47.動かないときに思うこと
四季読み砦での攻防の後、ミルシュカはラドスラフと共にスペルサッティン辺境伯の館へ帰還し、領主として復帰した。
後日、捕らえたレイモンドを手土産に王に謁見し、一連の事件の報告。正式に再び領地を治めることが認められる。
前線ではユリウスと共に、飛行型使い魔を討伐し、マルーク王国の優勢を取り戻した。
以後、一年以上が過ぎたが、スクエータの飛行型使い魔の投入はなく、彼の国の軍事行動は沈静化した。
平穏が訪れたのである。
◇◇
スペルサッティン領の収穫期、ミルシュカは臨時で農地に入り収穫を手伝っていた。
「領主様~! 休憩だよー!!」
子どもたちがバスケットを手に呼んでくれたので、手を止め畦道に上がった。
木陰で広げられた昼食のパンを冷たい水で流し込み、吹く風で汗が体を冷やす気持ちよさに一息つく。
「ありがとう、ちょうど疲れたところだった」
「領主様なのに、農作業の手伝いなんてしていていいの?」
ミルシュカは子どもに笑いかける。
「ああ、みんなの仕事ぶりを間近に見られるし、忙しい時は手伝いたいからな」
「みんなありがたい領主様だって、言ってた。ぼくらも、領主様が手伝いに来る時期は楽しいな!」
「私も楽しい。それにお互い様なんだ。みんな、農閑期に私が他領に出るのを許してくれているから」
「探しものだって、旅にでるやつ?」
「うん」
子どもたちはミルシュカの表情が陰ったことに気づかなかった。些細な変化だった。
「そういえば父ちゃんが言ってた! 今度、領主様にいいお婿さん候補を会わせたいって。領主様ももうお年頃だからって」
「……参ったな、私は絶対に受けないし。相手に申し訳ない。私の花婿ならもう決まっているんだ」
これには子どもたちの間にざわめきが広がった。
「ええっ領主様いい人がいるの!? みんな一昨年ろくでなしに引っかかってからの傷心で、浮いた噂のひとつもないって言ってるよ!」
ミルシュカは困り顔になってしまった。
そんなふうに誤解が広まっているとは知らなかった。
「……いるよ。もう、いる。だから浮いた噂なんて流せないな。そいつ嫉妬深いんだ」
「えー! どんな人どんな人ー? かっこいい?」
食いついてくるのは女の子たちだった。
ミルシュカは眼裏に大切な人を浮かべ、語る。
「そうだな、見た目はすこぶるカッコいいぞ、文句なしだ」
「わあ!」
「でも嫌味な奴? 偉そうで、その場限りの女になら歯の浮くような口説き文句が使えるくせに、私には調子外れな比喩しかできない」
女の子たちの顔が、途端にげんなりしてくる。
「領主様、それもろくな男じゃないんじゃ……?」
「ええ!? そんなことないぞ!」
「だって、どこが良かったの? その人」
「それは、えっと……その……」
(心底愛してくれたこととか、私のことになると冷静さが無くなるとことか。とにかく、全部か?)
照れて答えを口にできないミルシュカに、今度は男の子たちが囃し立てる。
「おれきいたことがあるー! そういうの『体の相性が合った』っていうんだぜー」
「ばっ!!!」
まさか子どもからそんな言葉が出ると思っていなかった。
ミルシュカは盛大に慌てた。
「あのな、子どもがなんてこというんだ! それ今後は言っちゃダメだ!」
言った子どもはミルシュカが慌てる姿で満足したらしく、反対側の木陰へ走って行ってしまった。
「まったく……」
グラスの水を飲み干し、木陰とその向こうの青空を眺める。
ミルシュカはしんみりと一言だけ付け足した。
「それでも……そいつこそが、私にとって最高の男なんだ」
昼食を持ってきてくれた子供達に感謝して、ミルシュカは午後の手伝い作業に戻るのだった。
◇◇
月光が室内を淡く照らす夜半。
ミルシュカは、スペルサッティン辺境伯邸の私室に安置された石像に手を伸ばした。
由来を知らない者にとっては優美な青年像にしか見えないのではないか。
その造形美は人間だったと言われるよりも、巨匠が理想を精魂込めて彫り上げて作ったと説明されたほうが納得できる。
「エリアス……」
優しげな笑顔で石になってしまった彼は、もうミルシュカにこの表情しか見せてくれない。
(お前といったら、こんな顔でいることの方が珍しかったぞ。いつもはもっと、スカしてたし、余裕ぶって生意気な顔ばっかりしていた)
ひと撫でした頬は、冷たくてざらついている。
この一年あまりの時間、スペルサッティン、セレスタイト、王家にまで力を借りて白の解呪士を探し続けた。
ラドスラフは流浪の旅に戻ったが、行き先で調査をしているらしく、定期で手紙をくれている。
ミルシュカも領主業のかたわら近辺で聞き込みをし、農閑期には遠出した。
欠片なりとも情報が得られないか、求め続けた。
しかし、かんばしい成果がないままだ。
そもそも、最後に噂が流れたのすら十年以上前で。
白の解呪士はまだ存命しているのかどうか。
白の一族自体、絶えてしまったかもしれない。
(だめだな、こんな夜は特につらくなる)
こんな、冴えた月の夜は。
温かだった彼の肌や、得意げにミルシュカをからかう口ぶり、熱情のこもった瞳が恋しくてたまらなくなる。
(お前が望まないとわかっていても、考えずにはいられなくなる)
命を捧げても絶対解呪でその石化を解き、儚い再会でいいから叶えたい、と。
(すぐに死んでしまってもいい。もう一度だけでも柔らかいお前に触れて言葉を交わしたい……なんて、言ったら、「弱気になるな」と怒るだろうか)
それでも、どうしても耐えられなくなったら。
絶対解呪に頼ったその時は、エリアスは許してくれるだろうと思う。
(お前は、私に甘いから。だから、諦めてしまった私にも優しくしてくれるに違いない)
硬いとわかっていても、ミルシュカはエリアスに腕を回し、抱きしめた。
月が窓枠の向こうに消えるまで、そうしてただ、エリアスを想い続けた。




