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一駅分の余白
プシュー、という乾いた排気音を残して、いつもの青いバスが私を追い越していった。
窓の向こう、暖房の効いた車内で揺れる乗客たちの無表情な横顔が、スローモーションのように遠ざかる。
午前十時。
朝のラッシュが終わり、街がふと息をつく時間帯。
私はバス停の標識をあえて見送り、歩き出すことを選んだ。
一歩踏み出すたびに、肺の奥まで澄んだ冷気が入り込んでくる。
昨夜の雨で洗われたアスファルトはまだ黒く、そこから立ち上る冬の匂いが、鼻腔をくすぐった。
マフラーから露出した鼻先と頬が、外気に晒されてピリピリと痛い。
けれど、その感覚が悪くなかった。
バスの中の澱んだ温かさよりも、この鋭い冷たさの方が、今の私には誠実に思える。
誰とも話さず、ただリズムよく足を運ぶ。
冷え切った頬を指先でそっと触れる。
指の熱が吸い取られていくようだ。
次のバス停まで、あと十分。
冷たい風に思考が研ぎ澄まされていく、この短い帰り道だけが、私に許された贅沢な余白だった。




