B面の熱量
「お前、ヒマだろ。ドラムやれよ」
始まりは、幼馴染のギタリスト、リクのその一言だった。
リズム感なんて、体育の授業以外で意識したこともない。
だが、リクの弾くギターがあまりに楽しそうで、断る理由もなかった。
スティックの握り方すら知らずに、俺はバンドマンというやつになった。
埃とアンプの熱気がこもる、スタジオの防音扉を初めて開けた日のことを、今でも思い出す。
リクが「神」と崇めるギタリストのライブ映像を、スマホの小さな画面で見せられたのは、その数ヶ月後だった。
JIN
それが、そのギタリストの名前だった。
俺はドラマーで、本来なら背後でリズムを刻むドラマーに目が行くはずなのに。
画面の中のJINは、まるでギターが身体の一部であるかのように、自在に音を操っていた。
それは、リクの弾く音とは全く違う、鋭く、泣くような音色だった。
気づけば、俺はJINの動画ばかりを漁るようになっていた。
ドラムの練習スタジオの帰り、その足で楽器屋へ向かった。
バイト代をはたいて買った、一番安いレスポールモデル。
リクのとは、違う形のギター。
それが、俺の最初の「秘密」だった。
俺の生活は、二重になった。
昼間は、スタジオでリクのギターに合わせ、ドラムパッドを叩き、シンバルを鳴らす。
「もっと、バスドラを踏み込め!」
リクに怒鳴られながら、汗だくになってビートを刻む。
全身が軋む疲労。
これは「バンド」の音だ。
そして、夜。
アパートの自室。
家族が寝静まったのを確認し、ヘッドフォンをアンプに差し込む。
世界から遮断された、自分だけの音。
JINのタブ譜をスマホに映し、慣れない指先で弦を押さえる。
Fのコード。
人差し指が弦に沈みきらず、ビッ、と汚い音が鳴る。
指先が、ドラムスティックで豆を作るのとは違う、ジンジンとした熱い痛みを訴えた。
季節が二度、変わった。
バンドのドラムは、リクが「まあ、マシになったな」と口の端で笑うくらいには上達した。
ビートは安定し、手足はバラバラのようで、一つの生き物のように動くようになっていた。
だが、俺の本当の達成感は、いつも夜中に訪れた。
豆が潰れ、硬くなった指先。
あんなに手こずったFコードも、今やスムーズに押さえられる。
今夜、挑戦するのは、JINのあの曲。イントロの、あの泣きのフレーズだ。
ゆっくりと、一音ずつ、確かめるように。
(こうか……いや、違う。人差し指は、もっと寝かせる)
何度も、何度も、同じ箇所を繰り返す。
そして、不意に。
キュイン、と弦が泣いた。
ヘッドフォンの中で、JINが降ってきたかのような、あの音。
まだ拙く本物には程遠い。
それでも、俺の指先が、憧れの音色を確かに奏でた。
俺は誰に言うでもなく、アンプの小さな赤いランプを見つめ、静かに笑った。
スティックを握る手とは違う場所に生まれたタコが、誇らしかった。




