一体さん
本編『退魔の盾』累計30万PV記念作品です。
ラヴラヴラヴラヴラヴラヴ、愛してる。
すきすきすきすきすきすき、一体さん。
そう、私は一体さん。だれとでも一体化しますよ。心も、体も。
いやいやいやいやいやいや、性的な意味ではなく。
普段、私は誰にも見えない存在らしいのですけど、例外はあります。
世界の理から外れてしまった人にだけ、私は見えるらしいのです。
めったに遭遇しませんけどね、そんな人。
私の役目は、最後の選択を与える事です。
そのためには、対象者の行動を抑制しコントロールする必要があり、不定形な触手の集合体という私の姿はそれに起因しています。
うねうねうねうねうねうね、穴という穴から侵入して一体化しますよ。
いやいやいやいやいやいや、性的な意味ではなく。
今日も私は彷徨います。
名所化している駅とか、名所化している高層住宅の屋上とか、名所化している枝ぶりのいい木とか、霊峰の麓に広がる鬱蒼とした深い森とか、火曜なんとか劇場で犯人が罪を告白するような断崖絶壁とか、そんな場所です。
今日、私は中央線の新小岩駅にいます。近頃、ここにいることが多いのです。
東京下町エリアのはずれ、いまいち知名度がないモヤモヤスポット(おっと、住民の方失礼しました)ですけど、不名誉な事で有名になってしまった場所なのです。
その不名誉な事とは、電車への飛び込み自殺。
これはね、いい死に方ではありませんよ。手足が千切れたり、それはもう悲惨なものです。
電車が停まると賠償金だってすごい金額になって、残された遺族の方々に、精神的な負担の他に金銭的な負担を強いることになってしまうのです。
通勤時間とかだったら、あのぎゅう詰めの電車の中に押し込められたまま、気分がわるくなってしまうサラリーマンヤOLさんだって出てきてしまいます。
私はベンチに座って佇んでいます。
なぜか、誰も座ろうとしない座席やベンチってあるでしょ?
あれ、私がそこにいるのです。
野性を失ったほとんどの人間は「なんとなく」避けているだけなのですけどね。
たまに、犬に吠えられたり、猫に威嚇されたりします。
彼らは私を嫌いますが、私は好きですよ。可愛いし。
自殺念慮に囚われている人は、すぐにわかります。
背中に『囁く悪霊』がいますから。
彼らは、普段は存在すら忘れ去られている、浮遊する薄ぼんやりした悪意……ちょっとした雑言や、嘲笑から生まれる低級な存在……なのですが、大きな悲しみに胸が潰されそうな人や、憤怒に身を焦がしている人を見つけると、そっと背中に寄り添って、その人が一番聞きたい言葉を囁くのです。
「死んじゃえよ、楽になるよ」
「我慢の限界だろ? 殺しちゃえ」
「君が死んでも、誰も気にしないよ」
「あのバカ上司、君が死ねば責任とらされるよ。復讐できるジャン」
追い詰められた人は、冷静な判断が出来なくて、容易にこうした言葉に唆されてしまう。
そして、消えそうな弱い存在だった『囁く悪霊』は、その負の感情を糧に悪霊化し、果ては思念の純粋な結晶体である『鬼』と化すのです。
私はそこに至らぬ様、自動的に探知し、自動的に駆除する、例えるならネット上のBOTみたいなものです。誰が私を作ったのか、私がいつから存在しているのか、忘れてしまいましたが。
覚えているのは、歌だけ。ハミングするような、呟くような女性の歌声だけです。
ラヴラヴラヴラヴラヴラヴ、愛してる。
すきすきすきすきすきすき、一体さん。
これはきっと、私のお母さんなのかもしれません。
私の触手たちが、うぞうぞと動きます。『囁く悪霊』を検知したのでしょう。
ああ、いました。
ホームの端で、線路を睨みつけている少年です。高校生でしょうか。
少年の背中にそっと掌を添え、いつでも押し出せるようにしていますね。危険な兆候です。
彼ら『囁く悪霊』は物理的に「押す」ことはできませんが、一歩踏み出すことが「救い」であるという嘘をつくことはできます。
少年の葛藤を感じます。
誰しも『死』は怖いものです。恐怖の感情は『死』を忌避する人間の本能によって生まれるもの。
本来は、薬品等で意図的に感情を遮断でもしない限り箍を外すことなど出来はしません。
それを巧みに外させようとするのが『囁く悪霊』なのです。弱った心につけこむ卑怯な方法で。
私は人がゆっくりと歩く程度にしか移動できませんが、触手を伸ばす事が出来ます。引っ張れば二百メートルほど。
なので、触手を伸ばしました。
夢中になって少年の耳元で死を唆していた『囁く悪霊』に絡みつかせます。
そのまま、少年の傍から引き剥がしました。
俯いてぶつぶつ呟いていた少年が、はっと頭を上げました。
ずっと、耳に響いていた
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、
……と、言う声が消えたのだから。
でも、レールに列車の響きが聞こえると、きゅうっと彼の表情が変わります。
死相というやつです。まだ、彼は自殺念慮に囚われているみたいです。
触手でバラバラに分解されつつある『囁く悪霊』が消滅する寸前、勝ち誇ったような顔をしていました。
私の触手がうねりながら、少年へ侵入を開始しました。
うねうねうねうねうねうね、穴という穴から侵入して一体化しますよ。
いやいやいやいやいやいや、性的な意味ではなく。
彼の動きが止まります。
長くは抑えていることは出来ません。
対話も出来ません。
あとは、彼の脳に働きかけて、記憶を取り戻させることしか、私には出来ないのです。
「自分を救えるのは、自分の意志だけ」
私を作った方(お母さん?)は、そう考えていたみたいでした。
この少年は今、竦んだ状態と思っているでしょう。
でも違います。私が縛っているのです。
記憶を探って分かりました。この少年はどうやらイジメを受けているらしいのです。
多いんです、こういう子。
逃げ場のない絶望ならともかく、長くても三年でリセットできる状況なのに、もう死ぬしかないと思い込むなんて、悲し過ぎる。
それに、学生時代の価値基準なんて、自分が置かれているステージの変化によって、変わってゆくもの。
お上手に数学の問題が解けて褒められるのは、学生だけですよ。
『イジメ』とか、カタカナ表記で記号化して、罪悪感を軽減しているのも、気に入りません。
これは、心を殺す殺人です。
机に心無い落書きをされたり、教科書を破られたり、靴を隠されたり、殴られたり、今、彼の心を占める記憶に、他の記憶を被せてゆく。
父母に挟まれて二人の手を左右の手で握り、ぶら下がりながら仰ぎ見た青い空。
お腹が大きくなった母が入院してしまい、恋しくて彼女の枕に顔をうずめた夜。
赤ん坊が家に来て「妹だよ」と言われ、その小さな手が少年の指を握った瞬間。
カブトムシを父と一緒に捕まえた、夏の朝。
キラキラ光る区民プールの水面。
友達と息が切れるまで走った土手の風景。
川を電車が渡る鉄橋の響き。
何も、死ぬことはない。ほら、いっぱい、思い出があるでしょう?
私は渾身の力を振り絞って、少年の記憶を掘り起こしてゆく。
がくりと少年が膝をつきます。
袖で涙を拭って、よろよろと少年は改札口に向かって歩き出しました。
よかった、今回は助けることが出来たようです。
暖かい記憶が多いと、救う事が出来るのですが、毎回救えるとは限らないところが、なんとも悲しい事です。
少年が飛びこむはずだった電車が到着しました。
これに乗って、移動しましょう。無賃乗車ですけど。
ラヴラヴラヴラヴラヴラヴ、愛してる。
すきすきすきすきすきすき、一体さん。
小さくハミングしながラ、私は古イ大規模都営団地の屋上に佇んデイました。
こコもまた、連続して飛び降り自殺者が出て、封鎖さレた廃墟です。
取り壊し待ちの物件デスが、侵入者も多いノです。
私を感知して『囁く悪霊』は姿を潜めているミたいデすけど、心が弱った人がここに来ルのを待ち構えテいるのが、分かリマす。分カす。分す。ワカリマス。
誰かガガガ、立ち入り禁止ノ表示を破って、侵入してきましたね。
困ったモのです。私は、何人も何人も何人も何人も救ってきたのに、年々自殺者は増えるバかり。
いやモう、疲れてシまいマしたよ。
ああ、デも、フシギですね。『囁く悪霊』が寄ってキません。
「やっと見つけたよ、一体さん」
おやマぁ、わタしが見えるんですね。
「私は、物部優香といいます。あなたを作った物部綾子の娘ですよ」
申し訳ナい。近頃は調子が悪くテ、私自身の記憶が曖昧なノデす。
他人の記憶は呼び覚マせるのニね。
「お役目、お疲れ様でした。信州にかえりましょ」
そウいって、優香さンが笑う。左の頬にえくぼガガガガ出来て、本当にカカカ可愛い娘さんだ。
「お母さん、先月亡くなってしまって、もう、あなたを制御できないの」
綾子さん、お亡くなりになったのデデデすか。オオオお悔やみモモモ申し上げます。
「ありがとう。優しい子ね。もうゆっくりお休み」
デデデでも、ワワワわたタタタシハ、モット救わナナナいと、こまているひといっぱいいっぱい。
「大丈夫。もう、あなたは十分働いてくれたわ。母は、あなたたちを『自慢の息子たち』って呼んでいたわよ」
綾子さんは、やっぱり、お母さん、だたです? かなしい、かなしい。
「そうね、私も、とても悲しい」
なかないで、ナカないで、いっしょに信州いこ。
優香さん、手から、金色の砂、零れて、箱なた。これに入る? わかた。
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人造鬼『一体さん』が、吸い込まれる様に『物部の金砂』で私が編んだ箱に収まる。
この『穢』の除去装置は、母 綾子の親友である『当麻の乳母様』のために拵えた術式。
入水自殺した文豪の後追い自殺が多発し『穢』の処理が追いつかなくなった時に、援助したものと言われる。自殺が連鎖したのは、入水自殺した人の誰かが深い業を背負っていたのかもしれない。真相は闇の中だけど。
物部一族会議では、
「これでは当麻の風下に立つことなる」
と、大問題になったらしい。でも、
「困っている人を助けるのは、当たり前の事です」
という母の一声で援助が実施されたらしい。
いつもニコニコしていたくせに、実は頑固者だった母らしいエピソードだ。
乳母様と親交があるというのも異例だし。
「さぁ、帰ろうね『一体さん』」
小さく折りたたんだ金色の箱を掌に包み込み、私は廃墟の階段を降りた。
=======『一体さん』(了)==========




