05.怒り◇
「よぉ、お嬢ちゃんたち」
野太い男の声がかかって、フェイヴァたちは揃って声のした方向に顔を向けた。
屈強な体つきをした男たちが立ち塞がっていた。都市に足を踏み入れたばかりなのか、使い古された鎧には魔獣の赤黒い血が付着している。三人が三人ともだらしのない笑みを浮かべていた。
「俺たち、ネルガルに来たばっかりなんだけど、よかったら案内してくれねーかな? 礼はするからよ」
「お礼なんてそんな。どこに行かれたいんですか?」
困っている人を放ってはおけない。フェイヴァが一歩前に踏み出して声をかけると、途端に後ろ手を掴まれた。ユニだ。
「アタシたち、もう帰らなくちゃいけないの。悪いけど他を当たってくれない?」
「そんなこと言わずによ、少しだけでいいんだよ」
「絶対にいや」
「……おい。こっちが下手に出てりゃあいい気になりやがって。てめぇ、俺たちが背負ってる物が見えねぇのか」
箒のような髪型をした男に凄まれ、ユニは怯んだ。彼らの肩には細かな傷がついた大剣の柄が覗いている。歴戦を物語る装備は、そのまま男たちの実力を示していた。
何やら雲行きが怪しくなってきた。弁明しようとしたフェイヴァは、開きかけた口を閉じた。フェイヴァとユニを庇うように、ミルラが前に出たのだ。
「三人の女の子を武器で脅して従わせようなんて、情けない人たちですね。これでかっこよかったらまだましだけど……」
男たちの顔を順々に見たあと、ミルラは口の端を歪ませた。明らかな嘲笑である。
「誰からも相手にされない理由がわかります。もう少し男を磨いてきたらどうなんですか?」
「ミルラ……!」
呆気にとられていたユニの口から、悲哀に染まった声がもれる。
親しくなってわかったことだが、ミルラは思ったことをすぐに口に出してしまう少女だった。しかもその言葉は、浅くも深くも人の心に突き刺さってしまう。その上ミルラには自分が毒を吐いているという自覚がない。
「心配しないで、ユニ。あたしはこの中で一番実技成績がよかったんだもん。ふたりのことはあたしが守らないと」
ユニに名前を呼ばれたのは、彼女が怯えているせいだと思ったらしい。不安を抱かせないように、明るい口調でミルラは言う。態度とは反対に彼女の足はかすかに震えていた。恐怖を押し殺しているのだ。
「……舐めやがって!」
怒りを顔に漲らせた男が、ミルラに荒々しく歩み寄り腕を振り被った。彼女は身体を傾けて躱す。避けられるとは思っていなかったのだろう。男は一瞬目を見開いたが、余裕を窺わせる口笛を吹く。
ミルラは男に踏み込むと、拳を打ち出した。男はそれをゆとりをもって避けると、ミルラの横っ面を殴りつけた。情け容赦のない渾身の一撃だった。
ウルスラグナ訓練校に入校できたといっても、所詮は素人に毛が生えた程度に過ぎない。体格に恵まれた男子ならいざ知らず、女子ならばなおのことだ。
魔獣との戦闘経験を積んだ狩人にミルラが敵うはずがなかった。
ミルラの軽い身体が吹き飛ばされ地面に倒れた。
近くにいた通行人はぎょっとしたような表情をしたが、相手は武器の扱いに長けた狩人。おいそれと助け起こし、巻き込まれるような真似はできなかった。
「ミルラ!」
フェイヴァの腕を離して、ユニが彼女に駆け寄る。ユニに支えられて立ち上がったミルラは、頬を押さえていた。柔らかな肌は赤く擦れ、切れた唇からは血がにじんでいる。
フェイヴァは拳を強く握り締めた。自分は何をされてもいい。けれど、大切な人を傷つけられるのは許せない。誰かに対してこれほど腹が立ったことはなかった。
男たちはふたりに近づいていく。ユニたちは周囲に助けを求めて視線をさまよわせるが、人通りもまばらな道は関わり合いを拒否し足を速める者しかいない。
「待ってください!」
ユニとミルラを囲んで立ち上がらせようとしている男たちを、フェイヴァは鋭く呼び止めた。
「すぐにここを立ち去ってください。でないと、痛い思いをしてもらうことになります」
「あぁ? 何舐めたこと抜かしてんだ、この小娘が」
ミルラを殴りつけた男が、苛立ちに顔を歪めながら近づいてくる。振り被られた拳を、フェイヴァは片手で受け止めた。女なら吹っ飛ぶほどの力が込められた拳だったが、地面に踏み締めたフェイヴァの両足はびくともしない。
男は驚愕の眼差しでフェイヴァを見つめた。フェイヴァは右腕を引き絞る。半身を捻って、ミルラが受けたような力加減が一切ない拳を放つ。
その一瞬、フェイヴァの瞳は捉えた。男の顔に漣のように走った恐怖を。
ありありと見せつけられた怯えの感情は、熱くなっていたフェイヴァの精神を冷やすには十分だった。
(私は今人間を、力の制御なしに殴りつけようとしている。そんなことをすればこの人は死ぬ)
刹那の思考。
その間にも、拳は風を切って男の顔面に向かっていく。フェイヴァは咄嗟に手の力を抜いた。しかし勢いは止まらず、拳が男の顎を捉えるのがわかった。
男の口から、唾液と血が吐き出される。黄金色の髪を使い古された箒のように振り乱して。フェイヴァの一撃を食らった身体は、衝撃を受けた顔面に引っ張られ宙を飛んだ。空から糸で身体を吊っているのだと言われたら、納得できそうな飛び上がり方だった。二階建ての建物を越える高さにまで打ち上げられた男は、自由落下をし始めて、やがて商店の屋根に受け止められた。
夕暮れの雑踏が一変、静まり返る。フェイヴァが周囲を見ると、誰もが唖然とした様子で男が倒れた屋根を見上げていた。
(……私は、なんてことを)
フェイヴァは頭の中が真っ白になった。華奢な少女が殴りつけたくらいで、大の男を屋根まで吹き飛ばせるわけがない。力を抜いたのに、男は予想以上に吹き飛んでしまった。
残されたふたりの男は、恐慌を来たしたように走り去って行った。その哀れっぽい悲鳴が、フェイヴァがいかに異常かを訴えている。
フェイヴァは屋根の上に倒れた男を見上げた。彼は動く様子がない。まさか――殺してしまったのだろうか。考えるだけで震えが走る。怒りに我を忘れて人を殺害してしまうなんて、破壊されても文句が言えないほど愚かな行為だ。
静寂が、自分の罪を責め立てている。立ち止まった通行人の視線を痛いほどに感じて、フェイヴァは周囲を見回すことができなかった。彼らの眼差しが驚愕から畏怖に変化するまでに、それほど時間はかからないだろう。
フェイヴァの足は無意識の内に下がり始めた。その場にとどまることが耐えられず、走り出す。逃げ出した足は止まることはなかった。
大通りの外れにある路地に走り込む。暗闇に閉ざされた細い道には人の姿はなく、背中を向け合って建っている建物のそばには、ごみ箱が設置されていた。
勢い余ってつまずきそうになり、フェイヴァは足を止めた。
(人を殺した……)
思い切り人に暴力を振るうだなんて。自分は人よりも力があり、その気になれば簡単に殺してしまえるのだと、普段から言い聞かせて行動しなければならなかったのに。
追い払うだけなら他に方法があったはず。なのに、ミルラがされたことを相手に仕返してしまった。それは殴られたミルラが行うべきことであって、人間でない自分がすべきではない。
テレサと暮らした一年間も、ダエーワ支部で耐えた一月も、すべてが無駄になってしまった。
涙があふれて、寂れた路地がぼやけた。大事な人を傷つけられたからといって、殺すべきじゃなかった。彼には心配してくれる家族だって、友達だっていたはずである。何より、人間を殺してしまうだなんて――許されることではない。
「ごめんなさい……!」
フェイヴァは壁にすがりついた。結局自分は、機械以外のものにはなれなかった。殺してしまった相手に申し訳ないと思いながらも、安否を確かめず逃げ出してしまった。こうして泣いているより、他にすべきことがあるはずなのに。
「フェイ!」
ミルラの声が聞こえて、フェイヴァは肩を震わせた。路地の向こう側から、ミルラとユニが走ってくる。
ふたりはあの異様な光景をどう思っただろう。もう今までのように仲良くしてくれないに違いない。
「フェイ、どうして走って逃げたの?」
息を弾ませながら、ミルラが問いかける。
「だ、だって私。あの人を殺」
「大丈夫。死んでなかったよ」
頬を赤く腫らしたミルラが、ゆるく首を振った。フェイヴァは言葉を失う。
「フェイが走って行ったあとに目が覚めたの、あの男。気づいたら屋根にいたからびっくりしてたよ。何か喚いてたけど、歯が折れてるみたいでひどい発音だった」
「そうそう。店主が出てきて怒鳴り合いになってさ。最終的には店主がはしごをかけてあげて、やっと降りられたの」
足の力が抜けて、フェイヴァはへたり込んでしまった。
(よかった……生きてて。本当によかった)
「それにしてもびっくりしたわよ。試験で豪快に投げ飛ばされてたフェイが、人をあんな高さにまで吹っ飛ばせるなんて」
気安い笑みを浮かべるユニだが、口許が引き攣っている。微笑みの裏にある確かな困惑を、フェイヴァは感じ取った。
「あなた、一体何者?」
「それは」
フェイヴァは口を閉ざした。嘘を言う度胸もなければ、真実を告白する勇気もなかった。だからただ黙っているしかない。
「ユニ。人には誰にだって言いたくないことがあるよ。フェイが壮絶な人生を歩んできたんだって、言ったのはユニでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
頬が痛むのか手で押さえながら、ミルラは屈み込んだ。フェイヴァと同じ目線になる。
「あたし、フェイがあいつらに立ち向かってくれたとき、嬉しかった。殴ってくれたときなんて胸がすーっとしたし。重要なのは、フェイがあたしたちを守ってくれたこと。それだけでしょ?」
ね、と肩越しにミルラは友人を見やる。フェイヴァを見下ろしていたユニは、しばし間をおいたあと、フェイヴァに歩み寄った。
「……そうよね。ほらフェイ、泣いてないで立ちなさいよ」
ふたりに支えられながら、フェイヴァは立ち上がる。不安が安堵に変わり、また涙をこぼしてしまった。
「私……ふたりに怖がられるかもしれないって思ってた。もう、仲良くしてくれないんじゃないかって……」
「こんなことで怖がるわけないじゃない」
「うんうん。フェイが変な子だってことは知ってるし」
「ふたりとも……ありがとう」
嗚咽をもらしながらフェイヴァが言うと、ユニとミルラは顔を見合わせて微笑んだ。まるで幼い妹の世話を焼く姉のように、ふたりはフェイヴァの手を引いた。
ユニとミルラがなぜ、自分を演劇鑑賞に誘ってくれたのか。フェイヴァにはやっとその理由が理解できたのだった。




