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38.墜落の記憶

 追いかけてくるように空の下方に群青色が降りてくる。

 町へ帰る飛行の最中、エリアスはぽつり、ぽつりと語り始めた。


「……お前に逃げてもいいって言ったのは、俺の弱さもあったんだ。すまなかったな」


 思いもしない告白に、ミルシュカはエリアスの言葉の続きを待つ。


「……俺が爵位を継いでいるのだから当然だが、父上……前セレスタイト伯爵は亡くなっている。お前の父の……スペルサッティンの前領主は高齢ゆえの心臓発作だったと聞いている。だからお前は俺の家もそんなものだと思ってたんじゃないか?」


「あ、ああ。どこもそんなものじゃないかと……」


「でも、俺の父上は亡くなった時まだ若かったんだ。まだ四十二歳だったからな」


 ミルシュカは思わず息を呑む。

 その歳での別れは、たしかに辛かったことだろう。


「そんなに、若く? なぜ……」


「飛行の失敗による墜落死だ」


 急に、今まさに飛行で移動していることに背筋が凍った。


「安心しろ、俺はそうそう失敗させない。父上は飛行が苦手な人だった。家系魔法っていっても向き不向きは出る。飛行魔法は幼い時にどんどん使って、平衡感覚や空間識のつかみ方を鍛えておく必要があるんだ。父上は『幼い頃、高所が苦手で、あまり飛ばなかった』と言っていた。だから飛行魔法に向く性質(たち)ではなかったんだ」


 うつむくエリアスは、しめやかに下界を見下ろす。

 きっと彼は、亡くなった父親の姿を思い出している。


「それでも国にとって貴重な飛行魔法使いだ。王命に従って無理して空に出ていた。後で知ったんだが、父は俺たち兄弟の分の要請まで自分で受けてたんだ。……そうまでして、俺たちの戦地行きを先延ばしにしようとしてくれていた」


「……いい父上だったのだな」


「ああ、尊敬する父だ。だが、逃げてくれてもよかった。無理して命を落とすくらいなら。そういう思いがずっと、しこりになっていた」


 夜風がエリアスの榛色(はしばみいろ)の髪をさらい、揺らす。


「でも、お前の先ほどの返事を聞いて思ったんだ。父だってきっと、後悔なく心の底から俺たちと幸せに過ごすために、立ち向かって戦地に出てくれていたのだろう」


 ミルシュカは肯定を強く伝えたくて、繋いだ手に力を込める。


「うん……」


 エリアスの父がした選択を、尊重したい。

 彼が、自分の大切なもののために選んだ意志だった。

 そう信じていいのだと、ミルシュカはエリアスの痛みごと、受け止めた。


 残照が消えた紺青の空に、半月がぼんやり浮かび上がる。


「集められそうな情報はあらかた得た。ラドスラフ殿と話し合って、明日か明後日には勝負に出たい」

「うん、いよいよだ」


 肌寒さが増した気がして、ミルシュカはエリアスに体をつけた。


 宿に戻ると、ラドスラフは酒場から戻ってきていた。

 彼は剣術師匠時代の顔の広さを利用し、砦の警備責任と酒を酌み交わして、警備情報を聞き出していた。


「孫弟子の一人を酔い潰れさせて仕入れてきたぞい。セレスタイト伯爵のスケッチと照らし合わせても、予想通りじゃ。標的は北塔に警備も入れず篭っておるようじゃの」


「なら、大師匠。私たちが白の女とやり合う間、南塔で警備の人員の足止めをお願いできますか」


「うむ、わしが白の女を倒しちゃると言いたいとこじゃが、セレスタイト伯爵では警備の足止めはやりきれんだろしの。いいじゃろ。わしは足止め役に徹してやろうぞ」


「ありがとうございます」


「決行はどうするんかの?」


 エリアスが間髪入れず応じる。


「さっき聞いたら、天気の予報は明後日から大風になる。だから、天候の崩れる前、明日だ」



 ◇◇



 決戦前の、漠然とした不安に、ミルシュカはソファで隣に座るエリアスに身を寄せた。


「ついに明日、決行だな」


「うん、いよいよだ……エリアス、明日は……」


「そんな辛気くさくなるな」


 エリアスは軽い調子で言う。


「白の女をふん縛ってお前を解呪させて、レイモンドをとっちめる。つくっているとかいう使い魔の『宝珠』はぶち壊し、運が良ければそれで飛行型使い魔はお終いだ。あとは飛行と爆炎でちょろっと前線の生き残りを片付けて、お前は俺の妻になる。それで、俺たちは幸せに暮らすんだ。めでたしめでたし、だろう」


(こうやって、不安を吹き飛ばしてくれるエリアスが好きだ)


「うん、そうだな」


 ミルシュカはエリアスの身体を抱きしめる。 


「……なあエリアス、私はずっとこの先も、飛べるお前についていきたい。だから、置いていかないでくれよ」


 頬を撫でて愛おしめば、エリアスはうなずいてくれた。


「俺はお前を置いていかない。約束する。その代わりだが……お前も約束してくれないか」


「うん、私もエリアスを置いて行ったりしない」


 優しい表情のまま、エリアスが首を横に振る。


「ちがう。お前は俺が『置いていけ』と言ったら俺を置いていくと、約束してくれ」


「なんだその約束は」


 衝撃を受けるミルシュカを、エリアスは慈しむ目で見つめる。


「そんなことできるか。私はお前と一緒に居たいんだから」


「だからだろ、言うとしたらお前と一緒に居続けるため、その必要が出た時だ。戦地では何が起きるかわからないと言っていたくせに」


「でも……」


「いいか、俺は飛べるんだから。置いてけぼりのままでいない。必ず飛んでお前に追いつくさ。だから、交換にそう約束しておいてくれないか」


 渋々ではあるが、ミルシュカは約束を受け入れた。

 それでエリアスがミルシュカを置いていかないのなら。

 あとは、ミルシュカがエリアスを置き去るようなことにならなければいいのだ。


「わかった。お前がそう言った時には、だぞ。そしてお前は私を置いていくのはナシだ。私は飛べないからな」


「わかった」


 喉を震わせて笑いながら、エリアスも同意と約束を返してくれた。


 ふと、窓の向こうの更けた夜を見て、エリアスはミルシュカを気遣う。


「寒くないか?」


「エリアスが隣にいるから、平気」


 エリアスの手がミルシュカの頭へ伸び、引き寄せる。


「愛している、ミルシュカ。『誰よりも、何よりも』……この条件を満たせるのは世界で俺だけだ」


「条件?」


 ふっと、息つく音がした。

 髪を指で絡め取られ、大切そうに口付けられた。


「気にするな。それだけ、深くお前を愛している」


「私だって、お前を何ものにも代えがたく、愛している」


 ミルシュカも、お返しだと言わんばかりに、エリアスの癖で跳ねた髪に触れ、形を確かめるように頭を撫でる。


 くすぐったそうに喉を震わせたエリアスが、静かに体重をかけてきた。


 じゃれあうように、緊張を紛らわせるように。ミルシュカとエリアスは互いの愛に甘えあった。

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