桜鬼
本編「退魔の盾」ブックマーク1000名様突破記念作品です。
ありがとうございます!
本編は完結しているので、スピンオフを書きました。
『桜の下には屍体が埋まっている』と言ったのは、梶井基次郎だったか。
儚くも美しい桜に、穢れの象徴たる死を合わせるとは、なんというセンスなのだろうと思う。
見上げれば、月、丸く。ひんやりと、朧。
吹く風に、音もなく花吹雪。
高校の卒業式に出ることはできなかったが、平穏な学生生活を過ごすことが出来た。
その影に、盾の者らの苦労もあったのだろう。
次期、当麻の首領を未熟なうちに、その芽を摘もうとする『鬼』は必ず存在する。
セーラー服も、毎日アイロンをかけたプリーツスカートも、身に着けるのは今日が最後。
明日からは、巴乳母様に師事してひたすら武を練る日々となる。
同じ年頃の子らと、他愛もない話に笑い転げたり、TVの中の虚像であるアイドルにうっとりするフリをしたり、そんな日常も終わった。
手には、慣れた一刀。
『次郎太郎直国』江戸初期の岐阜の刀工によって打たれ、浅野家の首切り役人の佩刀となった業物。
夜な夜な罪人の哭声がすると言われる呪われた刀だ。妹の奈央は、この刀が怖いと泣く。
でも、私とはコイツは相性がいい。持っていると落ち着く。
こうした『呪物』との親和性が高いと、呪いの力の根源とも言うべき『曰く因縁』が、持ち主を庇護しようとするそうだ。
例えば、異様に勘が鋭くなったり、自然治癒能力が高まったり。
実例を見た事はないし、私自身、効果の実感もないけど。
怨、怨、怨、怨、怨、怨……
次郎太郎直国が哭く。
ズル・ペチャと湿った音を立てて、舞い散る桜の先で、誰かが歩いていた。
黒いスーツ。手には日本刀。私の盾の一人だった……生前は。
「ひめサまを、御マもり、せねバ……」
『妖刀憑き』に、横一文字に一刀。それで、上半身と下半身を両断されてしまった男。私と奈央を庇った結果だ。
護衛の責務への執念だけが残り、こうして今も彷徨う。
そうしているうちに、色々な『穢』が重なり、降り積み、悪霊と化し、やがて鬼になる。
当麻に殉じた者。
それを、散華させてやるのも、次期首領たる私の役割だ。
「お役目、ご苦労だった。もう良い、休め」
そう言って、鯉口を切る。
花冷えの空気の中、次郎太郎直国を抜刀した。
禍々しい亡霊の哭声に、死霊と化した盾の者がぬらりと首をめぐらせる。
「ああ…… ひめさマ、ヒめさま、そこにおわシましたカ、いイ匂い、タまらぬ、たまラぬ……」
泥濘を捏ねまわした様な声。
背にブルっと震えが走った。
怖い……のは、当たり前だ。私は恐怖を否定しない。
飼い慣らす。それが、重要だった。
影の様に私に付きそう護衛のミス・クラリスはいない。
妹の奈央も、その護衛の小太郎もいない。
だけど、これは、私の初陣。
誰の助けもなく、自分ひとりで成し遂げなければならない。
多くの者に守られ、安寧のうちに学生生活を終えた私が、自分に科したケジメだ。
死霊となった盾の者は、私が斬らなければならない。
当麻の御業の基本は、乳母様から学んでいる。
剣術も、望月一刀流剣士である小太郎の手ほどきを受けている。
ズンと腰を落とし、地面に水平に一刀を構える。
これぞ、望月一刀流の基本『浮船』。
「小太郎……」
つぶやく。それだけで、肚にぼっと火が灯り、私の怯懦を霧散させる。
いつも、私を小ばかにして、斜めに構えて、飄々として、ウザい奴。
でも、奈央を命に代えても守ると、約束してくれた。
当麻の『贄』の運命を背負った奈央は弱い。
いずれ、鬼に喰われる運命。
でも、私が強ければ、奈央は死ななくていい。
小太郎が強ければ、奈央は安全だ。
運命など、意志の力で変えられるはず。
因果律などクソクラエだ。
盾の者も、穢にまみれたまま、死ななくたっていい。
私が強ければ万事解決する。
私が、皆を守る。
「いいよ、おいで。もう、休ませてあげる」
死霊と化した盾の者が、ぞるぞると手の日本刀を抜く。
積み重なった負の思念が、青白い炎となって刀身にゆらめく。
触れただけで、ごっそりと生命が削られてしまうだろう。
―― 怯むな、美央!
自らを鼓舞する。
それに感応したか、次郎太郎直国がピィインと鳴った。
迸る氣の余波で、ポゥと切先に光の輪が浮かぶ。
私が、学んだ望月一刀流は、いわば『操氣』と剣のミックス。
基本しか学べていない私には、小太郎や彼の師匠である銃兵衛殿のような、器用な真似はできない。
でも、自分なりの工夫もあった。
盾の者が、大上段に一刀を構える。
私は『浮船』のまま、腰を据えた。
「ヒめさマの内臓ヲ、しゃブりたい」
精気を失った、盾の者の青白い顔が、ニタリと笑み崩れる。
悪霊化がはじまっていた。
大上段のまま、ジリっと、相手が間合いを詰めてくる。
思わず下がりたくなるのを、やっと踏みとどまった。
退いたら負けだ。
不退転の意志が一撃を呼ぶ。
風がゆるゆると流れ、桜が舞う。
相手が踏み込む。
私が迎え撃つ。
裂帛の気合いは、自然と私の肚の底から。
◇
「あらら、美央さん、へたり込んじゃいましたね」
パンツスーツ姿の南米系の美女が、木陰で呟く。
彼女は、呪刀『次郎太郎直国』に杖の様にしてすがりながら、よろめき立ち上がるセーラー服姿の少女を見ながら、ほっと息をついた。
当麻家次期首領、当麻美央のボディガードに選ばれた女性だ。業界では単に「ミス・クラリス」とだけ呼称される。
「一撃で、氣を絞り切ったのだ。未熟者め」
かすれ声で答えたのは、小柄な老婆。当麻家の断罪者の役割を担う『乳母様』。
彼女は自らを『巴』と名乗っているが、固有名詞がつくことは極めて珍しい。
「しかも、扱いが難しい望月一刀流など使いよって」
猛禽を思わせる鷲鼻から、ふんむと嘆息して、吐き捨てる。
「何か、”思い入れ”でもあるんでしょうね。そういえば、巴様も、薬丸示現流を好んで使いますね。何か”思い入れ”でも?」
ミス・クラリスがからかうような口調で言う。
当麻の乳母様に軽口など、実情を知っている者から見たら、卒倒ものだ。
「知らぬ」
加えて、乳母様が頬を染めてそっぽを向くなど、異常事態を越えて天変地異に近い。
「でもまぁ、悪霊化しきっていないとはいえ、よくできました。うちの子、超優秀」
「望月一刀流の『型』に、当麻の『氣』を乗せおった。一流の剣士が十数年、血を吐くような修練を経てやっと身に着けるものを、我流とはいえ、たった二年でのぉ」
当人に知らせぬまま、見守る二人の女性が目を細めた。
「美央は意地っ張りじゃ。我らが影守りしていたと知れば、臍を曲げて面倒くさい。帰るぞ」
「そうですね。こっそり部屋を抜け出したつもりなんですものね」
「誘導されていたのも知らんでな」
ふふふ……と、巴が笑う。
ミス・クラリスがポカンと口を開けた。
「あら、見抜かれてました?」
「おまえの術であろう? 法術の『兎歩』と似ているな」
カポエラ使いとしてミス・クラリスは名が通っているが、踏みしめた地面に添って念を送り、結界や無意識下に働く通路を作る『兎歩』こそ、彼女の真骨頂なのだった。
これは、切り札。誰にも悟らせていない自信が彼女にはあった。
「おみそしるでした」
「たわけ、『お見それ』じゃ。たまに、おまえの日本語はあやしいぞ」
肩ごしにミス・クラリスが振り返る。
舞い散る桜の中に、ポツンと美央が立っていた。
袖で、目を拭っているところだった。
悪霊化してしまった盾の者を悼んでのことだろう。
「才能はズバ抜けている。度胸もある。首領としての覚悟もある。だが、慈悲深い。いつか、それが致命的なことになろう……」
振り返ることなく歩きながら、巴が呟く。
「でも、そんな美央さん、私は好きですよ」
「ならば、おまえは、命をかけて護れ。わしは、鍛える」
宵闇。桜の古木。そこに佇むセーラー服姿の少女は、思わず駆け寄って抱きしめてあげたくなるほど、儚く見えて。
「はい。そうします」
不安を断ち切るように、美央に背を向け、ミス・クラリスが巴の後を追った。




