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静寂のオンエア



 リングライトの白い光が、部屋の埃を静かに照らし出している。



 普段なら、この光は僕の戦場への狼煙だ。


ハイテンションな挨拶と共にゲームの世界へ飛び込み、リスナーたちのコメントの弾幕に笑い、叫び、一喜一憂する。


けれど、今日のこの光は、まるで手術台の無影灯のように、僕の心を無機質に暴いているようだった。



「KEN-G」こと僕、健司は、配信用のデスクの前で固まっていた。


高性能なマイクも、カラフルに光るキーボードも、今はただの置物だ。


画面に映っているのは、いつものゲーム画面ではない。


ウェブ会議ツールの、無機質な待機画面。



『株式会社アスカ飲料様とのミーティング』



icsファイルから自動で入力されたその文字列が、やけに重々しく見えた。


大手飲料メーカーからの、いわゆる企業案件。


僕のような中堅のゲーム配信者にとっては、喉から手が出るほど欲しい話のはずだった。



 時間きっかりに、画面に変化が訪れた。


きっちりと七三分けにされた髪、フレームの細い眼鏡の奥で人の良さそうに細められた目。


営業担当の佐藤と名乗る男性が、にこやかな笑顔で頭を下げた。



「KEN-Gさん、本日はお時間をいただきありがとうございます。いつも配信、楽しく拝見しておりますよ! 昨日のホラーゲーム、最高でした」


「あ、ありがとうございます……!」


 思わず背筋が伸びる。


自分のチャンネル名を、スーツを着た人間から聞くのは、どうにも慣れない。


佐藤さんは立て板に水のごとく、今回の企画について説明を始めた。


新発売のエナジードリンクのプロモーション。それを、僕の配信で紹介してほしい、と。



「つきましては、いくつかお願いしたい演出がありまして」


 提示された企画書を見て、僕は言葉を失った。


そこには、僕が普段絶対に口にしないような、決められたセリフの数々が並んでいた。


ゲームの最も盛り上がるシーンで、わざとらしく商品を掲げてみせること。


勝利した際には「このドリンクのおかげです!」と叫ぶこと。



「……あの、これ、全部この通りに?」


「はい。もちろん、KEN-Gさんのキャラクターに合わせて、多少のアレンジは構いませんが、この三つのポイントだけは必ず盛り込んでいただきたく……」


 佐藤さんの笑顔は崩れない。


けれど、その目の奥には「これはビジネスです」という、揺るぎない光が宿っていた。


.comで終わる彼のメールアドレスを思い出す。


それは、僕が住むこの六畳一間の世界とは、全く違う論理で動いている世界の記号だった。



 僕の視線が、モニターの隅に映り込んだ自分の部屋の背景を彷徨う。


壁に貼られた、リスナーが描いてくれた僕のイラスト。


棚の上にちょこんと置かれた、イベントでファンから手渡された小さなマスコット。



 僕は、彼らの「面白い」という気持ちだけで、ここまでやってきた。


ゲームが下手だと笑われ、トークが滑るといじられ、それでも見続けてくれる人たちがいたから、この部屋は僕の城になった。



 決められたセリフを、感情を殺して読み上げる僕を、彼らは見たいだろうか。


勝利の雄叫びが、お金のために用意されたものだと知ったら、どう思うだろうか。



 佐藤さんの声が、遠くに聞こえる。


「……今回の件、前向きにご検討いただければ、今後の継続的なお付き合いも視野に入れておりまして……」


 それは、とても甘い響きを持った言葉だった。


この案件を受ければ、家賃の心配も、機材の新調も、ずっと楽になる。


配信者としての「成功」に、間違いなく近づける。



 でも。



 僕は、ゆっくりと息を吸った。


モニターの向こうのビジネスマンではなく、いつも僕の配信を見てくれている、顔も知らない誰かのことを思い浮かべる。



「佐藤さん。大変申し訳ありません」


 僕は、はっきりと、自分の言葉で話し始めた。



「このお話は、僕にはお受けできそうにありません。僕の配信は、僕が本当に面白いと思ったこと、楽しいと感じた瞬間を、みんなと共有する場所なんです。この台本を読んだら、それはもう、僕の配信じゃなくなってしまう」


 一瞬、佐藤さんの笑顔が凍りついたのが分かった。


しかし、彼はすぐにプロの表情を取り戻し、「……そうですか。承知いたしました。我々の力不足で申し訳ありません」と、静かに言った。



 ミーティングが終わり、画面が元のデスクトップに戻る。


ふっと部屋の空気が軽くなった気がした。


大きな魚を逃したのかもしれない。


馬鹿な選択だったと、明日になったら後悔するのかもしれない。



 それでも。



 僕はリングライトの電源を入れ直し、配信ソフトを立ち上げた。


カメラの前に座り、いつものようにマイクのスイッチを入れる。



「おっす、おまえらー! 今日も元気にやってくぜ!」


 コメント欄が、待ってましたとばかりに、ものすごい速さで流れ始める。


その温かい光の奔流を見ながら、僕は確信していた。



 僕の居場所は、企業の会議室じゃない。


この、ごちゃごちゃした自宅の片隅。モニターの向こうにいるみんなと繋がる、この場所こそが、僕の全てなのだと。



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