外法使い 後編
===(前篇より続く)
望月とは『満月』の事。死と再生を繰り返す月では、生命を表す記号になる。
その反対もある。それが『朔月』。死を表す記号だ。
古流剣術に過ぎない『望月一刀流』だが、表技と呼ばれる『正伝十箇条』の他に、一部の門下生にしか伝わらない『陰伝八箇条』がある。
この陰伝を『朔月ノ流』という。
正伝が対人の技術。
陰伝は対鬼の技術。
望月一刀流がこの業界で有名なのは、この『朔月ノ流』による。
俺の師匠である、望月 銃兵衛 (伝承者は代々この名を継承する)は、正・陰十八箇条全てをマスターした化け物だ。
道場は奈良にあり、俺はその道場の『麒麟児』と言われて(いや本当だって)いたが、『陰伝八箇条』のうちの一箇条しかマスターできなかった。
もともと、修行は好きじゃないんだ。
気が長い方じゃないんでね。
「御流派をやめたそうじゃな。銃兵衛は、おぬしの才を惜しんでおったぞ」
そもそも、あの師匠が他者の才を認めるわけがない。門下生の中で一番師匠にぶっ叩かれ続けたのが俺だ。嫌われているんだろうよ。
そう思ったが、曖昧な笑みを浮かべるにとどめる。
俺の眼の前にいるのは、留袖の喪服を着て白髪を結い上げた、小柄な老婦人。
鼻と顎が尖っていて、その鋭い目つきと相まって、まるで猛禽だった。
ひえ~、おっかねぇ。微笑んでいるけど、却って怖いわ。
「なるほど『流離』の相があるな」
まじまじと俺の顔を、この老婦人が見て言う。
同じことを、師匠にも言われた気がする。
『流離』とは、物事の理を離れ、漂う事。別名『旅人の相』とも言う。この相を持つものは、一つ所に定住せず流れてゆくと言われているらしい。プー太郎決定とか、悲しすぎる。ところで、『相』ってなに? 俺の顔に何かついているとでも言うのか?
でもまぁ、占いの類とはいえ、当たってはいる。
俺には常に漂泊への淡い憧れがあり、何もかも捨ててどこかに流れてゆきたいと願う時がある。
「留めれば、腐る。ゆえに、手放したか。弟子には甘いの」
カラカラと、当麻の乳母様が笑う。
俺は、わけもわからずお追従笑いをしていた。
その一瞬、彼女は右側に横たえられていた杖をひっつかんで、抜刀する。そうだろうなと思っていたが、やはり仕込み杖だったか。
利き腕でない手で抜くことを、『逆討ち』というが、それでも早すぎて俺には見えない。見えないものは無理に見ても仕方ない。
「ふふふ……瞬き一つせずに、相打ちを狙うか。いい度胸だ。なぜ抜かぬ?」
俺は、錦の袋を解き、中から長ドスを抜きかけていた。
「殺気がなかったですから」
そう言いながら、笑みを浮かべたのは、俺の意地だ。
実を言うと、かなりビビっていた。
ちょっとチビったかもしれない。あとで、トイレで確認しなくては。
「腕は錆びておらぬようじゃの」
喉首に突きつけた一刀を納刀しながら、満足げに当麻の乳母様が言う。
俺も、長ドスの鯉口を戻した。
「よかろう、合格じゃ。ついて参れ」
畳にトンと杖の先をついて、彼女が立ち上がる。
俺は、立ち上がらなかった。いや、上げれなかった。
何事か? と、当麻の乳母様が振り返る。
「しばし、お待ちを」
掌を向けて、丹田に力を込める。
「いかがいたした?」
苛立って、畳にトントンと杖を突きながら、彼女が言う。ええい、せっかちの婆ぁめ。おかげで、恥を告白することになっただろうが。
「腰が……、抜けました……」
一瞬きょとんとした顔になり、武神と敵味方に恐れられている老婦人が、なんと破顔したのだ。
今日一番怖かった出来事が、これだ。
当麻の乳母様の笑い顔を見るという稀有な経験をした後、彼女の先導で古い日本家屋の中を歩く。
外見より、かなり広大に感じるのは、やはり何かの術がかけられているのだろう。
平安の昔『迷い棲』という、人を喰らう家があったそうだが、それを調伏して住居に使っているという噂は、本当かもしれない。
「小太郎殿にやって頂きたいのは、次期当麻頭領の護衛。『当麻の盾』」
きたか。
もう、これで誰にも俺の事を『外法使い』とは呼ばせねぇ。
『当麻の盾』を務めたとあれば、一目どころか、二目も三目も置かれる存在になる。
俺はこの業界の底辺から、一気にのし上がったのだ。
ちょっとチビった(かもしれない)がね。
どこをどう通ったか、よく覚えていないが、俺は『修練場』と書かれた部屋の前に居た。
かなり広い道場で、その片隅で二人の少女が、木刀で素振りをしている。
「当麻の姫様。美央様と奈央様。こちらは、新堂小太郎。望月一刀流の使い手じゃ。手ほどきをしてもらうがよい」
当麻の乳母様に呼ばれ、こちらに来たのは、まるで鏡で映したかのように良く似た双子の姉妹。道着と袴姿だった。長い黒髪は、キリリと後ろで一つに束ねている。
あと五、六年もすれば、ふるいつきたくなる様な美女になるだろう、美しい少女たちだった。背が高いので大人びて見えるが、せいぜい中学生だろう。
残念ながら、腰以外はドンと大きなラテン系が俺の好みなので、
―― 思春期の小娘とか、勘弁してくれ……
としか思わなかった。
面倒臭い、面倒臭い。本当に面倒臭い。
品定めするような、強い視線を向けて来るのが、美央。
もじもじと俯いているのが、奈央。
当麻はなぜか双子が生まれやすいと聞いたが、本当だったんだなと思う。
「今日からここで寝泊まりしてもらうぞ。荷物は部屋に運んでおく」
そう言い捨てて、当麻の乳母様がすたすたと道場を出てしまった。
「帰り道が分かりませんが?」
追いすがる俺の声に
「念じれば着く。いずれは」
という声が帰ってくる。
おいおいおいおい…… ここは『迷い棲』だろうがよ。
屋内で遭難してミイラとか、冗談じゃないぜ。
振り返る。広い道場に、ぽつんと三人。
一人は俯いて。一人は俺を睨んで。俺は途方にくれて。
「奈央、私、喉が乾いちゃった。この人にも、もってきてあげて」
俺から目線を外さず、姉の美央が言う。
「はい、お姉様。お茶でいい?」
そういって、小走りで道場の更衣室に向う。力関係は、美央が上、奈央が下ってわけね。
気まずい沈黙。
なんで、この子、俺を睨んでいるのか、よくわからん。怖いんだけど。
「あなたが、あの子の『盾』になるのね」
まぁ、よく説明されていないけど、そう言うことになるのかね。
二人いっぺんに面倒見るのではない点は、実に朗報だ。
「あなたの前任者は、口上や見せかけほど、強くなかった。だから、死んでしまったのよ。あなたは、強いの?」
そんなことを言ってくる。
なんだよ、またテストかよ。美央の体に力が入っている。
おお、一丁前に殺気まで纏うか。
「試してあげる!」
美央が、手にした木刀を跳ね上げてくる。
不意打ちのつもりだったのだろうが、みえみえだ。
もっと、殺気は隠さないといけないし、体の力は一瞬で込めないといけない。
俺はうんざりしながら、右手に下げた長ドス入りの錦の袋で、それを弾く。
彼女は瞬転、ニノ太刀を叩き降ろしてくる。
なかなか筋はいい。
だが、お嬢様剣法だ。お行儀が良すぎて、次の手が読めてしまう。
躱されたニノ太刀を再び斬り上げようとした木刀の切先を、踏みつける。
「あ……」
動きを止められて、一瞬止まった美央の喉には、俺の錦の袋が押しつけられていた。
まさか、足を使うとは思わなかったか? え? お嬢さん。
本身を使った殺し合いなら、美央は死んでいる。
美少女の顔が、悔しさに歪む。
おうおう……、美人台無しだぜ。
「無礼者! 足をどけよ!」
そう言われて、はいはい……と、後ろに下がる。
きっと睨んでくる美央の眼には、うっすらと涙が浮かんでいた。
泣くほど悔しいか。 ああ、面倒臭い。面倒臭い。
「奈央は『贄』なのだ。だが、私は妹を死なせたくない。小太郎が強いのはわかった。だから、頼む……」
美央が、俺に深々と頭を下げた。
ほんの短いやりとりだったが、彼女はプライドが高い。
俺みたいな男に頭を下げるのは屈辱だろう。
「……妹を、奈央を守ってくれ」
弱い相手を支配したがるソシオパスの類かと思ったら、シスコンか。
小娘なりに、運命に抗おうと必死なわけだ。
聞いたことがある。当麻の『贄』。
双子の片割れには僅かしか当麻の素質が伝わらず、鬼を惹きつけるという特質だけが残る。つまり、鬼を誘い出す囮に最適ってわけだ。
美央はそれが不満で、二人で生き残ろうと決心している。
だから、奈央の護衛である俺を見極めようとしたのだろう。
まぁ、健気といえば、健気だな。
実は俺は、そういう浪花節に弱い。
「もちろんでございますとも、当麻の姫様。給料分はきっちり働きますよ」
ぷっと、美央が膨れた。
「姫様と呼ぶな。その呼び名は、奈央も私も好かん」
そういって、ぷいっと横を向く。
お茶を取りに行っていた、奈央が戻ってくる。
だれかと談笑しながら歩いているが、その人物を見て、俺の心にハート形の鏃の矢が刺さった。
パンツスーツ姿の女性だった。
すらりとした長身。
小麦色の肌。
天然っぽいくせ毛を、後ろに束ねている。
きりっと太い眉。
通った鼻筋。
ぽってりした唇は、キスしたら柔らかくて気持ちいだろうなぁ。
それに、眼が素敵だ。星明りを散らしたエメラルドの様。
それによく見たら、大好物のボン・キュ・ボンのボディラインじゃないか。
痛みが、俺の尻に走る。
誰かが俺の尻を思い切り抓っていた。
「いてててて」
美央が、俺の顔を睨んでいる。抓っているのも彼女だ。
「彼女は、ミス・クラリス。カポエラと呪術を組み合わせて使う私の『盾』だ。美人だからといって、変な気を起こしちゃ、ダメだからね」
何か美央に警告されたようだけど、大事なのは彼女が「ミス」ということだけだ。
いいね、いいね。 俄然いい職場に思えてきた。
美央が、ヤニ下がった俺を見て、ため息をつく。
クラリスが俺を見て、ぺこりと頭を下げる。
俺はキメ顔を作って、華麗に一礼したのだった。
ちなみに、トイレで確認した結果、チビっていなかった事を付け加えておく。
『外法使い』 (了)




