55.スペルサッティンで
スペルサッティンにやってきた白の解呪士は、エリアスの手に触れ、集中しはじめた。
ミルシュカは静かに見守っていたが、あまりに時間がかかるので、本当に成功するのかと不安になってきた。
ようやく……というところで、白の解呪士が呪文を唱え、二人の体が眩い光に包まれた。
輪郭さえ見えなくなる白い光が収まって、室内に色彩が戻ってくる。
エリアスも。
灰色の石像は、榛色の髪と、アイスブルーの瞳を持った生きた青年に戻った。
「エリアスっ! エリアスエリアス!!」
ミルシュカは勢いよくエリアスに飛びついて、首に腕を絡め、その感触を確かめる。
柔らかな髪、心落ち着かせる匂い、なめらかな肌の温かさ。
すべて記憶に違わない、ミルシュカのかけがえない人。
エリアスもミルシュカの背に手を回し、抱き締めてくれる。
「ミルシュカ、よく頑張ってくれた。……ありがとう、俺との未来を諦めずにいてくれて」
「エリアスっ! 馬鹿っ、全部自分でひっかぶって、そのうえ私に置いていかせるなんて! ひどかったんだからな! どれだけお前に泣かされたか! この女泣かせ!」
腕にぎゅうぎゅうと力を込めて、流れる涙をエリアスの服に擦り付ける。
「全部うまく片付けて、探し出してくれたんだな。……どのぐらいかかった?」
「一年と、ちょっとだ! 寂しかったんだからな! 耐えきれなくなりそうなことも何回もあって、なのにお前はカチコチで! この冷徹石像男! 万年灰色朴念仁!」
「……仕方がなかっただろう。俺はいくらお前と一緒でも、あれで終わってしまいたくなかったんだ。お前を信じて、未来が続く方に賭けたかった」
「だから頑張ったんだ! 叶えた! もうお前、一生私に頭が上がらないんだから!」
「ああ、いいよ。それでもいい」
頬に当たるエリアスの唇の柔らかさに胸を熱くして、ミルシュカは二人を見守る白の解呪士に目をやった。
白の解呪士が控えめに、ミルシュカへ微笑んでくれている。
「ありがとう、感謝してもしきれない」
「……お二人に感情移入してたから、この光景が見られて満足です。……無事ハッピーエンドですね。手にした幸せを、大切にし続けてください」
ミルシュカは、エリアスを抱く力を強めてうなずいた。
「もちろん。これは私の幸せだから、絶対に手放してなるものか」
◇◇
慌ただしい午後を過ごした。
白の解呪士に手厚く謝礼をして送り出し、協力してくれた人たちにエリアス復活の報せを送った。
スペルサッティン辺境伯邸の使用人たちは、突如現れた美しい青年に仰天していた。
ミルシュカが、結婚相手だと紹介すれば、大騒ぎになったが、みんな祝福してくれた。
そして、夜になってやっとエリアスと二人きり、自室に落ち着けた。
スペルサッティン自慢の一つに夜空の美しさがある。
窓辺に立つエリアスは、きっと星空の壮大さに感動していることだろう。
ベッドの端にかけ、髪に櫛を通すミルシュカに、エリアスがしみじみと声をかける。
「ここがお前の部屋なのだな」
「え、ああ。そうだ。それが?」
「散々お前に自室を見られて滞在されたが、俺は、お前の部屋に来るのは初めてなんだ。浮かれる」
「部屋だけで?」
「お前の内側に入れてもらった感じがする。心許されていると思える」
急に近づいたエリアスが、アイスブルーの瞳で見つめてくる。
ミルシュカは久しぶりなのと、ここ長く恋しさを募らせていたせいで、初めて触れるみたいに緊張してしまった。
「……あ、エリアス……」
唇が重なり、音を立てて口付けを交わしあう。
ドサリとベッドの上にもつれ込めば、エリアスの感触に惚けかけ、はっとして彼を制した。
「待ってくれ、エリアス……だめだ」
「……なぜだ? ……寂しかっただろう? 俺だって、石になっている間、記憶を振り返ってはお前が恋しくなっていた。ちゃんと、埋め合いたい」
首筋に何度もキスをしてくるエリアスの頭を、ミルシュカは必死で押し返す。
「だって、ここには無いんだ……お前はずっと石だったから必要がなかったし。手に入れ方もわからなかったから」
「……何を手に入れられなかったというんだ?」
問われて、ミルシュカは恥じらいながら答える。
「アレ……あの星形の、甘酸っぱいやつ」
きょとん、とミルシュカの前で瞬くエリアスに、彼女は続ける。
「その、するなら飲まなきゃだろ。マナー、なんだろ」
エリアスが強い視線をよこす。
「そんなことか、必要ない」
「え、だって、飲むものじゃないのか! いつも飲ませ合ってきたじゃないか」
「だから、アレがなにか忘れたのか? 避妊薬なんだぞ?」
「う、うん?」
首を捻るミルシュカに、エリアスはお構いなしと鎖骨のあたりに齧りつく。
「もう必要ない。ぜんぶ終わったんだから。使う理由がなくなっただろ。むしろ、俺が石になってる間一年も無駄にした」
「え、え?」
「だから、もういいだろう。いつ身重になっても。お前は後継の必要な身なのだから」
エリアスは目を細め、とろけるように微笑む。
「いいから黙って俺の子を宿せ」
顔が熱い。スペルサッティンの見事な紅葉も霞むほど、緋に染まっているだろう。
それでも、ミルシュカは戻ってきた最愛の人に、うなずき返す。
固く抱き合い、温かさと、色合い、触り心地すべてで、ミルシュカはエリアスが戻ってきた実感と喜びを噛み締めた。
エリアスは一晩中ミルシュカを徹底的に甘やかし、寂しかった一年間を埋め合わせてくれたのだった。




