空の尺度
「……で? そっちはどうなのよ。今日、何着てんの?」
クローゼットの扉を開け放ったまま、私はスマートフォンのスピーカーをオンにしてベッドに放り投げた。
薄手のコート、厚手のパーカー、まだいけるか、Gジャン。
中途半端な気温の前に、私の選択肢は無駄に渋滞している。
「ん? こっち?」
数瞬の間を置いて、スピーカーから聞こえてきたのは、五百キロ離れた街に住む親友の声。
やけにゴソゴソと服が擦れる音がする。
「ああ、こっちは最悪だよ。朝からどしゃ降り。さっき雷まで鳴ってた」
「うそ、雷?」
「マジマジ。だから今日はもう諦めて、スウェットで引きこもり。さっきから寒くて、もう薄手の毛布出してる」
私は、その言葉を聞いて、思わず窓の外を見た。
こちら、東京。
雲ひとつない、嫌味なくらいの快晴。
ベランダの手すりに止まった鳥が、のどかに鳴いている。
「……あのさあ」
「ん?」
「こっち、快晴。馬鹿みたいに晴れてる」
「あ、そうなの?」
「あなた様の天気情報、何の参考にもならなかったわ。毛布って何よ」
私が呆れてそう言うと、スピーカーの向こうで彼女が「あはは!」と、いつもの豪快な声で笑った。
「いいじゃん、別に!」
「よくないわよ。こっちは真剣に服装悩んでんのに」
「だって、参考にするために電話してきたわけじゃないでしょ?」
その、すべてを見透かしたような言葉に、私はぐっと詰まった。
確かに、天気予報ならアプリを開けばいい。
「……まあ、そうだけど」
「でしょ。こっちが土砂降りでも、そっちが快晴なら、それでいいじゃん。どっちも頑張れ」
本当に何の参考にもならない、無責任なエール。
でも、その声を聞いただけで、クローゼットの前で固まっていた心が、少しだけ軽くなった。
「はいはい。じゃあ、私はGジャンで勝負してくるわ」
「おー、いってら。こっちは毛布で寝てる」
通話を切り、私はハンガーからGジャンを抜き取った。
たとえ外に出て、汗だくになろうと凍えようと、まあ、どうでもいいか。
空は繋がっていなくても、声は届くのだから。




