49.私の物語は
パープルの光と煙に満たされた空間で、赤の女──ミルシュカの手を握っていた白の解呪士は、前触れもなく手を開き、ミルシュカを解放する。
「なるほど、貴女が求めるのは貴女を解呪した傷を負い、石化したセレスタイト卿の復活ですね?」
ミルシュカは一驚し、この短時間で自分の経験が見えたのかと感心していた。
「そうだ、エリアスを助けてほしい。私の物語というのはどうだった? 対価になるか?」
白の解呪士から嘆息が漏れる。
「まったく、なんてこと。対価にならない。これでは足りません」
ミルシュカの顔が途端に曇る。
「そんな……」
白の解呪士はもたれたクッションから身を起こすと立ち上がり、ミルシュカを通り過ぎて、出口に向かう。
会話中の退席に、訝しんで振り返るミルシュカを、白の解呪士はせかす。
「何を突っ立っているのですか? ミルシュカ。スペルサッティンに行きますよ。セレスタイト卿を元に戻したいのでしょう?」
「いいのか!? 対価たりえない物語でも?」
白の解呪士の顔が、親しみある笑みになる。
「足らないから行くのです。この物語、ちゃんと区切りがついていないではないですか。わたしはハッピーエンド主義なのです。セレスタイト卿が戻らないことにはこの物語はハッピーエンドになり得ない。だから、行きますよ。ハッピーエンドは貴女からではなく、この目で拝見させていただくことで、良しといたしましょう」
「……恩に着る。待たせた馬車に伝えてくるから続いて来てくれ」
ミルシュカは颯爽と天幕の外へ出ていった。
その背を見送る白の解呪士の表情は優しい。
古くからの親友に対するような、もっと近しい者を見守るような。
一人きりになったはずの天幕で、物陰から染み出るように黒い人影が出てきた。
「族長、本気で究極解呪を行ってやるのですか? ハッピーエンドが見たいとか、そんな馬鹿げた理由で? その為に貴女が払う代償、わかっていますよね?」
詰問してくる黒の影を、制する。
「ニーヴィアの最期を見たぞ」
「……死んだのですか!? あの者」
「彼女らが片をつけてくれた。本来なら姉のわたしがやらねばならなかったことだ。あの者を葬るために残していた力を使う。ニーヴィアが遺した爪痕ならばわたしが埋めるべきだ」
白の解呪士は目を瞑った。眼裏に、決別の瞬間をありありと思い浮かべることができる。
──姉さん! 見て! 私の紋魔法よ。これがあればスペルサッティンなんかで生活しなくてもいい。私たち一族は……世界だって掌握できる。乗り出しましょう! 私たちを虐げた人間たちを、私たち白の一族で支配するの!!
妹、ニーヴィアは紋魔法の革命児だった。
まったく新しい体系の魔法を生み出した彼女は、魔法に慢心し、一族外のすべてを下に置くべきだと、主張した。
数十にも満たない人数で、そんな大それた真似ができるか。
それどころか、新たな紋魔法は破壊的にすぎる。
はじめは良くても、やがて軋轢を生み、一族を脅かすだろう。
むしろ秘匿すべきだ。
一族の決定に、ニーヴィアは徹底抵抗した。
ほとんどを呪い殺し、姉にまで重い呪いを放って逃げた。
もはや白の一族は一族と呼べないほどの数しか残らず、まとまっている意味を失い、離散した。
風の噂で、ニーヴィアと思しき存在が、スクエータの上層部と懇意にしていたと聞いた。
一族が生み出した忌み子は、危うく世界の均衡を、スクエータただ一国に傾けるところだった。
「スペルサッティンのミルシュカとセレスタイト卿。二人への借りはあまりに大きい」
黒い影も白の解呪士の行動を、認める気になったようだ。
「ニーヴィアは、貴女が一族を背負って行動することを、それは嫌悪しておりました。自分が死んだ後ですら貴女が族長として、あるいは姉の責任感で後片付けをするなんて、最高に嫌がるでしょうね。良い意趣返しです」
「そうさな、かつて一族の前途を台無しにしたのだ。妹とはいえ温情はない。あの世があるなら嫌悪に胸を掻きむしりながら、罪に思いを馳せていて欲しいな」
あまりミルシュカを待たせてもいけない。
白の解呪士は天幕から出て、明るい日の下へ、影に潜んできたその身を晒した。
この物語で、地の文のエリアスを序盤でも「セレスタイト卿」としなかった理由が本話になります。
冒頭1シーン後はずっと『エリアスを名で呼ぶようになったミルシュカ』が白の解呪士に渡した記憶であったから。
では、このあとはエリアスの追憶と、記憶を超えた物語の先へ。




