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深夜の執務室で三人は顔を合わせていた。
グリフィカの帰国命令についての話し合いだ。
「薬師に命令はできないですけど、きっと帰らないと、ずっと催促してきますわね」
「先代のことは一応の解決を迎えましたので良いとしても陛下の件があります。今、王国に戻られるのは危険ですね」
「わたくしを国外に出したい王妃陛下が承認していることも気にかかります。薬師が必要なのだとしても王国には父も兄も、ケルシー家もいますわ」
王妃としては本音と建前が違うかもしれないが、グリフィカが帝国に来て一か月くらいだ。
そんな短い期間で王国に戻すことを認めるのは不思議だった。
「戻るしかないようだな」
「・・・そうですわね。せっかく皇帝陛下の毒への耐性が付き始めたのに、振り出しですわ」
「・・・今、何と?」
「うっかり口を滑らせました」
「それでか、舌に痺れた感じがあったのは」
解毒するよりも耐性をつけてしまう方が簡単だ。
軽い毒なら効かないようにしてしまおうとグリフィカは勝手に考えた。
「それはまた違いますわね。そういう漢方です」
「そうか」
「一応、代謝を上げる漢方茶を用意しておきますから飲んでください。気休めですけど」
「分かった」
正式な手紙が届くまでグリフィカは毎日、ギムルがいる診療所に通った。
目的は師匠にギムルの漢方を届けるためだ。
「えっ?」
「王国に帰ることになったから勉強会は終わりよ」
「終わりって」
「これからは師匠について学ぶと良いわ。貴方はグリフィカ・ヴェホルが認めた逸材なのだから自信を持ってちょうだい」
「・・・俺も王国に行く! 一緒に連れて行って!」
グリフィカは驚いて持っていた薬瓶を落とした。
師匠も驚いて乳鉢を足の上に落とした。
「待って、貴方は肺が丈夫じゃないのよ。長旅に耐えられる体力だって」
「最近は咳も出ないし、師匠がいつかは王国で学ぶべきだって。だから連れて行って!」
「連れて行ってやってくれんか。帝国では庶民が専門的なことを学ぶ学校に通うのは大変だからな」
「もう! 咳が出ているときは絶対に安静にしていること! あと学校ではなくヴェホル家で学ぶこと! これが守れないなら帝国に帰らせるからね」
「やったぁ」
仕方ないとグリフィカはギムルを連れて行くことを決めた。
このまま押し問答をしていても負けるのはグリフィカだったような気がする。
イライアスは何も言わずに、ギムルを連れて行く算段を考えていた。
グリフィカの出国のときに迎えに行くことを約束して別れた。
ギムルが庶民であるから出国するには、そこまで難しくない。
「いろいろと大変なことになりましたわね」
「まぁ彼には見聞を広めてもらって未来の帝国を担っていただきましょう」
「まぁ・・・驚きましたわ。ギムルがそこまで王国行きを希望するとは思っていませんでしたから」
「そうですね。まぁ他国に行ける機会はそうそうないですから、この際と思ったのでは?」
「どの際ですの? 王国で何が起きたか分からないですが、急いで片づけて戻って来ますわ。黒幕が誰か分かっていませんもの。命の危険が無くなったわけではありません。くれぐれもお気をつけくださいね?」
グリフィカが予想していたように帰国を促す正式な手紙が届いた。
手紙が届き次第、一週間で戻るようにと期間の指定があった。
「一週間って、王国から来たときよりも短い期間ですね。しかも手紙が届いてからとなるとあと五日くらいしか実質時間ないですよ」
「・・・・・・持って来た茶葉とかは置いていくしかありませんわね。できるだけ身軽でなければいけませんから」
「茶葉くらいでしたらお預かりしますし、必要でしたら後日送りますよ」
「とにもかくにも出発しますわ。あと、わたくしは薬師です。王国の命令に従う義理はありませんわね」
ギムルの体調を診ながら馬車はゆっくりと帝国を出発した。
初めての遠出にギムルは外を見るたびにグリフィカに質問をする。
全てに詳しく答えていると、馬車の揺れに眠気を誘われてギムルは眠ってしまった。
楽しみすぎて昨夜は眠れなかったらしい。
王国に入ったところで馬車を乗り換える予定だったが、迎えの姿が見えない。
国境までの任務だとしても次の馬車が無いのに帰るのも居心地が悪い。
「・・・よろしければ王城の門の近くまでお送りしますよ」
「そうね」
護衛隊長は、グリフィカとギムルの要望をできるだけ叶えろと厳命されている。
だが、ゆっくり進むということ以外、何も言わない二人に戸惑っていたのも事実だ。
もっとわがままを言われると覚悟していた。
本来なら帝国軍が要人の護衛に他国に入るには事前に申請がいるが、薬師に言われたとでも言えば、多少は何とかなる。
グリフィカも分かってはいるが、あとで小言を言われるのは避けたい。
「王城は、あとで文句を言われるからヴェホル家にしましょう」
「分かりました」
帝国の紋章をつけた馬車と兵が街中を歩く。
このことは、すぐに王城に知らされた。
初めての遠出にギムルは、ずっと窓の外を見ており興奮していた。
「なぁなぁ」
「なぁに?」
「あの灰色の麺は何?」
「蕎麦よ。もう少し体調が良くなったら食べさせてあげるわ」
「約束だぞ」
ギムルからグリフィカへの緊張が解けて気さくな感じになった。
最初、周りは驚いて言葉使いを正そうとしたが、グリフィカが何も言わないから黙認された。
「あれは?」
「あれも蕎麦よ」
「蕎麦!? 灰色じゃないぞ。白いぞ」
「蕎麦は蕎麦よ! もうすぐ着くから大人しくしてなさい」
「へぇい」
ヴェホル家に帰ると、案の定、兄が温室の毒草を駄目にしていた。
予想していたとは言っても、気落ちする。
「お帰り、グリフィカ」
「ただいま」
「その子は?」
「ギムルよ。医師見習いよ。丁度いいから助手にでもして」
「そうだね。温室の毒草が全部駄目になったから植え直さないといけないからね」
何の会話が行われてるのか分からないまま、グリフィカの父に連れられて温室に向かった。
ギムルの安全が確保されたことを見届けて、王城に馬車を走らせた。
ここまで来たら諦めも肝心だとして帝国の紋章を持つ馬車で乗り入れた。




