56.契約の行方
エリアスは数日スペルサッティンで過ごした後に、話をしに行くためセレスタイト領へ旅立った。
(そろそろ、また来てくれる頃なのだが……)
ユリウスに移譲された爵位や、ミルシュカを妻にするという契約は……どうなるのだろうか。
セレスタイト伯爵家の意向次第で時間がかかったり、障害が出たりするかもしれない。
でも、どんな障害があろうと、ミルシュカはエリアスと結ばれる気だ。
「領主様ー! こっちのゴミ燃やしてくださーい」
「うん? ああ! 今やる、もっと離れて! ……爆炎!!」
声のかかったほうへ紅の玉を投げ、破裂を抑え収束するように燃やしきる。
農作業で出た枝葉や藁屑が、見事に燃え滓になった。
「ばくえんだぁーかっけー! ばくえぇぇぇん!」
手伝いの子どもたちは、農地を行き来してはしゃいでいる。
のどかだ。この光景のために苦労してよかったと思う。
「領主様、エリアス様は次いつくるんですか? エリアス様が領主様のいい人なんでしょ?」
最近、領地の女の子たちの最話題といったら……ほぼエリアスだった。
仕方ないとも思う、その登場の経緯も彼自身の美貌も、話題性は抜群だから。
「めっちゃカッコいいよね!」
「領主様の言うかっこいいって、惚れた欲目の割り増しだとおもってたのに!」
「すんっごい美形だよね! はやくまた見たいなあ」
たしかにエリアスはかっこいいだろう、と誇りに思う気持ちもあるが……女の子たちにエリアスが持ち上げられていると、今は少しもやもやした。
(昔は、エリアスが社交界で令嬢に騒がれていても、なにも思わなかったのに。こんな子どもたちが騒いでいる程度で……これって嫉妬か?)
「あー、いいなあ領主様。わたしも大きくなったら、見世物小屋の踊り子になってエリアス様みたいなステキな人に見つけてもらうんだ」
女の子の夢見るような発言に、ミルシュカは仰天した。
「──なんだあ、それはっ! どうしてそうなるんだ!? だめだぞ、そんなの!!」
「あれぇ? 領主様たちの馴れ初めはそうだったって、エリアス様が話していたってみんなが……」
ミルシュカは激しく左右に首を振って否定した。
「ちがうから! エリアスとの馴れ初めは、王城で与えられた魔物の討伐任務!! 訂正しておいてくれよ!」
「ええ……? あ! 領主様。馬だ! エリアス様が乗ってる!」
土手の上に騎乗したエリアスが見える。彼は気さくにミルシュカへ手を振っていた。
よりによって、踊り子時の再会というデリケートな話を、領内にばら撒いておいて、なんて呑気なのだろう。
「エリアス! ちょっと話がある!」
叫んで、足を踏み鳴らし、ミルシュカはエリアスの元へと歩く。
ミルシュカの威勢にエリアスは戸惑っていたが、彼の馬に跨り、二人乗りして怒る。
「エリアス! 私の領民にどういう話をしたんだ!? 特に、踊り子姿でお前と再会したあたり! あれが私とお前の馴れ初めということになって広まっているようだぞ! 女の子に至っては踊り子を目指すとか、教育に悪い!」
久しぶりのエリアスは、片眉を上げたくらいで、悪いと感じていないようだった。
「しかし……お前と距離が縮まったきっかけといったらそこだろう? 『踊り子に身を落とし、モスコミュールに買われ、その欲望に満ちた魔の手に落ちる寸前だったミルシュカを、颯爽と現れた俺が救った』くだりだ、そこを語った時は老若男女、それは盛り上がってくれた」
「ちょっとまてええええ! な、なんだそれは。お前のことが美化されすぎてないか!?」
エリアスは首を傾げる。
「美化とはなんだ? 事実だろう」
「ええ!? まさか……お前は本気でそういう認識なのか!?」
それは都合が良すぎないか、まるっきり美談である。
ミルシュカが身を引いて距離をとれば、エリアスが堂々と訊いてくる。
「ではお前はどういう認識なんだ、言ってみろ」
「『踊り子に身を落とし、モスコミュール殿に買われたところ、交代で現れたセレスタイト卿の、欲望に満ちた魔の手に落ちた』だ」
ミルシュカの応答に、余裕たっぷりだったエリアスが肩を落とす。
「…………それこそなんだ……まるで俺よりもモスコミュールに買われたままのほうが、良かったような口ぶりではないか」
「……あのときは、実際そう思って絶望してたんだ。セレスタイト卿と夜を過ごすなんて最悪だ! と」
言い過ぎだとは思うが、当時の心情を素直に話せば、エリアスが怒りを見せる。
「聞き捨てならないぞ! ミルシュカ。モスコミュールがお前にどんな事をしようとしたかわかっていないだろう! 踊りながら服を一枚一枚脱げとか考えるような奴なんだぞ。絶対そのあとも卑猥なおこないをされていたに違いないからな!」
ミルシュカは一息ついてエリアスに指摘してやる。
「あのな、お前だって私に脱ぎながら舞わせたし、そのあと卑猥な行為をしたじゃないか」
「……っ! それは!! お前が、俺もそういう踊りが見たいのだろうと煽るから。あれで舞わせる以外あるか! もしモスコミュールだったら凄まじく卑猥な目にあっていたと言っているのだ! お前は……男の欲望を知らなすぎる。……とにかく、モスコミュールの方がマシだったは撤回しろ、奴なら絶対に領地奪還など手伝わないぞ」
凄まじく卑猥、や男の欲望うんぬん、は「エリアスも大差ないのでは?」と思いつつ、ミルシュカも懐かしい日々を思い出してうなずく。
「そうだな、やはりお前でなければならなかったな」
背もたれにするように、馬上でミルシュカがエリアスにもたれかかれば、彼はその体で受け止めてくれる。
「当然だ。俺が、お前関係でどれだけ堕落したと思っている。傷害事件を起こしてしまうし、王城は出禁になり、酒と遊興に溺れ、踊り子を買い、呪われて石化し、ついには弟に爵位を移されて。もしもセレスタイトが一国であったなら、お前は稀代の傾国の女だ」
これには、口が開けっぱなしになるほど衝撃を受けた。
「ほんとだ……。それにエリアス、爵位……ユリウスが領主のままか?」
「ああ」
「弟に爵位を奪われたことになってしまう……本当にすまないっ、貴族としては大恥だ……」
エリアスはなんてことないと首を横に振った。
「勘違いするな、俺に戻すという話もあった。だが、俺のいない間ユリウスはよく領地を運営していた。近年の情勢を知らん俺が戻ってやるより、あいつのままの方がいい。俺からも希望して爵位を蹴ったんだ」
「そんなっ、エリアスなんてことを……」
胸ぐらに掴みかかりそうな勢いのミルシュカに、エリアスは優く息をつく。
「少し話すことがある、……そこの木にでも馬を停めよう」
手綱を引いて、高台の木陰に寄って馬から降りた。
木漏れ日の中、二人でスペルサッティンの野原を見下ろす。
「そんなわけで、俺はもう伯爵ではなくなった。だから……」
エリアスは懐から一枚の紙を取り出した。
よく見覚えがある、茶色くなった血判の押された紙。
エリアスがそれを勢いよく引き裂いた。
「……あっ……」
破れた紙片が舞う。
「契約は破棄だ。お前を『セレスタイト伯爵の妻』にはできない」
ミルシュカは戸惑う。それでは、自分とエリアスの間柄はどうなる?
不安に顔を曇らせたミルシュカを、エリアスがのぞきこむ。
「まさかとは思うが、俺の愛を疑っているのではないだろうな? 絶対解呪までして証明したはずだが」
「……誰よりも何よりも……愛してくれている」
胸を張ったエリアスが、力強い声で、はっきりと告げる。
「そうだ、お前ほど愛する者はない。だから、契約など関係なく、俺と結婚してくれミルシュカ」
胸の中に紅蓮が広がる、熱く焦がれる、永遠に消えない灯火。
これまでの、彼とのスペルサッティンを取り戻す道のり、石化した彼の復活を待ち望んだ日々。
それらの行き着いた先がここにある。
「もちろん、エリアスと結婚する」
結婚を承諾してうなずきながら、二人の結婚について不安に思っていた事を確認せずにいられない。
「でも……私はスペルサッティンの辺境伯なんだ、その私と結婚するということはお前は……?」
「そうだな。俺のほうがスペルサッティン辺境伯の家に入らなければな」
「いいのか!? あんなに田舎だと言っていたし、嫌いあっていたスペルサッティン辺境伯の家に入って夫君扱いでも!?」
エリアスにしては珍しく、屈託なく明るい笑顔を向けてきた。
なんの未練も後悔もない、心から思ってくれているとわかる。
「いい。それならスペルサッティンで、ずっとお前のそばにいられる」
エリアスがミルシュカの手の甲に優雅な仕草で口付けた。
そしてミルシュカに一言をくれる。
「お前のそばで生きていけるなら、嫌いあっていた辺境伯の花婿でも構わない」
長い物語りをお読みいただき、ありがとうございます。
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