ねんねこ
ガーディアンの原作『退魔の盾』3000ポイント突破記念であります。
少し前に越えていたのですが、なかなか時間がとれず、お待たせしました。
チョイ役なのに意外と人気がある、盲目のバーテンダー石田と、黒猫の伝鬼坊のお話です。
拙者の名前は斎藤伝鬼坊というらしい。
「らしい」というのは、記憶が曖昧だからである。
姫様と呼ばれるいい匂いのする女性に「君は斎藤伝鬼坊だよ」と言われ、そうかと思っているだけなのだ。
その姫様が泣いている。
ずっと泣いている。
白木で出来た刀の柄の断片を握りしめて泣いている。
詫びながら泣いていた。
拙者はどうしていいのかわからず、膝の上に乗ったり、「可愛い」と言ってくれた声で鳴いてみたりしてみたが、姫様はずっとほたほたと涙を流すばかりだ。
こんな時に、姫様の護衛の新堂小太郎は何をしているというのか?
姫様に飛来する致命的な物を二十一個叩き落とし、満足して消えておったが、その時以来、彼奴の姿を見かけない。
そういえば、姫様が握っている白木の断片からは、彼奴の匂いがした。
困り果てて姫様の脚に頭をこすりつけてみる。
こうすれば、いつもは、抱き上げてくれて、頬ずりしてくれるのに、それもない。
ああ、まったく、どうしたらよいのか、拙者にはわからぬ。
いっそ、ねんねこ、ねんねこ、と、子守唄でも歌おうか。
姫様は泣かなくなった。
その代り、笑う事もなくなってしまった。
拙者の背を撫でてくれるが、その指がひんやりと冷たくなってしまっていた。
松脂のようないい香りは濃くなった。
拙者が苦手としていた彼女の姉姫様と同じくらいに。
右腕が禍々しい。
それも、姉姫様と同じ。
違うのは、笑わないこと。
姉姫様は、いつも笑っていた。辛くても、声と顔だけは笑っていた。
「辛い時に、『辛い』って顔すんな! 笑え、歌え!」
そんな乱暴なことを言っていたのを思い出す。
そういえば、ずっと彼女の姿も見えぬ。
うっとおしい女だと思っておったが、いないと少しさみしい。
姉姫様が口笛で吹いていた題名が判らぬ楽しげな曲も懐かしい。
姫様がたまに真似て奏でるが、それは悲しい曲に聞こえた。
姫様は泣かなくなった。
その代り、笑う事もなくなってしまった。
眠りも浅く、いつもうなされている。
せめて、眠っている間くらい、安らかにならんものか。
どれ、拙者が子守唄でも、歌ってやろう。
ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ……。
新宿警察署というところが、本拠地になった。
姉姫様が使っていた三階の部屋は接収されて、地下の倉庫みたいな場所に追いやられてしまった。
ウドの大木である斎藤が苦情を申し立てていたが、どうやら却下されたようだ。
陽の差さぬ地下では日向ぼっこが出来ぬ。
まったく、役立たずめ。斎藤一族の面汚しだ。剃刀のような拙者の爪で引掻いてやろうか。
姉姫様がいなくなり、姫様が特殊事案対策に乗り出すようになった。
おかげで拙者も大忙しだ。
護衛は短期間で何度か入れ替わった。
斎藤が人材発掘してくるのだが、揃いも揃って口先ばかり。
すぐに壊れたり、バラバラになったり、動かなくなる。
その度に、姫様が悼む。傷が心に刻まれてゆく。
うなされながら眠っていると、眼尻から涙がこぼれることもある。
よしよし、可哀想に。
涙は誰にも見られぬよう、拙者がなめ取って進ぜよう。
ゆっくりと眠っておくれ。
ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ……。
そいつが来たのは、冬のある日だった。
ウドの大木である斎藤が連れてくる護衛にしては、ほっそりとした印象の男だった。
カラーコンタクトでもつけているのかと思ったが、どうやら突然変異らしい。
拙者と同じ、翡翠色の眼をしていた。
姫様は拒絶した。
いかにも頼りないという理由だが、本当はもう誰も死んでほしくないと思っているからだ。
それを、斎藤とおっかない婆ぁ……おっと、乳母様が、強引に押し切った形だった。
石田と名乗った男は、飛び道具を使う訳でもなく、ダンビラを振り回すでもなく、小さなビクトリノックスのフォールディングナイフをポケットに入れているだけの男だった。
なんとまぁ、それは武器ではなく道具だった。
器用にリンゴの皮をむき、栓を抜き、缶を切り、ネジを回し、ヤスリをかけ、ワインの栓抜く。
とにかく、なんでも器用にこなす男だった。
姫様の一番の護衛は拙者だが、二番の称号を与えても良いと、思える程便利な男だった。
新堂小太郎以外の今までの護衛は、ねっとりと舐めまわすような視線で劣情を露わにするのに、石田はそんな事はしない。
てっきり衆道の徒かと思うたが、違う。純粋に姫様を崇拝しているのだ。
ふん、まぁ、家来として認めてやってもよい。
それに、拙者の顎の下を搔く力加減が絶妙だ。おもわず、喉が鳴ってしまうほど。
石田は、無理をしない。
自分が戦士ではないということを理解しており、その代りに何が出来るのかを考える男だった。
不思議な能力を持った男だった。
能力だけは、いきなり姉姫様の唇を奪おうとしてボコボコにされた、月影流呪術使いの女ったらしと似ておるやも知れぬ。
なんとも説明が難しいが『事象を捻じ曲げ等身大に落とし込む能力』とでも言おうか。
月影流が『物質を違う物質に書き換える能力』。
石田は『感覚を違う感覚に塗り替える能力』。味が見えたり、音が匂ったりする……らしい。
それを類まれなる共感能力で、他者に共有できるのだ。
捨て鉢な獰猛さでガンガン前に出る姫様との相性は抜群だった。
食が細い姫様を心配して、厨房にも立つ。
サンドイッチなどの軽食を作らせたら絶品だった。
「ダイナーのコックをやっていましたから」
ふわふわのスクランブルエッグサンドは、今思い出しても唾が湧く。
姫様の盾役で、最も長く務めたのが石田だった。
忘年会で、トム・クルーズの真似をして、空中にポンポン酒瓶を投げながら、カクテルを作る技は最高だった。
それより、姫様が久しぶりに笑うのを見て、拙者は泣けて泣けて仕方なかったのを覚えている。
武士たる者、泣き顔など見せられぬので、途中で消えざるを得なかったのだが。
その夜、うなされないまま眠る姫様を見た。
さりさりと頬を舐めると、ひらりと笑った。
たまには良い夢を見てもバチはあたるまいよ。
ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ……。
石田が消えた。
彼の能力の根源だった、突然異変の翡翠色の眼球はえぐり取られ、姫様の盾のお役目は果たせなくなってしまった。
鬼の追随者に拷問を受けたのである。
石田は、細身な優男だった。
もし、石田が当麻の秘密を漏らしていたら、この都は大惨事になるところだった。
彼は、一言も秘密をしゃべらなかった。
感覚を移し変える能力を使って、拷問者に反撃し、徹底的に抵抗したらしい。
優しげな外見に侮られがちだが、彼もまた、鋼の意志をもつ当麻の兵だった。
殺されなかったのは、死の衝撃を擦りつけられるのを、拷問者が恐れたため。
石田の覚悟が、拷問者の悪意に打ち勝ったのだ。
剥がされた爪は再び生える。
折られた指はつながった。
切り刻まれた顔は再生手術でよみがえった。
だが、眼球は戻らない。
「役立たずの眼でも、涙は出るんだね、伝鬼坊くん」
拙者を撫でながら、石田がポツンと漏らした言葉だ。
私が障害をおったことに責任を感じて、姫様が苦しむのが辛い。
もう、姫様にお仕え出来ないのが悲しい。
石田はそう言っていた。
恨み言など、カケラも感じていないらしかった。
今日は石田の為に、子守唄を歌おう。
ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ……。
=== ねんねこ 了 ===




