45. 同じ。愛する人の願いを譲れない
広大な空を滑空し、ミルシュカは目を凝らして逃げたレイモンドを探す。
(いた! よかった。徒歩なら追いつける)
地表まで、あと15メートル。
レイモンドの進む先を読んで、軌道を調整する。
ややレイモンドの方が先行している。
地上に降りてからでは追いつけないかもしれない。
ミルシュカは右手に魔力を集め、レイモンドの前方に紅の球を投げる。
「爆炎!」
大きな爆発音が轟く。
地獄の釜が開いたような火柱が立ち上がり、煙と土が巻き上がった。
レイモンドの進路は炎と熱に塞がれる。足止め成功だ。
振り返ったレイモンドの前へミルシュカは降り立つ。
地面に足が触れ、エリアスの託してくれた飛行の魔力が、すべて消え去った。
「み、ミルシュカ……!? その姿は? それに爆炎……?」
「……お前たちがくれた呪いなら解けたぞ。……解いてもらった」
一歩一歩、レイモンドに近づく。
ミルシュカの瞳には、やるせなさから生じた怒りや、苛立ちが宿っている。
「レイモンド、お前にはそれはそれは複雑な思いがあってな。本当に、お前は私に色々してくれたものだ……」
後ずさるレイモンドだが、後ろは爆炎で熱せられ抉れた地面。行き場はない。
「み、み、ミルシュカ、落ち着いてくれ。れ、冷静に話し合おう」
ミルシュカは凶悪に口の端を歪めた。
「これが冷静でいられるか! 爆炎! 爆炎爆炎爆炎!!」
怒りのまま、威力を極小に落とした爆炎をレイモンドの足元へ立て続けに投げつける。
飛び上がって爆炎の連発を避けるレイモンドは滑稽に踊る道化だった。
「ひ、ひいいい!!! ミルシュカ! ほら、僕たちは夫婦じゃないか!」
レイモンドは必死に情に訴えかけてくる。
「神父の前で誓い合った……」
しかし、これは極め付けにミルシュカの逆鱗に触れた。
「誰が!! お前なんかと夫婦であるか! 私の夫にふさわしいのはエリアスただ一人だ!!」
エリアスの名を出すだけで、姿を思い出すだけで、あふれてきそうになる涙を振り切って、ミルシュカは吼える。
「『宝珠』を寄越せ! あれはあってはならないものだ。破壊する」
「こ、断る。これはお前たちが殺したニーヴィアが僕に託したものだ。絶対に渡すもんか!」
あんなに怯えていたにも関わらず、レイモンドは抵抗をみせた。
そんなレイモンドをミルシュカは鼻先であしらう。
「そうか……しかし私も愛する人の願いを譲れない。……ならな、悪いが強いもの勝ちだ」
手足をジタバタさせてレイモンドが言い募る。
「ミルシュカっ、見逃してくれっ、ほら、色々したけどさ。お陰でセレスタイト伯爵と恋に落ちたわけだろう? 結果として良かったわけで……」
この後におよんで見苦しい男である。
「まあ、裏切ったことには感謝してもいいかもしれんな。お前のような男のクズと結婚生活を送り、愛さず済んで本当によかった」
ミルシュカの態度の軟化に、レイモンドが哀れなくらいぶんぶんと首を縦に振っている。
「だろっ? だからさ──」
レイモンドの言葉を阻む爆発音が鳴り、図々しい彼の左側の地面が破裂する。
「お前の御託を聞くと耳が穢れる。次は当てるから、歯でも食いしばっとけ!」
目を剥き拒否するレイモンド。
ミルシュカは彼に出力を抑えた赤の魔力を投げつける。
「爆炎!!」
殺さない威力に爆炎を調節するのは難しいものだ。
小気味よい破裂音と共に、レイモンドは煤けて吹っ飛んだ。
離れた地点にドサリと落下した、レイモンドの懐を探る。
(あった)
取り出したのは、硬質な手触りで七色に輝く『宝珠』。
中空のガラス玉か、ひとひらの羽を思わせる、見た目よりずっと軽い球体。
ミルシュカはそれを宙に放り投げ、全力で『宝珠』目掛けて炎の魔力を投げつける。
「……爆炎」
紅蓮の爆発で『宝珠』は破裂し、地上に七色の欠片が降り注ぐ。
「…………ちゃんとやり遂げたぞ、エリアス……」
当然ながら、返事はない。
「嘘つき」
言われた時は置いて行くかわりに、約束したのに。
── 俺は飛べるんだから。置いてけぼりのままでいない。必ず飛んでお前に追いつくさ。
(ぜんぜん、来ないじゃないか……)
何もない原野を過ぎる風が、涙に濡れた頬を冷やす。
流れ落ちる涙を手の甲で押さえて、ミルシュカは静かに砦へ──エリアスのもとへ向かう。




