冬の日の、余白
休日の午後。
キッチンに、乾いた音が響く。
ゴリ、ゴリ、と、硬質な豆が砕けていく感触が、アンティークミルを握る手のひらに伝わってきた。
冬に入ったばかりだというのに、窓を開け放っていても少しも寒くない。まるで春先を思わせる生温い空気が、レースのカーテンを微かに揺らしていた。
挽き終えた粉をドリッパーに移す。焦げ茶色の、きめ細かな山。そこに湯を注ぐと、芳醇な香りが一気に立ち上り、部屋の空気を満たしていく。
ハンモックのように膨らんだ粉が、ぽたり、ぽたりと、琥珀色の雫をサーバーに落としていった。
(……よし)
マグカップに注いだそれを一口含む。深い苦味の奥に、微かな酸味。さっきまで豆だったものが、こうして液体として自分の内側を満たしていく不思議。
ソファに深く沈み、読みかけの文庫本を開く。活字を目で追いながら、時折カップを傾ける。
誰にも邪魔されない、完全な静寂と、豊かな香り。それだけで、休日の価値は十分すぎるほどだった。
時計の短い針が四を指す頃、最後の一滴を飲み干し、私はゆっくりと立ち上がった。
夕食の買い出しに行かなければならない。
クローゼットを開け、いつもなら手に取る分厚いコートには目をくれず、薄手のジャケットを羽織った。この季節外れの陽気は、もう少しだけ散歩を楽しめと誘っているようだった。
近所のスーパーマーケットは、同じようにこの暖かさに浮かれた人々で、いつもより少しだけ混雑しているように見える。
白菜と、豚肉と、それから牛乳。
かごに手際よく放り込み、レジを済ませて外に出る。
まだ空は明るく、西の空が淡いオレンジ色に染まり始めていた。
その時だった。
(あ……)
不意に、シャンプーの詰め替えパックが切れていたことを思い出す。スーパーで買うそれは、どうにも髪に合わない。
いつものドラッグストアは、ここからだと十分ほど歩かなければならなかった。
普段なら、一度帰宅してから出直すか、あるいは明日でいいかと諦める距離だ。
けれど、今日は違った。
私は、スーパーの袋を片手に、迷わずドラッグストアのある方角へと足を向けた。
少し遠回りになる。
それでも、肌を撫でていく風は初冬の厳しさを含まず、どこか春の入り口を思わせる。
さっき飲んだ珈琲の余韻が、まだ舌の奥に残っていた。
急ぐ必要など、どこにもない。
私は、この予定外の余白を味わうように、ゆっくりとアスファルトを踏みしめた。




