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欠格者の烙印(後編)

 荒川の河原にある、みすぼらしいバラックのカストリ工場に似つかわしくない、黒塗りの大きな車が横付けされていた。

 ロールスロイスである。きちんと制服を着た運転手が、真夏の日差しを避けて門扉脇に枝葉を広げる桜の木陰に立っていた。蝉の声が降っている。

 引き戸がガタピシ鳴る応接間には、俺と巴と綾子。そして、御大層な黒塗りの車でここに来た男が居た。

 俺と双子と間違えられる事が多い、一歳年下の弟、ただしであった。

 不器用な俺と違って、忠は器用でソツがない。

 まるで姫に閲覧する騎士の様に巴と綾子に接し、相変わらずの誑しっぷりに俺は呆れた。

 嫉妬深い忠の式神『迦具土かぐつち』は、俺の『雷獣』と相性が悪くて、どこかに消えてしまう。

 なので、二人で行動している間、忠 は女性とまともに会話できるわけで、コイツは今それを楽しんでいるところだった。

「いや、お美しいと伺っておりましたが、これほどとは」

 秀麗な顔に蕩けるような笑顔を浮かべて、綾子に阿諛追従を述べる。

 さすがに、当麻の乳母を口説く度胸はないらしい。

「あら、お上手。おほほ……」

 などと、綾子も頬を上気させて満更でもない様子だ。

 俺は、思わず舌打ちしたくなるのを、やっと堪えていた。

 GHQを襲撃するだろう『鬼包丁』。それが、明日に迫っている。

 巴もイラついているらしく、軍刀を納めた布包を握る手の指関節が白い。力が入っている証拠だ。

「兄貴、GHQにちょっかい出しただろう?」

 確かに、外交ルートを使わず『雷獣』を送り込んで、内部資料を浚った。

 あの場所を霊的に守護する『風聴隊ウインドトーカーズ』とかいう連中の抵抗があったが、構わず噛み破ってやった。

 俺の『雷獣』は本来は近接戦闘用。『管狐』の様な隠密行動は苦手なのだ。

「だから、何だ?」

 俺と 忠 の視線が絡み合う。

 先に目を逸らしたのは 忠 だった。

 俺と違って、こいつは状況に応じて退く事も躊躇わない。政治的判断が求められる御五家の当主の一人として、俺より適任だ。

「色々と、難しいんだよ、GHQとは揉めたくないんだ」

 気弱そうに笑いながら、俯く。

 綾子が「可哀想」とつぶやいて、俺に非難の眼を向けてくる。

 いつもそうだ、コイツは周囲を味方につける。ほぼ同じ顔なのだから、俺にも出来そうなものだが、俺には全く才能がないらしい。

「だが、『鬼包丁』が襲撃したら、こんな騒ぎじゃ済まんぞ」

 怨嗟の声が満ちている東京。

 それは、暴虐のGHQへと向いている。国内外の数多の死せる魂が『鬼包丁』を後押ししていると考えていい。

「わかっているよ、そんなことは。だから、兄貴、俺はGHQと共同体制を敷くつもりなんだ」

 その言葉を聞いて、今まで沈黙を守っていた巴が、ドンと床に軍刀のこじりを打ち付ける。

 猛禽を思わせる眼光が、忠 を射抜いていた。忠の頬につつ……と、汗が流れた。

 いつも人を喰ったようなこの男にしては珍しい反応だ。

「断る! 私は米兵が大嫌いです。それ以上に、まつろわぬ彼奴らなど、アレとのいくさの戦力になりません。足手まといです」

 巴がそう言い放つ。

 確かに『風聴隊ウインドトーカーズ』とやらの防備はお粗末だった。

 午馬の管狐使い見習い程度の実力だっただろう。

「猛らんでくださいよ、乳母様。地脈が乱れます。無辜の民が迷惑しますよ」

 ハンカチで額の汗をぬぐい、恐縮する態を装いながら、市民を人質にとるような発言をする。

 なかなか、したたかだ。

 巴がふんと鼻を鳴らして黙る。

 綾子ははらはらした顔で、巴と忠を交互に見ていた。

 俺は、縋るような忠の視線を無視して、天井を見ていた。

「と、とにかく、GHQとの共同体制は、当麻本家の決定です。この人物に合って下さい。これ、紹介状です」



 皇居のお堀に青海泥あおみどろが浮かんで草いきれのような匂いがしていた。

 焼け野原の東京。むき出しの鉄骨。建物たちの骸だ。

 こいつは、米軍による民間人を狙った都市部への無差別爆撃『戦略爆撃』とやらの結果。

 色々屁理屈をつけて正当化している様だが、コイツらが非難し、プロバガンタに利用している『ナチス党のユダヤ人虐殺』を凌駕する数の日本人が米軍に殺されている。男も女も老人も赤子も等しく。

 この焼け野原は、その象徴だった。

 復員兵や闇市に向かう人々の群れ。

 駅前の広場には、手足が欠損した男たちがそこかしこで、茣蓙を敷いて土下座しており『戦傷』という看板を立てていた。その看板の元には空き缶。彼らは物乞いをしているのだ。見るに堪えない光景だった。

 綾子がいちいち立ち止まって小銭を恵むので、東京駅周辺を抜けるのに時間がかかってしまった。

 正式訪問ということで、綾子は群青に青色の小紋散らしの振袖に藍色の高袴姿。巴は喪章の様に黒いマフラーのセーラー服。俺はこのくそ暑いのに、スーツ姿でネクタイまで締めている。

 かつて、西洋建築でモダンな東京の象徴だったビル『日本生命館』に近づく。

 憲兵を示す『MP』の腕章をしている米兵が、スーツ姿の男と少女二人という奇妙な一行をみて、眉をしかめていた。

 忠から預かった紹介状を見せる。

 詰所には有線の通信機があるが、この憲兵は誰か軍の上層部が売春婦を呼び寄せたと思ったのか、巴と綾子をビッチ呼ばわりし、俺の事は女衒と断じている。

「大丈夫」

 と、綾子が俺の背に触れた。

 殺気が漏れてしまったらしい。完全無視を決めている巴を見習わなければ。

 案内の兵士二人が詰所に来る。

 顔にそばかすを散らせたいかにも粗野なアメリカ人だった。

 クチャクチャとガムを噛み、M1ガーランドをだらしなく背負って、軍帽を斜めに被っている。

 ついてこいとでも言う様に、顎をしゃくって歩き出す。

「今日の売春婦は別嬪じゃねぇか」

「かまうことぁねぇ、先に味見しちまおうぜ」

「ジャップなんざ、ぶっ殺しても強姦しても『ゲリラでしたぁ』って言えば無罪放免だぜ」

「前線じゃジャップぶっ殺して『ハラキリしちゃいました』で通用したもんなぁ」

 声高にそんな会話をしながら兵士が我々を先導する。

 英語が分からないと思っているのだろう。

 綾子が「呆れた」とでもいう様に、俺を見て苦笑を浮かべる。

 巴は無表情のままだ。

 我々は、地下に誘導されている。

 事務スペースというよりはバックヤードの雰囲気であり、来客を迎える雰囲気ではない。

 コイツら、本気で二人を手籠めにするつもりか?

 そう思った瞬間、いきなり一人が振り向いてアッパーを突き上げてきた。

 メイスみたいな男の拳は俺の顎にクリーンヒットし、俺は後ろに吹っ飛んで仰向けに倒れた。

 下種な笑い声を立てて、二人が巴と綾子に掴みかかる。

 全く動かない二人を恐怖で竦んだとみたか、壁に押し付けむつけき手で体をまさぐっている。

「イタズな手ですねぇ」

 綾子が笑みのまま、そんな事を言った。だが、目は笑っていない。

「イタズな手は、腐れ落つだら」

 不逞米兵の、綾子の胸を揉みしだいていた手が止まる。そして小さく悲鳴を上げながら手を掻きむしり出したのである。

 皮膚が破れ、血が出ていた。

 小柄な巴に圧し掛かろうとしていた不逞米兵の動きも止まっていた。

 こっちは、白目をい剥いて口から泡を噴いている。

 股間に軍刀のこじりが深々と食い込んでいた。

 巴の打撃は体の奥に響く独特の衝撃があるそうで、これをまともに食らうと三日三晩昏睡状態になる。そんなものを股間に喰らったら悶絶必至だ。それに、睾丸が完全に潰されているだろう。

「たわけ」

 一言吐き捨てて、巴が米兵を押す。

 股間を押えた馬鹿な銅像の様に、その米兵はガクガクと震えながら倒れた。

「受傷すらしていないでしょう。立ってください、午馬さん」

 ため息交じりに、巴が言う。

 俺は床からむっくりと身を起こした。

 米兵の拳は、俺の顎の一センチ手前で止まっている。

 衝撃は、式神の『雷獣』が受け止めていた。

 俺は吹っ飛んだ演技をしただけだった。コイツらの相手をするのが面倒だったから。

「午馬さん、酷い目に遭ってる私たちを見殺しとか、最低ですぅ」

 パタパタと見えないゴミを綾子が自分の体からはたきながら、くりくりした目を俺に向けて、笑った。

 いや、酷いのは生きながらゆっくりと肉体が腐れ落ちてゆく不逞米兵の有様だろう。

 まぁ、同情はしないが。


 数十秒後に駆けつけてきたのは、顔の造作が何もかもが大ぶりな男だった。

 目も鼻も口も大きく、眉はゲジゲジ眉毛。丸い針金フレームの眼鏡を掛けている。

 階級は少佐。名前は、ジャック・アーチャーという名前らしい。

「当麻家、物部家、午馬家の皆様に、大変失礼いたしました」

 いかにもアイルランド系の赤毛の巨漢であるにもかかわらす、流暢な日本語だった。

 ぎょろ目と体格が相まって、なんだかびっくりした熊みたいな愛嬌ある外見だが、この男はいきなりホルスターからコルト・ガバメントM1911A1を抜くと、床に転がっている二人を撃ったのだった。

 二人は頭を撃ち抜かれて、一度だけビクンと跳ねると、そのまま静かになる。

「こんなことで、お許し頂けるとは思いませんが、これはケジメです」

 そういって、田舎の農夫みたいな顔をほころばせた。 

 本人の誘導でジャック・アーチャー少佐のオフィスに案内される。

 彼こそ、アメリカを霊的に守護する目的で創立された軍の特務機関『風聴隊ウインドトーカーズ』の隊長だった。

 目の前で友軍兵士を、まるで犬ころでも始末するかのように、あっさりと射殺した現場を目撃したにもかかわらず、見た目は可憐な少女たちは全く気に留めた様子もなく、殺害した当人も凡夫の表情のまま我々の為に紅茶などを淹れている。

「おおまかな事は、午馬 忠 さんから伺っております。生憎、アメリカを霊的に守護する機関はまだ歴史が浅く、運用のノウハウも蓄積されていません。凶悪犯罪に使用された『いわく因縁のある凶器』も取集を始めたばかりでありまして、まぁ正直に言わせて頂きますと、『鬼包丁』に対抗する手段を持ちあわせていないわけです」

 特務機関『風聴隊ウインドトーカーズ』は、ネイティブアメリカ人の呪術を基にしているらしい。

 彼らの思想体系は日本の神道と似ていて、万物に精霊が宿るという『マニトゥ思想』。

「本国から遠く離れたこの極東の地では、『マニトゥ』の加護が薄いのです。我々の今後の課題ですな」


 アーチャー達から得られたのは『情報の提供』。

 ジョン・スミス中将の来日の日程。そして、その行動ルートである。

 どうやら『鬼包丁』に憑かれたらしい 仙道せんどう 九十九つくも の標的は、このジョン・スミス中将で間違いないだろう。

 歴戦の勇者ではあるが、歯に衣着せぬ発言で軍上層部とは折り合いが悪く、軍の人事権に横槍を入れた『スミス対スミス』事件以来、更迭に近い扱いを受けていた。ゆえに、


「テロリストを釣るための餌として使ってよい」


 ……と、いう判断が成されたのだろう。

 ジャック・アーチャー少佐は、誰に相談するでもなく、ジョン・スミス中将の視察ルートを予め漏洩させることに同意してくれた。


 ―― どの世界でも、死んだ英雄だけが良い英雄ってわけか


 戦時に役に立った人物も、平時には邪魔ということ。

 ジョン・スミスのような『吠える狂人』みたいな煩型うるさがたなら猶更。

 米軍の事はともかく、問題は当方の戦力が頼りないこと。

 政治的な事情及び処理する特殊事案の多さで当麻本家の兵力は動かせず、午馬も同様。現在、京都ににて鎮護の任についている遠間家も余裕がない。富妻家は純血血統が絶えて久しく、退魔行から降りてしまった。

 信州に逼塞している物部は、一門衆を派遣してことだけでも異例とも言える譲歩。これ以上の助力は頼めそうもない。

 つまり『鬼包丁』に立ち向かうのは、『欠格者』と『見習い乳母』と『まだ学生の物部一門衆』しかいないというわけだ。米軍の特務機関『風聴隊ウインドトーカーズ』は、戦力としては微妙である。


「あの『鬼包丁』は、一種の怨念増幅器。具現の記録は過去二件で、いずれも『万戦よろずいくさ』が顕現されています」


 綾子が手帳を見ながら言う。

 『万戦』は、古戦場などに現れる幻の軍勢のこと。死してなお、戦を続ける亡者の群れの事を差す。

 単体戦闘能力に特化した乳母とは、相性が良くない。

 俺の『雷獣』は多敵を相手にすることが出来るが、俺への負担が大きい。

 術の鍛錬を怠った今の俺では、広範囲に及ぶ施術は心もとない。

 ジョン・スミス中将を餌に戦場を有利に選べるのはいいのだが……。


「木苗氏と佐竹氏に助勢を頼んではいかがでしょう」


 懸念を先読みした 巴 が、ポツンと言う。

 俺の腕にさぁっと鳥肌が立った。

 当麻の原則は、一般人を巻き込まないこと。だから、忠 は市民をダシに 巴 の怒りの矛先を躱したりしたのだ。

「木苗氏は『猫憑き』。佐竹氏は『人左流結界師』。人に非ず」

 巴め、しれっとわが部隊に混じった『人外』を探知していやがったか。見習いとはいえ、さすが当麻の乳母だ。

 木苗は、四国の出身。

 いわゆる、『憑きもの筋』とか『犬神筋』などと言われて、恐れられ忌避される家柄の出身だった。

 狙撃手としての異様な集中力は、だいぶ血が薄まっているとはいえ、人外の「猫の集中力」の発現なのだった。

 佐竹は、熊本の出身。

 左神社が実家だった。『佐』は『すけ』。『すけ』は『助』。佐竹の『佐』は人助けを行うという言霊。御五家ほどの力はないが、阿蘇山をご神体として、地域の鎮護に寄与してきた一族が佐竹家だった。

 大爆発に巻き込まれたにもかかわらず、顔は負傷したが奇跡的に助かったのは、『人左流結界』が自動発動したため。

「激しい戦を生き抜いた方々。平穏に暮らしてもらいたいという午馬さんの気持ちはわかります。でも、今回『鬼包丁』を見逃せば、その平穏な暮らしも危うくなりますから」

 笑みを崩さず、綾子が言う。くそ、コイツも気がついていやがったか、バケモノどもめ。

 佐竹と木苗を戦略に組み込むなら、多少選択肢の幅は広がる。

 頭の中をフル回転させはじめた俺をみて、ニコニコと綾子は笑い、巴はふんと鼻を鳴らしてそっぽ向く。

 企画・立案は自分たちの役目ではないとでも思っているのだろうか?


 俺は佐竹と木苗の正体を知っている。彼らは、俺に正体を知られている事を知っている。

 だから、俺に呼び出された時、何の用事かおぼろげながら理解していたのだろう。

 『鬼包丁』のことは知らなかったが、わざわいをもたらす魔剣が存在することは理解している。

「あの時、あの場所で、俺は午馬中尉殿に救われました。なので、俺の命でよければ使って下さい」

 二人とも、あっさりと俺に運命を委ねやがった。

 恩は着せるものではない。着るものだ。そう考えている俺は、実に居心地が悪い。

 綾子や巴の様に、使えるモノは使う……という割り切りが出来ない。

 非情の決断を強いられることがある午馬の当主に向かないわけだ。

「断ってもいいんだぞ? 危険な特殊事案なんだ」

 と、逃げ道を擁してやっても

「私の家は人助けの家。『鬼包丁』の話を聞いて、退くことはできませんよ」

 佐竹が焼けただれた顔に苦笑いを浮かべる。

 くそ、くそ、くそ、お人よしの馬鹿ども。

 いいだろう、やってやる。『鬼包丁』を捕獲して、誰も死なない。そんな策を練ってやる!

 戦死した日本兵の怨念を増幅させた『鬼包丁』は、日本兵を愚弄し最も多く殺した将軍であるジョン・スミス中将を必ず狙う。

 つまり、彼を餌に誘導が可能。我々の有利な点はそこだ。

 地図を睨む。

 どこだ? どこに誘導すればいい?

 単体戦闘能力がズバ抜けている巴の使い途は?

 捕獲担当の綾子はその機で投入する?



 アメリカ本土に帰国途上のジョン・スミス中将が接収された調布飛行場に降り立つのを見た。

 彼は、アメリカ海兵隊設立に尽力した人物で、『最初に上陸・最後に撤退』という伝統と『常に忠誠を』という標語を体現した将官であり、アメリカにとって英雄ではある。

 ただし粗暴な発言が目立ち、政治的には不器用という評価があり、平時に移行しつつある現在、更迭のように本国に異動する最中であった。

 俺は、日系二世部隊の下士官にして通訳という役柄で、ジョン・スミス中将に同行することになっている。

 身分証などは、『風聴隊』が用意してくれていた。

 乱暴者という風評だったが、ジョン・スミス中将は田舎の農夫といった素朴な顔立ちで、敬礼する俺に答礼すると、気さくに肩を叩き「よろしく頼むよ」などと、笑う人物だった。

 リムジンの使用は断っており、差し迎えのジープにジョン・スミス中将は乗り込む。

 年齢は六十歳を超えているはずだが、動作は若者の様に身軽だった。

 運転手や助手席の護衛、俺にも葉巻を差出してきて、自らも咥える。ハバナ産の上物も葉巻だった。

 葉巻の先端を歯で喰いちぎり、ぺっと吐き捨てて、火をつける。最前縁の兵士の流儀だった。

「俺の息子たちは、お行儀よくしているかね?」

 彼は海兵隊員を「息子たち」と呼ぶ。愛着があるのだろう。

「ええ、日々民間人を殺し、若い女をレイプしてますよ」

 と、正直に言ってやろうかと思ったが、俺は曖昧な笑いを浮かべるに留めた。使い捨ての餌め。

 佐竹、巴、綾子は、『鬼包丁』を迎撃すると決めた地点に埋伏している。

 そこから八百メートル離れた高台に木苗がスコープを覗いている。

 俺は、餌に付いて誘導する役目。

 大規模な術は久しぶりに使うことになるが、まぁせいぜい死なないように祈っておくか。

 神など、いないがね。


 海兵隊の屯所を廻り、復興の槌音がする銀座周辺を巡る。

 ジョン・スミス中将は、上層部はともかく兵士には人気があるらしい。どこでも、歓迎された。

 負け戦は「死」につながる。勝てる戦をしてくれる将軍が、兵士にとっては良い将軍なのだろう。

 焼け残った帝国ホテルで昼食を採り、GHQを表敬訪問。

 その間に、陳情の兵士一人一人に面談し、実に精力的に、かつ誠実に動く。

 『常に忠誠を』の標語は伊達ではないということか。


 夕刻、我々が巡回したのは、皇居の畔『千鳥ヶ淵』だった。

 ここは、戦没者慰霊碑が作られる予定地で、霊的に清浄をたもつべく、午馬家が浄化を進めている場所だった。

 迎撃地点は、まさにこの場所。

 佐竹、巴、綾子が潜んでいる場所だ。

「ここは?」

 ジョン・スミス中将が、何もない堀端を眺めながら俺に質問した。

「ここは、慰霊碑が立つ予定だそうです。日本は、死ねば敵も味方も『仏』という思想なのです。だから、ここには勇敢に戦った友軍も慰霊されます」

 と答える。

「そうか」

 ジョン・スミス中将が瞑目する。今の彼は、最も多く日本兵を殺した英雄というよりは、疲れた一人の老人の様に見えた。

 西の空には夕日に染まった入道雲。

 逆光をあびて、黒々と浮かんだジョン・スミス中将の巨体はまるで塑像のようだった。

「私は殺し過ぎた。戦争は、もううんざりだ。田舎に帰って、野菜でも育てるよ」

 そんなことを、ジョン・スミス中将がつぶやく。

 その言葉を遮る様に、遠雷がゴロゴロと響く。

 日本の夏の風物詩の夕立かと思ったが、違う。

 

 ―― これは、唸り声だ


 風の中に、腐臭が混じる。

 これは霊的な現象で、運転手も護衛もジョン・スミス中将も、その生臭さを感じない。

 だが、俺には分かる。

 ここに、『鬼包丁』を携えた 仙道 九十九 が、いる。

 偶然だが『九十九』は『永遠』を示す言霊。無限に亡者の群れを呼び出す『鬼包丁』とは相性がいい。

 霊現象は察知できなくとも、雰囲気が変わったのを察知したのか、護衛がトンプソンM2軽機関銃を構える。運転手は、ジープのキーを捻った。だが、エンジンは沈黙。鬼の出現などの霊現象が起こると、高確率で機械が故障する。

 さすがに、激戦の最前線で先頭に立ち続けただけあって、ジョン・スミス中将は落ち着いていた。

「何かおかしい。ジープを捨てて、徒歩で脱出する。衛兵、殿を頼む。通訳君、君は先導を」

 と、テキパキと指示を出す。


「さあ! お立合い! 酔っぱらったバカなジャップが射的の的になるよ! 何匹のイエロー・モンキーを倒せるかな?」


 そんな音声が、ジープの無線機から突然流れる。

 これは、玉砕戦開始時に米軍の通信兵がディスジョッキーを気取って流した実際の音声だった。

 ギョッとして、三人のアメリカ人が足を止める。

 千鳥ヶ淵の水面に、一人の男が立っていたのである。

 これが、仙道 九十九 だった。

 左手には、朱塗鞘の一刀。魔剣『鬼包丁』だ。

 なんという殺気。

 なんという鬼気。

 俺は思わずへたり込みそうになるのを、やっと堪えた。

 空気を裂く音。

 銃声はワンテンポ遅れて聞こえた。

 中肉中背の真面目そうな顔つきの男、警察官だったので徴兵を免れ、日本に留まった男 仙道 九十九 が、抜く手も見せぬ抜刀。

 ガチンという鋼を弾く音とともに、走る刃の軌跡に火花が散った。

 亜音速の銃弾を斬るか、魔剣。

 降り抜いた『鬼包丁』は八相に。

 拳が高い位置のまま、刀身を前に倒してゆく。

 直心影流『鉞破ノ構』。防御を度外視し、片手突、袈裟斬に変化する攻撃的な構えだった。


「外道、死すべし」


 そう呟いた、九十九 の唇がニィっと笑いを刻む。

 ゆらゆらと蜃気楼のように浮かんだのは、着剣した三十八式歩兵銃さんぱちを構えた、ボロボロの日本兵。

 戦場で死に、今なお彷徨う亡霊たちの具現『万戦』だ。

 多い、数百体はいるだろうか。

 悲鳴を上げて、衛兵が軽機関銃を乱射する。

 ばたばたと亡者が倒れるが、ジョン・スミス中将に殺到する歩みは止まらない。

 あたかも、サイパン玉砕戦の際、米軍を踏み破った日本兵の再現だった。

「なんだ、これは! 何が起こっている!?」

 ジョン・スミス中将も拳銃を抜き、撃ち始める。

 九十九を中心に、次々と地面から無念の亡霊が湧き出る。


「燃料がもったいねぇから、ジャップは落としちまおうぜ」

 両手両足を縛られたままの日本兵捕虜が、輸送機から米兵によって蹴り落とされてゆく。

 上空千メートル。重力に引かれ到達速度の限界を超える恐怖。理不尽な死の無念。


「穴に籠った鼠は燻し出すに限る」

 げたげたと嗤いながら、一般市民が逃げ込んだ防空壕に火炎放射器のノズルを向ける米兵。

 灼熱の炎に焼かれ、転げまわったのは、女学生たちだった。


「戦略爆撃である。ジャップは焼き殺すに限る」

 東京上空からガソリンが散布され、焼夷弾が投下される。

 風向きを計算し、効率よく延焼させるため、アリゾナの砂漠に東京下町の街並みを再現して、何度も放火して研究した成果だった。

 顔も分からぬまま焼け焦げた女性らしき焼死体が覆いかぶさる様にしていた下には、生焼けの赤子の死体があった。


「このまま、生きて凌辱されるくらいなら」

 海風が断崖にぶつかるサイパンの海岸線。

 親友同士の女学生が手に手をとって、崖から身を投げる。

 彼女らの家族も、幼い弟を抱えた母も、次々に身を投げた。


「海の流儀を知らぬのか?」

 沈没した駆逐艦。

 海に投げ出されたのは、百五十人もの水兵たち。敵もであろうとも、海に漂う者は助けるのが不文律。

 しかし、米軍機は執拗に機銃掃射を続けていた。

 卑怯者め! 鬼畜め! 血に染まり、四肢砕け、わだつみの元へと……


 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い


 死者の群れが、幾万の軍勢となって押し寄せてくる。

 ジープを動かそうとキーを捻り続けていた運転手が、死者の群れにジープごと飲み込まれる。

 魂消た悲鳴が、ブツンと途切れる。

 俺は、すざまじい憎悪の思念の流れに圧倒されていた。

 虐待の記憶が蘇り、軍勢に加わりたくなる。


「しっかりしてください!」

 俺の前に立ったのは、佐竹だった。

 銃剣の筒先を揃えて、突き込んでくる亡者たちの前に立つ。

「人左流結界術『竹把ちくは』!」

 佐竹が自分の前に、『指剣』を遣って一線を引いた。

 指剣とは、人差し指と中指を伸ばし、他の指を握り込むこと。

 じゃんけんの『チョキ』に似ているが、もともと『じゃんけん』は呪術的儀式の名残である。

 フィルムの早送りの様に、地面から竹が生え、みるみる伸びてゆく。

 これが、人左流結界術『竹把』。爆弾の破片を殆ど防いだ佐竹の術である。

 亡者群れ、無念や憎悪の顕現『万戦よろずいくさ』たちが、竹をへし折り、噛み砕き、なおも前進してくる。

 佐竹の顔は土気色に変わり、必死の形相で結界を維持しようと苦闘していた。

 やっと、俺の脳内にかかった靄が晴れる。

 両手を打合せ『柏手かしわで』を打つ。神社で祈念する際に行う柏手は、音の響く空間を清めるための呪術的仕草。


「午馬流呪法『道切みちきり』!」


 半径十メートル。これが、俺の呪力が及ぶ範囲。

 この空間に足を踏み入れた邪念はどこに到達することなく、その念が風化するまで閉鎖された空間に彷徨うこととなる。

 よろめく佐竹を抱えて、背後に退く。

 なんとか、最初の激突を凌ぐことが出来たようだった。

「すいません、今のでほぼ『力』を使い切りました」

 呪術はごっそりと生命が削られる。

 これは、当麻であろうと、午馬であろうと変わらない。

 だが、当麻家はその身に縫い付けた『鬼』に、午馬家は使役する『式神』に、呪力を供給させる技術体系をもっていた。

 つまり、俺の式神『雷獣』は術を使う際の燃料のようなもの。

 代償はある。魂が、式神に喰わるのだ。

 術を使えば使うほど、俺は『雷獣』に魂のレベルで同化してしまい、最後は魔獣と化してしまう……らしい。当麻家の場合は『鬼』に成り果てると聞く。

 それらを、断罪するのが『当麻の乳母』というわけだ。

 呪力の供給元がない佐竹は、自らの生命を削る。

 持続力だけみても、御五家は並みの呪術師と比べ桁違いなのである。


 『道切の呪法』が及ぶ範囲の外から、ぞろぞろと『万戦』があふれてくる。

「あと、一押し、保つか?」

 佐竹に言う。

 無理に決まっている。最初の一撃をいなすだけで、佐竹は精一杯だったはず。

 だが、更に大きな術で『万戦』を討たねばならない。

 このまま、東京に全域に『万戦』が溢れれば、駐屯しているGHQはほぼ皆殺しになる。

 ここを遠巻きにしている『風聴隊ウインドトーカーズ』など、物の役には立たない。

 ひとたび殺戮が起これば、大規模な反乱と判断されて、また東京は戦場になってしまうだろう。

 それは、避けなければならない。

「保たせます」

 そう即答して、佐竹が指剣を振るう。

 俺は『雷獣』を召還して、雷雲を呼ぶ。

 前足二本・後足四本の狼の様なバケモノ。嵐の中に住み、雷雲を呼ぶという『雷獣』。

 もっと強い力を……と、願った俺に具現した式神。

 それに精神を重ねる。


 ―― 雷雲を呼べ、嵐を呼べ、焼きつくせ、皆死ね、死ね、死ね!


 呪詛を力に変えてゆく。

 少しでも気を緩めると、昏い思念の波に飲まれる。

 俺は今、激流に丸太一本の上に立っているようなものだ。それを、制御する。

 佐竹の『竹把』を乗り越えた亡者の額にボコリと穴が開き、邪念が風化した。

 木苗が遠距離から狙撃しているのだ。『猫の集中力』から繰り出される銃弾は『魔弾』。

 新品だった彼の三十八式歩兵銃は、たっぷりと血を吸って『いわく因縁のある』銃になっていた。


 遠雷の音。


 否、これは『雷獣』の唸り声。


 否、これは俺の唸り声。


 舌の上に、電気の味がする。

 力のうねりが、足から駆け上がり胴を伝わり右腕に宿る。

 佐竹の『竹把』が砕けて、どっと『万戦』が殺到してきた。

 俺の前に佐竹が立ちふさがる。

 銃剣を構えたボロボロの日本兵が駆けて来る。

 一射で五体を貫く『魔弾』が飛来した。

 だが、怯むことなく『万戦』は押し寄せる。

 佐竹が、十四年式南部拳銃の棹桿を引いて、初弾を薬室に装填した。


「午馬中尉! 持ちません!」


 悲鳴のような佐竹の叫び。

 佐竹は突き込まれた銃剣を素手で掴んで、バンバンと南部式拳銃を撃っている。

 俺は、右腕に宿った『力』を拳に集めてゆく。


 細く、鋭く、深く。


「よくやった! 佐竹軍曹! 下がってよし」


 俺の声に、巨体に似合わぬ身軽さで、佐竹が飛び下がった。

 同時に、俺は右手を振りかぶって、地面を突く。


「午馬流呪法『地奔ちばしり』!」


 地面を伝って、雷撃が走る。これは、『誘導雷』の具現。広範囲に雷撃を放つ呪術だった。

 ばたばたと『万戦』が倒れ、念が風化する。

 だが、出来た空白にまた、押し出されるように『万戦』が満ちてゆく。

 道を切り続ける。

 誘導雷を放ち続ける。

 魂をごりごり削りながら、『万戦』の湧出を食い止め続ける。

 破壊の衝動が楽しい。今、俺の顔には獰猛な笑みが浮かんでいるだろう。

 ぼんやりと、よくない傾向だなとは気づいていたが、止められない。

 俺は『荒御霊あらみたま』の一種である『雷獣』と同化しつつあるのだ。

 殺気の細い糸が、俺の後頭部にわだかまる。

 もしも俺が完全に『あちら側』になったら殺せと、木苗には命じてある。

 彼は今、照準器に俺の後頭部を捕えながら、葛藤していることだろう。

 嫌な役目をさせてしまった。「すまない……」と、心から思う。


 俺と佐竹は『万戦』に押されるように、じりじりと後退してゆく。

 佐竹の呪力は枯渇し、俺は力に溺れつつあった。

 亡者の群れが、浄化されている『千鳥ヶ淵』を穢しながら、広がってゆく。

 その円の中心には、仙道 九十九 がいる。

 何度も木苗の魔弾が彼を撃ったが、悉く斬り飛ばされていた。

 月光に『鬼包丁』が光る。

 殺戮の予感にうち震え、歓喜に身ぶるいしているかのようだった。

 ゆっくりと歩く仙道 九十九 と『万戦』との距離が開いてゆく。

 一気に『万戦』を拡散させず、じわじわと広げるようにしたのは、わざとだ。

 これが、俺の渾身の策。

 俺からは見えないが、地面に小さな黒い点があるはず。

 物部 綾子 が、金の組紐を編み込み、光すら飲み込み、空間を捻じ曲げた結果だ。

 空間に別の空間を作ったのである。

 これぞ、物部の秘術『影窪かげくぼ』。俺は、物部との共同作戦の際に、この術を見た。

 もっとも、物部の『つわもの』が全身全霊を振り絞って、拳大の空間を作ったにすぎず、継続時間は数十秒だった。

 綾子は、それを人一人すっぽり入るほどの空間を作り、これを数時間持続している。

 

 黒点が広がり、そこから飛び出たのは、巴。

 仙道 九十九 と『万戦』との距離が広がるのを、ひたすら待っていたのだ。

 巴が軍刀を抜き放ち、八相に構える。

 薬丸示現流の『トンボの構』、高く、強く。

 彼女の清冽な『氣』の迸りにピィイインと空気が鳴った。

 薄笑いを浮かべていた 仙道 九十九 の顔が文字通り鬼の形相となる。


「どけ! 小娘!」


 ズシンと腹に響く声。仙道 九十九 は既に鬼に変わり果ててしまっていた。


「お断りします」


 巴は、鬼気を受けても小揺るぎすらしない。


「我が斬るは、鬼畜米兵。小娘ではない」


 仙道 九十九 の眼に灯るは妄執の炎。

 ゆらゆらと鬼火が、彼の周辺に舞った。


「私を斬らねば、道はない」


 凛と巴が言い放つ。

 ボウっと彼女の背後に浮かんだのは光の環。

 仏像や宗教画に見られる『後光』だった。氣の奔流の余波の可視化である。


「やんぬるかな! 推して参る!」


 直心影流『鉞破ノ構』。

 ずぶりと一足一刀の間合いを 仙道 九十九 が越えた。

 巴の裂帛の気合い。高い八相から、雪崩の様に剣が降った。

 まさかりの一撃も受け止めると言われる『鉞破ノ構』。

 巴の軍刀を受けるのは、魔剣『鬼包丁』。

 清冽な巴の『氣』と、仙道 九十九 の『鬼気』が激突する。


「笑止! 魔剣に新刀で挑むか! 格の違いを知れ!」


 ガチンという鋼の音を立てて、大量生産品の軍刀と魔剣が噛合う。

 だが見よ、押されて膝をついたのは、仙道 九十九 の方だった。

 巴の姿に重なって、予科練の学生の姿が幻の様に滲んでいた。


「チィイイイエストオォォ!」


 薩摩隼人の甲声かんごえが、巴から迸る。

 巴の軍刀は魔剣『鬼包丁』を押し切り、仙道 九十九 は受けた刀身の峰を眉間に喰い込ませて昏倒した。

 転げる様に、『鬼包丁』が手から離れ、千鳥ヶ淵へと落ちてゆく。

 月光に浮かぶ巴の影から飛び出したのは、綾子だった。

 仙道 九十九 の手から『鬼包丁』が離れる瞬間を待っていたのだろう。安全に敵に接近するため、巴の影の中に潜んでいたというのか?

 綾子の両手から幾条もの金色の組紐がぞるぞると流れ出て『鬼包丁』を絡め取る。

 キイキイという『鬼包丁』の悲鳴が聞こえた様な気がした。

 いつの間に用意したのか、ベタベタと呪符が貼ってある桐の箱に『鬼包丁』は投げ込まれ、封印される。

 

 「やった! やった!」


 ……と、ぴょんぴょん跳ねて喜ぶ綾子を尻目に、巴は一歩飛び下がり、残心する。

 額を割られ、ドクドクと血を流した 仙道 九十九 が、にじるように這っていた。

 どろりと『万戦』が地面に溶ける。

 腐臭に似た瘴気も消えた。

 ジョン・スミス中将とその護衛が、抱き合うようにして腰を抜かしている。

 そこに向かって、仙道 九十九 が這う。

 鬼が抜けて精気が枯れたか、髪は白髪となり、皮膚はかさついて皺が寄り、肉体は骨と皮ばかりになっている。

 精悍な直心影流の剣士の面影はない。


「せめて、一太刀…… せめて、一太刀……」


 呪文のように、そう唱えながら、ジワジワと這う。


「もう、おやすみ。あなたの事は、私が覚えています」


 巴がそう言うと、軍刀を一颯させた。

 仙道 九十九 の首がコトリと落ちた。


 俺は辛うじて、この世界に踏みとどまり、木苗に頭を吹き飛ばされずに済んだ。

 こうして『鬼包丁』の特殊事案は終結したのだった。



 ********************


 東京駅、夜汽車が蒸気を噴出する音が聞こえる。

 桐箱を風呂敷に包んだものを抱え、モンペ姿に戻った 物部 綾子 が俺と 巴 にぺこりと頭を下げた。


「無事、アレを回収できました。皆様のおかげです。アレは物部家が責任を持って保管いたします」


 そう言って、綾子 がひらりと笑う。


「お疲れ様でした」


 巴 が、手を差し出した。利き手を預ける握手など、およそ『乳母』がやるべき仕草ではないが、色々と規格外の少女なのだと、俺は思い知っていた。

 綾子 がその手を無視して、がばっと 巴 に抱きついた。

 驚きに目が丸くなるなど、これもまた『乳母』らしからぬ様子ではある。


「私、同じ年代の友達がおらんで、巴ちゃんと一緒でうれしかった。また、会おうねぇ」

「わかりました。また、会いましょう」


 汽車が出てゆく。

 綾子は見えなくなるまで、デッキに立って手を振っていた。

 俺と巴はそれを、同じく見えなくなるまで、見送っていた。


「では、私は当麻家に戻ります。また、修行の日々です」

「そうか」


 人気のなくなったホーム。

 そこに、俺の靴音と巴の靴音だけが響く。


「今回の功績に関して、報告書を提出しておきます。罪一等減じられるかもしれません」

「余計なことは、しなくていい。報酬はもらったし、それで十分さ」

「また……退魔行をお願いするかもしれません」

「俺には高邁な精神なんぞないぜ。無法の欠格者だしな。まぁ金次第だよ」


 ふふふと、巴が笑う。

 笑えば、年齢相応の少女に見えた。


「含羞の方なのですね。そういうことにしておきます」


 生意気な小娘だ。

 小突く真似をしたが、俺の方を見ることなく、それをひょいと躱す。

 さすが、武神。


「ではまた」


 海軍式の敬礼をして、巴の小さな背中が夜の街に消えてゆく。

 一人東京駅に残った俺は、ポケットからクソまずいアメリカのクソタバコのラッキーストライクを取り出した。

 それを咥えて、オイルライターで火をつけた。

 紫煙が歪んだ十六夜いざよいに向かってゆらゆらと昇っていった。



====== 『欠格者の烙印』 (了) ====== 

 

 

 

 

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