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51.追憶の伯爵2

 他の男と幸せに歩み出した女のことは、忘れなければ。

 故郷に帰ったミルシュカの幸せを祈り、職務に没頭した。


 しかし、そんなエリアスのもとに届いた報せ。


 ミルシュカの訃報。


 ──嘘だ!? ミルシュカが? 信じられない!


 馬をとばし、なんとかミルシュカの葬儀に間に合った。

 あの中にミルシュカが収まっているなんて……墓穴で土をかけられていく棺桶を呆然と眺め。

 理不尽な運命への怒りが頂点に達し。


 気がつけば、勢いにまかせレイモンドへ詰め寄り、彼を糾弾していた。


「ミルシュカが、夜盗なんかに遅れをとるなんて信じられない! お前は彼女の夫だろう! 一体何をしていた!」


「せ、セレスタイト伯爵!? え? 貴方はミルシュカと……なにか?」


「うるさいっ! なにもなければ悪いか! なぜお前が守り切らなかった!」


「え、いや、僕はすぐに気絶して倒れていたので。きっとミルシュカは抵抗が激しかったため殺されたのでしょう……」


 『ミルシュカの夫』を責める気持ちが抑えられない。


(お前は! 彼女にとって最高の男になるとまで、言ってもらっていたくせに!)


「こんな結末を迎えるくらいなら! お前なんかと一緒になる前に、俺が攫ってしまえばよかった!!」


 どこかに閉じ込め、無理やり自分のものにしてしまうのだった。死なせてしまうくらいなら。


(ミルシュカを守りきれなかった男なんて、許せない!!)


「あの、セレスタイト伯爵落ち着いて……ぐわっ!?」


 レイモンドはガタイばかり立派で、殴ってみたところで反動も少なかった。


「この見せかけだけのハリボテ男め」


「……っ急になんてことを!? おいっ、伯爵をつまみ出せ! この男……狂ってる」


 殴られたレイモンドはこの一件を広めた。エリアスはまともではないと吹聴され、貴族仲間からの敬意を失うことになる。


 しかし、エリアスはミルシュカが命を失った詳細を知りたいと情報を求め続けた。

 そして調べるにつれ、事件に疑問を持つようになったのだ。


「……国王、やはりスペルサッティン辺境伯の殺害事件には不審な点が多い。辺境伯の夫君や事件の経緯について、第三者視点での再調査を行うべきです」


 エリアスは再三に渡って要求したことを、さらに繰り返す。

 国王は辟易した様子だった。


「セレスタイト伯爵……だから、その件はスペルサッティンではもう完結しているんだ。強引にその話題ばかりねじ込んでくるな」


「……っ、しかし……」


「もういい! お前は妄執に取り憑かれている!! しばらく顔を見せるな。お前から謁見申請の権利を取り上げる。自領で頭を冷やせ!」


 こうして、エリアスは王からの信頼を損ない、王城へ出入りする権利もなくした。


 告げなかった気持ちは行き場を失ったくせに、胸の中で渦巻き続け。

 ミルシュカを求める激情はエリアスの心を蝕んだ。


 あんなにも愛した女に、何も伝えられなかった。何もしてやれなかった。


 自分は彼女の中に何も残れぬまま、彼女は逝ってしまった。

 全て、手遅れになって取り返しもつかない。


「伯爵様? 現実で癒せない傷なら、お酒と夢で忘れちゃいましょ?」


 場末の酒場で提案された通りにしてみれば、エリアスはミルシュカの幻影を見ることができた。


「……ミルシュカ、会いたかった。もうずっと、お前の姿を見たくて、もう一度話したくて。……好きだ、ミルシュカ! 俺は……お前に伝えたかったことが多すぎるんだ……」


「……本当、そのミルシュカさんは伯爵様の運命の人だったのね……」


 以後はミルシュカの幻を見るためだけに、酒で正気を手放し女を引っ掛けた。

 夢から醒めればミルシュカではないことに失望し、ますます幻を追い求めるようになった。


 それが、放蕩のはじまりだった。


「今日は酒の回りが悪いんだ、俺に目新しいものを見せろ! 金でも権益でも融通してくれる、もっともっと! 現実を眩ませるような余興を!」


 道楽者を案内役にして、悪所を渡り歩いてまた酒を飲む。

 苦しくて、命を手放したかったができなかった。

 エリアスがミルシュカにしてもらえた唯一の意味あること。


 命を救ってもらった。


 だから、自分から命を捨てられない。なんとも皮肉がきいている。


(だれか俺を殺してくれ!! ミルシュカのところに逝かせてくれっ!)


 エリアスは命を引きずるように生きていた。





 そしてついに、あの日が来る。


「はっ……? ミルシュカ!? ……まだ酔いはそこまで回ってないのに。なぜ……あんなところに!?」


 見間違いかと思った。

 地獄に現れた夜明け。


 生きて、動く、ミルシュカがいる。


 騙されでもしているのか、自分は見たいものを魔法で見せられているだけではないのか? 


 しかし生来持っている看破の力は、魔法の目くらましなど破る。

 ならば、この目に映る彼女は、ミルシュカでしかありえない。


 見事な剣舞は、宮廷剣術の身のこなしがそこかしこにある。

 ミルシュカが剣舞を踊ったとすれば、まさに戦場で駆け、敵を切り捨てた剣技をこのように流用して舞うことだろう。


「セレスタイト伯爵……あの伯爵? お気に召していただけましたか?」


 エリアスを遊興に誘った豪商がまくし立てる。


「そんなに舞台に夢中になって。あの踊り子、どうにも地味で容姿に華はないですが、あの身体と剣舞の色気はなかなかでしょう。実は私、今夜あの踊り子を買い取っておりまして、楽しむ予定なのですよ」


 エリアスは片眉を上げた。


「どこが地味なんだ!? あんな鮮やかな赤毛はそうない」


 豪商はエリアスの言葉に目を疑ったようだ。


「あの……? 剣舞の踊り子なら、くすんだ茶色の髪ですが?」


 見えているものの食い違いに、エリアスは己の『看破』を切る。

 目を凝らし常時発動の『看破』の視界を切り替えて、余人の見るまやかし見られるようにした。

 『看破』なしで見た踊り子は、豪商の言う通りくすんだ茶髪で、目立たない踊り子だった。


(いったい、何が起こってこうなった)


 死んだと聞かされ、葬儀に出た女が。生きていたばかりか、目くらましの魔法をかけられて踊り子に身をやつしている? 

 ただならぬ事情がありそうだ。


 それに、見えているものの食い違いが気にかかって後回しにしたが、聞き捨てならない点がもう一つある。


「あの踊り子を買ったのか?」


「え!? はい。この一座も落ち目ですからな、金を出せば叶うと言うので……」


「融通しろ」


「は?」


「楽しみにしているお前には悪いが、俺が買い取る。言い値でいい。希望していた品の独占権もつけよう。今夜は俺が楽しませてもらう」


 おもちゃを取り上げられることになった豪商だが、商売の利権は欲しさに、あっさりエリアスに譲った。


 エリアスは座長にも話をつけ、今夜だけでなく踊り子の所有権を買い上げた。

 何の障害もなく、手に入ったことに拍子抜けする。


 かつて、いくら足掻いても手すら触れられなかったのに──その身柄だけでも、わずかな金と交渉だけでエリアスのものになった……?


 どす黒い征服欲と、満足感が足元から這い上がる。

 権力を持たぬ者の身とは、なんと容易くやり取りできるものなのか。

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