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兵(つわもの)

 古武術をやっていると、ある噂が流れてくる。

 『仏像みたいな顔の男がやってきて、思い切り自分の技を振るうことが出来る場所につれて行ってくれる』

 ……というものだ。

 まぁ、一種の都市伝説みたいなものだな。

 多分、願望の現れなのだろうと、俺は思っている。

 気持ちは、わかる。現代では必要ない『武』を、血反吐をはく思いで身につけ、結局それを使役しないまま、老い衰えてゆく。

 武『道』とは、精神修行の『道』。それが正論だ。

 だが、心の奥底に、本当に殺し殺されるかも知れないヒリついた勝負をしてみたい……そんな、願望がありはしないか? 深く昏い場所に『鬼』を飼っていないか?

 少なくとも、俺にはある。

「そんな都市伝説」などと、鼻で笑いながら、俺はどこかで、仏像顔の男を待ち望んでいたのかもしれない。


 新緑の頃。長距離輸送トラックの勤務を終え、俺は代々木上原駅の改札を通った。

 二日間徹夜で走って、三日間の休養。そんな生活を、もう三年も俺は続けていた。

 理由は、給料がいいというのもあるが、朝から晩まで、剣術道場に通えるからというのが大きい。

 普通のサラリーマンだと、こうはいかない。

 鎌倉時代初期に興った古流剣法、あおい派望月一刀流。

 その道場が代々木上原にあり、祖父の代からこの道場が俺の遊び場だった。

 型稽古ばかりの古臭さに反発し、「カリスマDJになる」と言って渋谷のクラブなどに出入りしていた時期もあったが、七年前に祖父が、三年前に父が、事故で無くなったのを機に、脳みその代わりにクソが詰まっている渋谷の薄らバカのパリピどもと縁を切り、再び剣術を習い始めたのだ。

 改めて修行をはじめると、これが実に面白かった。

 みっちりと基礎を叩き込まれていたうえ、体格に恵まれていた俺は、めきめきと上達していったのである。

 改札を抜け、代々木上原駅周辺名物の、細い路地になった迷路の様な坂道を上がる。

 その俺の肩には黒革のケース。中には、日本刀が入っている。

 刃渡り二尺四寸五分。なかごはウブだが、銘は何故か削りおとされていた。

 反りが大きく、重ねも厚く、ずしりと重い、武骨な刀だ。

 二年前、師匠から「これを使え」と渡されたもので、体の一部かと思える程、使って、使って、使い続けている刀である。

 刀としては常寸より大ぶりだが、身長190センチの俺には丁度いい。重さも手に馴染んだ。

 菓子の空箱を作る町工場の前に、黒塗りのバカでかい高級車が停まっているのが見える。

 ここの二階が、望月一刀流の数ある分派の一つ、葵派の道場になっていた。

 白手袋にダークスーツの運転手らしき長身の男が、伏目になって、ロールスロイスらしき車の脇に立っていた。

 いぶかしげに思いながら、俺は町工場の横の錆だらけの鉄製の階段を上がる。

 師匠の雪駄の他に、笑っちまうほど大きな革靴と、男物の『ふつうサイズの』革靴が一足。女物らしい二足のローファーがキチンと揃えられて、玄関にあった。

 無意識に、一礼して道場に入る。

 汗と菓子箱に使う和紙と糊の臭いしかしない道場から、ふわっと、松脂のような、柑橘類のような、今までこの場所で嗅いだことが香りがする。

 カクテルの『ギムレット』の香りに似ているだろうか。下戸な俺は、それだけで軽く酔ったような気分になってしまった。

 師匠と談笑しているダークスーツ姿の男を見て、俺の心臓が跳ねる。

 その男は、俺と同じほどの身長をしていた。ただし、肉の迫力が違った。どこもかしこも、パンっと筋肉が張り、まるで大型の冷蔵庫がスーツを着ているかのようだった。

 強い毛がツンツンと立った短髪。

 まるで、見習いの仏師が習作で作ったかのような仏像顔。

 あの『都市伝説』がチラリと俺の頭をよぎった。

 道場に上がろうとして、思わず足が止まる。

 仏像顔の大男のあまりの存在感に紛れて気が付かなかったが、中肉中背のスーツ姿の若い男と、セーラー服姿の少女が二人、道場の隅に端坐していたのだ。

 若い男は、半分眠ったような顔で斜め下の道場の床を見ていた。男性雑誌から抜け出て来たかのような、いわゆるイケメンで、左脇に錦の刀袋があり、容姿が並み以下の俺は、そのキザな小道具と若者の佇まいに反感を感じた。

 若者の隣には、二人の少女。

 まるで、鏡で映したかのように、よく似た双子だった。

 長い黒髪を後ろでひっつめ、前髪をパッツンと切り揃えただけのシンプルな髪型だが、その美少女っぷりに思わず息をのみそうになった。

 闇夜に浮かぶ月のような白い肌。切れ長の目は、まるで全ての光を吸いこんでしまうかのように、深い黒だった。

 彼女らの一人は、俺に挑むような目を向けてきて、もう一人はおどおどと自分のスカートの上に重ねられた手を見ている。触れれば斬れそうなほど、きっちりと織り目がついたプリーツを握り締めていて「早く帰りたい」というボディランゲージが見える。

「彼が、小源太の息子、源一郎です」

 馬鹿みたいに突っ立っている俺に、厳しい目を向けた師匠が、仏像男に言う。

 痩せた師匠は、仏像男の鼻息でふっとんでしまうかの様に、頼りなく見える。

 仏像男が、その図体のわりに滑らかに動いて、正座したまま俺に向き直り、軽く頭を下げた。

「斎藤です。よろしく」


 葵派望月一刀流は、組技もあり、腰に乗せて投げを打ったりする。

 なので、道場の床は板敷ではなく畳張りだ。

 俺は、そこに立っていた。

 手には、鍔付の木刀。流派では本身の刀に似せたものを使う。

 困惑するのは、美央という名前だとわかった、双子の片割れと対峙しているがゆえ。

 道着に紺袴。それに鉢巻という、凛々しい姿で、左手ゆんでに木刀を下げている。

 ここに至るまで、一悶着あった。

 どうも、俺をスカウトするにあたり、テストをするつもりだったらしい。

 試験官は、いけ好かないイケメン野郎だったが、なんとコイツ、望月一刀流本家の剣士らしい。

 しかも、免許皆伝。

 奈良県桜井市にある三輪山の麓の望月一刀流道場『三諸みもろ館』出身というから、エリートだ。

 俺のような末流分派とは違う。

 闘志が湧いたが、それに割り込んできたのが、美央だった。

「奈央の護衛のつわものは、私が自ら選別します」

 と言い出したのだ。

 聞いたことがある。『当麻の兵』。詳しい任務は知られていないが、


 『武を目指す者のなれの果て』


 と、言われる。祖父も父も、この『なれの果て』だったという噂だ。

 それにしても、美央というのは傲慢な娘だ。

 平安の昔から続く名家に生まれ、何不自由なく育ってきたのだろう。

 試験官として連れてこられた剣士を一喝して退けるあたり、小娘の分際で命令し慣れているところに、反発を感じる。

 大事な妹だから、姉である私が選ぶと、鼻息を荒くしているが、その妹の奈央は、泣きそうな顔で、さっきまで言い争っていた斎藤と美央を交互に見ている。

「いざや」

 と宣言して、美央が構える。

 地面に平行に構える望月一刀流独特の中段『浮船うきふね』。

 やや、前にかかる姿勢。

 呼吸に合わせて、波間に浮かぶ船の様に切っ先が上下していた。

 なんてこった、まるで『攻め気』の塊だ。

 困惑して、俺は斎藤を見る。

 彼は、途方に暮れた熊みたいな顔をしていた。

 試験官のイケメン――新堂小太郎という名だと、後で知った――は、口の端に笑みを掃いて、爪のささくれを退屈そうにいじっている。

 美央が、そんな態度の小太郎をみて、ぷっと頬を膨らませ、火のような視線を俺にぶつけてきた。

 八つ当たりじゃないか。

 気が付いたら、美央が間合いに踏み込んできていた。

 早い!

 体ごとぶつかる胴突きを、木刀の切先を回して辛うじて弾く。

 ガンという衝撃は、美央の切先がするりと入り込んできたのを鍔で受けたため。

 俺は、衝撃を受け流しながら、思わず柄頭を突き上げていた。

 踏み込んできた時同様、美央が風になって間合いを広げる。

 反射的に本気で返し技を使ってしまった。

 カウンターになっているので、なかなか躱しにくい一手だが、美央はあっさりと俺に空を切らせた。

 ひっつめられた長い黒髪が、ふわりと舞う。

 松脂のような、柑橘のような、いい香りが、残像の如くその場に残った。

「手加減無用!」

 再び『浮船』に構えながら、美央が柳眉を逆立てて言い放つ。

 俺には少女趣味はないが、あと五年もすれば、すこぶる付の美女になるだろう。

 殺気が湧かない。気が乗らない。小娘に怪我でもさせたら、寝覚めが悪い。

 そんな俺の心のうちを読んだが、美央のこめかみに青筋が浮かぶ。

 美女が怒ると怖い顔になるというのは、本当だ。

「次郎太郎直国!」

 木刀を投げ捨て、斉藤の方を見ずに、美央が手だけを差し出す。

「姫様! いけません!」

 斎藤が叫ぶ。助けを求めるように、小太郎を見たが、コイツは刀袋から朱鞘の刀を出して、斎藤に渡しただけだった。

 美央が叫んだのは、この日本刀の名前らしい。

「お姉様!」

 彼女の妹が、心配そうな声を上げる。

 今、気が付いたのだが、奈央の傍らに黒猫の姿があった。

 いつの間にか現れた黒猫は、耳を伏せ、尻尾を膨らませ、美央に怯えているようだった。

「本気になってもらわないと、技量が計れないの。中途半端な術者は死ぬだけ」

 大きなため息を吐いて、斎藤が刀の鯉口を切って、柄を美央に差し出す。

 彼女は、無造作にそれを掴んで、抜く。

 抜刀時、腕で目線を塞がないのは、望月一刀流の流儀だ。

 目の橋に何かが飛んでいる。

 それを掴み取る。

 俺の愛刀『無銘』だ。

 師匠が、投げてよこしたのだ。

 冗談だろ?

「擦り切れた柄を見ればわかる。修練を積んだのだろう。それを見せよ」

 ふっと表情を緩めて美央が言う。

 まるで、水連のつぼみが綻んだようで、柄にもなく俺はときめいてしまった。ガキでも、美しいものは、美しい。

 同時に、反発も感じる。

 こうした、生まれついての『女王』は存在するのだ。

 特に計らずとも、自然に人が周囲に集まり、奉仕する。

 それを、当たり前のように受ける。

 まさに、美央は『姫様』だった。

 思い通りにならない自分の半生を思う。

 いつだって「こんなはずじゃなかった」とばかりぼやいてきた。

 目の前の少女は、そんなことは無縁なのだなと思う。

「気に入らない」

 本身を突きつけてきて、平然としている態度にも。

 『無銘』を抜く。

 殺そうか? 事故に見せかけて、この生意気な小娘を殺してしまおうか?

 鞘を投げ捨てる。

 俺の心の中に渦巻く黒いモノを見抜いたように、美央が笑った。

 それが、嘲笑に見えた。

 くそっ! くそっ! 俺はどうしちまったんだ?

 現代の日本で、真剣を向け合うなど、正気の沙汰とも思えない。

 だが「お前が願っていた事だろう?」という、甘い誘いの声が止まない。

「いいぞ、殺す気で来い!」

 美央が言い放つ。

 その瞬間、明らかに空気が変わった。

 ズズズ……と、次郎太郎直国を中心に、黒い靄のようなモノが幻視出来る。

 殺す気で来ていいということは、相手も俺を殺す気だ。

 ブルっと震えが背中を走る。

 望んでいた、立ち合い。それを目前にして、俺は怯んでしまっていた。

「呼吸!」

 師匠から声が飛ぶ。

 そうだ、免許皆伝を受けたあと、呼吸やら座禅やら、まるで修験者のような訓練を俺は受けていたのだった。呼吸は、その修行の基本の基本だった。

 『浮船』の構えのまま、じりっと美央から距離をとる。

 前のめりの攻める気満々のまま、美央は動かなかった。

 俺の体勢が、覚悟が、整うのを待ってくれている。

 こんな小娘……とは、もう思わない。彼女は、鍛え抜かれた剣士だ。

 それが、対峙してわかった。

 呼吸の乱れは精神の乱れ。

 精神の乱れは恐怖に起因する。

「恐怖を乗りこなせ」

 免許皆伝のあと、新たな修行に入る際に師匠に言われた言葉だ。

「あ……」

 これが、望月一刀流に伝わるとされる裏の技『朔月ノ流』の初歩だったのか。

 必死に呼吸を整える。

 ぐいぐいと、美央の『氣』が俺を押しつぶそうとしてきた。

 黒い靄に包まれそうになる。

 これは、殺気なのか。少女の身でこれほどの殺気を纏うとは、一体どれほどの天賦の才を鍛え抜いたというのか。

 飲み込まれれば、気死する。

 斬られて果てるか、衰弱死するか、どちらでも構わない。

 頭の中が真っ白になって、死の恐怖は遊離してゆく。


「弾く!」


 金属音は一度だけ。

 気が付いたら、美央と俺は馳せ違っていた。

 ジンとした痺れが手に残る。

 体重を支えきれずに、片膝をついた。

 今になってどっと汗が噴き出てくる。

 何か、見えない壁と壁が激突したように思えたのは、幻覚だろうか?

「素質はある。合格」

 柄を向けて抜き身の次郎太郎直国を斎藤に渡しながら、美央がひらりと笑った。

「お姉様!」

 半べそになった、奈央が美央にすがりつく。

「わはは、怖がらせてごめん、ごめん」

 美央が奈央をあやすように、背中をポンポンと叩く。

 斎藤から刀を回収した小太郎が、朱鞘の刀を錦の袋に納めた。

 そして、大きく伸びをして、あくびなどをしていた。

 仏像みたいな顔をした斎藤は、ポケットからハンカチを出して、そっと額を拭っている。


「修行を終えたら、当麻の兵として召し抱える。今後も励め」

 道着からセーラー服に着替えた美央が上座からそう言った。

 俺と師匠は、「謹んでお受けいたします」と、深々と頭を下げた。

 瞼と鼻の頭を赤くして、泣き止んだばかりの奈央とは対照的に上機嫌な美央が、立ち上がって、口笛を吹きながら道場を出て行った。

 たしか、アメリカのトロンボーン奏者アーサー・プライアーが作曲した『口笛吹と彼の犬』という曲だ。

 俺が美央様に仕える様になって何度も耳にする、最初だった。


 ===つわもの 了===

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

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