スヴェルの場合
薄暗い階段をグリフィカは迷いのない足取りで降りて行く。
牢屋の前には見張りの兵がいた。
「面会に来ました」
「ですが・・・」
「上で身体検査は受けました。自害できる刃物も毒も持っていない。さらに服も着替えました。持っているのは、この日記帳のみ。許可は出ています」
「分かりました」
グリフィカの訪ね人は一番奥にいた。
何をするでもなく、時間が流れるのを待っていた。
「何の用です? こんな牢屋まで」
「これを渡しに来ただけです。この日記帳は貴方が持つべきものですから」
「不要です」
「いいえ、貴方は読まなければいけない。ヴェホルの名を継げなかった者として」
最後のグリフィカの言葉にスヴェルは過剰に反応した。
無気力だった瞳に感情が宿る。
「ドゥーフェは“あの子”にも“養い子”にもヴェホルを継承させなかった。そうでしょうね。わたくしでも同じことをしたでしょう」
「貴女に何が分かるというのです? ヴェホルに産まれ、初めからヴェホルの名を持っていた貴女に私の想いなど分かるはずがない」
「私たちはヴェホルを継ぐために教育を受けました。でも、同じ教育を少なくとも貴方のお義父上は受けていたはずです」
「・・・・・・義父は何かに憑りつかれたようにドゥーフェ・ヴェホルの名誉回復を望んでいた。ドゥーフェを超える毒の開発を目指していた」
グリフィカは深く溜め息を吐いた。
予想していた通りの答えが返ってきたからだ。
「ドゥーフェ・ヴェホルの名誉とは何です?」
「彼は、天才だ。そんな彼が評価されずに忘れるなどあってはならない」
「ドゥーフェが天才であったことはヴェホル家でも認めていますし、彼は薬師です。今更、それ以上の名誉が必要とは思えませんわ」
スヴェルにはグリフィカの言葉の意味が理解できない。
グリフィカもまた理解できないと分かっていて言った。
「ドゥーフェが薬師だと言いましたね?」
「えぇ言いましたわ。私の祖父の弟です」
「なら、何故、ドゥーフェ・ヴェホルは大罪人なのです? 彼の功績を考えるなら罪人として忘れられていいはずがない!」
「訂正をさせていただきますわ。薬師とは、その知識を探求するもの。その知識の危うさから王家に従うことを良しとしない集団。だからと言って、人を殺していいとは言っていませんのよ」
ドゥーフェは多くの人を毒によって殺した。
だが、人を殺した罪から逃れようとはしていない。
大人しく罰を受け入れるつもりだった。
それが処刑というものであっても自分がしたことへの罰ならば受ける。
その覚悟を持ってドゥーフェは毒を盛った。
「薬師は確かに王族にすら膝をつきません。ただ、その在りようは庶民なのですよ。神ではありません。その知識が途絶えることを懸念して多くの国では軽微な罪なら見逃すでしょう。人殺しまで見逃すかと言われれば、是とはならないでしょう」
「なら、なぜ逃げたのです? それは自分のしたことが罰せられることではないと思っていたからではないのですか?」
「・・・祖父から聞いた話です。あの当時は諸外国と冷戦状態が続いていました。そんなところに解毒できない、解毒してはならない毒があったら、どうなります?」
「それは・・・使うでしょう。それで王侯貴族を暗殺してしまえばいい」
「それを危惧して、ドゥーフェは逃げたのです。幸い調合できるのはドゥーフェだけ。ドゥーフェは薬師ではありましたが、毒を戦争の道具にするつもりは無かったのです」
スヴェル自身にドゥーフェの記憶はほとんど残っていない。
他にも色々あったのだろうが、残っているのは手を引かれて義父となる男に会ったときの朧げな記憶だ。
それからは義父から聞くドゥーフェ・ヴェホルという男の話が全てだった。
「ドゥーフェがなぜヴェホルを継がせなかったのか。薬師は神ではない。そのことを理解できなかった“あの子”はヴェホルを継げなかった。さらに言えば“あの子”は新しい毒を作ることに傾倒していった。それは本来の薬師の在り方から離れてしまいます」
「知識の探求という意味から離れていないと思いますが?」
「では、出来上がった毒はどのようにして試したのですか?」
「・・・・・・たしか、誰かに渡していましたね」
「依頼されて毒を作ったことが過去に無かったとは言いません。ですが、その効果の検証を人任せにすることは絶対にありえません。必ず自分自身でおこないます。自分の目で見ないと本当に効果があるのか不安ですもの」
グリフィカが言う薬師の在り方に、ようやく理解がいった。
責任と覚悟を持って毒を作る。
その出来たものを胸を張って言えるように最後まで見届ける。
「たしかに、それは、していませんでしたね」
「貴方は先代皇帝陛下が鉱毒になるかもしれないと分かっても、それを自分の手でしなかった。ただ多くの魚を食べさせたり、水を飲ませたりしただけ。もし効果が出なかったらどうするつもりでしたの? もし他の人が食べてしまったら? 直接手を出していないというところでは罪は軽いでしょう。でも薬師としてなら、あまりにも無責任ですわ」
誰かがこっそりと同じものを食べ続けていたら、魚に含まれる鉱毒の量が多く毒見にも影響が出たら、不確定要素は数えればキリがない。
それらを全て排除して目的だけを遂行できなければ、杜撰としかいいようがない。
「皇帝陛下のときもそうです。毒を盛らせる役は大勢用意していたのでしょうけど、それは全員が素人。もし分量を間違えたらどうするのです? 目的のために他人を犯罪者にしていいわけではありませんのよ?」
「あまりにも運に任せすぎましたね」
「えぇ。だからヴェホルの名を継がせられないのです。ドゥーフェも分かっていたから“あの子”にはヴェホルを継がせなかった。その“養い子”にあたる貴方も同じになると分かったから」
「結果は何でも良かった。薬師がどの国からも求められるように、そんな医師になりたかった」
「・・・・・・それはギムルが叶えてくれるでしょう」
「そうですね。あの子には才能がある」
スヴェルはギムルの才能を分かった上で巻き込んだ。
都合が良かったのは、姉が城勤めの侍女で皇帝の世話ができるほど優秀だったことだ。
「分かっていましたのね。いえ、貴方は、だからあの姉弟を選んだのですね」
「えぇ、従わなければ相手を殺すと言えば、動き。なおかつ城に勤めていて薬の扱いに慣れている。貴女がギムルを手元に呼び寄せたのは誤算でしたけどね」
「ギムルは貴方を見ても何も反応しなかった。脅迫者が貴方だとは知らなかった」
「姿を見られないように注意していましたから当然です。誰にも知られることなく手中に収めるつもりでしたのでね」
グリフィカが帝国に行かなければ、このことは明るみに出ることなくスヴェルは確固たる地位を得ていただろう。
だが、スヴェルはグリフィカに接触した。
それは心のどこかでヴェホル家と直接相対して打ち負かしたいという欲求があったからだ。
「今回、王国に来なければ、わたくしは貴方が黒幕だと思うことなく終わっていましたわ」
「・・・気になったのですよ。あの毒を飲んで、どんな風に死んで逝くのか」
「そこだけは薬師らしいですわね。スヴェル兄弟子」
「破門、されていますよ」
牢の隙間からグリフィカに日記帳を入れた。
ヴェホルの名は継いでいないが、スヴェルへの想いを乗せたものには違いない。
「・・・最後まで読むことをお勧めしますわ。どうせ、途中まで読んで棚に入れたのでしょうから」
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書かれている内容は天才と呼ぶに相応しい内容だ。
だが、最後になるにつれて“あの子”への想いが強くなる。
「義父が読んでいれば、思いとどまったのかもしれないな」
超えようしていた目標を失った“あの子”は絶望して、毒を飲んだ。
ドゥーフェを殺してから、いくつか新しい毒を開発したが、どれも霞んで見えてしまい逃げるようにして自殺を選んだ。
帝国に護送され全ての罪を話してからスヴェルは絞首刑になった。
スヴェルの死を一番悲しんだのは先代皇帝だった。




