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棒ノ手

 生まれた時から、物部もののべ家に命を捧げよと言われて育った。

 この日ノ本を護る尊い御家なのだから、それにお仕えするのは名誉な事なのだとも言われた。

 そのために、厳しい鍛錬にも耐えた。

 鍛錬の途中で、何人もの同輩が命を落としたが、御家に殉じた立派な死なのだと、悲しむことも悼むことも許されなかった。

 人は生まれながらにして『名前』があることを知ったのは、ずっと後のことだ。

 親という者がいて、愛情を注いでくれるという事柄は、知識として知っていたが、意味は分からなかった。

 私には名前がない。

 だから親もおらず、愛情も注がれる事がないのだろうと、そんなことを思っていた。

 名前は、任務の度に与えられる記号にすぎない。

 今の私の記号は、山崎やまざき すすむという。

 大阪の薬種問屋の三男坊という設定だった。


 黒船の襲来以降『攘夷』を旗印に、長州や土佐の脱藩浪人が過激な政治活動を行い、『天誅』と称する暗殺を繰り返していた。

 悪化する京都の治安を維持するために臨時の武装警察がいくつか組織され、その一つに京都守護職の会津藩預かりの『新撰組』があった。

 水戸藩脱藩浪士と、多摩の徳川天領の半農半兵の士分(武士ではないが帯刀を許された者)で編成された野良犬のような連中だった。

 この組織の前身は『浪士組』という。実態は身分を問わぬ志願兵。

 「上洛する将軍家の先兵として、京の治安を維持する」

 という名目で、私塾の経営者にして尊皇攘夷思想家でもある 清川きよかわ 八郎はちろう が幕府の伝手を使って予算を確保し、企画・立案・実施した事業がそれだった。

 『新撰組』の連中など、まだ刀を使える分マシな方で、食い詰めた物乞いや、逃散した百姓、果てにはチンピラや博徒なども混じった雑多な一団だったという。

 志願者には支度金が支給されるのだが、それが目当ての連中も多かったのである。

 密かな討幕派でもあった清川にとって、『浪士組』が役に立たないのは想定内のことだった。

 幕府に金を使わせ、あわよくはその金で自らの信奉者を集めようという算段だったのだから。

 それゆえ、京都を目前に清川はこう宣言する。「我らは攘夷の先駆けである」と。

 それに反発したのが、同じく尊皇攘夷の思想を持ちながら、佐幕(幕府を支えることによって、海外の脅威に対抗しようという考え)派だった、芹沢せりざわ かもを中心とした水戸藩脱藩浪士と、天然理心流試衛館道場の剣士の集団だった。

 京都を目前に『浪士組』は、事実上の解散。

 対処に困った幕府は、京都守護職を務める会津藩に浪士組の残党を押し付けた。

 京都郊外の壬生みぶの名主である八木家に屯所を開き、その浪士組残党は『新撰組』と名を変えて今に至る。

 時は後の世で言われるところの幕末。

 だが、この壬生に蟠踞する江戸の周辺から上京してきたむつけき男どもは「末」などとは思っていなかった。長い安寧で貴族化してしまった武士に代わって、新しい力を持つのは我々であると、意気軒昂だったのである。


 彼らの士気は高かったが、軍資金はなかった。会津藩から多少の手当は出たが、十分とはいえない。

 京都の治安維持どころではなく、組織の運用資金確保のため、京都・大阪の商人に頭を下げて借金を申し入れるのが彼らの活動になってしまった。

 上方人特有の東戎あずまえびすへの差別感情もあり、それもなかなかうまくいかず、業を煮やした芹沢などは、強請りを始めてしまう。もともと、水戸脱藩の連中は特に荒っぽい連中だった。

 資金提供を拒んだ商家に「砲術訓練である」と称して、骨董品の野砲をひっぱり出してきて、砲撃して焼き払ってしまったり、寺社に対して「不貞浪人を匿った」と言いがかりをつけて、池の鯉をさらって食い散らかし神域や境内で剣舞をしつつ大酒を食らったり、興行に来ていた力士(相撲は神事との関連が深いことから、尊皇攘夷思想が強く討幕派が多かった)の集団と乱闘騒ぎを起こして、七名もの力士を斬殺したりして、手が付けられなくなっていた。

 これにより『新撰組』の武名は上がったが、壬生狼みぶろと蔑まれる原因にもなっている。

 強請った資金は、芹沢らの遊興に使われる事がほとんどで、組織に金が回らないという弊害もあった。

 こうした乱暴狼藉の苦情は、京都守護職にあげられる。

 苦慮した会津藩は、新撰組のもう一方の首魁である、試衛館の一派に水戸脱藩浪士排除を密かに打診する。

 私が、新撰組の入隊試験を受けたのは、そんな情勢だった。


 この日ノ本の国を霊的に守護する家系のうち、特に古い家を『御五家』と呼ぶが、当麻たいま家、遠間とうま家、午馬ごうま家、富妻ふつま家が時の権力者と結び共利共生関係を確立するのに対し、物部もののべ家は徹底した孤立主義を貫いていた。

 権力者の警察組織をアテにせず、独自の捜査機関を持っていたのである。

 それを『星見ほしみ衆』という。

 占術のみを磨き続けた一種の異能集団で、この国に仇なす者の存在を探知し、私のような戦闘の鍛錬を積んだ『物部の つわもの』の行動を決める。

 私が与えられた『山崎 烝』という名前も、私の『大阪の薬種問屋の三男坊』という偽装も、全て占術によって決められたことだ。

 そして、この野良犬のような乱暴者の集団に混じって、その中の試衛館道場一派の首魁 近藤こんどう いさみ に取り入るのも、占術によって導き出された行動予定だった。

 星見衆の占術は、この新撰組内部に我々の敵が隠れていることを示している。

 そこまで判っているなら、誰なのかまで占ってくれるなら、現場の我々は楽だ。

 行って、滅ぼして、立ち去る……それだけで済む。

 だが、占術による御託宣がどういう仕組みなのか理解はできないのだけど、今回はそこまでしかわからないらしい。

 なので、近藤一派に取り入るため、彼らがのどから手が出るほど欲しい軍資金の用立てのため、京都・大阪の商人に顔が広い(……という設定の)私が近藤を案内して商家を回ったり、役に立つ人物を演じているのだ。

 有形無形の様々な余徳を求め、金を払ってでも物部一族にお近づきになりたい商人は多く、私が案内する限り近藤は芹沢らのように門前払いされることはない。そのように段取りされている。

 これは、強請りまがいの乱暴狼藉を繰り返す芹沢ら水戸派との対比を浮き立たせるためで、近藤に権力を握らせるための策。それに軍資金が蓄積されれば、近藤一派の力も強くなる。

 金銭にだらしないのは、近藤一派も芹沢一派と同じだが、金遣いの荒さは芹沢より近藤のほうがマシ。元は百姓みたいなものなのだから、使い方を知らないというのはあったのだろうが。

 その結果、新撰組を預かる会津藩から近藤へ、密かに「芹沢一派の排除を打診される程度には、信頼を受けつつある。


 星見衆の指示は、「近藤に接近して彼に新撰組の権力を握らせる」ということだけ。

 これが、結果的にこの国に仇なす存在を滅する結果になるらしい。

 こうした奇妙な任務はまれにある。

 「決まった時刻に、決まった道筋を歩く」という任務を一週間続けたことがあるが、何も起こらぬまま任務終了となった事もある。

 実際は、私が歩いた事によって何か重大な事柄が防げたのかも知れないが、その全体図は現場の兵にはわからない。

 だが、兵は指示を繰り返すだけのからくり人形ではない。

 推理もするし、効率よく任務を遂行するために工夫もする。

 それを現場に出ない星見衆には理解できていない。我々を、将棋の駒ぐらいにしか思っていないのだ。

 私は考える。

 「近藤に権力を握らせるということは、敵は彼の敵対派閥の水戸派にあるのではないか?」

 ……と。

 長く現場に出ると、敵の匂いに敏感になる。

 我々の敵は本来「人」ではない。願望や悪意の純粋な結晶体。

 古来から『鬼』や『もののけ』などと言われている存在。

 それらが、この世界に干渉するためには、巫女のような憑代が必要らしく、その『憑かれた者』には一定の行動様式があるのだ。

 それが、『本能的な禁忌への軽視』である。

 過剰な暴力。躊躇ない殺し。倫理に反した行動。それらをしでかしておいて、まったく後悔しない心の動き……などがそうだ。

 これらを考慮すると、芹沢せりざわ かもあたりが条件に合致する。

 彼には酒乱の気があり、酔うと手が付けられないほど暴れる。

 芸者を呼ばなかった置屋を鉄扇をぶん回して柱をへし折って回り、廃屋にしてしまったほど。

 彼には殺人への禁忌がない。戸賀崎派神道無念流免許皆伝の腕前で、大根でも斬るように人を斬る。

 目の前を横切った者が邪魔だったという理由だけで、振り払うように通行人を斬るほど。

 彼には禁忌への境界線がない。独自の倫理観で動いていてそれが邪悪だった。

 借金の回収に来た商人の妾を監禁し気の済むまで凌辱し、今も監禁し続けているほど。

 これらを踏まえ、私は芹沢を標的として意識していた。

 彼には『憑かれた』者の匂いがする。

 乱暴者ではあったが、江戸から京都の道すがら、ここまでひどくなかったという情報もある。

 京都に来てから、彼は変わってしまったそうだ。 

 だから、私は芹沢とその一派を監視し、付け狙う。これは、近藤一派との利益と合致することでもあるのだ。

 今、私は入隊したばかりで顔がよく知られていないことを幸いに、水戸脱藩浪士たちの動向を密偵していた。

 彼らは、人数から言えば少数派だ。

 試衛館派が二十四人いるのに対して、芹沢を筆頭に五人ほど。

 そのうちの二人、芹沢と新見は近藤と同じく『局長』という役職についていて、新撰組の主要役職は水戸派が占めていると言っていい。

 それに彼らは今は脱藩浪人とはいえ、元は武士。

 士分あがりの近藤らを見下すところがあった。

 油断していると言い換えてもいい。

 朴訥な農夫の風情を隠さない近藤の仮面に、騙されている。

 付き合いは短いが、私にはわかる。この男は、怖い男だ。

 自分の射程距離まで、何食わぬ顔をして気長に待つことができる男が一番怖い。


新見にいみ にしきを的にかける」

 という案は、近藤によるもの。

 芹沢は妙に勘の良いところがあり、なかなか暗殺の隙を見せないのだ。

 やたら抜く剣は、水戸天狗党時代から何度も実際に人を斬っており、斬り覚えた腕はかなり手ごわいというのもある。

 なので、局長という要職に在りながら、いまいち存在感の薄い新見を斬ろうという発想だ。

 本丸が堅ければ、外堀から埋めてゆこうということで、こうした腰の据え方も、近藤の恐ろしいところだった。

 実行部隊は、近藤の朋輩である 土方ひじかた 歳三としぞう が執っていた。

 この男も、近藤とは違う意味で怖い。

 小規模なケンカの差配にかなり頭がキレるところがあり、勝負勘もいいところから、最前線の指揮官に向いていると私は思っている。

 そして、身内以外には異様に疑い深い。

 私の『大阪の薬種問屋の三男坊』という設定を最後まで疑っていて、抱えている密偵を使ってしつこく私のウラをとっていたのもこの男だ。

 近藤は私を信用しているが、土方は近藤が信用する者ほど念入りに調べる傾向があった。

 今でも「うさんくさい奴」ぐらいは思っているのだろう。

 街中の探索から帰り、町人髷に結った髪を洗い流して結い直している私を密かに観察しているぐらいだから。

 その証拠に、糸のように細い殺気が絡みついてくる。

 

 ―― 疲れる


 内部粛清で組織の形を整えようとする団体の中にいるのは、本当に疲れる。気が休まらない。

 早くこの探索行を終えて、山深い物部の里に帰りたいものだ。何もないところだが、少なくとも安息はある。

 上半身裸になり、井戸から汲んだ水をザバザバと浴び、濡れれた髪を手拭いで絞るようにして乾かす。

 京都の夏は暑い。

 だが、九月も半ばを過ぎれば、空気の中に秋の気配が忍び、こんな風に水浴びすることもできなくなるだろう。

 抜けるほどの青い空を見上げる。

 すいっと赤とんぼが視界を横切った。

「男の行水なんざ見ても面白くないでしょうが、土方さん」

 わざと、土方を真似た江戸訛りの伝法な口調で、大きな独り言を吐く。

 ふん……と、鼻で笑う気配がした。


「相変わらず、薄気味悪い野郎だぜ。俺に気がついかたかよ」


 気配の主が、寄りかかっていた建物の陰から身を起こす。

 晩夏の夕日、斜めに照らされた男の顔は苦み走った美形で、近藤に様に筋肉が盛り上がった体型ではなくむしろほっそりとしていた。

 これが、土方 歳三 だった。

 猛者揃いの試衛館で、屈指の剣士に数えられている様には見えない。

 実際、竹刀を使っての「試合」は並みの腕だ。

 だが、持ち前の勝負勘で斬り合いにはめっぽう強いところがあり、正統派の剣を使う近藤あたりは「トシ(土方の仇名)の剣は、試合じゃない。喧嘩だよ」などと評しているらしい。

 市中見回りに同行した際に、御用盗(天下国家のためと称して、強請りを繰り返す不逞浪人のこと)と斬り合いなったことがあるが、私も近藤の意見に同意する。


「土方さん。アンタは、殺気が強すぎる」


 体を拭って、着流しを羽織直しながら、私はそう嘯く。

「けっ! 近藤さんじゃあるまいし、剣豪みてぇな事をほざきやがる」

 土方が、落とし差しにした刀の柄に肘を預けながら混ぜっ返してくる。軽口をたたく程度には、警戒を解いてきたということだろうか。いや、油断させておいて、いきなりガブリとくるのが、この土方という男だ。まったく、猛犬を餌付けしている気分だよ。

 猛犬に例えたが、土方は優男だ。

 江戸では大層な艶福家だったらしいが、その外見で惰弱にみられる事もあっただろう。

 必要以上に乱暴な口調は、侮られまいという心理の現れかもしれない。ギラついた殺気もまた。

 そんな見た目は良い土方だが、京都では浮いた話はない。

 組織を強固にするためそれどころではないというのもあるだろうが、長い歴史に磨かれた祇園の女は、この男の危険な匂いを忌避するのだ。

 芹沢のような単なる乱暴者ならば怖くはないのだろうが、土方のような底冷えのする気配に危機感を覚えるらしい。人を「観る」のが仕事の一部である芸者なら猶更。

 中には、誘蛾灯に惹かれその身を焦がす蟲のように誘引される者もあるのかもしれないが。


「で? どうだったよ?」

 主語を抜かして、土方が言う。

 ここは屯所の中なので、わざとだ。

「まぁ、ボチボチでんな。着替えてきますよって、丹波屋でどうだす?」

 とぼけた上方弁で、そう答える。これは、誰かが聞き耳を立てているという符牒だ。

 うまく隠れているので、特定はできないが、確実だ。

「おう。それじゃ、先行ってるぜ」

 ぶらぶらと土方が立ち去る。

 私はそれを見送って、屯所内に作ってもらった自室に引っ込んだ。

 寝に帰るだけの部屋だ。

 着替えを詰めた柳行李(カワヤナギの枝と麻糸で編んだ箱のこと)が部屋の隅に置いてあるだけでの、殺風景ともいえないほどの何もない部屋である。

 その柳行李に仕掛けておいた髪の毛が切れていた。

 つまり、誰かがこの行李を留守中に開けたということ。

 そろそろ、芹沢ら水戸派に私が近藤の密偵とバレつつあって、水戸派の意向を受けた密偵が私を探り始めているということを、示していた。案外、土方かも知れないが、彼なら私が大事なものを部屋に残すわけがないと判断するだろう。

 私は部屋に何も残しておかない。密偵が探り出したのは、「何もないこと」だけだ。

 門の衛士に会釈して、屯所を出る。

 この辺りは、京都の郊外に位置していて、大都会である京都中央部に野菜などを供給するための田畑が広がっていた。

 屯所となる八木家もこうした郊外農家の一つで、その中では名主にふさわしいほど専有面積は広い。

 八木家が雇っている小作人も多く、彼らの生活利便のためにちょっとした商店街が作られていて、その中に甘味処の丹波屋があった。

 むつけき男どもの集団である新撰組構成員にとって、最も興味がない物の一つが甘味であり、ここは屯所の近くにありながら、彼らの心理的な死角なのだった。

 土方も私も、酒よりはこうした甘味の方が好きで、すっかり馴染客になっている。

 もともと、丹波屋は京都洛中の大店の旦那衆の隠れ家的な遊び場だったらしく、甘味処なのに個室がいくつかあるというのは、そういう意味らしい。

 そういう背景のため、秘密が守られる構造になっており、土方は密談の場所として、ここを使うことが多い。機密保持の観点からいって、正しい判断だ。

 風の中に秋の気配。

 私は、下級武士が着流しで夕涼みに出たという風情で、脇差だけを腰にぶらぶらと丹波屋を目指していた。

 刀は重い。重いのは、苦手だった。それに、私は刀術はあまり得意ではない。

 すっかり顔なじみになっている私は、すぐに土方が待つ個室に通された。

 四半刻ほど前に、ここに到着していた土方は、ここの夏の名物である『葛切』を二皿もぺろりと平らげており、今は口直しに塩昆布をつまみながら、渋茶を啜っていた。

「お待たせしました」

 そういって、土方の前に座る。

「遅ぇ」

 土方はかなりせっかちだ。僅かでも遅れると叱責してくる。いや、口癖のようなものか。

「私にも『葛切』をお願いします」

 明らかにおびえている仲居に私がそう告げると、逃げるように去ってゆく。

「けっ、嫌われたもんだぜ。だが、それくらいで丁度いい。ナメられるよりマシだ」

 薄笑いを浮かべながら、土方が言う。

 彼らは武装警察。嫌われてナンボという側面もある。

 土方が渋茶を片手に、窓に寄り掛かっていた。

 晩夏夕方の風が、総髪にまとめた土方の後れ毛をそよそよと揺らす。

 まるで絵師が描いたかのような、儚くも美しいと思える光景だった。

 この壬生狼たちは、遅かれ早かれ死ぬ。

 誰が何時、何処で死ぬのか、星見衆は私には伝えてくれなかったが、殆どの連中が『死の運命』を背負っているらしい。

 潜入捜査は、信頼関係を築くまでが難しい。

 その過程で、必要以上に捜査対象に肩入れしてしまう兵は多いのだという。

 私に告げられた彼らの運命は、星見衆からの「深入りしすぎるな」という警告だった。


「新見の行動は、おおよそ把握できました。ふらふらと歩き回る奴で法則性をつかめませんでしたが、祇園新地の料亭山緒で三日に一度必ず食事をします。芹沢と違って、単独行動が多いので、近藤さんの読みの通り、狙いやすかと思いますよ」

 水戸派と呼ばれる新撰組の構成員は筆頭局長の芹沢 鴨、近藤と同格の次席局長の新見 錦、土方と同格の副長である平山 五郎、平間 重助、野口 健司ら、五人が中心だ。

 現地採用の新規参入の連中が何人か腰巾着の様に芹沢に追随しているが、彼の乱暴狼藉っぷりに嫌気がさしているらしい。

「野口は取り込んだぜ。うちの永倉と同門なんでな。そっちから崩していったってわけよ」

 名前や経歴が単なる記号でしかない私にはなかなか理解できないが、剣術道場の同門の絆は意外と深く固い。

 土方は、神道無念流免許皆伝の腕前ながら、天然理心流にも入門した永倉ながくら 新八しんぱちを通じて野口を密偵に仕立てたということだろう。

 問題は、芹沢の親衛隊の様に常に芹沢を護衛している、平山ひらやま 五郎ごろう平間ひらま 重助じゅうすけだが、彼らも芹沢と同じく神道無念流免許皆伝の凄腕の剣士であり、正面からぶつかるのを避けたい連中ではある。

 こういう時は『搦め手』でゆく。

 私が調べていたのは、彼らの私生活。

 人は必ず執着がある。

 たとえば、芹沢は『他人の物を穢し壊す』こと。だから、借金の回収に来た太物問屋菱屋の太兵衛の妾である梅をそのまま監禁して、今も連日連夜凌辱し続けている。頭がおかしいとしか思えないが。

 彼の護衛である平山、平間の二人はもっと俗で単純。すなわち酒と女。

 下級武士や貧乏浪人のころは、見ることすらできなかった祇園の芸者を借り切りで遊ぶ事ができるのだ。

 それにのめりこんでいる。

 いわゆる『馴染み』もできていて、平山は『桔梗屋の吉栄』、平間は『輪違屋の糸里』という祇園の有名人だった。当然、値も張るので、商人から強請り取った金はすべてこの遊興費に消える。

 置屋も、本当は壬生狼などに大事な芸者を抱かせたくはないのだが、芹沢が暴れて店一軒廃屋にしてしまった前例もあり、吉栄と糸里は他の店に被害が及ばないため一種の『人身御供』といった側面があったのである。

 私はそこにつけこんだ。

 芹沢らと同じく新撰組だが、上方出身の老舗薬種問屋(という設定)の私には、愚痴を漏らす程度には信頼されていて、それは『迷惑料』として、近藤名義で金を払っていたというのもある。

 桔梗屋にせよ輪違屋にせよ、芹沢一派と近藤一派、どっちらと付き合う方が利があるか、商人らしくソロバンを弾いているはず。

 なので、酒豪である平山に、こっそり薬を混ぜるなどということもやってくれる。

 毒物ではない。ただし、この無味無臭の粉薬を酒に混ぜると、どんなに酒が強くともぐでんぐでんに泥酔する薬なのだった。

 物部家謹製の薬品で、なんでも特殊なキノコから抽出されているらしい。

 こうした奇妙な薬の知識が物部家には膨大に蓄積されている。物部の本家を訪れたことがあるが、まるでキノコや野草の栽培農園の様だったのを覚えている。

 人身御供扱いの桔梗屋の吉栄は協力的だった。

 平山が酔いつぶれてしまえば、体が楽というのもある。

 粗暴な平山は女の扱いも乱暴で、歯型や痣などを付けられることも多い。

 遊びなれている粋人なら、体が資本の芸者を壊れやすいガラス細工の様に扱うものだ。

 それに、相手を自分の所有物みたいに振る舞わない。

 もう一人の芹沢の護衛、平間 重助 はあまり酒を飲まない。

 従って同じ手は使えないが、やはりここも輪違屋と糸里本人の協力を取り付けてある。

 女を単なる性欲のはけ口程度にしか思っていない平山と違い、平間は純情なところがあった。

 これも、粋人からみると考えられない事だが、本気で糸里に惚れ込んでいる様子なのだ。

 勿論、糸里は「金離れはいいけど、しつこくて嫌な客」程度にしか思っていない。

 なので『駆け落ち』をそそのかして、脱落させる策を打ってある。

 生真面目なところがある平間は、芹沢が太物問屋(呉服店兼生地屋のこと)菱屋太兵衛の妾のお梅を監禁して凌辱しているのを見て、彼の派閥にいることに嫌気がさしており、

「あと少し揺さぶれば、脱落しそうだ」

 ……という報告を糸里から受けている。

 野口 健司 は、永倉 新八 を介してすでに離反している。

 あとは、新見 錦 を片づければ、芹沢は丸裸。

 仕掛ける機だけを計ればいい。

「鴨先生、水口藩大阪屋敷の公用方(大阪支店の店長みたいなもの)と揉めただろ? 大阪屋敷に乗り込んで行って無理やり謝罪文を書かせやがったのだが、それを返してくれと、水口藩が会津藩に泣きつきやがったのよ。さすがに鴨先生も会津藩には逆らえねぇ。渋々謝罪文を返したんだが、その手打ちをやったのが島原(京都の色町。江戸の吉原のモデルになった)の角屋よ」

 ふふっと、土方が笑う。

 迂闊な敵が罠にかかった時に浮かべる、軍師の顔だった。

「やっこさん、思い通りにならなかったので機嫌がわるかったんだろうね。角屋で大暴れした挙句、一方的に業停止命令を下しやがった。角屋は、やんごとなき筋やら大大名もお使いになる老舗の名門。かなりの苦情が会津藩にねじ込まれたらしいぜ」

 土方はここで言葉を切ったが、言わなくてもわかる。

 おそらく、会津藩から近藤に処刑命令が出たのだろう。

 いろいろ理屈をつけて芹沢一派を処断しようと画策してきたが、会津藩の許可が出たとあれば、暗殺という手段が使える。長州の不逞浪人の襲撃ということにしてまえばいいのだ。

 その前段階は 新見 錦 の処分ということになるか。

 行動を読ませない新見。唯一の執着が、祇園新地の料亭山緒での食事だった。

 そこを狙う。地道な捜査が報われる瞬間だ。

 敵を追い詰め仕留めるのが『物部の兵』の存在理由。

「山緒で仕掛けますか? 私も同席させていただきますよ」

 新見は、『憑かれ者』かもしれない。又は、その『信奉者』や『追随者』かも知れない。

 いくら喧嘩剣法の土方でも、新見が『鬼』なら斬ることはできない。

 私が行く必要がある。

「当然だ。一番の功労者は、山崎、おめぇだからな」

 上手く獲物を狩り出した。

 よしよしと頭を撫でられる猟犬の歓びともいうべき、快感がある。

 逆に言うと、私にはそれしかない。その様に育てられたのだ。

「私も行きますよ」

 唐突に聞こえた声に、飛び上がる程驚いたのは私も土方も同じだ。

 見れば、私が注文したはずの葛切を半分ほど食べた青年が、ニコニコと笑いながらこの座敷の襖をあけて立っていた。

「くそ、総司じゃねぇか。おどかすな」

 引っ掴んだ刀を下に置いて土方が吐き捨てる。

 私は、懐に入れた手をそっと引き抜いた。

 この試衛館には、怖い連中がゴロゴロいるが、この一見穏やかに見える青年、沖田おきた 総司そうじも、実は近藤、土方並みに怖い。

 彼らとはまた異なった怖さなのだ。

 まるで、抜身の刀を突きつけられたかの様なヒヤリとする怖さを感じる。

 それが、近藤や土方の様に常に放出されているのではなく、ふとした瞬間に感じるのが、返って怖い。

 たとえば、私の懐に差し込んだ手をさりげなく目に捉えているところとか、その動作を誤魔化した私を見て薄く笑ったところとか。

「それ、私の注文した葛切じゃないですか?」

 咳払いして、私が指摘する。

「ああ、そうでしたか。廊下でこれを持って、中を伺っている仲居さんがいたので、受け取って私が運ぶと言ったのですよ。そしたら、土方さんが悪巧みしている声が聞こえちまって」

 くそ、仲居は間者だったか。それに気付かなかったのは、迂闊だった。

 いや……間者が素人なら、土方も私も気付いたはず。

 穏形術を使う間者ということか。いよいよきな臭くなってきた。

 それにしても「探索の玄人」にすら、気配を感じさせないとか、沖田という若者は、まるで風だ。

 彼が遣う剣もまた、風に似ている。

 ふわりと吹き、瞬間に突風に変わる。

 風は見えない。頬に触れ、髪がそよいで、風が触れたと感じる。

 沖田は剣術指南を行うほど、若いにもかかわらず腕が立つ。たった一度の足音だけで、小手、胴、面と立て続けに三発の『突き』が弾けた時など、見ていて寒気を感じたものだ。

「私にも、参加させてくださいよう」

 私の葛切の残り半分を平らげながら、沖田がふくれっ面をする。

 土方が苦虫を噛み潰した様な顔になった。

 沖田は天然理心流の四代目継承者である近藤の跡目を継ぐ予定らしい。

 芋道場と侮られた、天然理心流が雄飛する象徴となるのが沖田という若者なのだ。

 ゆえに、近藤も土方も沖田に対しては過保護になる傾向があった。

 公開稽古や、示威行為の市中見回りには出すが、危険な現場には出さない。

 沖田は試衛館一の剣士でありながら、まだ京都に来て一人も斬っていない状況だった。

 勿論、江戸でも斬っていない。

 沖田と同年で仲の良い 藤堂とうどう 平助へいすけ あたりは、市中見回りの際に長州脱藩浪人と実際に刃を交えており、なにか置いて行かれた様な焦燥感を感じているらしい。

 人斬りなど、やらなければやらない方がいいのだ。

 そのあたりの近藤や土方の親心みたいなものは、沖田もわかっているのだろうが、彼もまた剣を志した者。「何のために牙を研ぐのか?」……と、いう思いはあるのかもしれない。

「私だって、剣士の端くれ。燃焼したいのですよ。土方さんだって、わかるでしょ? 叫びだす前の、モヤモヤする胸の内」

 情熱といっていい。

 近藤にせよ、土方にせよ、沖田にせよ、その他の試衛館の連中にせよ、芹沢らだって、勤王の志士と名乗る連中ですら、奇妙な熱に浮かされてただでさえ短い命を燃やし尽くそうとしているようだった。

 私には、それが理解できない。

 命じられる事を淡々とこなし、考えることをやめれば、それなりに平穏に暮らせるものを。

 例え、それが飼われた犬の平穏だったとしても。

「試したいのです。証明したいのです。ずっと江戸三大道場(北辰一刀流の玄武館、神道無念流の練兵館、鏡新明智流の士学館のこと)とも実戦では試衛館は劣らないって言ってたじゃないですかぁ。なのに、実戦に参加させてくれないのだもの」

 まくしたてる沖田の弁舌に、土方が困った顔をする。

 こんな様子の土方は、初めて見る。

「いや、あれだ、総司。近藤さんが良いって言うなら、参加してもいいが……」

 口ごもるように、土方が言う。こんなしゃべり方も、極めて珍しい。もっと、この男は切って捨てたようなしゃべり方をする。

「近藤さんは、土方さんが良いというならって、言ってましたよ。羽根つきじゃあるまいし」

 沖田がますますふくれっ面になる。

 二十歳になったばかりの若者だが、仕草が幼い。

 だが、彼の眼を見てわかった。これは、演技だ。

 まるで本当の兄弟のようにして育ったのが、近藤、土方、沖田だ。

 沖田は、末弟を演じている。それが、兄二人が一番安心する立ち位置だからだ。

 第三者である私には見える。

 道化の仮面をかぶる沖田の眼の奥に見える、昏い炎が。

 理屈ではなく、本能的に今回が危険な任務だと理解していて、それに命を燃やし尽くそうとしているのが分かった。

 剣士は常に死を意識する。

 だから、首筋にかかる死神の吐息を敏感に感じ取るものなのだろう。

「総司、こいつは、試合じゃあねぇんだ。どんな上手、達人でも、ちょっとしたことで死ぬかもしれねぇ。女の肌も知らねぇ様なお前じゃ、未練がのこっちまうだろうがよ」

 今度は、決して美男ではないが、すっきりとした顔立ちの沖田の顔が赤く染まる。

「どどどど……童貞ちゃうわ」

 そんなことを言って、沖田がおどけた。



 もう三日、新見 錦 は、祇園新地の料亭山緒に顔を出していない。

 今日あたり、ふらっと立ち寄る頃合いだった。

 芹沢も、新見も、金が尽きるまで任務は行なわない。

 そもそも、彼等の任務とは、市中見回りと称して商家に強請り集りをするだけなのだ。

 それで金を作って、その金を使い果たすまで遊興に耽る。

 平山、平間、野口の三人を従えて島原で遊びまわる芹沢と異なり、新見はどこかに消えてしまう。

 私は追跡の玄人を自負していたが、それでも追尾は難しい相手だった。

 いつの間にか消え、いつの間にか現れる。

 何かの術を使っているのではないか? そんな疑いすら湧く。

 土方も岡っ引き上がりの密偵を使っていたが、上手くはいかなかったようだ。

 それどころか、その密偵は袈裟懸けに一刀で斬り殺された死体となって発見される始末だった。

 近付きすぎたのかもしれない。

 新見もまた、神道無念流免許皆伝の腕前なのだ。

 そんな、つかみどころのない新見の、唯一の執着。

 それを探り出すのに、私はありったけの技術と忍耐力を使っていた。

 祇園新地の料亭山緒という、新見が見せる唯一の隙を突く。

 これを逃したら、また一から探索のやり直しになる。


 私は、物部の息がかかった刀の研ぎ師の店の前に立っていた。

 ここに、預けている刀があり、それを受け取りに来たのだ。

 確証はないが、新見は『鬼』そのものか、『鬼憑き』かもしれない。

 そうなれば、それを滅するための道具が必要。

「やあ、預けたモノを取りに来たよ」

 鋼が砥石と擦れる音に乗せて

「ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり ゆらゆらと ふるべ」

 古神道の『ひふみ祓詞』が聞こえる。

 呪われた刀の浄化を行う物部の研ぎ師、原井はらい 修兵衛しゅうべえの声だった。

 返答はないが、研音と祓詞はらえことばが途切れたことから、私の訪いの声は聞こえているようだった。

 玄関の上り框に腰かけて、修兵衛を待つ。

 彼は非常に気難しいところがあり、急かされるのを最も嫌う。

 腕はいいのだが、傲岸不遜の気があり、殊更彼を避ける兵も多い。

 私は、修兵衛が威張ろうが、ぞんざいな口利きをしようが、やることをやってくれればそれで十分と考えている。

「いよいよ、アレを使う羽目になりそうか?」

 ほのかに桜の花の匂いがする。

 桜の若葉と花を摘んで、塩漬けにしたものを湯で戻した『桜湯』を修兵衛は持ってきたのだった。

 呪刀を清めるのは、命を懸けた立ち合いなのだと、以前、修兵衛は言っていた。

 事実、一本研ぎあげると彼はげっそりと痩せてしまう。

 そうなると、固形物はのどを通らず、桜湯の塩分と少量溶かし込んだ蜂蜜が彼の命をつなぐのだ。

「アレを『預かる』だけと聞いた時には、俺を馬鹿にしているのかと思ったがよ」

 ずずっと桜湯を修兵衛がすする。

 丁度一本研ぎあげたところなのだろう。その唇は、水死体の様に紫だった。

「認めたくねぇが、俺の手に余る代物だぁ。ありゃ、本物の魔剣だぜ」

 無残な殺人に使われた刀、処刑場の槍、無念の死を遂げた人物の持ち物、そういった品物が物部の蔵には眠っている。

 星見衆の占術で、この蔵から持ち出す物が決めれられるのだが、私が持参する様に指示されたのは、その中で特に危険な呪物だった。

 備前一文字派の祖、宗則が打ったとされる刀、通称『菊一文字』である。

 鎌倉時代初期、後鳥羽上皇が呪いを込めた言われる名刀で、悪霊化を防ぐため物部家が預かり、代々封じてきた代物。

 札がベタベタ張られた桐箱に収められており、実際に使う時以外は開封してはならぬと、固く戒められている。

「出せ、出せと、泣きやがるんだ、コイツは。持って行ってくれると、ほっとするぜ」

 二杯目の桜湯をすすりながら、修兵衛が言う。

 彼の作業場は、物部の術者が作った一種の結界だ。

 その魔を封じる空間でなお、泣くか魔剣め。おぞましい。

「言っとくがよ、コイツを使ったら、ごっそり寿命を削られるぜ。下手すりゃ、その場で死ぬ。扱いには、気をつけなよ」


 秋深まる。

 ろーろーと虫が鳴き、夜はむしろ肌寒くなる。

 そぞろ歩きの遊び人たちも、心なしか身をすくめているように見える。

 ここは、祇園新地。遊興の町。どこからか、三味線の音が聞こえ、笑い声が耳に届く。

 決まった動きをせず、行方知れずが多い新見が、唯一定期的に訪れることが分かっているのが、この料亭『山緒』だった。

 ここの何が気に入ったのか知らないが、新見は一人で来て、黙々と食事をして帰る。

 それも三日と置かずに……だ。

 この山緒の真向かいにある油問屋丸目屋の二階に、私と土方と沖田が詰めていた。

 裏口の蔵には、永倉ながくら 新八しんぱち斉藤さいとう はじめ藤堂とうどう 平助へいすけの三人が詰めているはずだ。

 沖田、永倉、斉藤は、猛者揃いの新撰組にあって一ニを争う腕利きで、最強の布陣と言えた。

 今回の粛清劇に賭ける土方の意気込みが感じられる差配だった。

 私は、私本来の仕事である『鬼狩り』が楽になって助かるが、どうにもこの連中の情熱というか、狂奔する様が理解しがたい。

 薄暗い一室で、山緒の正面入り口を睨んでいる土方の横顔を見る。

 沖田も若いが、この男も若い。

 何も好き好んで闘争の場に身を投じなくても……と、思う。

 戦って死ぬことがここに存在する意味である、我々『物部の兵』じゃあるまいし。

 多摩で田舎剣法を指導しながら、平和を享受すればいいのだ。

 適当に体を動かして、自分で働いて、飯を食う。

 それが、どんなに尊いのか、コイツらには判らんのだろうか?

「なんでぇ? 俺の顔になんかついてるかよ」

 こっちを見ずに、ぼそっと土方がつぶやく。

 私の視線に気が付いたようだ。

「いやなに、あんたらは、なんでこんな危険な現場に好き好んで来るのか? と、思ってね」

 ふん……と、鼻で土方が笑う。

「そんなことかよ。俺は、見返してやりてぇんだ。多摩の百姓と馬鹿にされた俺が、どこまで突っ走れるか、その先に何があるか、見てぇんだよ。新撰組は、その足がかりさ」

 恐々と、札がベタベタと張られた桐箱を見ていた沖田が、聞かれていないのに言う。

「私は、身に着けた天然理心流が本物なのかを確かめたいのです。そのためなら、死んでもいい」

「馬鹿野郎。死んだら証明できねぇだろうがよ」

「あはは……。そういえばそうですね」

 やはり、彼らの思考は計りがたい。

 会話を聞いていると、少しイラつくのが不思議だ。

 見下ろす通りの柳の枝が、風にそよいでいた。

 野分(台風のこと)の気配がする。

 危険な災害になりうるのが野分のわき

 だが、それが接近してくると、子供のころ私はワクワクしたものだ。

 彼らを見ていると、それを思い出す。

 

 ―― ああ、そうか……


 やっと今、私は自分のイラ立ちに気が付いた。


 ―― 私は彼らが羨ましいのだ


 自分の意志で立ち、自分の責任において、あえて危険な場に赴く。

 己の運命を開くため。

 己の技量を証明するため。


 私には、それが無い。

 命じられて、指定された通りに動き、いつか死ぬ。

 死ねば『名誉の死』と讃えられるが、次の瞬間には誰も私のことを覚えていない。

 私には、名前すらないのだ。


 彼らに羨望を感じるなど、肩入れし始めている証拠だ。

 早く仕事を片づけて、ここから去りたい。

 ここにいて、熱を浴び続けるのは、辛い。


「来たぜ」


 土方が、刀をつかんで引き寄せる。

 長身細身の新見の影。

 藍の着物に暗灰色の野袴。

 どこで手に入れたのか、フロックコートを袖を通さず合羽の様に羽織っていた。

 野分の温い風に、フロックコートの裾が踊っている。


「手筈通り、中に押し込めて、詰め腹斬らせる。永倉たちは後詰だ。俺たちで踏み込むぜ」


 私は、ベタベタと札が張られた桐箱を抱えて、土方に続く。

 沖田は最後尾についた。

 料亭の山緒には話を通してあったので、目礼しただけで、土足のまま奥座敷へと進む。

 新見はこの店で暴れたわけではないが、彼の噂は山緒側も聞いていて、不気味に思っていたらしい。

 なので、新見を排除するという土方の協力している。

 現在、奥座敷は誰もおらず、新見だけがいる状態になっているらしい。

「その刀を使わねぇと新見は斬れないっていうが、俺はそんな与太話信じねぇ。まず、俺が踏み込むからな」

 そう宣言しつつ、細引きで土方が襷掛けをした。

 履いている野袴の裾はすでに引き絞って、足甲にたくし込んであった。

「いくぜ」

 小さく言って、土方が襖をあける。

 十畳ほどの部屋に新見がいて、膳の煮物をつついているところだった。

「おや土方さ……」

 物々しい土方の出で立ちを見て、新見は驚いたようだったが、土方は無言のまま部屋に飛び込み、片膝をいついて抜きつけの一刀を放つ。

 新見はあぐらをかいたまま後ろに転げ、間一髪首を薙いできた来た土方の居合を躱した。

 転げながら、刀を引っ掴む。

 その刀を、いつの間にか部屋に踏み込んだ沖田が踏む。

 一瞬で新見は刀をあきらめ、脇差を抜いた。

 拝み打ちに叩き下してきた土方の一撃を、ガッキと受け止める。

 沖田が部屋の隅に新見の刀を蹴り飛ばし、ゆらりと上体を傾け下から掬い上げるようにして抜刀した。

「ぬぅ」

 と呻いて、新見が左手で沖田の刀を掴もうとする。

 だが、沖田の一刀は新見の左手の中指と薬指の間に入り、そのまま縦に裂いてゆく。

「こなくそっ」

 怒声を漏らして、土方が渾身の力を込めて、刀を圧し掛からせていた。

 ギ、ギと鋼が擦れる音がする。

 新見がいくら神道無念流の達人でも、右手一本で土方を支えられるわけもなく、徐々に土方の刀は新見の首に食い込んでゆき、首に走る太い血管に達すると血が噴出した。

 血を失うと力が抜ける。

 その瞬間、返り血を浴びたすざまじい形相のまま、グンっと土方が刀を振りぬいた。

 重い音を立てて、新見の首が落ちる。

 沖田は、蒼白な顔で血刀を下げて、ただ立っていた。

 土方は、手拭いで顔の血を拭って、刀を血振りしていた。

 私は、懐に手を入れたまま、新見を見ていた。

 もし、新見が『鬼憑き』なら、これからが私の出番だ。

「おい、もうカタぁついたぜ……」

 私が警戒態勢を解かないのを見て、薄笑いを浮かべて、土方言う。

 その表情が固まった。


 新見の首なしの体が動いて、転がった自分の首を掴んだのだ

 ああ、くそ……やっぱりか……。

 私の手に負えないなら、魔剣『菊一文字』を使うことになる。

 そうなれば、早晩、私は死ぬことになってしまう。

 まぁ、物部の兵にしては、私はだいぶ長生きした。私の様に二十代後半まで生きるのは珍しいことなのだ。

 だが、そろそろ年貢の納め時ということか。

 名誉な死。

 物部の誉。

 多くの同胞と同じく。


 ―― ズキン


 胸が痛む。かつて、どんな危機に陥ってもなかったことだ。

 物部の兵ともあろうものが未練とは……ね。


「土方君。無言のまま、いきなり斬るとは、ひどいなぁ」


 新見は自分の首を切り口に乗せて、ニィっと笑う。

 ああ、最悪だ。

 コイツは『再生者』じゃないか。

 再生者とは、『生への執念』の純粋な結晶体。

 切り刻んで聖なる炎で焼かないと、トカゲの尻尾のように再生してしまう、厄介な相手だった。

「こいつは、いってぇ何だ?」

 土方が固まった。

 沖田は口をぽかんと開けたまま、やはり硬直している。

 物部の兵の殉職率が高いのは初陣。

 その原因がこれだ。

 相手がどういう存在か分かっていても、実際に目撃した状況に脳の処理が間に合わない。

 土方や沖田の様に、懐疑的だった者は、更に衝撃が強いだろう。

「金鎖!」

 鬼の捕縛を行う物部の術。ちょっと引っ張れば切れそうなほど、細い金色の鎖がザラザラと私の手から流れ出る。

 稀に念ずると手から金粉が出る者が存在するが、それを鎖状に編むのが物部の術だった。

 人なら簡単にこれを引き千切る事ができるが、鬼はこれを切れない。

 金鎖は、新見の足に絡みつき、胴体を這い上がって体を締め付ける。

 逃亡にかかろうとしていた新見が、たたらを踏む。

「ぬ? 金鎖術? そうか、山崎君は『物部の兵』だったか。これは、迂闊だった。真っ先に殺すべきだったね」

 そう言って、新見が全身に力を込める。

 ミシミシと金鎖が悲鳴を上げ、解けほつれ始める。

 勿論、新見の肉体も傷つくが、たちまち再生されてゆく。


 ―― まずいな、あまり、捕縛したままにできそうもない


 私が懐から取り出したのは、練絹を束ねて編んだ組紐。

 それをほどきながら、ばらりと畳の上に伸ばした。

 同時に呼吸を整える。

 透明の球が、背骨に沿って頭頂まで駆け上がり、鼻梁を伝って胸から腹へ。股間を通ってまた背骨へ。

 そんな映像を意識して、深く、長く呼吸する。何度も回転させ、その中心である私の丹田を、ズンと据える。

 すると、私を中心に、畳にピンと毛羽が立ち、練絹で作った組紐が震えた。

鬼槍きそう流、棒ノ手『一間いっけん透氣とうき』!」

 呪文のようにそう唱えると、組紐がまるで一本の棒のようにパンと弾けるような音を立てて伸びる。

 それは、長さ一間の棒になっている。鹿島流の棒術を使うというふれこみで、新撰組に入隊したが、私の流派は実はこの『鬼槍流』という物部の兵が遣う武術だ。

 物部家の祖は、不老不死の妙薬を求めて大陸から渡来したと言われる秦氏。

 大陸には『氣』の概念があり、武術を通じてそれを練り上げる秘術があった。

 氣を操るから『氣操流』、転じて鬼を貫く槍という言霊をかけて『鬼槍流』。

 つまり、この『氣』こそ『鬼』と呼ばれる悪意や憎悪の純粋な結晶体に届く武器の一つなのだ。

 この日ノ本の国にも独自の技術体系があり、当麻家は物部でいうところの『外氣功』である、氣を放つ術を使う。

 私も同じ『外氣功』使いなので、にわかには信じがたいが、昔の当麻の姫様は、氣を編んで『光る大蛇』を作り自在に動かし、その力は半里(約二キロメートル)先にまで届いたという。

 凡人である私は、精々一間(約百八十センチ)までしか届かない。しかも、媒体がないと無理だし、硬質化させるくらいしかできない。自在に動かすとか、蛇を作るとか、どうやるのか見当もつかない。

 ブンと棒と化した組紐を振るう。『氣』が透ったこの紐は今、鋼鉄より硬い。

 こいつで、新見をグチャグチャに叩き、再生が間に合わないようにして、焼くしかない。

 本当は、丁子油で燻蒸消毒しながら焼くのが好ましいが、新見がここまで大物とは思わなかったので、準備を怠った。

 私には「相手を侮る癖がある」言われていたのに、その悪い癖が出てしまった。

 反省しなければならないが、今は新見を砕くのが先だ。

 土方、沖田は、上手い具合に氣を練る時間稼ぎをしてくれた。これを生かさなければ。

 金鎖を引き千切ろうと、身をよじる新見に氣を透して棒状になった組紐を振り下ろす。

 打たれたところが、ベコリと凹んでシュウシュウと瘴気を上げた。

 新見が絶叫を上げる。

 それは、ビリビリと空気を震わすほどで、とても人間が発しているとは思えない声だった。

 構わず打つ。殴りつけ、突く。

 肉が腐る様な、耐え難い悪臭。

 ドロドロと新見の傷から流れるのは、暗緑色の汚い膿。

 おえっと、沖田がえずいた。

 私は構わず、紐に氣を透し続け、殴る。

 肉を叩く音から、泥濘を叩く音に変わり、新見は原型を留めぬ有様になった。

 これが『鬼憑き』のなれの果て。

 これが私の世界。

 顔についた嫌な臭いを放つ腐汁を私は袖で拭き、土方と沖田を見た。

 私の眼に何を見たのか、豪胆を持って知る試衛館屈指の剣士二人が、思わず一歩後ろに下がった。


「ご協力感謝。さて、畳ごとコイツを運び出して、河原で焼いてしまいましょう」


 紐に戻った練絹を束ねながら私が言うと、「お、おう」と土方が答えた。

 沖田は怖い目で畳の上の『新見のなれの果て』を睨んでいた。

 思いの外うまくいった。

 魔剣『菊一文字』を使わずに済んだのだから。

 ただし、疲れた。

 こんなに長時間、『一間透氣』を使ったのは久しぶりだ。

 今の私は死人の顔色だろう。


 ―― 簡単すぎる……


 そう思わないでもなかったが、運が良かったのだと自分を納得させてしまった。

 これが、過ちだと気付いたのは、ずっと後のことだった。



 野分の気配はますます強くなり、突風が角度を変えて壬生の田畑の稲穂を揺らしていた。

 野の草を分けるほどの風が吹くから『野分』という。

 収穫には早いが、野分の風水害に遭うのを恐れて米の刈取りが進められていた。

 世話になっている八木家のためと、剣槍を持つ手に鎌を握り、新撰組有志により農作業の手伝いが行われていた。

 もとは百姓である近藤などは実に手早く、藁束を人の三倍多く担いで働いていた。

 私も手伝うと言ったのだが、やっと病床から起きたばかりということもあり、渋茶をすすりながら、遠くに見える農作業を見ているというわけだ。

 次席局長の新見 錦 は、横領と収賄、及び長州浪人へ情報を流した嫌疑で、切腹という仕儀になったと発表がされ、名簿から消された。これが、一週間前。

 意外だったのは、芹沢ら残り四人の水戸派閥の人間が、誰も騒がなかったことで、実は新見の存在は芹沢ですら持て余していたことが分かった。

 野口、平間、平山ら芹沢の腰ぎんちゃくと違い、新見は芹沢の言うことを全く聞かなかったらしく、孤立を深めていたらしい。

 一週間前、新見は畳ごと河原に運ばれ、燃やされた。

 骨が舎利になるまで砕き、穴を掘って埋めたのだ。

 このことを知っているのは、作戦に参加した土方、沖田、永倉、斉藤、藤堂と私、作戦を指示した近藤の七人だけ。その中で、新見が人外のバケモノだったと知るのは、土方と沖田だけだ。

 土方は近藤にこの事を話さなかった。

 未だ目にしたものが信じられないのだろう。

 一方、沖田の方はもっと思考が柔軟だった。

 新見の有様に興味津々で、『氣』の使い過ぎで衰弱して伏せた私の病床に来ては、あれこれ質問していったものだ。

 話せること、話せないことがあるのだが、今後のことも考え、なるべく正直に話した。

 土方はそれを苦々しく思っている様だ。

 可愛い弟分をわけのわからん事に関わらせたくないとでも、考えているのだろう。


「芹沢を斬る」


 土方が私に告げたのは、その二日後のこと。

 私は病床を畳み、屯所を提供した八木家の納屋を改造した道場で、棒術の鍛錬をしていたところだった。

 土方と適当に打ち込み稽古をする振りをしながら、会話する。

「あれか? 芹沢も……?」

 土方が口ごもる。

「むしろ、彼が本命です」

 芹沢には『鬼憑き』の匂いがする。新見を鬼に変えたのは、おそらく奴だ。

「くそ、人選が難しいぞ。誰かにこの事を話さねばならんか」

 それについては、少しアテがあった。誰を味方に引き入れるべきか、観察していたのだ。

「私は、サンナンさんを推します。どうも、私の正体を薄々気が付いている節がある。いっそ、仲間に引きずり込んでしまいましょう。痛くもない腹を探られるより、マシです」

 サンナンは、試衛館の剣士の一人 山南やまなみ 敬助けいすけ の仇名だ。

 小柄色白で、一見すると優男だが、小野派一刀流免許皆伝、北辰一刀流免許皆伝の凄腕。姿に似合わぬ剛剣を遣う。

「山南か、ううむ……」

 ぬるく打ち込んだ私の棒を、ひょいと躱して土方がうなる。

 穏健、博識で、元仙台藩士という育ちの良さから、土方とはソリが合わない人物だった。

 山南は読書家でもある。彼の蔵書に、禁書とされる物部の本があったのを私は見ていた。

 ゆえに、『鬼』を受け入れやすかろうと思ったのだ。

「わかった。山南には俺から話しておく。襲撃は、俺、沖田、おめぇと山南でいく。詳細はまたいずれ」



 文久三年(一八六三年)九月十六日。

 野分の風はますます強く、雨が横殴りに降っていた。

 遊興の町、島原も今日は人影もまばらで、普段の賑わいからすると、ここはまるで異界に見えた。

 島原の老舗『角屋』。ここに今日予覚を取っていたのは、新撰組だった。

 贅沢にも『総揚げ』という一種の貸切をしており、大金がばらまかれていた。

 今日は、雨が降ろうが、槍が降ろうが、どうしても芹沢一派も含めた新撰組隊士全員がここに集まる必要があったのである。

 芹沢を暗殺する。今日がその日だった。

 この事を知っているのは、試衛館出身の新撰組幹部だけ。

 事情を知らない一般隊士はともかく、彼らには奇妙な緊張感が漂っていた。

 芹沢は、こうした集まりには出ない。

 自分たちが少数派であることを知っていて、乱闘になった時に不利なのを知っているから。

 だが、今回は引きずり出された状況だ。

 同じ水戸出身の新見の追悼を兼ねているうえ、密偵になった野口、派閥から抜けたい平間が、「出席するべきだ」と芹沢に進言していた。

 ここで逃げたら、示しがつかない。

 芹沢は着物の下にわざわざ鎖帷子を着込んで、出席したのだ。

 老舗『角屋』が呼ぶことができる、芸者や遊女が全て新撰組隊士が居並ぶ大広間になだれ込み、たちまち場が崩れた。

 野分の不気味な風音を掻き消して、謡や三味線、媚を売った嬌声などが打ち消してゆく。

 刀を左脇に置いて仏頂面だった芹沢も、酒が入ると次第に上機嫌になってゆく。

 彼が警戒しているのは、近藤、永倉、斉藤といった実戦でも、道場でも強い連中。

 それが、酒を飲んでベロベロになっているので、警戒を解いたということもある。

 普段、あまり酒を飲まない近藤が、神妙な態度で芹沢を立て、下手に出ているのも、芹沢の気分を良くした。

 勿論、これは演技だ。

「酒飲んで、ベロベロになればいいんだろ。斬った張ったより、楽さ」

 などと、永倉は嘯いてた。


 広間の隅には、底光りする眼で、酒を飲むふりをしながら、土方が芹沢を見ていた。

 その隣には、沖田が料理をぱくついている。

 私は、札が張られた桐の刀箱を抱えて座っていた。

 微笑を刻んだ山南が、土方の真向かいに端坐している。

 片膝を立て、そこに肘を乗せた格好の土方とは、対照的にお行儀がいい。

「物部一族、おとぎ話の類かと思っていましたよ」

 この喧噪のなかにあって、物静かに山南が私に言う。

「似た様なモノです。ふつうは、一生、誰も、存在を知らない。流れるのは噂ばかり」

 山南は、あっさりと『鬼』の存在を受け入れた。

 まるで、予めこの事を知っていたかのように。

「この歴史の転換点に、物部と邂逅したのは、何か運命的な物を感じますよ」

 土方の様に懐疑的に見てくれた方がマシだ。

 この山南の反応はおかしい。まったく、調子が狂う。

「知りませんよ、運命なんか。私は『物部の兵』。命じられて戦う駒です」

 山南が笑みを深くする。

 人を警戒させない自然な笑みだ。

 壬生狼と馬鹿にされ、蛇蝎の様に嫌われる新撰組だが、山南は別で

「山南だけは、道理がわかる」

 と、京雀(噂好きの京都市民のこと)評されているらしい。土方とソリが合わないわけだ。

「それだ、それですよ、山崎さん。君はそれを是とするのですか? 君は一個の人間ですよ。駒じゃない」

 新撰組の連中は、芹沢たちでさえ、時代のうねりに矢も楯もたまらず、走出した者だ。

 芹沢らは水戸藩を脱藩し、山南は仙台藩を抜け、永倉も松前藩を辞している。

 多かれ少なかれ、彼らは何かを投げ捨てて、このうねりに身を投じた者たちだ。

 私とはそこが根本的に違う。

「そうですよ、山崎さん。私は、毎日がお祭りみたいで、ここでの生活は好きだなぁ。山崎さんは、いつもつまらなそうです。もっと楽しめばいいんです」

 料理に集中していると思っていた沖田が口をはさむ。

 山南はうんうんとうなづいた。

「ね、土方さん」

 いきなり、話を振られて、土方がむせる。

 そして、

「ここは、はぐれ者の吹き溜まりだ。群れからはぐれたら、俺がひろってやるよ。もう、ダチじゃねぇか」

 ……と、つぶやいたのだった。

 私たちの命は羽より軽い。

 それが、物部の兵の運命。

 仲間など作らない。作ってもすぐに消えてしまう。だから、無駄だ。

 名前すらない。なので、どう呼び合うのかすら、判らないのだ。

「私は、あなた方を利用しようとしているだけかも知れませんよ」

 わざとそんな事を言ってみる。

 突き放すのは、彼らの熱が辛いから。

 シンと冷え切った私の精神には、まるで『毒』だ。

「発端なんざ、どうでもいい。どう付き合うかは、てめぇの胸が決めるモンだ。それが、男だろうが」

 ふんと、鼻で笑って土方が吐き捨てるように言う。

 こいつらは、そろって馬鹿だ。

 だが、愛すべき馬鹿だ。

 私はどうやら『毒』に侵されてしまったらしい。


 物部の泥酔する秘薬入りの酒を、芹沢と平山に飲ませている。

 芹沢を警戒させないため、近藤と永倉は、あえてそれを飲んでいた。

 それで、芹沢も平間も口をつける。

 珍しく、近藤が酔っていた。

 握り拳を口に入れ「かの加藤清正公も、同じことが出来た」と自慢し始めると、泥酔した証拠だ。

 今、それをやっている。

 恒常的に服用させられている平山には効果てきめんだった。

 すでに歩けないほど、泥酔していた。

 芹沢の銅鑼声が響く。

 音量の調整が出来なくなると、芹沢も酔いが回ってきた証拠だった。

 昏い目で、野口がこっちを見る。

 準備完了の合図だ。

 間もなく、芹沢と平山、平間は、運ばれるようにして屯所に運ばれる。

 屯所には、平山の馴染み桔梗屋吉栄、平間の馴染み輪違屋糸里、芹沢の愛人気取りになった太物問屋菱屋太兵衛の妾のお梅が待っていた。

 これは、彼らを必ず屯所に戻らせるための仕掛けだ。

 平間は、芹沢と平山を屯所に送り届けた後、輪違屋糸里と駆け落ちすることになっている。

 いや、そう思い込んでいるだけで、逐電させるための罠だ。

 糸里は別に平間など、なんとも思っていない。

 平間が「約束が違う」と、抵抗するなら、斬る。そういう段取りだった。


 篠つく雨をついて、屯所に戻る。

 こっそり、土方、沖田、山南、そして私が抜けだした事など、誰も気が付かないだろう。

 宴席は乱れ、芸者や遊女とどこかにシケ込む連中も多かったのである。

 ごうごうと風が鳴っていた。

 私の前に、桔梗屋吉栄と輪違屋糸里がいた。

「彼らが帰ってきて四半刻経過したら、厠に立つといって部屋から出てくれ。そのまま、道場まで走るんだ。部屋には決して戻ってはいけないよ。着替えは、道場に用意してあるからね。あとで送らせるから、そこで待っていなさい」

 最後の指示を、私が出した。

 お人形じみた、整った顔をこわばらせて、コクンと二人が頷く。

 緊張はしていたが、怖がってはいないようだ。

 並みの隊士より、彼女らの方がよっぽど度胸が据わっている。

「お梅さんは?」

 山南が口を挟んでくる。

「彼女はダメです。完全に、芹沢の支配下にあります。彼女を通じて計画が発覚する恐れがありますからね」

 お梅は、一月以上、部屋に監禁されて芹沢によって執拗に凌辱されていた。

 初めのころは、まるで犬の様に首輪をつけられ柱につながれていたが、今では自由に屯所内を歩いている。それでいて、逃亡すらしない。

 完全に洗脳されたと思っていいだろう。

 また、淫蕩の気があるのか、若い隊士を挑発するようなそぶりも見せる。

 近藤はそんなお梅を苦々しく思っており、

「配慮に及ばず」

 という結論を下していた。

 あえて殺さないが、巻き添えも仕方なしと判断したのだ。


 深夜、獣の様に唸りながら、芹沢と平間、平山が帰宅する。

 手筈通りなら、野口は「酔いつぶれた」という名目で、角屋に残っている。

 今頃は『名誉除隊』という扱いで、退職金を受け取りどこかに逃げているはずだ。

 私たちが潜んでいる土方の居室まで、お梅の嬌声が聞こえた。

 芹沢は、帰宅早々お梅を裸に剥き、交情しているのだろう。いつものことだ。

 平山も桔梗屋吉栄に挑んだようだが、急激に酔いが回って眠ってしまったらしい。

 中庭を裸足で走る輪違屋糸里の姿が見えた。

 少し遅れて、乱れた浴衣で半ば肩をむき出しにして、白い足を見せながら、桔梗屋吉栄が走ってくる。

 頼まれもしなかったのに、平山の大小の刀を腕に抱えていた。

 確実に今日仕留めてもらいたい……という切なる意志の表明だった。

「よし、まずは平間だ」

 刀を引っ掴んで、土方が立つ。

 全員が後に続いた。

 平間は、輪違屋糸里と駆け落ちするつもりでいる。

 居汚く眠る平山や、お梅に耽溺する芹沢と違って、酔ってもいない。

「遊女と駆け落ちだぁ? 水戸のカッペ侍の分際で、馬鹿じゃねぇのか」

 土方が毒づきながら、廊下を足音を忍ばせて歩く。

 それに、平間はお世辞にも色男とは呼べない。加えて頭も悪く、吝嗇家とくれば、京都の女が惚れる要素などない。

 強請り取った金で買った女を自由にするうちに、何か勘違いしてしまった手合いだろう。

 平間の部屋の襖をあけたのは、山南だった。

 このまま、逐電させる方針なので、殺気の強い土方や恐れられている沖田より、山南の方が適任だった。

「山南さん……何ですこんな夜更けに?」

 旅支度の平間がすっとぼけて言う。

 とぼけながら、チラっと見たのは刀袋かかぶせた自分の刀だ。

 雨の中移動する予定だったので、柄が濡れるのを嫌がって刀袋をかぶせてしまっていた。

 これでは、片に飛びついても、袋を解かないと抜刀できない。

「そのまま、一人でお逃げなさい。懐の金は、退職金と思っていい」

 そう、穏やかに山南は言ったが、左手はカキンと鯉口を切っていた。

 無言で、「従わなければ斬る」と示している。

 平間の顔から血の気が引く。

「糸里さんなら、来ません。もう、あなたとは会いたくないそうです」

 わずかに、平間から殺気が漏れる。

 いや、それは未練なのか。

 山南がわずかに腰を落とす。彼と平間の間で、殺気がぶつかる。

 互いに人を斬ったことがある剣士なのだ。

 山南は、小野派一刀流、北辰一刀流の免許皆伝。

 平間は、神道無念流の免許皆伝。

 立ち合えば只では済まない。

 しばらくの固着の後、ふっと目をそらしたのは平間だった。

「ちくしょう、そういう事か」

 そう呟いて、唇を噛む。やっと、自分が糸里に騙されていたことに気が付いたのだ。

「その金を持って、遠くに逃げなさい。二度と京都に戻ってはいけませんよ。もし、見かけたら……」

 最後まで言わせず、身振りで平間は山南を止めた。

 説得者が土方なら、平間は最後の抵抗をしたかもしれない。

 見逃すと言っておいて、バッサリ斬るのが土方という男だ。一度敵対した者を、彼は許さない。

 だが、山南が約束したのだ。

 平間はそれを信用した。

 荷物をまとめて、屯所を出る。

 雨の中、とぼとぼと傘も差さずに消えてゆく平間。

 彼を見た最後の姿がそれだった。


「次は、平山だな」

 あたりはばからぬ、お梅の喘ぎが聞こえる。お梅は、あえて大声で喘ぐ。若い隊士に聞かせるためだ。

 そうした歪んだ性癖があった。わざと着崩れた着物で屯所内を歩いたり、露出することで、興奮するらしい。

 芹沢は、まだ屯所内の異変に気が付いていない証拠。

 もう芹沢を護る防壁は平山だけ。

 その平山も、間もなく死ぬ。いや、殺す。

「平山は、平間、野口と違って、芹沢に近すぎる。おそらく……」

 土方が固唾をのんだ。

 沖田が唇を引き結ぶ。

 新見の事案を思い出しているのだろう。それでもなお、立ち向かうか。たいした肝だ。

 初遭遇になるかもしれない山南は、好奇心に目を輝かせている。変人だ。

「わかった。だが、初手は俺らが行う、万が一の時は、頼むぜ」

 一応、魔剣『菊一文字』は持ってきたが、できれば使いたくない。

 新見の時と同様、上手くいってくれるといいのだが。

 平山の部屋から、いびきが聞こえる。

 襷がけし、袴の裾を絞った土方が、我々を振り返って、うなづく。

「行くぞ」

 襖をあける。

 全裸の平山が、枕行燈の淡い光に浮かんで見える。

 物を言わず、土方が踏み込む。

 抜きつけに、斬りつける。

 近藤に「喧嘩剣法」と仇名された土方の剣は、先手必勝。

 竹刀を使っての試合は並みの腕だが、こうした実戦では滅法強い。

 しかし、今回も新見の時同様、躱された。

 眠っていたはずの平山が、仰向けの姿勢のまま天井に跳ねたのだ。

 「おお!」

 山南が、思わず声を上げる。なんだか嬉しそうなのが、彼の変人っぷりを際立たせている。

 ふつうは恐怖したり驚いたりする場面だ。

「土方さん! 上!」

 そう言いながら、沖田が踏み込む。

 いつの間に抜刀したか、一刀を振り抜いていた。

 バツンと物を斬る音。

 どさっと落ちたのは、平山の右腕。

 平山は天井まで跳ねて、足指だけで天井にぶら下がり、コウモリの様な逆さの姿勢から、土方の側頭部を殴りに来たのだ。

 それを沖田が斬り飛ばした。

「こなくそっ」

 続く攻撃を避けて、土方が畳を転がった。

 首を薙いできた沖田の一撃を、平山はぐっと身をそらせて天井に張り付き躱す。

 今度は残った左腕一本で天井にぶら下がって、沖田に蹴りを放ってきた。

 とっさに沖田が刀でそれを受ける。

 鋼がぶつかる音を残して、沖田が部屋の隅まで吹っ飛ぶ。

 土方が飛び上がって、平山の体を支える左腕を斬る。

 山南は部屋に踏み込み様、平山の胴を刺した。

 声もかけず連携する。

 これは、土方が提唱し、新撰組の訓練に取り入れている動きだ。

 私は、彼らが時間を稼いでいるうちに、呼吸を整える。

 透明の球が転がって、私の体を循環する映像を描く。

 物部の秘術、練氣法だ。

 充分時は稼いでもらった。注意も惹いてもらった。あとは、私の時間だ。

「金鎖!」

 編み上げた鎖が、平山の首に巻きつく。

 芹沢に警報を出そうとしていた声が、ひゅっと窄まった。

鬼槍きそう流、棒ノ手『一間いっけん透氣とうき』!」

 長さ一間(約百八十センチ)の絹の組紐が、鋼鉄より硬い一本の棒になる。

 山南が、深々と平山の胴に刀を突き刺したまま、パンと伸びた組紐を見て目を輝かせる。

 やはり、この人の感覚はおかしい。

 槍の様に小脇に棒を抱え、そのまま突く。

 まるで、豆腐でも貫くように、すうっと棒の先が平山の腹に潜ってゆく。

 土方が刀を食い込ませた平山の左腕を、振り抜く。

 山南が貫いた刀を抉る。

 天井に肘から先を残して、平山が落下した。

 無言のまま、がくがくと痙攣してふっと力が抜ける。

「口惜しや、体が利かぬと思うたら、物部の秘薬を仕込まれたか。おのれ……」

 言いかけた平山の首がゴロンと転がった。

 飛び起きた沖田が、踏込さま、横薙ぎに一刀を振るったのだ。

「やたら、硬かったですね、こいつの体」

 血刀を掲げて、沖田が言う。

「刀の腰が伸びちまいましたよ」

 日本刀は優美な反りを持つ。

 だが、硬い物を斬ると、その反りが伸びてしまうことがある。これを「腰が伸びる」という。

 やはり、平山は『信奉者』とか『追随者』と呼ばれる鬼の眷属に変わっていた。

 鬼は現世への媒体に人間の肉体が必要だ。

 これを『鬼憑き』と呼んでいるが、誰でもいいというわけではなく、相性が必要らしい。

 相性がいい者を予備にすることがあり、平山はそれだった。

 人間性を失う代償に、様々な鬼の恩恵があり、身体能力が高かったり、異様に頑丈だったりする。

 新見の様に完全に憑かれると、人ではなくなってしまうが。


「いよいよ、本丸だぜ」


 お梅の喘ぎ声が止まっていた。

 闘争の気配に気付いたか、性交に飽きて眠ったか。

 いずれにせよ、残るは芹沢ただ一人。



 芹沢の部屋から、いびきが聞こえた。

 どうやら、芹沢は闘争の気配にも気付かず、眠ってしまったらしい。

 私は『氣』を練り続けていた。

 一度途切れると、再起動させるまで時間がかかる。

 早く決着をつけたいところだ。

 当麻の姫様ではあるまいし、何発も発動させる代物ではないのだ。

 土方が襖をあける。

 全裸のお梅と芹沢が抱き合って眠っているのが見えた。

 無言のまま、土方が踏み込む。

 さすがに芹沢は気配に気付き、飛び起きた。

 そして、とっさにお梅の髪を掴んで引きずり起こし、土方の方に蹴り飛ばす。

「邪魔だ! 売女ばいた!」

 土方は、刀でお梅を弾き飛ばした。

 その時、偶然切先が彼女の首筋を傷つけ、血煙が上がる。

 お梅が悲鳴を上げて、畳を転がる。

 その隙に、芹沢が転げる様にして、刀に飛びつこうとした。

「金鎖!」

 畳を這って、金鎖が芹沢の足首に絡みついて、引き戻す。

「なんじゃこら!」

 芹沢は足首の金鎖を引き千切って、刀をあきらめて襖を蹴破って廊下に転がり出る。

 身軽に立ち上がると、全裸のまま廊下を疾走する。

 土方と沖田がそれを追っていった。

 私はその場に立ち尽くしていた。

「どうしました?」

 山南が言う。

「違う」

 私はそう呟いていた。

「何が、違うんです? 山崎さん!」

 私のただならぬ様子に、きつい口調で山南が問う。

「芹沢は、ただの人間だ。鬼でも追随者でもない」

 芹沢は、簡単に金鎖を千切った。

 彼が鬼の影響を受けているなら、そんなことはできない。

 屯所の奥から、芹沢の断末魔の絶叫が響く。

 練氣した私の感覚に、鬼が滅した時の波長は感じられない。

「どういうことです? 鬼の本体は、芹沢じゃないんですか!」

 何かを見落とした。

 野口と平間のことを考える。

 いや、違う、違う、違う。

 彼らには、『鬼憑き』特有の匂いが無い。

 ならば、消去法だと……


「新見 錦……」


 それしかない。

 完全に消滅させたと思った。

 だが、彼は「生への執念」の純粋な結晶体。

 何か生存のための手段を打っていたとしたら?

 彼の予備は平山。

 平山は予備のままだった。

 芹沢が本体だと思っていたので、平山が予備のままでも何ら不自然ではなかったのだが、芹沢が単なる凶暴な人間に過ぎないとしたら、それが意味するところは?

 やはり、丁子油で焼くか、『菊一文字』を使うべきだった。

 私に生じた未練や迂闊さが、敵を取り逃がすことになってしまう。

 もう、『物部の兵』失格だ。

 目的を果たし、晴れ晴れとした顔の土方が戻ってくる。

 芹沢はずっと目の上のタンコブだった。それが取れたのだ。

 土方の任務は終わった。

 だが、私の任務は終わっていない。

 彼らを、私の狩りに利用した。

 もうこれ以上の協力は望んではいけない。


「これで、任務達成ですね。私はやることが残っておりますので、これで……」

 立ち去ろうとした私の手を、山南が掴む。

「待ちなさい。どこに行くつもりですか?」

 私は、、山南の手を乱暴に振りほどいた。

「これは、私の失策だ。もう、諸君らを巻き込むわけにはいかない」

 ずっと『氣』を練り続けている。

 活動の限界まで、経験上あと一刻(約二時間)程か。

 早く、新見を埋めたところに行かないと。

「乗りかかった船です。行きますよ、一緒に」

 山南が言う。

 沖田が、腰が伸びて鞘に収められなくなった刀に晒を巻きつつ、うんうんと頷く。

 彼らを止めて欲しくて土方を見る。

 土方は、私の視線を受け止め、困惑したように頭を掻いた。

「おめぇは、本当に水くせぇ奴だよ。同じ任務をこなしたからにゃ、もうダチじゃねぇか」

 まったく、この連中が持つ熱は、私にとっての『毒』だ。

 冷え切った戦争の駒である私の胸にも、火が灯ってしまう。

「これより先は、何があっても自己責任ですからね」

 もう、説得する時間が惜しい。

 そう宣言して、叩きつける雨の中に走りこむ。

「応!」

 土方までが、私の後ろを走った。

 大粒の雨が痛い。

 風がうなる。

 木々が不気味な舞を踊っていた。

 稲光、白く。

 暗天に響き渡るは、雷鳴。

 壬生から、鴨川の畔へ。

 普段お穏やかな鴨川の流れは、逆巻く激流。

 童が石を積んで遊ぶ河原も、今は流れに飲み込まれている。

 人影の絶えた、その河原にうっそりと誰かが立っている。

 全裸だった。


「新見!」


 思わず叫ぶ。

 ゆっくりと、その人影が振り返った。

 ニィっと笑うその顔は、美しい女の顔だった。

 白い裸身を水滴が伝う。

「こいつは、幾松!!」

 思わず土方が呻く。

 舞妓『幾松』といえば、長州の大物 かつら 小五郎こごろう が執心し豪商と奪い合ったと言われる美人画にも描かれた有名な女性だった。

 彼女はすでに、新見の予備になっていたとは。

 新見の空白の行動時間。

 その時間に、幾松に取り憑き着々と準備していたというのか。

「てめぇ、何を企んでいやがる」

 幾松の髪が解け、野分の風に何か生き物の様にうねり、広がる。

「殺戮の巷を所望だ。悲惨な戦を所望だ。日ノ本全体を巻き込む乱を所望だ」

 げらげらと、幾松が笑う。

 可憐な外見。鈴が鳴るような声。それゆえ、かえって凄愴な光景だった。

「させぬ!」

 組紐に『氣』が透り、ピンと伸びる。

 掌から、金の鎖がザラザラと流れた。

「まだ、この体は『慣らして』いない。よって、貴様らの相手は、こいつだ」

 河原の石を跳ね飛ばして、細身長身の人物が立ち上がる。

 焼き殺したはずの 新見 錦 だった。

 焦げ跡が何か所かあるが、ほぼ再生は終わっていた。幾松が持参したのか、左手に刀を持っている。

 まさか、灰からも再生するとは……。浄化しながら焼却しなかった私の失策だ。

「料亭山緒を探り出したことは、誉めてやろう。だが、その日、必ず幾松が客に呼ばれていた事までは分からなかったようだな。物部のつわものよ、詰めが甘い」

 確かにその通りだ。

 新見の執着の原因まで、私は考えていなかった。足跡さえ分かれば、仕留めて終わりと、侮っていた。

 反省は後だ。

 今は幾松を仕留めるのが先決。

「金鎖!」

 地面から、金の鎖が跳ねる。

 幾松を庇う様に、新見が前に出る。

 鞘ごと刀を振って、金鎖を絡め取る。

 そして抜刀。鞘は金鎖を巻いたまま、私の方に投擲する。

 早い! まるで矢の様だ。

 その鞘が、空中でカツンと両断された。

 晒を解いた刀で、沖田が叩き落としたのだ。

鬼槍きそう流、棒ノ手『一間いっけん透氣とうき』!」

 組紐がパンと音を立てて棒状に変化する。

 そのまま、身を回転させて、棒を新見に叩きつける。

 迎え撃つは、剛剣『神道無念流』。

 小さく軽く打つことを許さぬのが、流派の精髄。

 新見は怒号とともに、真っ向から棒を切り落としにきた。

 鋼と透氣した棒との激突。

 火花が散り、私の手がジンと痺れた。

 鬼の恩恵で強化されているのだろうが、渾身の力を込めたにもかかわらず、体ごとズズズと押し込まれるほどの力だった。

 その力をそのまま流用して、後ろに跳ぶ。

 跳びながら、横殴りに棒を振るった。

 神道無念流の弱点は胴打ち。

 剣を振り抜く動作が多いので、棒や槍といった間合いが長い武器が相手だと、返し技で胴を狙われる事が多いのだ。

 事実、神道無念流剣士は、他流試合で胴を打たれて負ける事が多い。

 こんな腰が引けた胴打ちなど、実戦では打撲傷にもならないが、これは『氣』を透している。

 鬼にとっては、灼熱した鉄棒を押し付けられたのに等しい。

 新見が胴が瘴気を上げてこそげ落ちるに構わず、そのままズイズイと押してくる。

 私さえ仕留めれば、土方、山南、沖田では、傷一つつけることが出来ないのを知っているのだ。

 我々が遣う『氣』以外で、鬼を斬るには、その鬼が背負う『業』よりなお深い『曰く因縁』を持つ物を使うしかない。

 そう、持参している魔剣『菊一文字』のような代物だ。

 踵に河原の石が当たる。

 足場が悪い。

 私は、そのまま押し切られてしまった。

 後ろに転げる。

 そのまま斬られなかったのは、一間もの間合いがあるため。

 長さを生かして打ち込んだので、命を拾った。

「死にぞこないが!」

 新見の左右に散開した土方と沖田が、新見に同時に打ち込む。

 土方は、踏み出した新見の右足に。

 沖田は、飛び込みながらの真っ向から竹割に。

 こうした集団戦法も新撰組の訓練に組み入れられているのだ。

 剣術教授方を務める沖田は、もっぱら受ける方だが。

 新見は足を上げて、土方の一撃を躱し、左手を掲げて沖田の一刀を受けた。

 腰が伸びた沖田の刀は、鋼が引っ張られて目に見えない亀裂が生じていたのか、新見の腕に刃が食い込んだところで、真っ二つに折れた。

 上げた足をそのまま横蹴りに移行して、土方を狙う。

 とっさに土方は刀でその横蹴りを受けたが、刀はくの字に曲ってしまった。そのまま土方が吹っ飛ぶ。

 その隙に、山南は抜刀しつつ幾松に向かっていたが、新見は土方を蹴り飛ばした足を、今度は後ろに振って、拳大の石を蹴る。

 その石は正確に山南の脇腹に突き刺さり、彼は息を詰まらせて、クタクタと座り込んでしまった。

 私は、彼らが稼いでくれた貴重な数瞬を使って呼吸を整え、活動限界を超えつつある『氣』を振り絞る。

 背中に背負った、『菊一文字』を取り出す時間はなかった。

 棒に『氣』を巡らせる。

 意識が飛びそうになっていた。

 風車の様に棒を回転させた。

 その勢いまで使って、渾身の一撃を放つ。

 もはや『氣』は使い切っている。

 まさに、最後の一撃だった。

 ガクンと棒が新見の頭の直前で止まった。

 沖田によって、千切れかけた左腕を頭上に掲げ、私の棒を止めたのだ。

 シュウシュウと瘴気は上がっているが、左腕を砕くまでにはならない。

「弱い、弱いな。だいぶ、疲れているのではないのかね?」

 新見は薄笑いを浮かべつつ、そんなことを言った。

 ズズと刀身が私の腹に潜り込んでくる。

 もう、『氣』を練る余力はない。

 わずかに身をよじって、急所を躱すのが精々だった。


 ―― 死ぬのか、ここで


 その思いがある。

 「やっと死ねる」という感情と「もっと生きたい」という感情がせめぎ合う。

 私には名前がない。

 討死は物部に捧げた名誉の死。

 そして、多くの同胞とおなじく、誰にも記憶されないまま消えてゆく。


 ―― 嫌だ!


 私は存在してた。

 生きていた。

 まるで「無かった」ことの様になって、消えるのは嫌だ。


「いいね。実にいい。生命への執着、素晴らしいよ」

 新見が嫌な顔で笑う。

 くそ、くそ、くそ、くそ、コイツの糧になるのは、耐え難い。

 震える拳を振り上げ、新見を殴る。

 もう、『氣』はかけらも残っていない。

 それでも殴る。殴り続ける。

 げらげらと新見が笑った。

 その顔が凍りつく。

 何事かと思ったら、新見に抱きつ様にして、沖田が密着していた。

 

「新見さんの笑い声、初めて聞きましたよ。でも、聞き納めですね」

 沖田が一歩下がる。

 ズルリと新見の腹から抜けたのは、魔剣『菊一文字』。

 鎌倉時代、、強力な呪術師でもあり、崩御の後怨霊と化したとも言われる後鳥羽上皇が、呪詛を込めた十一振りの魔剣の一つ。

 これほどの『曰く因縁』があろうか?

 だが、この剣の使い手もまた、呪われる。

 ごっそりと生命が削られるのだ。

 野分の風に、新見が消えてゆく。

 灰で作った塑像が、風に削られるように。

 私は、腹に刺さった刀を抜く。

 雨に濡れた着物が、赤く染まってゆく。

 脇腹を抑えて、山南が立ち上がる。

 折れ曲がった刀を捨てて、土方が身を起こす。

 沖田は、よろけて、ゲボっと吐血した。

「総司!」

 土方が飛び起きて、沖田に駆け寄った。

 私が腹を刺された時に割れた桐の箱。魔剣『菊一文字』は、その時封印をを解かれ地面に落ちたのだ。

 土方は、沖田が手にしている刀の正体がわかったらしい。

「おまえ……」

 土方が絶句した。

 魔剣『菊一文字』は、新見の血を吸い、沖田の血を浴びた。

 これで、所有者としての契約はなされてしまっている。もう、沖田が死ぬまで手放すことはできなくなってしまった。

「いいんです。太く、短く。私が望んでいたことです」

 私が死ぬべきだった。

 なのに、この若者に死の運命を背負わせてしまった。

「申し訳ない。詫びても、詫びきれない」

 私の言葉を聞いて、沖田が笑った。

 野分の豪雨に濡れたその顔は、むしろ晴れやかに見える。

「ダチがヤバい時に動かないのは、男じゃねぇ……ですからね」

 土方の口調を真似て、沖田がおどける。

 俯き目を逸らした土方の背が震えていた。

 天を仰ぐ。雨粒が、私の顔を叩く。

 これもまた、星見衆が予見していたことなのだろうか?

 なんだか、腹が立ってきた。糞くらえだ。物部も、星見も、何もかも。

 腹を圧迫止血しつつ、やっと立ち上がる。

 情けないことに、がくがくと足が震えた。

 幾松の姿はすでにない。

 桂 小五郎 と長州藩を使って、日ノ本に災厄を巻き起こすつもりだろう。

 ならば、私は行けるところまで『死の運命』に抗ってやろうじゃないか。

 私は、物部の帰還命令を無視して、新撰組に残ることを決意していた。



***************************


 芹沢亡き後、近藤は新撰組を掌握した。

 山南は『総長』という、隊の運用に関わらない奇妙な役職に就いた。

 出世したにもかかわらず、芹沢暗殺事件の後は、ふっつりと表舞台から姿を消す。

 一説によると、探索方の監察になった山崎と組んで、裏の仕事を仕切っていたという噂があるが、その証拠は何も出ていない。

 脱走から切腹という謎の死に方をした事。

 その追討が沖田だった事。

 それらが様々な憶測を生んだが、山南は歴史の闇に消えていった。


 新撰組の諜報を一手に引き受けた山崎は、京都から撤退するまで組織に尽くした。

 戦闘で重傷を負って、京都から撤退する幕府軍の引き上げ船上で死亡。

 海軍式の水葬に付され遺体も墓も残らなかったが、名前だけは残った。


 沖田は、新撰組の一番隊長を務め、その冴えた剣捌は伝説にすらなった。

 しかし、病を発して江戸に逼塞。

 近藤が処刑されたのも知らされぬまま、ひっそりと病死した。

 愛刀の菊一文字は、いつの間にか姿を消していたという。


 土方は、戊辰戦争を転戦。

 函館での戦闘を最後に、姿を消した。

 アメリカに渡ったとも、僧形になって巷間に紛れたともいわれるが、確たることは判明していない。


 桂小五郎は、長州藩士として討幕を成し遂げた立役者の一人となった。

 彼は幕末、新撰組に執拗に追跡されて苦難の連続だった。

 その彼を支えたのは幾松という女性で、後に正妻となる。

 木戸孝允と名前を変えて、明治政府の高官として辣腕をふるうが、旧薩摩藩士の反乱である西南戦争の頃に発病。

 九州に向かう途中の京都で倒れ、そのまま病死。

 彼の従僕の一人が「モノノベに殺された」と主張したが、その従僕も通り魔に刺されて死んだ。

 数年後、原因不明の病で 木戸 松子 と名前変えた幾松が、そのあとを追うようにして亡くなった。

 この時も「モノノベ」という言葉がささやかれたようだが、すぐに立ち消えになった。


 富国強兵、国民皆徴兵、積極的な進出主義を唱えていた木戸が病死したことによって、何年かは日本は戦争を免れたとも言われている。



「棒ノ手」 了


 

 

 

 

 





 

  

 

 

 

 

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