53.追憶の伯爵4
ユリウスと顔を合わせ、「ミルシュカを譲ってくれ」と頼まれるのが怖かった。
だから、セレスタイト家を避け、帰らなかった。
必要な仕事は外で済ませ、私的時間も解呪士の居所を特定するのに費やす。
眠りもせず、ほうぼうを調べあげ、二日。
ようやく使いが有益な情報を持ってきた。
(これでミルシュカを解呪できるかもしれない)
時間が冷静さを取り戻してくれた。
ミルシュカとのやりとりを最低限に抑え、解呪のことだけ考える。
ずるい男でいい。
ミルシュカを辺境伯に戻せれば、自分が彼女の夫になれる。
それが、契約の条件だから。
ところが、期待をかけた解呪は空振りに終わった。
ただ、まったくの無駄でもなかった。解呪士は代金分は仕事をしようと、エリアスに絶対解呪を伝えたのだ。
絶対解呪──どんな呪いをも解く理論を超えた解呪魔法。
条件さえ満たせば誰でも実行可能である、その魔法に必要なのは、愛と犠牲。
誰よりも何よりも、対象を愛していること。
胸の奥深くから流れ出る血をかけること。
愛ならば問題ない。
エリアスはそれだけ深くミルシュカを愛している自信があった。
だが、解呪のために胸から血を流せば命はない。
現代の回復魔法では、胸を深く傷つけた人間は助からない。
もしもミルシュカの呪いが、命を脅かすものであったなら。
迷うことなく命を捧げ絶対解呪をおこなっただろう。
けれど、魔力と辺境伯の姿を取り戻してやるためだけに命を捧げる決断は下せない。
即座に傷を癒せる回復士でもいれば、絶対解呪も使えたのに。
ミルシュカの話に上の空なうちに、セレスタイト伯爵邸に着いてしまった。
エリアスはまた外に出るつもりだった。
ユリウスと顔を合わせたくない。
なのに、待ち構えていたのだろう、玄関ホールでユリウスに捕まってしまった。
「話があります、兄上」
重い足取りでユリウスの私室に来たエリアスに、彼は切り出した。
「兄上、『ミルをください』と言ったこと、まだ気に病んでフラフラしているのですか?」
「……っ。お前はそんなにもあいつが欲しいのか」
「欲しかったですよ。でもすぐに振られました。役者不足だ、兄上でないとだめだと、言われてしまいました」
「……なっ、彼女が、そんなこと……っ」
思わず口に手を当て、うつむいてしまった。
失敗した。これまで完璧な兄として、動揺など弟に見せたことがなかったのに。やってしまった。
ユリウスが驚いたように目を見開く。
「なるほど、兄上は女性を完全に掌握できる方と思えば違ったのですね。ここぞという女にからっきしとは」
「おいユリウス」
「兄上、ちゃんと戻ってミルと向きあって下さい。言葉でも伝えるべきです。でなければ俺も黙っていません。俺に目移りするよう仕向けてしまいますよ」
エリアスは弟に背を向け、扉に手をかけた。
「言う……彼女にきっと言うから。お前には、渡せない」
ユリウスの反応を確かめず扉を閉め、エリアスは自室に戻った。
ミルシュカが話に誘ってくるが、直視できない。
まだ言葉がうまく出てこない。
頼むから黙っていてくれと、抱きしめてベッドに横になれば、二日間の寝不足がたたって、想いを伝える前に眠ってしまった。
ユリウスからあんなことを聞いたせいだ。
遠出先でミルシュカの表情がますます美しく見える。
この時も、木漏れ日の中で柔らかく微笑む彼女は、新雪か、積もった花びらのようにふわっとしていて、頬をほのかに赤く染め、生き生きとしていた。
(ユリウスの勘違いではないか? 本当にミルシュカは『俺でなければだめだ』などと啖呵を切ってくれたのだろうか?)
もういいのだろうか。
報われることができるだろうか。
新たに得た情報は不穏さを増している。
事態がここまで大きくなって、自分はちゃんとミルシュカを辺境伯に戻してやれるだろうか。
不安ばかり募る中、ミルシュカはどこで拾ってきたのか、エリアスが伏せていたスペルサッティンでの醜聞を手にしていた。
「お前、私のこと一体どう思っているんだ」
ミルシュカに訊ねられてしまった。
(この後に及んで鈍感にすぎる)
だめだ。
思い知らせねば、きっと伝わらない。
戸惑われるかもしれないが、もう拒絶はされないだろう。
エリアスは思いの丈をミルシュカにぶつけた。
「……エリアスっ……エリアス!」
ミルシュカが名を呼んでくれる。愛していると、言ってくれる。
多幸感に包まれて、ミルシュカと愛を重ねあう。
彼女に求められる。いくらでも与えられる。
心がしっかり結ばれている、それを感じることの甘美さ。
恋の成就はエリアスに至福と、一つの強い願いをもたらした。
(ミルシュカと、二人で一緒に生きていきたい。彼女のそばで、ずっと)
幸せだけで満たされた時間は短かった。
薄々感じていた黒い影はついにすぐ後ろへと迫っていた。
飛行型使い魔の活発な動き、戦場への召集。
離れたくない。
そうエリアスにすがりつくミルシュカの想いが嬉しい。
一方で、いくら連れていけと頼まれても、爆炎のない彼女を戦に連れていく気になれなかった。
ミルシュカの剣技はエリアスより優れている。
しかし魔法剣士として、爆炎ありきの戦い方をしてきたのだから。
魔法が使えないことは必ず隙になる。
(俺は……次、ミルシュカを失ったら、もう耐えられない)
別離の不安を触れ合いで紛らわした。
寝ついたミルシュカを見つめ、ひたすら考え……スペルサッティン行きを提案する。
いろいろなものが流れ着いていったその場所に、現状の打開を求めて。




