褪せた桜
体育館の緞帳が、ゆっくりと僕らの三年間を閉じていく。
「仰げば尊し」の残響が、やけに冷たくホールに響いていた。
卒業式。
それは、区切りであり、終わりであり、そして、伝えられなかった言葉が化石になる日だ。
三年B組の教室は、泣き声と笑い声、そして別れを惜しむ声でごった返していた。
僕はその喧騒から逃れるように、窓際の席からぼんやりと中庭を眺めていた。
在校生の見送りの列はもう解散していたが、もしかしたら、と淡い期待を抱いて。
二年生の、あの子。
図書室ですれ違うたびに、心臓が跳ねた。
後輩だと知ってからは、目で追うだけで精一杯だった。
その笑顔を、あと一年早く知っていたら。
そんな意味のない仮定ばかりを繰り返して、結局、一度も話しかけられないまま今日を迎えてしまった。
「よっしゃ、見てろよ!」
背後で、クラスのムードメーカーである佐藤が叫んだ。
第二ボタンを握りしめ、妙に真剣な顔をしている。
「俺、一世一代の告白してくるわ」
「誰にだよ」
「二年の、あの子。ずっと可愛かっただろ。中庭で待ってもらってんだ」
心臓が、冷たい手で掴まれたように痛んだ。
佐藤が教室を飛び出していく。
僕は、吸い寄せられるように窓に身を乗り出した。
三階の教室から、中庭はよく見えた。
いた。
佐藤が、あの子の前に立っている。
僕が焦がれた、彼女だ。
見たくないのに、目が離せない。
佐藤が何かを必死に訴え、第二ボタンを差し出している。
彼女は困ったように微笑み、それから、深々と頭を下げた。
(……だよな)
佐藤は、肩を落として動かない。
僕も、自分までもが振られたような気持になって、窓枠を強く握りしめた。
その時だった。
「おーい、待たせた!」
教室の入り口から、高橋がひょっこりと顔を出した。
三年間、僕の隣の席になることも多かった、ごく普通のクラスメイト。
高橋は僕に「じゃあな」と軽く手を挙げると、自分の鞄を掴んで教室を出ていった。
中庭に、その高橋の姿が現れる。
彼は、呆然と立ち尽くす佐藤の横をすり抜け、当たり前のように彼女の隣に並んだ。
「ごめん、先生に捕まって。帰るか」
「うん」
そう言って、彼女が高橋の学ランの袖を、小さく掴んだ。
高橋は、それが日常であるかのように、彼女の頭をくしゃりと撫でる。
佐藤が、信じられないという顔で二人を見ている。
そして、三階の教室からそれを見ていた僕もまた、息を呑むことしかできなかった。
僕が三年間、ただ遠くから眺めることしかできなかった初恋。
その答えは、ずっと僕の隣の席で、教科書を広げていた男が持っていたのだ。
桜はまだ、蕾すら固かった。
僕の恋が散るには、早すぎるほど寒い日だった。
初恋の日という事で書きました。




