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54.追憶の伯爵5

 スペルサッティンで出会った大剣士が、稽古の手を休め、切り株へ腰を下ろした。


「さて、ミルシュカはおらんことじゃし、稽古の前に一つ話をしておくかの」


 ラドスラフがしたいのは、前日に遮った話の続きだろう。


「……絶対解呪ですね」


「知った上で、条件を満たしとると豪語したな?」


「……誰よりも、何よりも」


「さよう。使うことができるんか? お主それほどまでにミルシュカを……」


 迷いなく断言する。


「愛しています」


 ラドスラフはエリアスに凄む。


「ミルシュカに言わんのはなぜじゃ? まさか、決心がついたらやる気なんか?」


「可能性を残しておくためです。今のまま絶対解呪を使うと俺は死ぬ。回復のあてもなく命を捧げることはしません。ミルシュカが、俺と離れたくないと言ってくれるから」


 今なら、ミルシュカも絶対解呪は望まないだろう。


「俺も、あいつと一緒に生きていきたい! 二人でずっと一緒にいて幸せに暮らしていきたいんです。それが叶うなら……あいつの呪いのあるなしはどうでもいい」


 安心したように息を吐いて、ラドスラフは立ち上がった。

 稽古に入ってくれるらしい。


「うむ、お前たちの望みは見とればわかるわ。じゃから、何があっても使うて欲しくないのう」


 昼にラドスラフと解呪について話したせいだろうか。それとも自分は剣で劣ることを痛感したせいか。

 ふと弱気が顔を出した。

 砦に行って彼女を守り切れるのか、自信がない。

 ずっと、揺らいで考えていたことをミルシュカに打ち明けてしまった。


 爵位も責任も捨てて、二人で生きていくために逃げる道があると。


 がむしゃらに領地のため立場を奪還しようとしているミルシュカが、墜落していく父の姿と重なって思えた。

 無理をするくらいなら逃げてくれと、引き止めたくなったのだ。


 結局、弱音でしかなかった。

 沈む陽を受けながら、ミルシュカは燦然と輝き、繋いだ手でエリアスを立ち直らせる。

 かつて命を助けてくれた夕暮れも、今日も、いつだってそうだ。


(お前が、決戦を望むなら……俺も全力で戦って未来を掴み取る。お前と一緒に生きていけるように)


 そして、立ち向かった先で、エリアスは決意していたことのほとんどを果たした。

 ミルシュカにさせず、自分が白の女を葬れた。

 それが油断に繋がったのかもしれない。

 最後の最後で、こんな事態に陥るとは。


 白い焔が腕の中のミルシュカを照らす。

 あのドームの天井付近にある紋様、あれを吹き飛ばせれば助かると言うのに。


(飛んで、飛行の魔力で包んだ剣をぶつけるか? ……だめだろうな、たぶん飛んでいくらもしないうちに俺は石になる)


 ミルシュカを飛ばしても、魔力がなければ白炎の壁を破れない。


(魔力を取り戻したミルシュカが飛べば?)


 絶対解呪を使えば命はない。それでも彼女を解呪して、飛んで上部付近へ運ぶか?


 ふと、石化の呪いのことが頭をよぎった。


 ニーヴィアはこの白炎の術の立ち上がり前に、飛んで逃げられないようにとかけた呪いなのだろうが、胸を突いて解呪をおこない死ぬ前に、石化すれば。

 うまくすれば、呪いを逆手に取れる。


(俺たち二人が、一緒にいる未来にたどり着けるかもしれない)


 進ませた先で、ミルシュカが白の解呪士を見つけてくれるなら。


 白の解呪士に、石化を解くと同時、傷も癒してもらう。

 白の一族らしきニーヴィアがいたのだ、白の解呪士だってまだいるかもしれない。


 なにもかもミルシュカ任せにすることに、申し訳なさがある。

 でも、エリアスは終わりではなく未来を見たかった。

 胸を突いてその後すぐ石化するエリアスに、ミルシュカはさぞ動揺することだろう。

 説明しすぎると止められるから。最低限だけ話して、「動揺するな、やり抜け」と言い含め。


 エリアスは愛するミルシュカに、未来を賭けることにした。


 絶対解呪を使うことができた。

 エリアスのミルシュカへの愛は証明された。


 目を凝らして看破を切っても、ミルシュカは鮮やかに赤い。

 胸の激痛と、力の抜ける体に耐えて、練った魔力で彼女を飛ばす。


 飛翔する彼女がエリアスの石化に顔を歪め──それでも進路を向いてくれた。

 それを見届けて、エリアスから、すべての外部からの感覚が消えた。




 ──ここまでだ。俺にはここから先の時間がない。石と化してしまったから。


 これまで数度あった意識の浮上は、常にここで途切れてきた。

 追憶は終わった。

 この意識はまた闇の中に還されていくのだろう。


 ──ミルシュカ……。


(彼女はどうなったのだろう? 俺がそれを知る日はくるのだろうか)


「セレスタイト卿?」


 今回の追憶の終わりはイレギュラーだった。


 前方から真っ白に輝くミルシュカの姿をしたものが歩いてくる。


 姿だけだ。

 表情や仕草、口ぶりが彼女ではない。

 だからエリアスは問う。


「お前は、なんだ? なぜミルシュカの姿をしている?」


 白い幻影は虚をつかれた顔をしたあと、くすり、と笑う。


「わたしがミルシュカに見えるのですか? ……彼女と感応した後だから……痕跡を感じ取っているのかしら。すごくミルシュカが好きなのですね」


「ミルシュカのなにかを知っているのか!? 彼女は? その後はどうなった!? 教えてくれ!」


 何をおいてもミルシュカのことが知りたい。

 飛びかかりそうな勢いのエリアスに、白いそれは肩をすくめた。


「いやですよ、そういうのは自分の目で確かめるものです」


「おい、それができるものならだな……」


 歯噛みするエリアスを意に介さず、それは言う。


「さ、セレスタイト卿、わたしが(たす)けますから、追憶からお目覚めなさい。そして本当のミルシュカに会って。彼女はとてもよく頑張ったのですから、褒めてあげてくださいね」


「たすける……? それではお前は、まさか白の──」


 真っ白なミルシュカの姿をした者は、エリアスの手を取る。

 そして、暗黒の世界に鈴のような声を響かせた。


「──ゾイ・マギア。還元する生、際限なき祈り、冷厳な運命の拒み手」


 はるか先に現れた、針の先ほど小さい白い光。

 それに恐ろしい速度でぐんぐん近づく。

 加速の果てに、エリアスは白い光の中へ行き着いた。


 エリアスがなにより愛する、ミルシュカの声がする。

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