いて、名刺入れを探したのだけど、いつも必ず持ち歩いているはずの名刺入れが見つからない。近頃は、そんなことが多い。

「あいにくと、名刺を切らせておりまして……」

 と、頭を下げたが、古めかしい名前の午馬さんは、僕に掌を向け

「いいんです、いいんです」

 と笑った。糸切り歯がピカピカの金歯で、それが月光に怪しく光る。

 全体的に、人あたりが良さそうな人物なのに、なんだか僕はイラついていた。理由はわからないけれど、この男が「気に入らない」のだ。

 それに、午馬さん以外誰もいないはずなのに、複数の人間の気配の様なものを感じる。

 それが妙に僕をイラつかせる。

「こいつは、スカGですね。いい車でした」

 午馬さんが、焦げた車の屋根をぽってりした手で撫でる。

 嫌悪感に僕の背中がぞわっとした。


 ―― なぜだ?


 鼻の奥に、ガソリンの匂いがした。

 舌の上に、焦げた苦味を感じる。

 瞼の裏に、赤い色彩が見えた。


「ここの持ち主が破産しましてね。国が買い上げたわけです。つまり、ここは国有地って事です。いずれここも民間に売却される予定ですが、工事が一向に進まず、難儀しておりますよ」


 声を出さずに、午馬さんが笑った。

 まるで、犬や狐が暑くて舌を出しているかのような仕草だった。


「工事に入ると、なぜか人身事故が多発するんです。火の気のない所から、いきなり発火したり、氷水かと思って一気に飲んだら熱湯だったりとかね。まるで、怪談ですよ、怪談。貴方は、幽霊を信じますか?」


 そんなこと、いきなり言われても、困惑するばかりだ。

 まさか、国家公務員が幽霊談義に来たわけではわるまいし、要するに「国有地だから出て行ってくれ」と、やんわり言っているのだろうなと、僕は思ったのだった。


「すぐに、出ていきます。国有地とは知りませんでした」

 そう言って、素直に頭を下げる。

 午馬さんは、曖昧な笑みを浮かべて、僕を見ていた。

「出ていくって、何処へ?」

 ぼそり、とこの中年男が呟く。

 何を言っているんだ? この無様な中年男は? 静かな苛立ちが、僕の胸をチリつかせる。

 それにしても、午馬さん以外の気配があるような気がして、イライラが募る。なので……

「何処って、僕の家に決まっているじゃありませんか」

 ……と、珍しくキツい口調で言ってしまった。

 曖昧な笑みを浮かべたまま、気を悪くした様子もなく、

「あなたのお住まいは、何処なのでしょうね?」

 そんな事を、午馬さんが言葉を重ねる。

 個人情報を、今日会ったばかりの人物にいう訳がないじゃないか。そう思ったけど、そこで僕の思考はハタと止まってしまった。


 ―― そういえば、僕は何処に住んでいるのだっけ?


 ズキンと頭が痛む。

 思わず、指でこめかみを揉んでいた。


「思い出せませんか? 他にも、色々とお忘れのはずですよ。例えば、名前とか?」

 午馬と名乗った国土交通省の役人の、顔に張り付いた笑みが深まる。

 でも、僕は気が付いてしまった。

 

『この男の眼は、笑っていない』


 ズキン、ズキン、ズキン……


 頭が痛い。頭蓋骨が割れそうだ。

 鼻の奥に、ガソリンの匂いがした。

 舌の上に、焦げた苦味を感じる。

 瞼の裏に、赤い色彩が見えた。


 名前、名前、僕の名前。ああ、そんな事も思い出せない。

 そうだ、会社に行けば……僕は、どこに務めていたのだろう?

 今日、仕事をしたはず……僕は、何の仕事をしたのだろう?

 家に帰りたい、家に帰……僕の、家は、何処にあるのか?


「具合が、良く、ありません、病院に、行か、ないと」

 血の気が引いてゆくのを感じる。

 きっと僕の顔は蒼白だ。

 カチカチと、歯が鳴る様な音が聞こえた。

 午馬とかいう男の顔に一瞬だけ、苛立ちが見えた。

 今度は、金属と木が擦れるような音がする。

 何の音だ? いったい何の音なんだ?

 

 周囲の温度がスゥっと下がった様だった。

 明確な殺意の様なモノが物理的なエネルギーを持って、僕に向って流れてきている。そんな感じだ。


「いやいやいやいや…… 見学だけって話でしょ。しかも、ズブの素人じゃないですか。毒気に当てられるとか、足手まとい以下ですよ。まったく」


 人のよさそうな外見からは想像出来ない程、辛辣な口調で午馬さんが呟く。

 その呟きで、僕に流れてきている、悪意ある気配が緩まった。

 ため息をついて、国土交通省の役人を名乗る男が、僕に向き直る。


『ああ、ああ、なんてこった』


 すっかり形相が変わって、まるで『鬼』みたいな顔じゃないか……


「疲れるから、穏やかにいこうかと思いましたが、予定変更です。姫様の御加減が悪いようですので」


 いつの間にか、駐車場には四人の男女が増えていた。

 夜目にも蒼白な顔をした双子の制服姿の美少女。

 長身でエキゾチックな雰囲気のパンツスーツ姿の美女。

 もう一人は、抜き身の長ドスを持った、無精髭の男だった。

 その男が、三人の女性を庇うようにずいっと前に出る。

 

「こいつらは、車を撤去しに来た者たち」


 呟きが僕の口からこぼれた。

 靄がかかっていたような頭の中に、薫風が吹いたかの如く、思考が澄み渡る。

 わかる。

 わかるぞ。

 この国土交通省の役人も、この突然現れた男女も、


「僕の敵だ!」


 鼻の奥に、ガソリンの匂いがした。

 舌の上に、焦げた苦味を感じる。

 瞼の裏に、赤い色彩が見えた。


「ほら、コイツ自覚したぜ。あとは任せた、『狐使い』さんよ」


 長ドスを右手にぶら下げた無精髭の男が、パラパラとムクロジの実を地面に撒く。

 パンツスーツ姿の長身美女が、一歩前に出て、長ドスの男に並んだ。

「約束通り、専守防衛」

 面倒臭そうに、長ドスの男が言う。

「わかってマス。私の仕事は、姫サマを守るコト」

 ヒタとエメラルド色の瞳を僕に向けながら、パンツスーツ姿の女性が答えた。

 いまいち、現状が理解出来ないが、こいつらが敵だという事は理解していた。

 そんな事より、中学生らしき双子の美少女が気になる。


 惹かれる。

 惹きつけられる。


 必死に睨みつけてくる方ではなく、オドオドと下を向いている方が、特に。

 飛びついて、引き裂いて、焼き殺したくて仕方ない。

 ポタリと地面に何かが落ちた。

 僕のよだれだった。

 まるで、赤子の様に口角からツツっと唾液が流れてしまっていた。


「声出すなって言ったのに、おかげさんで、隠形おんぎょうが解けて面倒なことになった」

 トンと肩に長ドスを横たえ、懐から札を出しながら男が言う。

 それを、くしゃりと掌で丸めて地面に落とすと、地面に撒いたムクロジの実が微かな燐光を放つ。

「ごめんなさい…… でも、怖くて……」

 泣きそうな声で、オドオドした方の少女が呟く。実際、泣いているのかも知れない。

 男が明らかに動揺し、双子の片割れが、オドオドした方を背に庇いつつ、キッと男を睨んだ。

「奈央を苛めるな!」

「い、苛めてなんかねぇよ。人聞き悪いなぁ。そんな事より、インスタント結界を張ったから、俺より前に出るなよ」

 夜風に双子の美少女の匂いが運ばれる。松脂に似た清冽な匂い。

 それに混じって、恐怖の匂いがする。

 それに混じって、怒りの匂いがする。

 ああ…… なんてすばらしい匂いだろう。

 これが焼かれたら、もっと素晴らしいものになるだろう。

 思わず、この四人の方に足を踏み出す。

 その瞬間、地面に転がっていたムクロジの実が、まるで意思があるかのように地面から跳ねた。


 『邪魔だ!』


 鼻の奥に、ガソリンの匂いがした。

 舌の上に、焦げた苦味を感じる。

 瞼の裏に、赤い色彩が見えた。


 ムクロジの実が、パチンと爆ぜて小さな煙を上げる。燃えていた。


「うへぇ、『鬼火』かよ。ここまで強いのは、久しぶりに見たぜ」

 そう言いながら、男は懐から別の札を出し、それを長ドスで貫通させた。

 まるで、その紙の札で刀の鍔を作った様な体裁だ。


 『呪符術か、小賢しい』


 そう、僕は思ったけど、『呪符術』なんて知らない。まるで、別の人格ペルソナが僕の中に居て、その人格は地面に撒いたムクロジの実が一種の結界を形成するとか、そういった知識を持っているかの様だった。

 そういえば、午馬とかいう国土交通省の役人はどこに?


「さすがは、鬼を惹きつける『当麻』の血。たっぷり時間を稼いで頂きました」


 月光を、まるでスポットライトの様に浴びながら、うっそりと午馬と名乗る男が立っていた。


「色々と、私の術式には『制約』がありましてね。『自覚していないモノに使用してはいけない』とか、『対象と接触しないといけない』とか、本当に面倒です」


 僕は自分が何者か、忘れていた。今は、ぼんやりと分かる。

 多分、死んでいる。殺されたのだ。


「はい、そうです。貴方の車が、煽ったとか、珍走団のうすら馬鹿に因縁をつけられて、ここに追い込まれた挙句、ガソリンを掛けられて車ごと焼き殺されたんですよ。思い出しましたか?」


 午馬が、焦げた車を撫でる。

 僕が好きだった、真っ赤な『SKY LINE GT-R』ツードアハードトップ。

 この美しい走るためのマシーンが燃える中に僕は居た。

 皮張の内装が燃えるのを見ていた。

 レーシング仕様のハンドルが溶け落ちるのを見ていた。

 ゲラゲラと笑う馬鹿どもの声を聞いていた。

 そうだった。僕は殺されたのだ。


「僕の車に触るな」


 学生の頃からアルバイトの一部をコツコツ積立て、やっと買った車だった。

 僕の真っ赤な『SKY LINE GT-R』ツードアハードトップ。

 エンジンが唸る。

 とっくに焼け焦げ、風雨に錆び果てたはずなのに、まるで慣らし運転の時の響きそのものだった。


「さあ、狩りに出かけよう。車争いの遺恨にや」


 『車争い』とは、平安貴族の祭礼の際の牛車の場所取りのこと。転じて権勢を競う意味にも使われる。

 それに敗れると、その情念や恨みは『朧車おぼろぐるま』という鬼になるという。


「もう、珍走団の馬鹿どもは、全て狩ったでしょう。はや、鎮まり給え」


 午馬と名乗る男が、そう言って、両手を打ちあわせる。

 柏手かしわでだ。魔を払い、空間を清める儀式。

 彼を中心に放射状に『氣』が弾ける。


「思い出したぞ。午馬ごうまは、あの午馬か。当麻のかげつわもの。忌まわしき術使いめ」


 僕の中の人格ペルソナが僕の自我と交わる。

 コーヒーにミルクが混じるように渦巻いて、別のモノに変容する。

 もう僕は、僕じゃない。

 多分『鬼』になってしまったのだろう。

 その『鬼』は、この国土交通省の役人の一族の事を知っていた。


「然り。『午馬ごうま』は『降魔ごうま』。しずめる者也。はらう者也」


 僕はいつの間にか、焦げた車の前に居た。どうやって移動したのか、わからないけど。

 いや、もう焦げた車ではない。

『SKY LINE GT-R』ツードアハードトップはいつの間にか、ピカピカに磨き上げられて、新車同様の輝きを放っている。

 ライトが点滅した。

 エンジンが唸った。

 初めてこれに触れた時の感動が蘇る。

 車に乗り込む。

 換装した革の内装。

 レーシング仕様の、太いハンドル。

 ラバーを張った特注のシフトチェンジレバー。

 どれも、くっくりと馴染む。


「車争いの遺恨にや」


 僕は、ケクケクと笑った。

 そうだった、そうだった。僕は、この世界で最も価値がない馬鹿に殺されたのだった。

 皮膚が焦げ、泡立つのを見た。

 いい場所を取れなかったからといって、殴り殺される自分を見た。

 体の内部が沸騰して、その膨張に耐えきれなくなった頭蓋骨が破裂するのを見た。

 身分が卑しい者として、ゴミの様に川原に捨てられるのを見た。

 叫んでも、叫んでも、誰も助けてくれなかった。

 僕が死んでも誰も気に留めなかった。


 ―― この恨み、晴らさで、おくべきか


 僕を焼き殺した珍走団の馬鹿どもは、真っ先に殺してやった。

 この車を撤去しようとする輩も、殺してやった。

 だが、まだ足りぬ。まだ足りぬ。マダタリヌ。


 まずは、あの双子の娘たち。

 この車で攫って、いたぶり尽くしてくれよう。

 あのおどおどした娘は、最後に殺す。

 恐怖に泣き、凌辱に悲鳴を上げ、理不尽に殺される運命にたっぷり絶望を感じさせたうえで、焼き殺す。じわじわと焼いてやる。

 僕にはそれが出来る。そうする権利がある。


 アクセルを踏む。

 エンジンが咆哮した。

 スピーカーから、突然音楽が流れる。

 僕がドライブする時にいつも聞いていた曲。

 古いロックの曲だ。

 『最速の男がかっ飛ぶ』という、リフレインが大好きだった。

 一緒に口ずさむ「スピードキング!」

 カコンとニュートラルから一速にギアを入れる。

 アクセルとクラッチの配分は、体が覚えていた。

 エンジンから生まれた、膨大なエネルギーがタイヤに伝わる。

 タイヤが悲鳴を上げていた。

 タイヤを苛めるのは、少し溶かしてグリップ力を高める為。ドラッグレースの常識だ。

 サイドブレーキを解放する。

 ギアが噛みあった。その感触がある。

 アクセルを思い切り踏む。

 跳ね上がるタコメーター。


「僕は『スピードキング』だ!」


 タイヤは炎の車輪と変る。

 湾岸道路で暴走行為をしていた珍走団を、突き飛ばし、海に叩き込み、轢き殺した車と、特徴が一致していると、僕を見ている者は気が付くだろう。

 引き絞られた弓から放たれる矢の様に、真っ赤な『SKY LINE GT-R』が吹っ飛ぶ。

 二速、三速と素早く、そして淀みなくシフトチェンジする。

 あっという間に、トップスピードに乗った。

 速度計を振り切る。

 アクセルはベタ踏み。

 シートに背を押し付けられるほどの加速。

 だけど、一向に少女たちに車は近づかない。

 窓の外に、国土交通省の主幹、午馬ごうま 小十郎こじゅうろうのバーコード頭が見えた。


「何をした!」


 怒鳴った僕に、冴えない中年男がしれっと答える。


「道切の呪法。貴方は、歯車を回すハムスターみたいなものです。どこにも到達できない」


 怒りが僕の胸を焼く。

 鼻からの噴気は、文字通り火花だった。


「賢しや、午馬の奴ばら!」


 ハンドルを午馬の方に切る。

 しかし、大きく曲がったはずなのに、午馬には接近出来なかった。


「言ったでしょう。貴方は、何処にも到達できない」


 僕は走り続けるということか。

 『車争いの遺恨』という概念が風化する、その日まで。

 案外それも悪くない。

 駐車場の風景は消え、荒野を貫通する一本道に変っていた。

 いつか走ってみたいと思っていた、アメリカ南部の道に似ていた。

 スピーカーからは、古いロックの曲が流れている。

 一緒に口ずさむ

「スピードキング!」

 だれもいない。

 僕と真っ赤な『SKY LINE GT-R』だけの世界。

 悪くない世界だ。不思議と穏やかな気持ちになれた。


 久しぶりに……


 本当に久しぶりに……


=========


 無限にループする世界に 午馬 小十郎 は、街道のモノ『朧車おぼろぐるま』を閉じ込めてしまった。

 空間が閉じる前、一瞬だけ運転席の男と目が合ったのだけど、こちらに襲い掛かろうとしていたギラついた眼ではなく、なんだか泣いているような、笑っているような、ほっと安心したような眼をしていた様に思う。

 奈央が泣いている。

 一緒に強くなる為、連れて来たのだけれど、少し無理しすぎたかも知れない。

「大丈夫、もう怖くないよ」

 幼い頃からやっていた、『額と額をくっつけるおなじない』をして、奈央を抱きしめる。

「可哀想……」

 奈央がそんな事を言った。

「こんな、寂しい場所で…… たった一人で、世界を恨んで……」

 そう言って、言葉を詰まらせる。

 奈央は感受性が強い。そして優しい。人としては美徳だが、当麻としては重大な欠陥だ。

 アレらに心を沿わせては、いつか憑き殺されてしまう。

「あそこまで、同化してしまったら、もう救えないの。無に帰したり、永遠に閉じ込めることが救済なの。疑ってはダメ」


 十年間、頑なに存在し続けた黒焦げの車は、役目を終えたとばかりに崩れ始めた。

 これで、工事も再開できるだろう。

「小十郎、お疲れ様でした」

 冴えない中年男性の外見をもつ、当代最強の魔導師に声をかける。

「私の降魔行を見学とか、今回だけ特別ですよ、美央様。あと、乳母様にはご内密に。姫様を危険に晒したとあっては殺されてしまう。くわばら、くわばら……」

 乱れた薄い頭髪を整え直して 午馬 小十郎 が去ってゆく。

 私は奈央と抱き合いながら、抜け殻となった車の残骸を見ていた。


== 朧車 (了)==


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