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44. 誰よりも何よりも

 ミルシュカは緑の瞳を揺らす。

 理解が追いつかない。


 解呪する? ラドスラフが前に言いかけていた解呪方法か。


「エリアス、その解呪って代償が釣り合わないって大師匠が言っていたものだろう? そんなものを使うのか?」


 問いかけて、気持ちが重くなる。

 何か取り返しのつかないことが起きてしまう前のようで。


 だが、エリアスは断固とした口調で言う。


「いいから。紋があるほうの胸を出せ」


「でも……」


「迷っている時間がない。あの炎が狭まりきったら、どちらにせよ終わりだ」


 真剣な表情だった。彼はとうの前に覚悟を決めてしまっていたのだ。

 ミルシュカは、しぶしぶ右の胸元をはだけた。


「……ではやるぞ。ここから先はタイミングが厳しいんだ。俺を信じて、どんなに辛くても躊躇わず、振り返らず、さっき言ったことを必ずやり遂げてくれよ。そうすれば活路が開ける」


「…………わかった」


 念押ししたエリアスは、懐から一本のナイフを取り出す。


「──エーテル・マギア!」


 呪文とともに、甲高い音が鳴り響き、エリアスの足元から光が差した。

 周辺の変化にもとまどうことなく、彼は続く呪文を唱える。


「我、エリアス=ベジル=セルベスはミルシュカ=キュク= シュトライクこそを、誰よりも何よりも愛する者なり。我が胸より流す血を以って、彼の者を呪いより解き放ち給え」


 ミルシュカは呪文の一節に驚愕する。


「胸より流す血!?」


 エリアスは持っていたナイフの刃先を己に向け、迷いなく自身の胸に突き立てた。


「っく……うっ、……つ……」


「エリアス!!」


 彼は血を流す胸をミルシュカに合わせ、あふれてくる血で魔封じ紋を濡らす。

 重ねられたエリアスの唇は、血の味がした。


「……絶対解呪」


 苦痛にかすれた声で唱えられると同時、胸にかかった血が、エリアスの瞳によく似たアイスブルーに輝き、光の粒になって消えていく。

 目を凝らして、エリアスはミルシュカを見つめる。


「解けた……次だ」


 確認を終えた彼は、ふらりと傾いた。


「そんな、こんな状態のお前を置いて行けって? そんなこと、できるわけないっ!」


 涙が滲む。

 ばくばくと、鼓動の音がうるさい。


(誰か。エリアスを助けてくれ!!)


 辺りを見回しても、出口のない白い炎の壁。

 必死の願いに応える者はいない。


 取り乱すミルシュカに対し、瀕死の重症なはずのエリアスが、信じられないくらいの力強さでミルシュカの左手をとった。


「…………言ったこと、忘れるな……」


「エリアス!! ……でもっ」


「今、飛ばす、……頼む……」


 苦痛で眉間を寄せながら、ミルシュカを落ち着けるため、彼は笑う。

 

 手が揺れた。

 エリアスが、ミルシュカを飛ばすため腕を振り上げたのだ。

 離れがたくて、ミルシュカは精一杯エリアスに手を伸ばした。


 時間がとてもゆっくりに感じた。

 アイスブルーの瞳で、エリアスはミルシュカへの途方もない愛を湛えて微笑む。


「……行け、……俺の愛する……爆炎の辺境伯」


 浮力に引き離され、繋いでいた手が解けていく。

 触れ合っていた指先が、離れる──


「エリアス!!」


 ぐんぐん高度が上がり遠ざかるミルシュカの目に映るのは、足から灰色に変じて石化していくエリアスだった。

 飛行魔法を使ったことで呪いが発動したのだ。


 ──石へと変ずる。


 手を振り上げた姿のまま、エリアスは硬質な灰色に覆われていった。


「いやだっ、エリアスっ……!」


 こぼした叫びは、風切る音にかき消される。

 すぐにでもエリアスのそばにもどりたい。

 抱きついて、元に戻ってと泣き叫びたい。


 けれど。


 戻ったところで、ミルシュカにできることはない。白い炎の壁に触れ、死ぬだけだ。

 それなら、エリアスの意志を貫かなければ。


 ミルシュカに「託す」と言ったエリアスの期待に応える。

 その一念で自分を強く持ち直す。


(やり抜く、お前がしてくれたことを、無駄にしないっ!)


 上昇するその先、炎の壁の紋が近づく。

 ミルシュカは右手の中に魔力を集めた。

 久しぶりだというのに、まったくブランクを感じさせず魔力は応え、手のひらに紅のボールが現れる。


「消えろおおおおおっ! ばくええええええんっ──!!!」


 投げつけた爆炎は紋様にぶつかって爆ぜ、ガラスが壊れるように、白い炎の壁が割れ落ちる。

 散って舞う光のかけらの中、ミルシュカは前を見据えた。


 放物線を描くまま、白炎の壁があった場所を通り過ぎ、その向こうへ。

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