ぱらいそに参ろうや
『退魔の盾』改題『ガーディアン 新宿警察署特殊事案対策課』発売記念作品です。
未完成品のオープニング部分だけです。
序章と思って下さい。
続きは、いずれまた。
寛永十五年(一六三七年)二月、島原に地獄が出現していた。
切支丹による一揆軍と幕府軍が激突していたのである。
苛烈な重税に喘ぐ民がキリスト教に救いを求め、激発したとされているが、それは事実と異なる。
私は、その現場にいたのだ。
美しい姫様と、巨漢の老人、奇妙な鉄砲放ちと共に。
海に突き出た小さな半島。
その先にあるのが原城だ。
陸路は正面のみ。
三方は海と断崖絶壁。まさに牙城。
そこに籠っているのは、老若男女の農民を中心に約四万人。
全員が切支丹だという話だが、姫様はそれを聞いて鼻で笑った。
「合理主義者の松平伊豆守信綱殿の考えそうなことよ。不平分子は一箇所に集めて掃き捨てる。ついでに、文化侵略を計る南蛮を排除する言訳に使うつもりじゃ。踊らされる民草はたまらんの」
漆黒の頭形の兜。錣も漆黒。糸威も黒い。
籠手も手甲も脛当も草摺も全て黒。
胴もまた黒だが、朱色で一点円が描かれていた。日輪を示すらしい。
黒ずくめの姫武者が、今は黒鉄の面頬を外して、夜空を背景に炎上する原城の郭をギラついた眼で見ていた。
具足と対象的な、透き通る白い肌。
桜桃を思わせる唇が、朱を引いたように赤い。
背は女性にしては大きかった。五尺七寸という丈は、私と同じ。
腰に吊るは『千子村正』。
日ノ本の支配者となった徳川に仇なす妖刀として、所持するのを避ける傾向がある刀だが、姫様は全く忖度しない。もちろん、口を出す者とていない。
姫様は、当麻の姫。平安の昔から、時の権力者と結び、霊的に日ノ本を護ってきた尊い御家。
神君家康公と言えども上座を譲った家柄である。
私は、望月鳶丸銃兵衛。この当麻の姫を御護りする、当麻の兵が一人。
江戸から遥々、当代の当麻の姫、結女様に随伴し、この九州の地にやってきたのだ。
私以外の同行者は二人。
老人のはずが、黒々とした蓬髪と六尺を越える長身の男。うそかまことか、剣豪、宮本武蔵らしい。
彼の養子の伊織の伝手で、小笠原家の寄騎として陣借していたが、一揆衆の印字打の投石で負傷。後方に離脱したと聞くが、見たところ怪我をした様子もない。
もう一人は、己の身長と同じ五尺の長さの鉄砲を持つ細身の男。名を鈴木重朝孫市という。信じられないことだが、雑賀衆を束ねていた雑賀孫市その人であるとか。
私の『望月銃兵衛』と同じく、『雑賀孫市』も後継者に伝承される名前だが、織田、豊臣の徹底した雑賀衆掃討戦で系統は途絶えたはず。
要するに、姫様が選んだ同行者は、うさんくさいのだ。
私は、結女様ご幼少のみぎりから御護りしてきた者として、それが不満だった。
「聞こえるか、鳶丸」
結女様は、私の事を幼名で呼ぶ。
姫様の御齢は私が三歳年上なので、十九になったばかりか。
お転婆な姫で、今もその本質は変わらぬが、見目はここ二年あまりで急に艶めかしくなって、たまさか目のやり場に困る。
美しい結女様の横顔から視線を引き剥がして、目をつぶる。
原城の方向から、歌うような、念仏のような声が、潮騒に乗って聞こえてきた。
「ぱらいそに参ろうや、ぱらいそに参ろうや、ぱらいそに参ろうや……」
祈りの言葉だった。それを唱和している。
切支丹が言うところの『ぱらいそ』とは、全ての罪も苦しみも許される場所だそうな。現世が苦しければ苦しいほどその救いも深く、罪深ければ罪深いほど慈悲が与えられ許されるとか。なんとも退屈そうな場所だ。
「死が救いなのだ。哀れな……」
結女様が瞑目する。
月光を浴びて、黒ずくめの女武者が祈りを捧げる姿は、まるで一幅の荘厳な絵画のようで、私は奇妙な感動を覚えていた。
「この民衆を『贄』としている者がおる」
ぼそりと呟いたのは巨漢の老人、宮本武蔵。
『魚の臓腑を衣に擦りつけて異臭を放ち、蠅を集らせている』
『鬼のような異相である』
『冷酷無比な斬殺者で、傲岸不遜』
『野人ごときふるまいである』
……などなど、悪評が付きまとう人物だが、実際合ってみると印象が違う。
確かに愛想がいいとは言えないが、どちらかと言うと美男の部類に入り、物静か。
剣士というよりは、まるで隠者のような雰囲気を持っている。
何日か同行して分かった。
現世への執着が薄いのだ。それが、彼の浮世離れした気配を醸し出している要因だろう。
墨染めの法衣の下に、鎖を編み込んだ襦袢を着ている。
甲冑は着ないようだ。
「銭にならん戦だからなぁ。なんともダラけた陣よの」
南蛮人が使う、折り畳みの遠眼鏡を覗き込みながら、鈴木孫市が言った。
戦争は金喰い虫。
領地を切り取る、金品を略奪する、捕虜や領民を奴隷として売り飛ばす、そうした蛮行で収支の辻褄を合わせるものだ。
だが、百姓相手の一揆では領地もない、備蓄された財宝もない、しかも全員決死の覚悟となれば、人狩りも出来ない。
為政者から兵役を担わせられたので、渋々参戦しているのが鎮圧軍である。
九州各地から兵が集められ、この苦役を担わせるあたり、知恵伊豆こと松平信綱の怜悧な官僚としての計算も見える。
九州を疲弊させたいのだ。関ヶ原の薩摩衆の敵中突破の悪夢は、未だ徳川の陣営にこびりついていた。まぁ今回は島津家は参陣していないが、幕府の九州恐怖症は根深い。
「知恵伊豆の意図など知らぬ。我らが狙うは、鬼憑に堕した小西行長めが遺臣、森宋意軒、一揆の首魁、益田好次の首。どちらかが、伴天連の鬼ぞ」
魔剣、千子村正の鯉口を切り、また鞘に鍔音を立てて納める。
その音は魔を払うとか。結女様は『鬼』を口にするとき、この動作をする。
私も、鎌倉初期から続く望月一刀流相伝者が持つ作者不明の刀、神剣『喰丸』を鳴らした。
武蔵は薄く笑っただけ。
孫市はふんと鼻を鳴らし、
「敵の総大将は益田四郎時貞ですぜ。コイツは撃たないでいいんで?」
と確認をしてきた。
「見ればわかる。彼奴は単なる傀儡」
武蔵がまたぼそりと言った。
「早朝、総攻めとか。混乱の巷では、森、益田を逃すやもしれん。今夜のうちに、討つ」
武蔵の言葉に頷いて、結女様がカチリと面頬を嵌めた。
顔が隠れて、目ばかりが見える。
その瞳は、深い深い黒。深甚の闇奥に、ゆらりと怒りの炎が揺れている。
「日ノ本を穢す輩、滅すべし」
結女様が呟いて、肩にかかる漆黒色の陣羽織を脱ぎ捨てる。
それは、風に踊って、暗い夜の海に消えた。
雑賀孫市が、長大な鉄砲を包んでいたボロ布を解く。
宮本武蔵が、汗止めの柿渋染の鉢巻を頭に巻いた。
私は、累代の神剣『喰丸』の柄を握りしめた。
「者ども! 進発!」
どっと結女様が駆ける。
我々が後に続いた。
見せしめに惨たらしく殺された農民たち。
血でぬかるむ地面。
咽かえるほどの死臭。
累々と敵味方の死体が折り重なる。
そこを黒い影となって、異形の一団が駆ける。
先に見ゆる原城は、火攻めの火炎に赤くゆらめいていた。




