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33.墓前の大剣士

 長く枝を伸ばした樹の梢から影が落ちている。

 風が吹くたび、葉が揺れ、木漏れ日が煌めいて移りゆき、まるで水滴を散らしたようだ。


 ミルシュカは静かに膝を折り、師の墓前に花と供物を置く。


「オルジフ師匠……、逝ってしまわれているとは知りませんでした。葬儀に出られず申し訳ない。……むしろ師匠は私の葬儀に出たのでしょうね。私は死んでいません、ちゃんと生きてるんです。もう一度生身の師匠にお会いしたかった」


 再び涙ぐみそうになったミルシュカの気を立て直そうとしているのだろう、エリアスが明るい声をかける。


「おい、そのパンの山はなんだ? 死者への手向けとして酒とかタバコは見たことあるが、パンとはいかがなものか」


「師匠は無類の炭水化物好きだったんだ。特に精製された小麦のパンが好きで。……オルジフ師匠、白いパンですよ。たくさん、用意したんです……」


「ネズミかカラスに持っていかれることだろう」


「墓前に供えられたのに意義があるんだ! 全くセ…リアスは」


 呼び名の混乱を誤魔化したミルシュカであるが、エリアスは耳聡く、追及してきた。


「おい、呼び名。合体させて誤魔化すな」


「いちいち細かいなお前は、師匠の墓前だぞ」


「だったら余計にだろうが。師匠に『容姿端麗、才徳兼備の夫を捕まえました』とでも報告しとけ」


「気が早いぞ。……師匠、この通りせっかちな男ではありますが生涯支えてくれる者を得ました。だから、ご心配なくお眠りください」


 師匠への報告と鎮魂の祈りを済ませ、ミルシュカは墓からエリアスに視線を移した。彼も何も言わず手を組んで、師匠に鎮魂の祈りをくれていた。


「……いこう」


 ミルシュカは立ち上がり、師匠の眠る場を後にする。


 墓地の小道を歩く。

 数々の墓石の間を進み、出口へ向かう途中、厳つい老剣士とすれ違った。


 短く刈られた白髪、年季の入った剣を背負った堂々たる風格。

 鋭い眼差しには研ぎ澄まされた威圧感があり、一目で歴戦の猛者だとわかった。

 あまりに見事なので、ミルシュカはつい振り返って二度見してしまう。


「おい、ミルシュカ?」


「なんでもない」


 三歩先をいくエリアスに。小走りで追いつく。


(エリアスは最近、嫉妬深くなったからな。老人とはいえ、見惚れたとでも勘違いすれば厄介だ)


 隣に並び、手を絡ませると、エリアスは気を良くしたらしく、口元がゆるんだ。


 しかし、ミルシュカは思考の隅で今後の方針いついて悩む。

 頼るつもりだった師匠は、もういない。

 次はどうしたものか。


 空振りに今後を憂いていると、背後から情けない悲鳴が聞こえてきた。


「たすけてくれ~!」


 閑散とした墓地に響く男の声。

 聞いてしまった以上、放っておけない。


 声を頼りに駆け戻る。

 すると、師匠の墓石の前で一悶着が繰り広げられていた。


「悪気はないんだよぉ~、もう限界で、許してくれよお~」


「死者から盗みを働くとは、恥知らずめ」


 先ほどすれ違った老剣士が、若い男を組み伏せていた。

 男はユリウスと同じくらいの年頃で、地面に押さえつけられ苦しそうだった。


「そこのご老公。この男が何かしたのか?」


 ミルシュカが尋ねると、老剣士は低く唸る。


「おう、娘さんや。こやつ墓前の供物を盗って食いよった。この若さでなんちゅう情けない。坊主、食いたきゃ働け、おまえ若いんだ働き惜しまなきゃなんでも仕事はあるだろう」


「そうもいかないんだよう~。追われてるかもしれねえ、落ち着いて働きにでられねえ!」


 盗人が必死で弁解する。

 墓石の前では、ミルシュカの供えたパンの山が半分ほどに減っていた。


 ミルシュカはため息をついて、老剣士に言う。


「そのパンを供えたのは私だ。事情があるようだし、その盗人の話を聞いてみたい」


「おおっ! 頼むよう~。あんたがおれにくれたってことにすれば丸く収まるや〜!」


 老剣士が立ち上がり、盗人の身を離す。

 すると、盗人は素早く起き上がり、また逃げ出そうとした。


「せりゃっ!」


 老剣士の手刀が決まり、盗人はその場に昏倒した。


「まったく。弟子への供物を食ってみつかっておいて、逃げようとは図々しい」


 その見事な身のこなし、卓越した一撃。

 ミルシュカは老剣士に詰め寄った。


「もしや、大師匠! ラドスラフ殿ではないですか!?」


「いかにも……ラドスラフであるが。お前さんは?」


 やはりミルシュカの知る流浪の大剣士ラドスラフ、その人であった。

 ミルシュカは急かされるように、ラドスラフにまくし立てる。


「あなたの弟子であるオルジフが四番弟子、ミルシュカです! 大師匠とは十五年ほど前、入門時に面通しさせていただきました」


「オルジフのミルシュカ、と言えば領主の子ではなかったか。はて、お前さん、スペルサッティン辺境伯家の者には見えんが」


「……事情がありまして。そうだ大師匠! 時間があれば話を聞いていただけませんか、できれば是非とも力を貸していただきたいのです」


 頭を下げるミルシュカに、エリアスも加勢してくれた。

 騎士団の徽章と裏の家紋を見せ、身の上を明かす。


「大剣士殿、俺からもお願いします。俺はセレスタイト伯爵エリアス=ベジル=セルベス。彼女がスペルサッティン辺境伯家のミルシュカと、俺が保証します。ですから、どうか」


 ラドスラフは鷹のような目つきでミルシュカを捉え、低い声で誘う。


「ならば剣を合わせてみろ。お前さんが真に孫弟子ならば、我らを繋ぐのは剣なのだから」


「はい!」


 エリアスに待っていてくれと目配せし、ミルシュカは大師匠と手合わせできる、墓石がまばらで、広い場所に移動した。


 ラドスラフの剣は熟年の技の精華だった。

 七十前後だろう肉体は最盛期をとうに過ぎている。

 なのにその剣撃の重く鋭いこと。


「よいだろう。お前さんの剣に偽りはない。……確かにオルジフに教えた、わしの流れを汲む剣技だ」


「大師匠……」


 エリアスを待たせた地点に戻りながら、ミルシュカは自分の『事情』を説明した。


「ふむ、久々に来てみればスペルサッティンに違和感があったのはそのせいか」


「ありますか、変化や、おかしな点が」


 ラドスラフは短く刈り上げた白髪を、バリバリと掻く。


「うむ、皆、何かを気にかけて息を潜める雰囲気であるな。獣が通り過ぎるのを待つような、静かにしていればやり過ごせると隠れるような」


 ラドスラフと話せてよかった。

 ミルシュカがモヤモヤしていただけだった感覚が、言葉になった。


「それに、お前さんの解呪だが、白の一族について知っている話がある」


「本当ですか!?」


「それについてはセレスタイト伯爵もいる場で話すか。……よもやセレスタイト伯爵家とスペルサッティン辺境伯家の者が恋仲になるとはの……」


 エリアスの元に戻れば、彼は縛った盗人のロープを引き、なおも逃げ出そうとするのを阻止していた。


「信じてもらうことができたか? ミルシュカ。こっちも収穫だ」


「え?」


「この盗人は気にかかる情報を持っている」

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